好奇心

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ホツマ夢黙示録6 大きなくり(繰り)の木(氣)の下で

寝起き閃ワード『大きな栗の木の下で』童謡から生まれる動揺(ºωº;≡;ºωº )嘘だろ?くりの捉え方でとんでもないスケールの真理に?!なお話

( ¯꒳¯ )大きな栗の木の下で?

実は夢を見た、一時代の世論を築いたスーツを来た政治家が私に見せた表現

「出来上がった硬い壁のような場所を熱する道具を少し当てると、後は手で揉むだけでぐにゃぐにゃになる事を多くの者は知らない」

そうやって綺麗なスーツを泥だらけにしながら、ついてきたまえと、大通りに出ると、ボディーガード付きの高級車が目に入る

「あれは我々政治家のためのものでは無い。近くに置いて置けば大衆が勝手にそれに乗ると思っているが、あれは一部の特権的な芸能人のためのものだ」

と、車行き交う大通りを小走りに走って通り抜け、寂れた路地裏の団地の階段を登る

芸能人以下で、1箇所の団地のような所に押し込められ、通信傍受など徹底管理されているためにやりたい事ができない旨を聞かされていた所に、公安のような秘密警察的な者達が私たちの元に現れ、一撃の衝撃と共に私達は意識を失いどこかに運ばれた

その後、目覚めてからの、身柄拘束状態からの脱出と身を隠しながらの熾烈な銃撃戦

という目覚めの後にありゃ(´・ω・`)何だ?と何となくぼーっとしてたら、頭にメロディが流れてきて…

( ¯꒳¯ )大きな栗の木の下で?Σ(゚д゚;)ウワガキ

気になるのそっちかーい(`Д´)ノ)罒`)

普通はそんな超有名政治家が夢に出てきて、鉄は熱いうちに打て!(今ならよく曲がるから)みたいなメッセージ性のある夢を見たら、そっちにうおー(ง°̀ロ°́)งってなるんだろうけど

つーか、お前(元総理)がその大きな日本の陰陽エネルギーを乱した根幹なんだけどな?と俯瞰の目で捉えた時、大きな栗の木の下で?の栗ってなんだろうと思って歌詞を調べたら

これも通りゃんせの隠された2番3番の歌詞同様に、全体で捉えなければ理解できない構造になっていた

通りゃんせの歌の失われた2番3番に真実があった

という事はこの歌のくりとは何か?実はこれが今回の學の重要点だった

一番の歌詞は有名だ

大きな栗の木の下で
あなたと私、仲良く遊びましょう
大きな栗の木の下で

始まりと終わりが繰り返すメロディ

2番はこう

大きな栗の木の下で
おはなししましょ、みんなでわになって
大きな栗の木の下で

3番はこう

大きな栗の木の下で
大きな夢を大きく育てましょう
大きな栗の木の下で

そう、全てはくりの木の下で行われる、調和と進歩をシンプルに伝えた童話…なんだけど、あまりにシンプルで、あまりに壮大すぎて今まで全く気づかなかった!!

このくりとは繰り返しの繰り!!

ここからは、陰陽の陰陽術と

陰陽に気づけば認知が変わる!ライフハック引用術

ひとつなぎの大秘宝 マンデルブロ集合

マンデルブロ集合 ひとつなぎの大秘法

この2つの観点から歌を読みといて行く

仮説1 大きな繰りの氣

大きなくりの木=大きな繰りの氣

繰りとは

糸などを繰ること。 2 (ふつう「クリ」と書く)謡曲の節の一。 基本的な音の中では最も高い音階名。 3 (ふつう「クリ」と書く)謡曲で、 曲 くせ の序章にあたる、拍子に合わない謡の部分。繰るとは、 細長いものを少しずつたぐって巻き取る。「糸を」順送りに向こうに送る。

始まりと終わりは同じ大きな氣の巡りの糸=意図の中で、仲良く遊び、輪になって話をし、夢を大きく育てよう

陰陽における大きな流れが音階の上がり下がりに現れ、栄枯盛衰のように陽から陰へと循環する

まさに大きな繰りの氣の下でを歌で表現している

拍子に合わない謡の部分

謡がリズムに乗ることを拍子合、乗らないことを拍子不合という。 拍子合の謡には「次第」「下歌」「上歌」「クセ」などがあり、8拍をひとつの単位として、何拍目に謡のどの文字が当たるかが強く意識して謡われる。 平ノリ、中ノリ、大ノリの3種類のノリがあり、拍子を取る囃子が入るのが原則

童謡、歌の基本旋律としてみた場合、大きな繰りとは、曲全体を見ると始まりと終わりが大きな流れで包まれ、平ノリ、中ノリ、大ノリがあって元に戻る

短いけれど伝えたい事が凝縮された法則を學基本が成り立っている

仮説2 大きな久里の氣の下で

久里とは

ひさしい。長いあいだ。時間が長い。久しくする、長く時間をかける。いつまでも。古くからの、昔からの。

ここに始まりから終わりを巡り繰り返す大きな氣をマンデルブロ集合の繰り返しのように壮大に感じさせる意味が内包されていたし、古のホツマ文字からのメッセージとしても合点がいった

遥か遠い遠い悠久の彼方から続いている大きな氣の流れ、糸を順に送るように繰り、その中で、調和と話し合いと夢を育てる事を繰り返し、今、だろうと過去だろうと、未来だろうと、その本質は変わらない(*´罒`*)

と教えられるような見守ってくれてる大きな木=氣=愛の下でと考えた時にもうひとつ、であっても繋がる事が見えてくる

仮説3 大きな栗の木=縄文時代の世界樹

ミクロはマクロなスケール理論を元に考えると

存在の連鎖とスケールの話

生命は植物無くして育つ環境は得られない。時には強すぎる雨やかぜから吹き飛ばれない環境が必要になった時、大地に根を張り、水を吸収し、緑を茂らせ、自然生態系を生み出す木が必要である

そこを住処として様々な生命が共存を始め、その命はどんな姿カタチをしてようと故郷は一緒の木の根住みである

これが本当の調和・共存を意味した時、大きな基本=大きな氣であり、そこに実る巨大な作物は、様々な生命に分け隔てなく命を繋ぎ、争いはなかったと思う

と、考えた時に、縄文時代に栗の木が大量に繁殖していたという偶然とは思えない一致がある

カタカムナ27首 月の和熊 縄文のDNA(動植物)を追え

月の輪熊は栗が好物、その栗が繁殖しているエリアと生息域は一致している事を考えると、縄文時代から熊はいて共存していたという事になり…いや、今回の寝起き閃がホツマツタヱベースで降りてきてる事を考えると

ホツマ文字が使われている頃にもそれは当たり前だったのかもしれない。そこでポイントになるのが、世界樹跡と言われる痕跡

有名なのはデビルズタワー

デビルズ

それが根から切り倒された、切り株形状である

だが世界最大の深さを持つ二重カルデラ湖と呼ばれる火口を持つのは日本の十和田湖も同じで

十和田

これは湖畔をボートで近づかない限り絶対に感じられない目線

十和田

この溶岩壁もまるでかつては木だったのが硬質化して岩になったような構造が多数見える事から、世界樹があった場所としても違和感はない

弥勒菩薩降誕の地とも言われ、キリストの修行場とも言われ、いずれにせよ行けばわかる縄文の匂いの数々。山の多くは噴火口だから火口が平になると物理的に小さき者の目線で捉えて来たけれど

ドローンなど空撮が発達した今、その俯瞰で見た目線は、山とは木の切り株(内側の根が引っこ抜ける)に見えないだろうか?それはまるで巨大な飛行石(ひし形)に根が巻きついて、空に舞ったラピュタの跡地のような

ラピュタ

ここでラピュタのテーマソングも大きな繰りの平ノリ、中ノリ、大ノリの3種類の構成になっている事に気づく

そこに大きな栗(繰り)の木=氣(愛の巡り)があったが今はその跡地=山しかない

くりと山の言霊

大きな繰りの氣を陰陽の流れとして捉えた時、カタカムナの言霊で読むと

くり
引きよる・離れる

まさに陰陽の循環、始まりと終わりの繰り返しという事になる

やま
飽和した受容、需要

飽和とは圧縮の反対の膨張の遮りが破裂して広がった状態=噴火済みの火口。かつてそこには何かエネルギーがあったが、今はもうないというような空虚感

大きな大きな目線で捉えて見ると、大地に植えた種が、悠久の時を経て成長し、世界樹となる過程で、そこで生まれた根住みの生命達は争いのない恩恵を得る

しかし、種が育ちきって大木に成長した時、その種を植えた者は収穫をするために、根っこから引っこ抜くために、後に残されるのはぽっかりと上に〇穴が空いた山の形状のみで

今まで風雨に晒される事無く住処にも食べ物にも困らなかった根住みの民新たな住処を探して大移動を始めるか、その世界樹の跡地で縄張り争いや共食い(かつての共存存在)を始め、消えた愛を求め氣が狂っていく

という事は…大きな栗の木の種に水=大洪水

なるほどね〜と思うのは地球性だか宇宙性だか知らないけど、火口付近にUFOが目撃されるとか、山の頂上にやたらと雲がかかって周りから見えないようになってるよな〜というのも

もしかして山の中に次の世界樹の種の苗床作ってるのかな?(地熱で暖かい)とすら思うのは、種を植えたら水をたっぷり入れるんよね

で、その際に溢れ出た水が大洪水となって生活環境を一変させてしまう。これ、家庭菜園規模で起きる虫に対するグレートリセットなんよな

家庭菜園で理解できるグレートリセットの仕組みと目的

でもその大洪水も起こす側からすれば一時の必要な工程であって「予告してたんだから離れないという選択をしたのはお前たちだから悪く思うなよ」と、数日後の風雨に晒された後、離れていた虫達が生きているのを確認して、その環境をよろしく!(*´罒`*)と賢い益虫に頼む

その賢い益虫ってのが、ノア(No or)の導きに耳を傾け調和と共存のために、繰りの氣の下で話し合った者達

ホツマ夢黙示録5 ノアの方舟 No or(否!もしくは…)

そんな今を生きてる君たちへ

と、託されたのが日本人の精神性のDNAたる国歌 君が代の千年、幾1000年という悠久の時のエネルギーの役割

国歌 君が代は日本人のDNAそのものだった

まさにそれが始まりと終わりが決まっている大きな繰りの氣の下で起きる、一時の事なんだよと……壮大:( ;´꒳`;):圧倒的壮大な真理が

大きな栗の木の下で

大きな栗の木の下でという童謡に

繰り=意図、繰る、順に送る、歌謡の旋律の法則
久里=悠久の時、昔からの、久しく…
始まりと終わりの同じ繰り返しのメロディ

歌詞に込められた、同じ栗の木(世界樹)の元に生まれし根住みの命だからこそ、仲良く遊び調和のための話し合いで夢を育てよう

この夢とは新たな世界樹=調和の空間の事だろう。まさに理想論を歌にした現実には受け入れ難い空論のように思えるが、理想論無くして夢を育てる事はできない

理想という夢を失ってはいけないシンプルな理由

それがどんなカタチであれエネルギーとして残されているからこそ、そのエネルギーの役割を頼りに真理にたどり着く。別に探してないんだけどね(*´罒`*)Σ(゚д゚;)

生み出されたエネルギーの意欲の行方

そしてやはりその道筋に導く明は夢黙示録きっかけという事から、私にとってはレムリア創造のために必要な學なのだろう( ¯꒳¯ )

独自感覚で読み解くレムリア

精神が達観していくのは肉体的に巨人(大いなる力を持つ)になった時、自らが周りに与える影響への配慮ができると考えた時、大人になってこの繰り返しから抜けていくのだろう

「大人」=アトラスになる事の真の意味に気づく

童謡に真理がある
子供はエネルギーを感性で受け止める

何気なくずっと覚えている歌、メロディ、なんでもそれはあなたの中にいつか必要だから残っている鍵

ちなみにこの大きな繰りの氣の下での気づきを昔話風に友人に語ったら

(*˘︶˘*)zzz Σ(゚д゚;) 秒で眠りやがった

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