全ては例え、伝えられた情報は真相を隠して伝えるためのカモフラージュという法華経の方便で考えたらコロナ予言の収束の鍵、弥勒と偽弥勒について
法華経の方便(カモフラージュを見ぬく)の考え方
最近見た2つの夢によって、私は混沌とする現実のニュースを追うのをやめてリラックスモード。そして、好きな事、興味がある事を素直に求めて言った結果…(過程は省く)
法華経の教えの方便にたどり着いたという事は前回お知らせしたとおり
方便とは?
直接的な教えではなく、例え話を用いて、違う話をして真理に至るヒントを与える事
私も直接伝えても理解が難しいだろうと思う話を説明する時、よく例え話をしたりするので確かに!Σ(゚д゚;)と実感
という事は?
悟りに至る真理を伝える教義として、語られた話、伝承、教えとは、例え話であり、そのまま直接的に受け取ったら間違いで、その語られた内容が何を意味するのか?を読みとかなければいけない
そこで最初に法華経の方便で読みといたのは、地元の伝承
法華経の達人 南粗坊伝承
七日七晩三十三昼夜の激しい戦いの末
八岐大蛇を法華経で九頭龍に化けて退治
その後、弥勒復活のため青龍となり湖を守る
とまぁ…そのまま受け取ると化け物退治に召喚魔法で追い払うというとてもファンタジーな話になって夢があるけど
これが法華経である( ˇωˇ )Σ(゚д゚;)マエトオナジクダリ
これの解読はすでに別記事でやってるのでそちらを参照
今回はずっと気になっていた弥勒再誕の予言を方便で読み解くと、コロナ所か仏教の教えそのものが方便ではないのか?と読めてしまう直感のお話
独自体感で気づいた三千世界の仏国土の方便
仏の教えにこう表現されている
三千世界の仏国土
直接的に表現すれば、億劫になる数の仏が支配する領土…
億劫とは、数えるのも嫌になる程の…という意味でもあるけれど、法華経における「劫」の意味は次元を超えた世界と考えるそうです
そりゃそうですよね、数えるのもあほらしい程の桁になる見渡す限りの仏国土はもう次元が違うからあってもなくても同じという(しかし存在する)
数え切れない=次元が違うという表現でしかない
そして三千世界というのもまた同様に、3000の世界があるという直接的な意味ではなく、仏教用語で10億個(1000の3乗)の須弥山世界が集まった空間を表す
数え切れない仏国土のそれぞれの世界にはまたそれぞれの仏がいて、それぞれの世界の生き方をして成り立っているシステムがある
という産全と生みのサイクルがある世界とも燦然と輝く世界とも読み取れる壮大な話に見えるけど・・個人的には、それもだいぶ直接的な表現に引っ張られているミスリードな気がするので
もっと具体的にわかりやすく言えば、ミクロはマクロに連鎖している(微生物から宇宙まで)という事だと思う
ではここまでの三千世界の仏国土とは何を表しているのかと言えば、私は体の中のひとつひとつの細胞の役割についてを語っていると思った
理由は簡単で釈迦の呼吸瞑想は、呼吸によって身体の内部に氣を巡らせることによって、細胞の活性化や神経の感覚すらもコントロールできる事を自分で体感したから
また、そういった体外部の感覚細胞に反映させる呼吸法ではなく、内から湧く心の乱れを抑える呼吸法によって、より深く自分の内面に潜れる事や
それを眠りに応用する事で意識を失ってから、あらゆる世界の体験をする事ができる。それは夢の世界のひとつの記憶のように感じるが、それは確実に自分の中の細胞の中の役割を持った微生物の世界の状況が変わると、それが外の自分への変化に変わる
のだけど、これはあくまでも自分に起きたファンタジーな夢での体験を脳が現代風に方便に映像処理した話
つまり、三千世界の仏国土の話をする=弟子の身体や心の状態(精神がリンクしてる)が今どうなってるか?とカウンセリングして説法してたという点
ただ、カウンセリングとは別にやっぱり夢体験からの予知夢や別次元の記憶の融合などが、呼吸瞑想の先にあったかもと考えると、預言は預言としての意味もあるのかもしれないので、やっぱり気になるこれを方便として捉えて考えてみる
56億7千年後に弥勒が下界に再誕するとは
『新国訳大蔵経 浄土部 3 阿〔シュク〕仏国経』(大蔵出版2007), ISBN 978-4-8043-8040-7
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000235632
①五十六億六百万年説(『雑心論』)
②五十六億七千万年説(『菩薩処胎経賢愚経』)
③五十六億一万歳説(『弥勒上生経』、『一切智光明仙人経』)
④五十六億七十六万歳説(『定意経』)
⑤人寿八万歳説(『増一阿含経』、『賢劫経』、『賢愚経』)
⑥人寿八四千歳説(『長阿含経』、『転輪聖王修行経』、『中阿含転輪王経』、『具舎論』)」弥勒菩薩は釈尊に次いで成仏することが約束されている補処の菩薩であり、現在は兜率天に在って諸天人に法を説いているとされ、やがて五十六億七千万年の後に、地上に降り来り、成仏し、釈尊の後を継いで人々に法を施すとされる。(中略)弥勒は大乗における大菩薩として位置づけられる以前から、将来仏として阿含経典などに登場している。」
釈尊の死後、56億7千年後に弥勒菩薩が衆生を救済する
直接的に考察しても、それは億劫な話で想像もできない
だからこれもまた方便だとして考えると
567と369 という現代風な表現は、今は多くの人ができると思うけれど
釈迦の死後に修行を終えた弥勒が現れて救ってくれると言うのは、釈迦という絶対的な世界の真理を知り尽くした仏とは世界そのものであり、その教えを追う弥勒=369は宇宙の法則であり、宇宙とは真空であり有無が同時に存在する量子的可能性の無限
そこから救いが…いやσ( ̄^ ̄)?まだファンタジーに引っ張られてるな
となるとより大きく方便を読み解くとやっぱりこうなる
釈迦とはDNA
弥勒とは新たなDNAになるRNA
私は仏教の教えそのものが体の細胞コピーのDNAのメカニズムの教えなんじゃないか?と思います
というのも釈迦の死後…というのがDNA細胞が劣化して行くと、新たな細胞が生まれてその経験を引き継いでコピーする
そして弥勒が下界に誕生し成仏して仏になる
解脱(げだつ)して無上の悟りをひらくこと。転じて、死んで仏になること。また単に、死ぬこと。
この死ぬ=成仏というのが死生観を間違った教義なんじゃないのか?と思うけれど、まぁ、そこに気づかない人は仏だけにほっとけ
新しく生まれたRNAである弥勒が解脱するとは、体内にある様々なタンパク質等の善悪の菌の誘惑でウイルス化して周りを侵食すること無く、正常な判断ができるDNA細胞として悟り=仏に至る事
その弥勒の修行を助け導くのは、そんな細胞ひとつひとつの三千世界の仏国土を管理する至高天の玉座にある自分の霊
自由意志であり釈迦(仏)である
故に常に向上心を持つ仏とは自分の事
至高天もまた実際にある場所ではなく、その瞬間の意識の在り方だと思う(固定ではない)
思考点かもしれないし
志向点かもしれないし
嗜好点かもしれないし
試行点かもしれないし
結局それを決めるのは自分の意思
その結果、世界=肉体が変わる自由自在
DNAは自分次第で変わる
そう考えれば、釈迦の教えを求める弟子とは、悩みや苦しみを抱えたひとつひとつの細胞であり、反論したり、反発した弟子は出ていくという表現もまた、奢り昂り、慢心傲慢は周りを傷つけるというのも
RNAウイルス化したり、正常なコピーができない奇形細胞はがん化して周りの細胞を苦しめるために、悔い改め自己消滅(アポトーシス)するか、そこから切り離されるという
利他と共存関係が保てない異物は体外へと追放される事で、平和を保つ免疫メカニズムの表現でもあるし、弟子のレベルに合わせて悩みや苦しみから解放して悟り(正常な状態)に至るヒント(説法)を与えて、自己回復を促す救いでもある
というのも…(まだ繋がる)
弟子は仏に答えを求める
答えを求めない者は悩みがないから苦しまない、知らぬが仏=正常状態
答えを求めるとは、己の考え方が周りとは合わない・悩むから起きる行動
答えを知る悟った仏に問うとは自分の在り方を決めかねている(自問自答)
これがRNAであり、変化の兆し
方便で例えるならば
急な筋トレで細胞がズタズタになるとして、その回復期間に細胞は悩むかもしれない
「これからも運動を続けるなら自分は脂肪細胞から筋肉細胞になるべきでしょうか?それとも…ただの思いつきでやっただけでまたすぐ脂肪になるんだったら、体全体のエネルギーのために変わらない方がいいのでしょうか?」
みたいな?
この問われているのが仏=意志であり、意志の在り方によって伝える内容も変わるだろう
たまたま仏:一時の乱れに振り回されては大局を見失う云々・・
必然仏 :あたり前にある状況がいつもあると思わず変化の波に云々・・
体の細胞を導く仏とは潜在意識の自分であり、顕在意識はまた弟子のようなもので「これから運動して筋肉つけるぞ!」なんて口で言おうと意志の強さなんて本質を見抜かれてる
筋肉になる=自分の意志も決まっている
自分の意志が決まっている=筋肉になる
いつまでも脂肪が燃焼されない=そもそも本気では目標を達成する意志はない
私の場合は夢で潜在意識が方便の具現化体験で自分の意志と体の状態を伝えてくれている
だから伝える話がファンタジーみたいな不思議で曖昧な伝承みたいになるけれど、それが何を意味するか?を夢分析するのもまた
法華経の真理探求の姿勢なのかも?
で、話がだいぶ脱線したので本筋に戻すと
釈迦死ぬ=DNA劣化
弥勒来る=新しいDNA新生
ここに56億7千万年後という数字
これをコロナと読んだ場合
人為的なコロナ騒動後に新しいDNAが誕生するという予言にも読み解ける訳だけど
それは
自然に生み出された最強弥勒(369)なのか?
人工的にワクチンで変更されて生まれた最悪偽弥勒(666)なのか?
ここで弥勒再誕の予言にも色々あって、混沌の終末の時、仏教に帰依している人だけが救われ、龍が楽園にて繁栄するという表現もあるけど、それも良いのか悪いのかどっちか分からないが
釈迦の方便はシンプルに真理だから
単純に社会がどれだけ混沌としても、そういう流れに自然に乗ってる人=自分の生き方を大切にする人、自分で考える人は龍が楽園=流れで上手いこと行く!
三千世界(微生物)が住まう仏国土(自分の細胞)は自然免疫(新たな弥勒システム)に守られる
という解釈も出来れば
人工ワクチン=意図的な仏国土侵略(体内破壊)で自然免疫(釈迦システム)がぶっ壊され、本来の弥勒(369)が誕生できず、外部から入ってきた偽弥勒(666)が出現し、そこに住まう微生物や細胞も破壊。支配が始まり、偽弥勒に従う者(別のワクチンから生まれる毒)だけが救われる世界
とも読み解けるから
まさに混沌の終末予言でもあるし、本当の意味で人類のDNAが書き換えられて、従来の人類(ヒトのカタチ)が終わる時とも当てはまる
多くの人がコロナ騒動によって意識が変わったのは、誰かに与えられた情報じゃなくて
自分の中に何かが芽生えたから だと思う
釈迦の教え(法則)になりすました何かが体に入ってきた事で、何かがおかしいと弟子(細胞)は気づいた。そしてその疑問を解明するために、徹底的に原因(666)を調べて欲しい!という弟子たちの仏(潜在意識)への嘆願が届き、医学・科学・体に侵入してくるあらゆる常識に対し、心を鬼にして守る疑心暗鬼の意識が芽生えた
これはDNAを守る・自然免疫を護る戦い
その先に強い最強のDNAが生まれる
それは人為的にブーストさせるものじゃなく
自然の流れによって起きる事
まとめ 方便は真理探求に必須
嘘も方便という言葉を、馬鹿とハサミは使い用とか、道具や手段みたいに思っていたけど
嘘と方便は全く違う!(この機会に覚えましょう)
方便は確実に気づきに導くための例え話、比喩的な表現、ストレートに伝えるのではなくカモフラージュしているため、そのまま受け止めるとミスリードしてファンタジーにしかならないが、ちゃんと向かいちゃんと考えれば、今すぐではなくてもいずれ答えに導くためのパズルの必要なピース
嘘は違う
嘘は気づきにも近づけさせないし、答えには絶対にたどり着かせない妨害。絶対に完成しないようにくみ上げてきたパズルを破壊したり、完成しないピースを渡して混乱させる
だから、嘘も方便なんて言葉自体が、完全なミスリードと理解した
さて、私は仏教そのものがDNAから始まる体内世界のミクロからマクロまでの役割の連携を伝えているものであり、その仏(釈迦)が次の仏(弥勒)という表現している事こそが
DNAの劣化と新たなDNAの新生というサイクルで壮大な世界は回っているという事なんだろうと
考えた時、釈迦自体が存在してないのでは?という気もしてきた
というのも、創世記も医学書?と思うほどに神話上の登場人物にはそれぞれ明確な役割があり、カインの刻印の話は免疫システムにおけるサイトカインストームやウイルスが根付かないという細胞のメカニズムが割り振られている
つまり、創世記も法華経同様に方便で構成されているという事がわかる
創世記から始まり、キリスト教でも最後は世紀末に救世主の話と、偽救世主が登場する話がある
そうなると、キリストが弥勒(369)で偽キリストが偽弥勒(666)
いずれにせよ混沌・世紀末の追い込まれた時に起きるDNAの新生
自然免疫の369か、人工ワクチンの666か
さてさて・・まだファンタジーでミスリードされてるかも?(´ε`;)ウーン… 方便の読み解きって難しいな
でも人工ワクチンの666はリアルだからね?そろそろ気づけよ?
ま、そもそもキリストいるかいないかもわからんしね(笑)だとしたら、キリストの物語や釈迦の教えを世に広めた創造主は誰だよ?っていうね
あと、釈迦もキリストも十和田関係あるんよな、修行に訪れたとか(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)タシカニ
実は同一人物説なんてのもあり得るかも?
各地に残された伝承はその関連する鍵となる情報を持つ者しか読み解けないような方便で構成されており、おそらく真理は隠してはいないのかもしれない
そういう観点で世界の神話が似ている意味は、法華経のようにファンタジーにする事で人の想像を欺く意図があり、その真相に至るために
それは比喩だってわかるよな?(笑)
という何かしらのキーワードがあるんだろう
例えば、昔話の太郎が着く話
逸話や歴史上における13や33の数字
起きる事件や災害の18や666
これらの事を法華経の方便の考え方を知らずに追い求めてきて、後から最後の最後に、釈迦の教えを直接解釈したらファンタジーになる方便だから、ちゃんと伝えられた本筋・本質を変換しなければいけない
って知って、今法華経にハマり初め…の1歩目から(;-ω-)深い・・( ̄▽ ̄;)
これはまた夢にお釈迦様が出てきそうだ(笑)
ただ、次の興味が、仏教が語る死後の世界(ファンタジー)の設定も細胞から追放されたRNAが辿る経緯と置き換えると地獄=体内の細胞の役割とか面白い事がわかりそうな気がする
例えば三途の川の奪衣婆の現世の衣服の剥ぎ取り=RNAウイルスのタンパク質の分解
地獄の釜茹で=胃酸の働き
尚、創世記のカイン(ウイルス)のほうは追放されてたどり着いた場所がノド(喉)の地だって。ここでウイルス繁殖すれば、風邪の症状でるんだよね?
まぁ、こんな感じで世界の宗教が全部 デタラメやーん!(┐「ε:)_ズコー ってなりそう(笑)
その方便のファンタジーをあえて映像作品にして見せて考えさせる映画とかちゃんと読み解くとおもしろいよ?
なんか法華経の方便のおかげで、世界の伝承の捉え方が根本から変わりそうでオラ!ワクワクスっぞ(*´ ꒳ `*)
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