好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

存在の連鎖とスケールの話

ミクロな事はマクロでも起きる。存在とは「今ここ」というフォーカスしているスケールによって違うという気づきのお話

スケールの大きいようで小さい話

まずはこの動画をご覧ください

これって凄くシンプルな事なんですが、これはあくまでも基準を大きさのみに絞った縮尺(スケール)の考え方

まさに圧倒的なスケールで「宇宙から見れば自分なんてちっぽけな存在だから、僕らの悩みなんてたいした事ないんだ!」というポジティブに考える例に使われる奴ですが

大事なのはそこじゃないんです

この無限連鎖するようなミクロからマクロな世界の中で、自分たちは「人間」という存在に「意識」があり、その周辺サイズの物事にフォーカスして生きてますが

このミクロからマクロまでの世界観というのは、物質的な世界で見れば全て繋がっているため、その存在としての役割も連鎖したひとつの生態系となっている

人間に見えないミクロな微生物が、土壌改良をして、植物が育つ環境が整い、その植物を寝床や食料とする昆虫が住み着き、その昆虫を食べる鳥や小動物が集まり・・そうやって地球環境の生態系のサイクルが成り立っていく

その途中でできる作物は人間も食べる事で、作物と共に育った菌からすれば、超絶巨大なマクロスケールの人間の体内宇宙へと吸い込まれ、そしてやがて37兆の細胞の中でどこかに根付いて共存するか、あるいは異物なウイルスとして排出されるかしての大冒険が始まる訳だけど

その人間の領域では、肉体を他の生命の糧とするエネルギー変換ではなく、知恵を産んで知識を継承するという新たなマクロのためのエネルギーを生み出してる事で、自分たちの存在意義を見出している

私の好きな海外物理コメディドラマ・ビッグバンセオリーのOP
ある意味、この歌が真理をついてる気がする

人が物理計算の先に思い描ている宇宙というのは、机上の空論かもしれないけれど、人はそうやって手の届かないマクロな宇宙への夢を見て、想像し創造を膨らませる

人がいるからさらに上へ・・と考えた所で、人なんて星レベルからすれば微生物でしかない。上を見上げたらもはやきりがないのは、ミクロな微生物たちだって同じ事

つまり「今ここ」=人間 という意識のフォーカスをした時に大事なのは、上のマクロの事を考えるのではなく、ミクロの事を考える事

もしも、宇宙から何かが現れ多くの人間が救済されるような変化をもたらしたら・・それは概念上の神か宇宙人というかもしれない

しかし、それは私たちの足元の虫や小動物からすれば、人間という脅威の存在に感じてる事とまったく同じ

植物に恵みの水を与える
虫たちの環境を破壊しない
小動物に敵意を向けない
むやみに虫を殺すなど無駄な殺生はしない
環境を破壊するような人工物を生み出さない

これを徹底すれば自分たちの環境が良くなるのがミクロとマクロの連鎖

今海産物のアレルギーが増えてる原因は、ペットポトルや透明なビニールを生み出したがために、それが海中を漂うクラゲと勘違いした蟹やエビがそれを食べて体内に蓄積する

それを漁で取って知らずに食べて人間の体の中に蓄積する。ペットボトル自体が悪い訳でもない、蟹やエビが悪い訳でもない、それを食べた事が悪い訳でもない・・誰も何も責任がない無自覚なのに、直接的に自分がやった事じゃなくても、人類規模の因果応報をみんながおう事になる

そんな大規模な発想すらもいらない

飲みかけの空き缶をその辺に捨てると、そこには菌が住み着き小さな生態系になるが、自然に還る事がない人工的な科学調味料で生み出されたエキスの中で生まれる虫は、当然、自然界に有害な生態となって繁殖していく事になる

蚊などが特異体質になっていくのは、人間が生み出した科学薬品を取り込むから

結果、それが自然界のサイクルにおける蚊が動物から吸血するという自然な営みの中で、巡り巡って未知の伝染病やウイルスという形で人類に還ってくる

蚊からすれば、そこにあった水源の水を飲んだつもりが、知らずに毒を口にし、毒に耐性を持ち、毒を運べる体になってしまっただけの話であり、その毒を生み出したのが人間(自然由来の病気のほとんどは実験の過程で人工的に生み出されている)

どこぞの馬鹿が、蚊を遺伝子組み換えで不妊にしたらしいな?(計り知れない影響がでるぞ?)

自分たちがミクロな世界に向けて行っている事が、ある日、宇宙と呼ばれる場所から地球に降り注いでくる可能性があるのは

地球ですら宇宙から見ればミクロな微生物であり、より遥かに大きなマクロな世界が存在する事から理解できるだろう

だから「今ここ」と意識がフォーカスしてるのが人間である事、そして、一人ひとりの人間がマクロな世界の神として自然界と関わる事

それはミクロもマクロも連鎖して伝わっていく
敵意を向ければ、敵意が還ってくる

今、人として、意識を持って生きてる間は、虫や動物の気持ちもそれぞれにフォーカスした意識世界のルールは理解できない。だから、勝手に人間が「虫には魂はない!心はない!脳みそがない!」とレッテルを張って決めつけて思考停止になってるだけ

日本にはこんな言葉があるんだよね

五分の虫にも一寸の魂

どんなに小さな虫にも、生きているものにはそれ相応の命があるのだから、粗末に扱ってはならない。どんな者でも意地や誇りを持っているから、むやみにばかにしてはならない

なんか馬鹿にする=レッテルを張ろうとしてる側が勝手に「相手を侮るではない!」的な、人間にしか当てはまらない発想のうすっぺらさが後付けの意味感はんぱねぇけど

個人的にこれはリスペクトを意味してる先人の知恵だと思う
大きさじゃなく役割としての存在意義への感謝

私が自分の家庭菜園の庭の生態系を見ていて気付くくらいだから、昔の日本人で洞察力がある人が、小さな虫にこそ感謝しなければいけないと気づいていてもおかしくないだろう

庭いじりで感じる地球の生態系と人類の役割

でも、悲しい事に、人間という存在がいなくてもこの地球の生態系は成り立っていく
自然界のサイクルに人間というものが異物のウイルスのようなもの

地球と虫や動物の意識は繋がっているけど、多くの人間と自然は繋がっていない。なんでこんな事になってしまったのかはわからないけれど

だからこそ人は考える生き物なのかもしれないし、感じる事ができる生き物なのかもしれない

これは一なる全、統合からの分離による魂の経験

自分が大きな存在である事を知るためには、離れて客観的に見なければわからない。全ての連鎖から離れた存在になって初めて、全ては連鎖していると気づくチャンスを得られる

そういう意味で、人は試される訳ですよ

虫を初め微生物や動物たちが人間はいらない!と自然から拒絶されれば、さらなる上のマクロな地球規模の免疫システムによって人間は排除される事になる

逆に人間が自然を大切にする事で、自然界も人間を必要とする連鎖が繋がり、共存を求める願いの連鎖で、地球は人間が快適に過ごせるように恩恵を与える事になる

人間社会の中で、人間のために自分が貢献できることなんて一握り。みんな社会的な地位を得ようと少ないイス取りゲームの争いをして淘汰を繰り返すけど

それは自然のサイクルはおろか、無限連鎖のミクロとマクロに一切関係ない、何の徳にもならないエゴの経験

空を見上げて、高く広い空の雲の隙間から雨が降るように、微生物から植物・昆虫に至る小さな存在は常に人間を見上げている

自分が自分よりもミクロな世界に行う利他の心は、マクロな世界へ連鎖する。ミクロな世界に行った行為が、直接的ではなく間接的にマクロな今の世界に反映されるというロジック

それは良い事もあれば悪い事もある。この人間というスケールの世界には悪い事を考える存在もいるという事。そして、ミクロな世界に変化を生む事がマクロな世界に影響与えるロジックを知っていて行ってる。これらを陰謀論w陰謀論wwって指さしてる奴ほど、そいつらに操られてる何の生産性もない悲しい生き物(ヒトデナシ)

寄生菌が操るゾンビアリとNeuralink ミクロとマクロ世界のリンクの話1

5億匹のミツバチが農薬で絶滅 ミクロとマクロ世界のリンクの話2

カッコウは夜鳴く その生態から繋がる気づき

大事なことはミクロな世界を見れば、マクロな世界に活かせる気づきがたくさんあるという事

スケールが大きい世界を知るためには、スケールの小さいミクロな世界から学ぶ事

実はこれに関する気づきの夢とかいっぱい体験してるんだけど、直感で理解した事を言葉に落とし込むという作業が難しいんよね

これはまだ、ミクロマクロ論の序章に過ぎない・・

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