二大天使再び、だが前回なぜ『一緒にいた』のか理由がわからなかったが、今朝の夢見の閃でやっと点と点が線になった言葉のヒントの気づきのお話
表現出来ない表現 バルス
映像があってもそれを言葉に出来ない
言葉に出来ないとは『言えない(秘密)』と意味ではなく
表現する『最適な言葉』が無い
可視領域外、可聴領域外の周波数
…のようなと『比喩』になる
有るのに無い(伝わらない)
それを伝えようとすれば
まるで〜のようなを『例』を元に
それを〜したような『×何層』にも重ねる
『夢の中』で『夢』を重ねて見て、その『体験記憶』を持って『さっきまでの体験』が『言いたい事』だから、「言わなくてもわかるよね?」
という『体感ありきでしか理解できない』の『遠回し』を『ストレート』に言うと
有るのに無い(伝わらない)=空
もしかして、釈迦の『空の概念』も
「それは体験するまでわからんよね」=空
という『表現出来ない事を表現』したけど
実は『空』を伝えた時、『空の明確な中身(Vison)』はあったんだと思う
私は以前、『大天使ミカエル』に関する独自の観点とその役目を書いてきた
世を見て帰る=ミカエル
冥土の土産を持ち帰る産土神
ミカエル=三省六部(古代律令制)=皇帝の目
今も『世(現実)』を見て帰って、『向こう(夢の現実)』に『冥土の土産(問題)』を届け、『明るい知恵(閃)』を土産に『産土神』やってる実感あったけど
まさか、それが『始まり』と繋がりってそういう事なのか(流れ・龍)?…という
言葉に出来ない・・なんだろうσ( ̄^ ̄)?うーん
\(๑•̀ω•́๑)¤バルス¤(๑•̀ω•́๑)/ Σ(゚д゚;)
↑↑↑これが1番近い(笑)
で、今回その夢の景色の中でやはり『パートナー』が前の夢と同じように『ガブリエル』だったんだけど…こいつも『漢字』で読んだらすんなり『納悳』できた
我分離得る(ガブリエル)
お分かりだろうか?
『自我を分離して得る』という事は
『業の体験を修めた我』を『分離して得る』
私は『並行次元の自分達は融合』するという表現をしてきた
これが『ガブリエルと向き合う事』なら
私は見帰る、見変える、三省(皇帝の目)、甦る
『夢見』で『我分離』を『得て帰る』
『皇帝の目』として『裁定』し別の『夢見を変える』
つまり『分離した我(可能性)』を連れ戻す
その為に『夢の旅は自分探し』だったと言える
『自』から分離した『自我を持った仮想世界』の『自分達』
I (私)VR (仮想=夢の現実)us(自分達)
=virus
ミカエルは『virusを研究』していた
それは善悪の『二元性の目的』でもなく
それを『コントロールする邪な目的』でもなく
『無害化』して『無為自然』に戻す為、『綺麗な空気』に混ぜても『調和する和』にするように
暗い冥土の『問題』を見て帰る『土産』を持って『明るい知恵』を灯す『産土を加味』して
『癌』の元になる『発癌性物質の可能性』を見ていたのかもしれない
人はなぜ『心に素直』になれないのか?
『簡単に答えられない』と思うだろう?
逆に言えば世間体の『人の為』に
『心を裏切るのは簡単』と言えるから
逆説にすると実は『簡単に答えられる』
それはどこかで
「どうせ我の望みは叶わない…」という『諦め』があるのだと思う
諦めとは『言う帝』と書き「帝(権力)の言う事は絶対!」という『強制命令』。また諦める事を『観念する』というが観念は『観る今の心』であり、『心と向き合え』という事
そこで私、『三省=皇帝の目』は自由意志で問う
「諦めろ!というお前は真の帝か?」
帝の振りした『偽』が
真を言う帝の『邪魔』をする
これが『自由意志』が生まれず、夢と現実の狭間で『成人期の魂』が邪の世界から『一線』を越えられない理由
あなたはあなたの『心もどき』に騙されている
あなたが心だと『自負するもの』は心では無い
自分の才能や仕事に自信をもち、誇りに思うこと。また、その心
才能=力
仕事=業
=力の業(ちからわざ=無理やり・強引)
それは自我(エゴ・業因)である
自負=『自ら負ける』
やはり漢字は全部、精神の成長段階の『先世見』してるな(笑)
だから『自由意志が生まれない』
最後の理由は『強制命令に逆らう事』
その為には『真の帝が言う=心に素直になる』
人の為=偽の帝が言う「諦めろ」の自負の念の『レッテル』を覆す
ネガティブを『ネガティブ』にする
蛇の道は蛇
『偽がやるな』と言うのなら
俺は『とことんやってやる』
『偽が後押し』するならば
不動明王の如く『厳となりて虚仮の蒸すまで』
『廃仏毀釈を禁忌の封印』とするならば
廃された『仏鬼釈をここほれワンワン』
『鬼を恐れ嫌う』ならば
『鬼となり立ち塞がる門番』となろう
『仏が都合に悪い存在』なら
とことん『仏の説法を聞かせて』やろう
問題を『隠蔽して無かった事』にするならば、問題を必然的に見つけて「あれれー?おっかしいぞー?!」と名探偵で『有る事』にしてやろう
『偽の帝が言う事』を『鵜呑み』にするな
それは語るな、堕ちるぞ?
と『自由意志』が生まれると
真の帝=心は『自らに負ける訳が無い』
その『大丈夫=釈迦の心』を実感する
それを『観る今の心』は『三千世界を旅』して『見帰る和足し』という意識
その『見帰る』和足しが夢から戻る時、持ち帰るのが『我分離得る』という…『私』が『仮想の夢の中』の『私達』に出会い『私の一部』を持ち帰る作業
これは『ミトコンドリア細胞世界』に例えると
「ちょっとあんな事をして見たい」と『引き寄せた思想』が、ひとつの『細胞の核(設計思想)』として『再生された仮想世界』となり、その仮想世界の『実験結果を見て帰る』
環境が身体の細胞の中での事なら
I (内観意識)VR (仮想=細胞の中)us(役目を持った共存細菌)=virus
失敗してもアポトーシス(自己消滅)可能だから
全ては『自己完結』して『不可能』では無い
『自らが心(真)』と向き合い『息』をして生きる『生息の為の呼吸』で『新たなDNA(遺伝子=遺して伝える子)の創造』は可能なんだ
なるほど(´・ω・`)
だから『心と向き合う』為に、自我がわちゃわちゃo(・ω・ = ・ω・)oするのを『静かにさせる必要』がありそれが『業の回収』なんだ
自我わちゃわちゃo(・ω・ = ・ω・)oとは、「あれも!これも!」と中途半端な『欲を満たさないまま放置』してるから『多動症』みたいに誘惑に弱い
でも、その『欲の対象』を『満足』するまで「もうこれでいいや!」と『執着を手放せる』ようになると
そもそもそれは『存在しなくていい』=『最初から無かった(シミュレーション)』と言える
これは例えるなら、部屋を片ずける時、『思い出の品』を手に取るとふっと懐かしい『ノスタルジーに浸る』だろう
片付けの最中だからそれは『本末転倒』なんだが…『転んで倒れた末の本』だから、『一環の終わり』まで読み終わるまで手放せない愛着
『思い出の夢中の現実』から戻ってきて『片付けの現実の最中』だったと気づけば役目を果たす為に
足るを知ったらもう、これ(思い出のメモリー)はいらない・⌒ ヾ(*´ー`) ポイ
そんな風に『自我の業欲』をとことん向き合い、とことん許して、とことん満足するまで遊んだら
とんとこ片付けて捨てる・⌒ヾ(*´_`)
これが『郷(業)に入っては郷(業)に従え』であり
その『遊んだ後の業の回収』である
それらの『業を修める修業』を終えたら
『観念』して『釈迦の説法に聞く耳』を持つ
だって『神(仏)様の言う通り(苦言の預言)』だったから
そんで『素直』になれば『真偽の見極め』ができる
釈迦を名乗る存在は
『偽』の釈迦か?『真』の釈迦か?
釈迦=問題に巡りあい解決する
偽=『人の為』の問題解決法
真の『無為自然』の問題解決法
『導く先が違う』のはわかるだろ?
人の為の解決法は『人間を主軸』に周りを『力でコントロール』しようと言う
例えるなら『不特定多数の魔物』を討伐する勇者
真の解決法はそんな『主軸』となって『全てを狂わせてしまった人間』を何とかしようとする
例えるなら魔王による勇者の討伐
『人類(勇者)が狂わせた世界』を『魔王(自然)が元に戻そう』とする
これは『いたちごっこ』である
私はこの中で『人の中』から『人の意識』を変える『ライトワーク(心を軽くする)』をする『遊び人』であり、『人の振り見て我が振り直す』、時に『人の在り方』を問う『賢者』にもなる
ただどうやら、それは私が『人の中に入る過程』で『役目を分散』した『我分離得る』を探す(゚Д゚≡゚Д゚)『見帰るの役目』の過程で
『体験した事』を『妙見狸の訳詞如来』として言葉で遺してきた『備忘録(約束のblog)』
それが『元々の目的』では無かった…というのが『表現出来ない表現』にすると・・
\(๑•̀ω•́๑)¤バルス¤(๑•̀ω•́๑)/ Σ(゚д゚;)
ラピュタは『天空』でそれを唱えた事で『人工物』は地上に落ち、『飛行石』は『自然の木』を連れて宇宙へ消えたが・・『地上でそれ』を行ったら?それが『何を意味』するか?
先人達は『預言、苦言』で伝えてる
私から言える事は…
『自力で心が浮かばれない者』は立場が無くなれば『堕ちる』だろう(物理的な飛行という意味では無い)
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