臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前(九字護身法)の漢字が気になったので、深堀してみたらなぜか『久慈護身法』になって『密教の役小角=鬼』に至る不思議なお話
臨兵闘者皆陣列在前
「臨兵闘者皆陣列在前」は、密教の真言で、邪気を払う呪文です。意味は「臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在り」です。
「臨兵闘者皆陣列在前」は、九字くじとも呼ばれ、中国道家から移入されたものです。修験道や密教などで用いられています。
「臨兵闘者皆陣列在前」の九字を称えつつ、縦4本、横5本の線を空中に描くと、災いが除かれ幸福を得るという言い伝えがあります
・・という意味らしいですが、今朝の直感は
鬼にびびってるんですか~?でした(笑)
これは右から読むと
前に在る列の陣の者は戦う兵として臨め!=命令
その命令を出している人は・・最後尾である
=びびってるですよ
つまり、『前列の兵を捨て駒』にして『自分が助かる護身法』
やれやれ┐(´д`)┌ヤレヤレと感じました
それは、おそらく対峙している側=『鬼の目線』です
修験道や密教が語る『鬼』と中国が敵対する『鬼』という表現はおそらく違う
これもどこかの時代に『解釈が都合よく変わっている』と思うのは
『驕る平家も久しからず』の故事で語られるように
武家の平家も『天下』を取ったら『法華経』を『都合のいい平家納経』に変えた事にも共通している
都合の悪い物に『レッテルを貼り貶めて利用』する
『鬼を使役する』という『陰陽・式紙』もまたそれに『相似』するものでもあるが・・
おそらく『元々の九字護身法』は『鬼側の目線で見る事』だと思う
それは『相手の立場になって物事を捉える』という事
それは『びびって恐れる対象』と『同等に向き合う事が護身になる』という事だと思う
それは九字護身法(言葉)ではなく・・
『久慈護身法』(精神)※独自解釈
久慈とは久しく・永久に慈しむ身を護る法=自己治癒
『護る』という言葉にもやはり『隹=先人』が入っている
『隹』については何度も紹介してきた通り、『教育されない1級漢字』に多く封印されている
護るとは、『言』う『自然』の『先人(隹)』が『又』=また自然体の先人が言う
主護とは主を護る=主に自然体の先人が言う
『敵対』する存在とは、都合が悪い『相いれない存在』だが、それは『主の都合』であり、『主(一)』が『都(他)』に合わせては『他力本願』だ
『他が集まる』とそれは『勢力』となるが、その勢力も『主=一の位置の都合』に合わせた『集合体』
つまり『敵』とは、元来、『一対一が向き合っている状態=宿敵』である
九字護身法の九は『敵の前』に『9つの壁(他)』を作り出し、『主』が『主の敵』と『正面から向き合う事』から逃げている『他力本願』
『勢力同士ぶつけ合う』ならば、お互いに『お互いの敵=鬼から逃げている』
それが『戦争』という『単に矛で争う他人を捨て駒にした他力本願』の客観的な観方
『互』という漢字もまた『69の表裏一体』である
修験道や密教は『己の心』と向き合う修行。その中で多くの『都合の悪い事』と向き合い『己』をそこから切り離していく心を磨く修行
修業とは『業を修める』
『おさめる』には、様々な漢字がある
治める=直す・正す
収める=刀を収める・紛争を収める
納める=納品する・納得(悳)する
その中で行う『九字護身法』が臨兵闘者皆陣列在前
右から=前に在る列の陣の者は戦う兵として臨め!=『命令』
左から=臨む兵は闘う者として皆、陣の列の前へ在れ!=『捨て駒』
これでは『主犯(業)』が逃げて『戦いを臨む者』がいる限り『争い』は終わらない
修めていくはずの修験道や密教が『戦争を助長する教え』を広めるとは思えない
戦争を治めたい立場の者の教えを『レッテルに変える』と考えると
修験道、密教には『役小角=鬼』と呼ばれた存在がいる
これが『都合が悪い正体』と言える
役小角とは右から読めば、『角の小さな役』
小さな角が立つ=『問題提起』と言える
『都合のいい争いの世界』を広げようとする『勢力(関係者=奸計者)』
現代で言えば『女子アナ上納システム』など、まさに『女性を貶める行い=奸計を助長』するような『都合のいい暗黙の結託で成り立つ組織』に対し
「それはどうなんだ?」と『小さな角が立つ言葉を発する役目』=『役小角=鬼』
そんな『真実を語り伝える者=密教者=密告者』は都合が悪いと『鬼に仕立て上げ』、組織から切り離す
『鬼』とは『虐げられた者』である
自然が『不自然に歪められた見え方・伝えられ方』である
だから、『鬼』と向き合うと『自然体』が見えてくる
『元』をただせば『間違いは間違い』だと気づいて争いは無くなる
だから私は九字護身法(都合のいい言葉)ではなく『久慈護身法』(精神)だと感じた
久慈とは久しく・永久に慈しむ身を護る法=自己治癒=『己の心』を正し、相手の立場を受け止める
『誰もが被害者である立場』で考えると
『都合のいい主』に従っている『勢力(マスメディア)』も伝えたい事を伝えられないし、責められてる側もまた、『当事者の代弁』であり、その当事者も『株主やその上の立場』を護るための・・
九字護身法の『式紙』となって
前に在る列の陣の者は戦う兵として臨め!=命令
その命令を出している人は・・最後尾である
=びびってるですよ
つまり、『前列の兵を捨て駒』にして『自分が助かる護身法』
『戦争の最前列』に送られるのは、『敵対国の捕虜』や『何も知らない新兵』
逃げられないようにして『同士討ち』の背後には、『漁夫の利を狙う主』がいる
その『主』もまた『システムによって管理』されている
株式会社は『株(ウイルスの培養単位)』によって運営されているから、『自己免疫疾患』で『自浄作用』を失えば、『ウイルス(外部勢力)』によって乗っ取られる
その、いつでも『金の力(資本)』によって『侵略される不自然な経済システム』そのものを変えなければ、国の歴史は何度でも繰り返す
その中で最も大事なのは、一人一人が『久慈護身法』(精神)』を身に着ける事
別に密教や修験道という『世捨て人』になれという事ではない
『そんな世を離れた目線』で物事を観れば、それがいかに『不自然な事』か見えてくる
『我々の敵は右でも左でもない』という事を伝えた三島由紀夫の意志
彼はその『巨大な勢力』に対峙した『心優しき鬼』だったと私は思う
・・今日の話は、なぜか臨兵闘者皆陣列在前の九字護身法という漢字から伝わった
「元はそうじゃないはず、いや今だからこう変えるべきなんじゃないかな~」と感じた結果
密教の役小角=小さな角の役目=『問題提起=鬼』でした
『鬼が都合が悪い存在』としているのは『中国』
その中国は日本や日本人の事を『日本鬼子(ひのもと)・小日本』と罵倒する
『罵倒』とは『監視の目をつけた馬を倒す』=馬頭観音=頭を落とされた馬
『将を射んとする者はまず馬を射よ』=足=『勢い』を止める
『言葉の刃』が『精神を攻撃』する
つまり『鬼(問題提起)』とは『精神性から生まれる』のだから
日本人の魂の根源が『心を鬼にする』であると私は感じるが
それは『力を使って争う事に加担する事』ではなく『治める事』
武は矛の中に入って止める
文はつばぜり合いの剣を上から抑える
やり方は違えど=『文武両道』
双方、『刀=片名(大義)・過多名(多くの思想)』を収めよ
そして『和を持って貴しと為す』
書き終えた時間は1221
【1221】のエンジェルナンバーの意味
あなたが強く望めば、その全てが叶います。天の支えを信じて祈りを捧げましょう
祈(一人一)=確固たる一人の位置として
理想はideal=愛である
LEAVE A REPLY