好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

裏カタカムナ た は両方…双方

カタカムナ80首の意識の観測の旅を終えてから、たまに感じる言霊の解釈で感じる違和感。解釈か間違っているのではなく、分岐点がある!という感覚で今回感じ取ったのは、たの裏ルートの解釈。それは片方に分かれる・・ではなく、双方に繋ぐという事だったという体験からの気づき

裏カタカムナ た は両方…双方

『助け』 と言う言葉が従来のカタカムナだと
分かれた方に進み全力で放出する

た を『他』とするなら
自と他=『自分以外』として

また 他人 と言う言葉の言霊は
分かれた強い圧力と言う

自=内なる示し
他=分れる

元は自分の『分身』だけど『強い圧力』によって
元に戻る事、ひとつになれない『壁』があるように

カタカムナの 『た』 の解釈は、『分かれて』いる

…だからだろうな(´・ω・`)自分の『名と体』の『感が覚えている違和感』を感じるのは

名の言霊:強く放出して分れた空間を生む

『一面=分かれた方(現実)』としては間違いではない
しかし、分かれた『反対の方の世界(夢)』も見てくると

た は『両方・双方』と言う『片側だけでは無い』と言う感覚として感じる

間共な神経じゃいられない逢魔が時の見極めの役目

例えば『 助け』 を例にすると
両方に進み全力で放出する

更に『助けて』になると
て=『循環・放射』なのでそれが双方に向く

これは『中間』が『両手を差し伸べている』
あるいは『間で止めて拮抗』させている

助けは『片側』に向けても『均等』にはならない
『差』を『和』で埋めるには『微妙な調整』が必要

『両方(行き過ぎ・至らない)』を知らなきゃ
調度いい『和微差微のバランス(解決)』は生まれない

『他人』も同じ、分かれた強い圧力=『壁』だと思ってれば、それはただの『障害物』だが、『両方強い圧力』だと『相対性』でより『強い反発が起きる=壁ではなく意志』がある

ただの壁ではなく『打てば反響』する
どんなタマを投げるかで投げ返されるタマも違う

…と『タマ』が出てきたので、これも言霊で読み解くと

通常は 分かれた需要・受容
裏読みだと  両方の需要・受容

分かれた需要と言う『別』だと気づかないが
両方の需要や受容には『違いや共通』という『気づく機会』がある

つまり『可能性を分ける』のではなく
『可能性を合わせる』という相乗効果

これが 『た』 の持つ力

例えば 『谷』 は
通常 分かれた圧力
裏 両方の圧力

そもそも谷とは『山間の凹み』なので
片側からは『崖』、両方から見れば『谷』

『越える気』があれば、その谷の向こうへ意識の観測をして
『架け橋・繋ぐには?』とその『差(距離感)』を測る

『さ』 についても前回、『裏カタカムナの気づき』で触れたが

裏カタカムナ さの概念は境界線であり繋ぐ

私の独自の感覚では さ は
通常 遮り に対して
裏 繋ぐ・架け橋と解いた

ここで 『たさ』『さた』 が含まれる言葉を例に

他殺
通常 分かれた遮りが集まる
裏 両方が繋ぐ集まり

私には前者は元は同じ『自分達』が『野次馬のように他人事』として集まる景色
後者は『生を終える人』と『死のお迎えの役目』が集まる景色

『現実』では誰かが死んだ、誰かが殺したと『他人事』だが、『死の世界』から見れば、それは『生→死』へ移る為の『予定調和=なるようにして成った仏=成仏』

沙汰 にしてみると
通常 遮り分かれる
裏 繋ぐ両方・架け橋・双方

『音沙汰』が無い
『地獄の沙汰』も金次第

沙汰とは何か?

物事の善悪・理非を判断して処理する、あるいは指示・通知すること。転じて、世間の「噂・評判」、問題となる「出来事・事件」、音信・連絡(便り)という意味も持つ。元は水で砂金や米を洗い分けること(淘汰)が語源

この意味を『加味』すると音沙汰が無いとは→『無事』と言う事
地獄の沙汰とは苦しみ耐えられないような『無事ではない大事』になりそうな状況も、『金次第』で解決できると言う

非常に『傲慢で資本主義的な金持ち』が、『左うちわ』を仰ぎながら『醜い表情で言ってそうな言葉』だが…

地獄の『沙汰』ではなく『サタン』なら?

通常 遮り強く分かれる
裏 繋ぐ両方を強く 双方の強い架け橋

この『相対性』は『陰陽・光闇の両方の因子を持つサタン=ルシファー』と言う『元の二面生』があるから

『最も極悪』は『最も極善』を知った上で
『極善』に逆らった結果、『極悪』にされた存在

いわば『傲慢な権力者に嫌われ追放』され、『自由になった』かと思ったら、「最も悪いのはアイツだ!」と『対極の仮想敵のレッテル』を貼られ『身動き』出来なくなってしまった存在

これは『概念』における『神と悪魔の相対性理論』
『神(ポジティブ=ポジショントーク)を確定』させた事で『悪魔(ネガティブ)が確定』した

これで『量子的な観測の定点』が生まれ、次の観測点は、その『善悪の間』にある、『必要悪』や『偽善』と言う『人の為=偽が生まれる事』で

それは『中途半端』だと、『完全なる中立点』を観測位置に置いた時

た 分かれるとは『決別』の一線の境界線
ここから先は『別物』として『区別』されるガイドライン
それは『二元性』的なあちらを立てればこちらが立たない=『立場』がない

だから『正しさを主張』する『義理同士』が『正義を掲げて争い』を続けるが、決して『拮抗した物事の立場』は生もうとはしない

『中立・中間…聞き分けのいい線』が引かれてしまえば、両者の『立場争い等、中和して無になる』から

逆に言えば た=『両方・双方を加味して架け橋』となって『沙汰を繋ぐ見極めと中和が全』になれば?

『中心から円』のように双方に広がり『統合する縁の架け橋』が生まれれば『循環』が生まれる

つまりは「助けて!」ではなく、助け手=『救い主』

ただ全部が全部通す訳ではなく、『争い』が起きないように『見極めの判断をする意志』がなければ…

境目には『双方の側』から『ゲリラ的に紛争を起こそうとするエネルギーが集まる』ので

『狭間』には『地獄の沙汰』が途切れない
…と『生死の狭間の住人の意識』になると

た の裏解釈に納悳できる

そもそも た の裏解釈は
『トラブルを楽しむ』‹‹( ˙▿˙ )/››٩(ˊωˋ*)وと言う

『解決の達成感と充実感』を得る為だけに、社会に『問題提起』で『問題を生み出すトラブルメーカー達』がこぞって集まる…『有るかもしれないし、無いかもしれない』という『有無の空想 』が蠢く『魑魅魍魎の虚無』である

つまりは『逢魔が時=化け物』が集まる景色
そこが『中道』と言う『混沌の調和空間』

『綺麗』があれば『醜い』も有る
『量子的な重ね合わせ』の多次元多世界

逆の解釈から見れば、その『根源の混沌』から『一人分離』した『極が神』であり、神はその混沌から『離れる為に対極の存在意義』を生み出した

これで『混沌から逃れる構図』が出来た…と言う『裏の見方』からすれば、中間・中和・中心は『二極の後から生まれた物』ではない

根源から離れて『均等に保つ極』が生まれた
中間が『二極の間でせめぎ合ってる』訳では無い
中和して『無になる消滅から逃れようと抵抗』しているに過ぎない

だから「死にたくない」と『生に執着』する

中間・中心・中和・中道
当たり障りがない=『音』沙汰ない=『無事』

それに『極』が触れてしまえば『極』と言う『存在意義』が無くなる

中和の波動が『螺旋』のごとく均等に『両極』に至る時、『極』はただの『端』になる。それは『大きく統合した中心核の円』にのまれる

混沌・こんとん
強く転がり入り強く統合する

まさに『中心』から広がる『螺旋エネルギー』
それは『カタカムナの軌道』でもある

混沌=カオス
力が奥から進む/奥へ進む
通り過ぎる=通過点

た 分かれた・『両方・双方』へと流れ込む
それは『特異点=シンギュラリティ』のようなものだろう

『日本人』にとって『カタカムナ』が広がりだしたのが『精神的な特異点』のように『混沌』の始まり

『物質と精神』と言う『境界線が曖昧』になる『逢魔が時』
『夢と現実』が繋がる『変性意識』状態
ここで『人は間外の化け物』になる

だから『化け物』になる前に
『心と吾』を覚える=『元に戻れる覚悟』が必要

これはまるで、永井豪の『デビルマンの始まり』と同じ
『悪魔の力』を持ちながら『人の心で制御』する

その為には、『体感』無くして『理解』なし!
私はカタカムナ全80首を通して

現実では『5年』かかって、夢ではもう…計り知れない『時間と役目と達成感の学び』を得てきたが(詳しくは、カタカム夢研究を)

それは『人の間』では『無意味』に等しい
『力』を得ても『無闇に使わない理』

『念動力』は『今の心を動かす力』
つまり『世界を変える』のではなく『自分の内面』を変える

この世界の正義が何を言っても、『心がそれに共鳴』しなければ、『体』を置いて『心と意識』がそのくだらない正義と言う『間違いの世界を観測する気がないと離れる』だけ

そのくらい『簡単な事』だと、『夢の中の夢の中』で『明晰な夢』と『自発的な選択』を繰り返して来たら、もはや『この現実も夢のひとつ』としか思わない事を『心と吾は悟りを覚えて覚悟』できる

それは一人一人が『自由意志』でできる事なのだが、それを『否定』するのが『二元性』と言う『極端』なバランスの世界

だから『気づかない人』に、それを伝えても、『一線』を越える、『社会不適合』になる、『統合失調』になる…と

た =『分かれた前提』で『片側の観測世界に囚われている』とわかる

都合のいいルール、常識、支配者、勝者の意見と言う『覆らない・覆さない固定概念』から見て、『分かれた側の意見』は『異端』で『有耶無耶』にしたい『掘り返されたくない』と

ただ『ネガティブな反応をされる世界』

代表的なのは『侵略者にとって都合が悪い抵抗』をした『先人達・先住民を鬼・悪魔』と仕立て上げることで『自己を正当化した』と言う『因果逃れ』

『罪を被せた冤罪』で『逃げてる奴らの肩』を持ち『業から逃れる事に加担している常識を盲信』していると…

『反対の意見』にも心から耳を傾け『恥』を知ると、『双方・両方にそれぞれ言い分=イーブンがある』のだと、中間が中道・中心は『レフェリー』のように

『話し合いの場=縁間・円間・閻魔の円陣と言う空間』を構築するよね?

だから、た の解釈の裏にあるのは
分かれる→両方・双方

少なくとも私は
『言い分けしてる他人』を見ると
『事実は小説よりも奇なり』と思う

事実=物事+現実
小説=小さな説
奇=大きな可能性

隠された『現物(証拠)』は『小さな説』より『大きな可能性』
小さな説=諸説色々→分ける分断工作
それもひとつの『説と加味』するなら
事実と向き合い『現れた物』もまた『大きな可能性として加味』する必要がある

つまり、『両方・双方に目』を向ける
生は死を、死は生を=狭間

全ては『生死の狭間』に何がある?という壮大なお釈迦様の遺言に刮目せよ
生→病老←死 =『不老不死』という『間違った願望』だよ

それを狭間で阻止する未来の菩薩=虚空蔵菩薩になるんだよ
これが争いの根源を止める正しい説法

って実感して夢の向こうでも実践しているのは私個人の気づきであって
だからこそ『組織』として群れる事が無い『NK細胞』と共鳴するんだろうなと感じる

潜象で戦争(現象)を止める 戦と闘と術

NK細胞=万能細胞=虚空蔵菩薩を理解した夢

独自体感論 転移細胞の輪廻記憶 癌細胞とNK細胞

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top