突然、機動戦士Gundam GQuuuuuuXの止まっていた続きを見る気持ちになって最後まで見て感じた、この作品が伝えたかった事は名は体を現していた、猫鬼の蔓延と数多の可能性の世界
結論 数多の可能性 止まった時を動かす修治
無類のガンダム好きは『新しいガンダム作品』がでると必ず見て批評する
初代から『歴史観』など凝り固まった世界観に執着し『変化』を認めようとしない
それに対する『アンチテーゼ』として、『多次元・多世界解釈のガンダムの世界』がある
『ニュータイプの力』には『別の世界を創り出す能力がある』としたら?
それは歴代ガンダムシリーズでもっとも悲運でもっとも力が強かった『ララア・スーン』
歴代ガンダムで語られる伝説の『シャアとアムロの心の葛藤の間』で揺れ動く存在として
それは『ガンダムファンの心』にも『名前』を聞けば姿が浮かぶように
そんな『ララアの夢』を見せられているのが『Gundam GQuuuuuuX』という作品
ララアは惹かれ合った男二人が気持ちは同じでも『立場上争う事』になる『シャアが戦って死ぬ姿』を見たショックでニュータイプの力で『時』を止めた
その止めていた時に『シャアが死なない世界』を夢で構築した
今でいう『明晰夢』のようなものと考えよう
そのララアの明晰夢で生み出した『創造の世界』でも
シャアはやはり『白い悪魔に殺される運命』でありララアは何度も創造し直した
この創造をし直す時、ララアの心が壊れてしまわないように
『産まれた世界を破壊する』という役目として『シュウジ』が創られた
これもニュータイプの力なのかもしれないが、仮にこれを『骨髄が癌化』する前に、狂った免疫機能(世界観を護る)を無視して、正常な細胞の『DNA核』を護る『NK細胞=白い悪魔』としよう
ララアの心が生み出す『夢の創造』を護る為、シュゥジ=白い悪魔=ガンダムがララアが『現実に目覚める前』に殺してきた
これは、私の感覚で言えば、『明晰夢を現実だ』と認識する事で、その『夢の世界に意識が定着』してしまい『元の現実を忘れてしまう事』と仮定する
ララアが『目覚めた』時、『シャアが死んでいる状態』だとララアの心は壊れてしまう
だから、『ララアの望』を叶える為に、ガンダム=シュウジはララアを『殺す事』しかできない
これが前提とした『バックグラウンドの悲しい世界観』
その上で、Gundam GQuuuuuuXの世界は『可能性の一つの世界』
ララアが導いた最終的な結論は
ララアとシャアが出逢わなければ、『シャアは死なない世界』
シャアを殺す『ガンダムをシャアに与えた世界』
これなら大丈夫と『ララアがシャアと出逢うのを諦めた世界』
しかし、その中でGQuuuuuuXはパイロットのアマテをララアに出逢わせる
物語上、それはかなり『不自然で強引な方法』で
「今までの世界はなんだったん?」と思うほど急展開
なんで、GQuuuuuuXが勝手に『オートパイロット』で動いて
なんでGQuuuuuuXが『ララアの居場所』を知っているのか?
これが『ララアの夢の世界』ならば全て想像がつく
ここで『名前が伏線』になっている
キャラクターと搭乗機体
アマテ・ユズリハ(マチュ)→ジークアクス
ニャーン→ジフレド
シュウジ→赤いガンダム→初代ガンダム
シャア→赤いガンダム
時の呪縛のララァ→シャロンの薔薇(別世界のエルメス)
最終的にまた『ララアを巡って争い』になる
この世界を生み出した『創造主のララアの力』を悪用して戦争を始めた
ニャーン+ジフレド(ガンダム)=猫鬼(*ΦωΦ*)
ニャーンがやった事
アマテからシュウジを奪おうとした事
ジオンに迎えられ、キシリアの思想に感染しジフレドのパイロットとなって
時の呪縛のララァを『兵器』として利用し月の裏側の『ア・バオア・クーを消滅』させた
使ったニャーンは「心が気持ち悪い・・」とわかっていても
キシリアの命令通りに素直に従い『地球にも狙う座標』をセットして
迷わずボタンも押した(冷却期間の為すぐには打てなかった)
ニャーン=猫
ジフレド(ガンダム)=鬼
『猫鬼』が蔓延させたシャロンの薔薇の菌(ゼクノバ)
昔、病気とは『猫鬼から発症』したという故事成語がある
中国の隋代に伝わる呪術的な存在で、猫を使い、人を祟ったり財産を奪ったりするとされる「猫鬼(びょうき)」
猫と鬼が揃うと『猫鬼=病気』
それも『キシリアの思想をメッセンジャー』とするなら
RNA(ニャーン)にウイルス(ジフレド)が揃って『mRNAウイルス』
あるいはジフレドというガンダムがRNAで
パイロットのmRNA(主義思想)次第のmRNAウイルス
つまり『ララアの創造世界』という『DNAの在り方』を書き換える
『mRNAウイルスvs mRNAウイルスの闘い』がガンダムvsガンダム
その『世界の中』では
ジフレド=ニャーン→シュウジを求める思想
GQuuuuuuX=アマテ→3人で地球を求める思想
だけど、シュゥジはララアが目覚めてしまう前に
そんな『ララアが傷つく可能性の世界そのもの』を殺す『NK細胞』
巨大な『初代RX-78ガンダム』を呼びだし
「方法はひとつしかない」と不毛な繰り返しをしてきたシュウジに
アマテ(数多)の可能性との出会い
ガンダム好きの中でアマテという主人公は
ネットの批評を見ると『歴代屈指の不評・不人気』のようだ
行動・性格・発言、自分勝手で周りを巻き込み
言い換えれば、衝動的で『心のままにやりたい放題』する子供
従来のガンダムの主人公には『戦争に巻き込まれる立場』
悲劇の主人公や戦う理由が多かった(子供ではいられない)
しかし、アマテはそのどれにも属さないで『ふわふわ』している
個人的にはそれが『最後のオチ』を見て『設定として重要』だったと気づいた
何不自由ないお嬢様学校、親もまともで将来も安定
それなのに『闇のクランバトル』に参加しその理由も『一人の男に夢中』
これは『無垢なRNA(アマテ)』が未知の役割『NK細胞(シュウジ)に興味を持った』と仮定すると、シュウジはメッセンジャーでもなければ、ウイルスでもない『万能細胞』であるが
『有事の危機』がない限りは・・どこにでもいる『普通の細胞』
赤いガンダム(NK細胞)を隠して壁にキラキラとした絵を描いている
それはおそらく『変性意識の空間』を描いてるのだろう
個人的な体験で言えば、私もある夢の中で
物凄いキラキラとした『宇宙空間のような景色』を見た時『魅了』された事がある
『体験』があると『作品の受け止め方』が変わってくる
『絵を描く才能』があれば、色んな色を使って『再現』してみたいものだが
私には模写の才能はない(通称画伯)
私にはこの世界で『現実の存在』として『普段の役目』がある
しかし『夢の中』ではその『一時の役目』以外『普段』というものはない
ならば、ララアが目覚める事なく『夢』を観ている時
シュウジは『その夢の中に存在』する時の『普段』とは
元々、『自分が有るべき状態』を思い出すように、まだ『何者でもない変性意識空間を描く』というのも理解できる
GQuuuuuuXの世界では、それを『ゼクノバ(現象)』と表現しているのだろう
そんなこの世界(ララアとシャアが出逢わない)では
存在意義がない『何者でもないシュウジ』に惹かれたアマテ
そのアマテが『シュウジのやりたい事を叶えよう』と
シュウジ(RNA)に存在意義=与える『メッセンジャー』になった
ここで、アマテ=『シュウジの可能性』と置き換えた時、『NK細胞=ララアを殺す役目』を解放し、無垢なRNAのシュウジ+メッセンジャーとなったアマテ
=『mRNA』となり新たな『シュウジの望む世界』という『DNAの新生』になった
『アマテ(数多)の可能性』をシュウジに与える
シュウジにどんな『漢字』を当てはめるか
修司 修めて司る
修治 修めて治す
ララアの心も『病んでいた』(シャアのと出逢いを諦める)
そんなララアを殺す役目に『疲れていた』(もうララアを殺したくない)
それを『数多の可能性』を『修めて治す』事で
『ララアを殺さずにララアとシャアが出逢う世界』がある(諦めない)
その『数多の心を修めて治す』
そういう意味では、名は体(役割)を現す
このGQuuuuuuXの世界というのは
ひとつの『物語の終焉』から『新たな始まり』が起きる
それは『心』が変わる、『意識が変わる』だけで起きると
ただ、『それを伝える為だけに創られた作品』なんじゃないかと思う
ある意味でエヴァンゲリオンとまったく『構造が同じ』で(作中でもセントラルドグマの闘いに相似)
『さようなら、全てのエヴァンゲリオン』『=さようなら全てのガンダム』である
雑な一言で言えば、『夢オチ』
しかし、その『夢の中で全て』が起きていた
全ては『夢、変性意識』の中で『数多の可能性』に出逢い
『絶望と諦め以外の世界もある』のだという『創造の可能性』に気づく事
作品としては『初代ガンダムのパラレルワールド』
言ってしまえばそこから紡がれた『戦争の歴史も一つの夢』
夏草や、兵どもが夢の後
栄華を極めたものが滅び、時の流れとともに忘れ去られていくという、人生の無常観を表している
自然の移り変わりの中で、人間の営みがどれほど儚いものであるかを教えてくれる句
ゼクノバ=変性意識を通して、『ニュータイプがやりとりする描写』は
行ってしまえば『meta次元』のようなもので『過去・未来・今』が同時にある
『ニュータイプが新しい世界を生きる』というテーマは
今ここにはない『新たな可能性の現実を生み出す』という事であり
『ガンダム(役目)という呪縛』から『意識(役目・役割)』を解き放つ
そういう意味では・・
『ガンダム=白い悪魔に殺される事』を繰り返すララアの世界とは
『ガンダムに囚われるファン』に『目を覚ませ』という『アンチテーゼ』
これも、シン・エヴァンゲリオンと同じで
『納悳して離れた者』もいれば・・
『納悳できない者』は『過去にまた戻る』繰り返し
エヴァの『蛇足の続き』を創らない
ガンダムも『蛇足の続き』を創らない
その『世界観の必要性は終わった』のだと
ガンダム=シュウジ→修司 修める事を司る=終わりは始まり
エヴァンゲリオン=シンジ→神示 神の示し=終わりは始まり
その始まりの可能性が『DNAの新生』
今までの事は無駄ではなく『必要な事』だった
ユズリハ(譲葉)は、常緑高木で、春に新しい葉が出ると古い葉が落ち、世代交代を象徴する木
つまり『数多の可能性のひとつ』として『役目の世代交代』をしていくという
アマテもまた『数多くあるパラレルワールドの中の1人』
これが『アマテ・ユズリハ』という『名に体』がある
歴代ガンダムの中で、もっとも物語の立場を持たず『好き勝手に行動』する存在
だからこそ、『アマテ(数多)の可能性の一つ』なのだろう
・・と、私の中でジークアクスは完結
個人的に大きな発見は『ゼクノバ=変性意識』として解釈し
それは『体験』してるからこそ『数多の夢の世界の旅』を『夢日記として自己表現』している
それは修司と同じように、普段は『体験した人にしかわからないキラキラ』を描いてるのと変わらない
ちなみに時を同じくして、私はこの夢を観た
死んだはずの母が『甦った世界』の夢で
生前できなかった『労わる気持ち』を『創造』して和足す夢
過去も今も未来も関係なくなった時
ただ『心に素直にやりたいと思った事』を伝える
それだけで、『世界は変わって生まれる』
『役割・立場があるこの現実』からはその『生まれた世界を観測し続ける事』はできないが
『そんな世界が生まれたという感覚』があればもう『同じ役目はいいか』と執着しない
きっと、シャアとララアが『平和に出逢う世界』に『シュウジは存在しない』
そのララアの夢の世界では『ララアを殺す役目』はいらないから
それは『エヴァの世界』でも『ガンダムの世界』でも同じ事で
『その世界観(設定)に執着』し続ける限り『終わる事ない蛇足』が続く
二次創作、if、同人作品、アンソロジーという作品は
『元々の創造主』が『思い浮かばなかった世界の想像と創造』のパラレル
本当はそれが『自由意志の創造』だが、創造主は『世界観を護る』ために『拒絶』する
『一つの世界観を護る』為に『数多の可能性』を捨てる
『物理や科学の世界の創造主』はひとつの『現象化した可能性』
そのひとつの現象化した世界は『精神というまだ現象化していない数多の潜象の可能性』を拒絶する
それは『自由意志を認めない』という事
それは『既にある世界の破壊行為』だから『抗う為に戦争』になる
逆に言えば『自由意志は精神に有る』という事
その『精神の中で変容』していくのが
エヴァで言えば、『meta世界』という変性意識
ガンダムの世界でいえば『ゼクノバ』という変性意識
私は自分自身の『夢・変性意識・幽体離脱、金縛り』などで『観てきた景色や体感』から、これらは『相似』していて、それをどのように『自己表現=表に現す』で伝えるか?で生まれた作品だと感じた
きっと釈迦が遺した『説法』というのも同じだろう
今までのガンダムは『間違ったテクノロジーの発展と使い方』
『資源の奪い合い』という『終わらない戦争と平和』が命題
だけど、この作品は、『気づきや精神』にベクトルを置いたメッセージ
だから『異色のガンダムとして受け入れられない』のも仕方がない
こんな『パラレルは認められない』と拒絶する人もいるだろう
だから、この作品もまた
胎蔵界の大日・釈迦の世界と
金剛界の大日・釈迦の世界と
二つに分かれる『セト際・金輪際の見極め』と相似する
なぜ、このアニメに導かれたのか・・『必要な気づきを修める為』の説法の一つだろう
やはり『創造主(クリエイター)の意志』もまた『心』から生まれてるのだろう
『宗・素=主の糸(経糸=WARP)』はどれだけ『教(世界観)の二元性』が広がっても『示しの元』を辿れば、『万教帰一』
その『創造主が生み出した世界』の中で、『創造主も思いつかない世界を想像』するから『新たな創造』が始まる
エヴァである必要性はない
ガンダムである必要性はない
『カタチは変容』しても、その『心』は変わらず『新たなカタチ』を生み出す
ま、それを理解しても『創造する才能』だよねw
例えば『バクマン』のように
『脚本は神』がかっても『絵の才能がない人』
『絵の表現は神』がかっても『脚本の才能がない人』
その二つの才能を『一つにまとめ上げる役目』がいて
バクマンという『人を魅了する漫画』が世に『誕生』したように
そして、そんなバクマン(元)を当てこすって『面白二次創作』に変化させて『別の世界観にパロディ』を生み出した『銀魂』
人には色んな『十人十色の才能』があって、『和足し』合えば『自由な想像や創造』が広がる
『精神と物質の共存のバランス』という可能性
だから『ひとつの現象』に固執や執着するのではなく、『数多の可能性』の想像の創造をする『自由意志』を思い出す
それは『ひとつの可能性の現象』・・と割り切れば『それ以外の可能性』は産まれる
そう『認知を変える』為に『変性意識という可能性の精神空間』がある
私はそれが人に与えられた『夢』だと思う
「夢夢わすれるでないぞ?」=人には『自由意志』が与えられている
これは夢、ひとつの『夢(現実の可能性)』に過ぎないが
その夢には『大事な気づきが全て与えられている夢』
『無(夢)』の為に『無為自然(恩恵)』が有る
だから、必要な業を回収する=夢から覚める
「人の間は有難い経験だった」と『執着を手放せる』ように
『心に素直』になれば導かれる
・・という事は、次は『クロノクロス』のほうの気づきをまとめるか(導かれた方へ)
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