強制、矯正は共生がなければ起きない表裏一体のエネルギー。だけど強制も矯正もしないで共生できるのが自然体という不思議な感覚のお話
強制がなければ共生はない
『強制』とは無理やり、強引にという
『他』を『どうにかしよう』とする力
『共生』とは共に生きる、協力するという
他として『分離した何かと繋がらないと』起きない力
つまり最初から『分離された何か』が
『繋がろうとする共生』という状態がなければ
その『共生』という『繋がり助け合う過程』で
『強制』や『矯正』も起きない
『矯正』とは整える、歪みを正すエネルギー
『凸凹を取り除いて丸く』収まる調整
なぜ『自を矯正しよう』とするのか
なぜ『他を矯正しよう』と『強制』するのか
それは『共生ができてない』から
『強制する必要がある』からだろう
なんだか『分離』してると『面倒』な話
いちいち『相手』を『気』しなければいけない
相手を『気にしてる間』は『共生』する事になるけど
それは『自らを矯正』する事でもあるし『他にも矯正』を求める『強制』でもある
『気の置けない相手』は『分離してない』から
強制も矯正もなく『共生してる』
ん?「共生できてるじゃないか」って?
それは『他』という『あなたが分離』してるから『客観的』に
そう言う『ものの見方(見える範囲)』で『捉えている』からであって
『主観的』には心を許してる『気の置けない相手』というのは
『自』の中に溶け込んでいる自『分』のひとつなんだよ
だから
『心』を許し『他』を『取り込んで行く』ほどに
『自己』は『拡大成長』し、たまに取り込んだ『自』を『分』けて
『自分』と『その他』を見て学ぶ
「あの人ならこんな時どう想うだろうか?」
それは『あの人』しか知らないからあの人に『出てきて』貰おう
そうやって『取り込んだ自己』を『他』として『再生』する
その人は『その人として再生』されるから
「こうだったらいい」のに『矯正』もできない
「こうするべきだ」という『強制』もできない
そうやって『他』として『自己』を『分離』した時点で
『個』を認めて『仲良くやろう』という『共生』になる
『分離』しなければ『気を割く』事もないのに
『目に見えるカタチ』がないと『精神が不安』なのが『物質領域』
私は心を許してる気の置けない相手に矯正も強制もしないし
『物質的な共生』も求めない
『目の前』にいなくても『その人のイズム(個)』を
『自己形成の中』に取りこんだから
『内観世界』で『他』として『分離』して『共生』できている
『現実の世界』では『1人』の時も『精神世界』からは『様々な形』で
『共生』してる『他』からアドバイスを貰う
現実に『生きて』いようと『死んで』いようともはやそんな事は関係なく
『イズム(個)の生き様』を取り込んだ時点でその人は『共生世界』で『再生』される
再生される=『再』び『生』きる
大切な人は『心の中』で『消滅』する事はない
そもそも『気の合わない』人は『共生』できない
これは『細胞レベルのウイルスの話』でも同じ事
『自』を『他』が『矯正』しようと『強制を求めて来たら』どう思うか?
『我慢』して『無理』して『折り合い』つけて
そうやって『不調和』が『凝り固』まって『癌』になる
『道理』がない『無理』に『つきあう』から『正』が『歪』になる
『気』を『許す相手』を間違えると人間関係は『苦しむ縁』が繋がって
『病』を産んでしまう
だから『蝕むウイルス(個)』の傾向を『機能獲得』したら
『反面教師』として『有難い』と『感謝』して『共生しない』
『共生しない』という事は
『矯正も求めない』し『強制も求めない』
反発でもなく気にも止めない
ただ『受け入れない』だけ
『細胞』は『結合』した『分子』
繋がらなければ『機能』しない
つまりは『自己の中』に取り込んだ『自(学びや経験)』を『己(個性)に分ける』と
『自分』と『その他』という『分離』が起きてしまい
『他との繋がり』を『求める共生』が『必要』になってしまう
その『分』けた『他の意識』が現実における他人
=自分=『分離』した『求める客観的経験を与える存在』として『具現化』する
『不安になりたい』なら『不安を与えるモノ』に
『安心したい』なら『安心できるモノ』に
『想念が現実』を生み出し『意識』がその『世界を観測』する
人=『自』と『己』の『分離の数』だけ
『観測可能』な『マルチバース』は存在する
『他』を『気』にせず『意識』しない
不要な『分断世界』を生み出さず『観測』もしない
それが『自』という『ルーツへの回帰』
『自』らの『由緒』と書いて『自由』
『本当の自由』は『自の中』にある
今まで外の『他=現実』ばかりに『意識』を向けていた
それを中の『自=全ての根源』に『意識』を向ける
そこに本当の強制も矯正も共生すらも『意識しない調和』がある
………と教えてくれる( ´ー`)「あなた」は誰ですか?
↑この時点で『自』と『他』に『分離』してる
これが『現実』に目を向けている『自分の観測意識』と
現実世界ではこう呼ばれている『エネルギー存在』
潜在意識
インナーチャイルド
アセンデッドマスター
ハイヤーセルフ
先祖
守護霊
龍
天使
まぁ『色んな名称』で『好き』なように『都合よく』呼ばれてるけど
『自分』という『分離』された『個』以外の『あらゆる全ての集合体』
だから『今』の『自分』には『分からない事』を知っていて『アドバイス』できる
その『有難い現象』に『素直』に従えば、『スピリットの導き』で
『求める経験(人によっては辛い事)』に導かれるように
『好奇心』や『意欲』が湧いてくる
その『対象』はたいてい『未経験な事』
初めての事、ファーストコンタクト
ドキドキ、ワクワクする『未知との遭遇』に繋がる
まとめると『現実』に『見える他』とは
『自』ら『分離』して『自分』と『他』に分けた『現象』
それに『囚われる』と『存在意義』を見失う
しかし出処の『自の由緒』に『意識』を向けると
それは『分離』した『他が収束』を始める
かつて『自分』として『他』と向き合った『トラウマ』
それは元は『自分』が生み出した『経験』のための『産物』
それと『再び向き合った』時に呑み込み『赦す事』が出来れば
それは『役目』を終えて『トラウマではなくなる』
そして分離した失敗体験を成功に変えて『機能獲得』して
『自』はひとつ『由緒』に近づく
『外』に目を向けても『分離』が多すぎて分からない
『中』に目を向ければ『自分と縁があるモノ』が巡ってくる
『引き寄せ』とは『自』らが『望むモノ』を引き寄せるが
それは元々『自』が『分離したモノ』だから『返って来る』だけの
『今まで』は『必要無い』ものねだりだった
故に巡ってくるのは『楽しい事』ばかりでは無い
『逃げてたトラウマ』も寄ってくる
小さく縮小して自ら分離した世界に閉じ込める6の軌道から
自らの由緒=分離した自分を回収して結合して拡大する9の軌道へ
『避けられない問題』という『カルマの回収』が起きる
だから『自分』に『正直』に生きた者
強制も矯正もしないで『共生』した者ほど
『自他の分離がない』から『カルマ』も少ない
『自らの由緒』に関係がない『異物』をたくさん見るだろう
そして最後は『学びの現実』という『創り出した思考シミュレーション』の
『VRゲーム世界』すらも卒業して『真の自由』に戻る
だから『自由』とは『現世』で語られている様な
『好き勝手する事では無い』のだと思う
極端な事を言えば『全てを手放して無に還る』
この『世界』という『現実』に『存在』として『生まれない』
それが『ゴール』だとしたら多分
『単なる死』すらもゴールではなく『経験』
この世界に『肉体』という『結合分子』・『組織』を持って得られる
『執着・物欲』の全てに『気』を向けない、必要ない、定着しない意識
でもそれは『死を選ぶ』という選択ですらない
……と悩んでいるのは、『私』が『一ゲームの操作キャラクター』として
『自分』という『客観視』するために『切り離した他=根源の自分』から見ての
『実験道具』として『認めるのが嫌』という
ちっちぇちっちぇ『1寸の虫にも五分の魂的な反抗心』が残ってるのかもしれないが
この世界に『生を受ける』ために『真の自』から『分離』された『役割』をこなせば
『元の共生に戻れる』のだろう
だから『心』に『素直』にならない限り『自他の分離』は終わらない
『終わらせる方法』に導かれない
『生まれてきた意味』も分からず、あーでもないこーでもないと『思考』して
『分離の自分』=『他人』を『具現化』すればするほど
外の『目に見える現実』は『複雑』になる
なんだかわかってきたな( ‘ω’)
『引き寄せ』ってのは、かつて『自分』が『分離』して『手放した現象』を
『必要なタイミング』で『元に戻す』って事なんだ
私が先人の知恵や閃きのような気づきが多いのは
『今』なら『理解』して『納得』できるだろう?と
『自』が『分達』を核融合させているのかもしれいない・・と
ここまでは、もともとの気づきの下書きで書いてた事で
実はこの冬至の頭にとんでもない不思議体験をした事によって
改めて『共生』の気づきがなぜ先に与えられたのか今は体感で理解しました
あんな世界ならそのまま『意識をシフト』して『消えてしまって』もいいな
そんな『心地良い夢』を見たのでやっぱり『体感』なくして『理解』なし!
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