あん時の猪木の名言「道」を考察してみる
猪木の道を知る者
【元担当記者が悼む】あの有名な「道」 一体誰の詩なんですか?の質問への答えは私の“道”に
「この道を行けばどうなるものか…」。猪木信者なら誰もが知っているであろう。1998年4月4日。引退試合を終えた猪木氏がリング上で朗読した「道」
「猪木さん?奥の壁にある詩って、一体誰の詩なんですか?」新米記者の唐突な質問に、闘魂は笑顔で教えてくれた。
「ああ、あれは一休和尚の詩なんですよ。知ってるでしょ?一休さん。私はこの詩が大好きでね。だから道場に飾ってるんですよ」
「みんなね、私が考えた詩だと思い込んでいるから、誰の詩なのかなんて聞いてこないんですよ。だから、みんなが聞きもしないことをちゃんと聞いて確認するというのは立派なことですよ。私もそうだけど、誰もがやらないことをやる。それが大事なんです」
思いがけない称賛だった。
「野口さん、あなた、きっといい記者になりますよ。ムフフ」
なるほど( ˙꒳˙ ).。oO
当時プロレスは嫌いでした
何故かと言うと、従兄弟がプロレスにハマって私はブレーンバスターやバックドロップ、パワーボムなど…名前を覚えた理由は技をかけられる実験台と言う被害者だったから
戦う意思もないのに痛めつけられ、リアルで切れると、馬鹿野郎!プロレスってのは、攻撃は大袈裟にやる振りだから加減しろ!と、打撃に関しては痛いように見せて痛くないようにやるパフォーマンスだと、プロレスの何たるかを教えられつつも
ほなら投げも痛くないようにやらんかい!( º言º)と完全な被害者で…だからこそプロレスを好きと言うやつには、本気で痛めつけに行くと言う精神的抗体(特異性異常抗体)が着きました(っ・д・)≡⊃)3゚)∵
そんなプロレスだァ?( º言º)とカチンとスイッチが入る私が、道?この道を行けばどうなるものか?( ˙꒳˙ ).。oOと、言葉が引っかかってたんですね
なるほど、破戒僧の一休和尚の言葉だったんですね
誰も聞いてこないから教えない
気づいた奴にしか語らない
それをムフフ( ´艸`)と真理の探求を楽しんでる猪木さんの顔が浮かびますね
所でそんな話に野暮なツッコミをする人もいるらしく
道は一休の詩では無い
アントニオ猪木が一休さんの言葉なんですよ( ´艸`)と嬉しそうに記者に言ったのは事実として覚えて起きましょう
しかし、出処を探った人達曰く、これは一休の残した文献書物には存在しておらず、清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩と言う結論に導いてました
が…私に言わせれば、それはもうどうでもよくて、猪木さんのオリジナルの生き様の言葉なんですよね
言葉は誰のものでもない
猪木さんは一休さんの言葉だと信じ、そして座右の銘として、門下生達に精神を受け継がせていくための教訓として道場の目につく所に掲載した。そして自身が引退する時の辞世の句として大衆の前で公然と音読し魂を込めた
それはもう一休と言う心の支えになる意識的な存在と共存した生き様から生まれた猪木さんの言葉(DNA)なんですよ
私はどこの誰が生み出した言葉かはわかりませんが先人の知恵と言って多くのことわざを使って、例えるなら…と引用し人を納得させたり説得したりします
今、目の前で起きてるような事が、過去の事例とも言える先人の知恵で解決できてしまう
それはもう巧みな言葉の技
言葉の打撃、言葉の投げ、言葉の寝技、言葉の絞め技、言葉のタッグ連携攻撃
雪崩式に畳み掛ける言葉のコンビネーション!!
「もしも負けたら…」と言うレポーターの質問に対し
「戦う前から負ける事考える奴なんていねーだろ馬鹿野郎!!」
危ぶめば=危険を想像すると道が途切れる事を意味する、猪木さんに取って言葉はとても大きな意味を持っていたと思う
例え、それが一休が言ったかどうかが曖昧だったとしても、だから何?って話で
え?そうなの?でもいい言葉だから僕は好き( ´艸`)みたいに多分、大した問題にしなかったと思う
そのくらい言葉って自分の生き様に取り入れると、どこの誰が言ったかは覚えてないけど、今やそれは自分自身の一部だよと身につくもので
私の場合は
石橋を叩いて渡る
君子危うきに近寄らず
急がば回れ
虎穴に入らずんば虎子を得ず
取らぬ狸の皮算用
みたいな言葉が慎重な性格になり大胆な行動になってるので出典がどうとかどうでもいいんだよね
道 全文考察
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」
まず出だしに思慮深い選択がある
何かで立ち止まって考えている
そして道と言う事は、目の前の選択ではなく、目的地は遠く、目指す方向だけは分かってる
その最初の1歩を踏み出すかどうかの葛藤
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなしというのは恐れは現実化し余計な困難が増えるから考えるなと自制している
踏み出せばその一足が道となるというのは、自分の足跡が後から跡を辿る者の道になると言う開拓者・パイオニアスピリット
迷わず行けよ。行けばわかるさ=自分の1寸先は分からない
なんでもやってみないと分からないし、退路は無い、戻らないと決めたなら、どの道行くしかねぇし、どうなるかも出たとこ勝負
おい!この野郎!щ(・д・´щ)コイこの野郎
と言う一時、永遠のような瞬間の中で、選択に迷う自分自身を鼓舞する心理の真理
ただこの詩の本質は自分のための道じゃない
次にそこを通る者達のために未知を切り開くが、自分は自分の進んだ道を振り返らない
前だけを向け!胸を張れ!堂々とした背中を見せろ!後ろが安心して着いてこれるように
そんな孤高の人にしか刺さらない詩
だから猪木さんは自分の座右の銘の道の始まりを共有できる記者を褒めたんだと思います( ´艸`)あんた良い記者になるよ
アントニオ猪木と言う存在を生み出したのは言葉だったんだと
例え、出処が一休だろうと、誰だろうと、一休なんて存在してなくて、捏造の空想から生まれた人名が独り歩きして伝記に書き加えられ、それが後世に伝わっていたとしようと
その形なき言葉が、前例なき未知の選択を進む猪木さんの心に力を与えアントニオ猪木を生み出した
カタカムナはアントニオ猪木の正体を語る・・
カタカムナの言霊で読み解くと
あんとにおいのき
強い命の統合の圧力が奥から伝わり時間をかけたエネルギー
もえるとうこん
漂う投影の留まりが統合から生まれ強く転がり入る
まさに生まれるべくして生まれてきたエネルギーの塊=元気そのもの
そこから生まれて強く転がり入るはビンタ(闘魂注入)
びんた
内なる根源が強く分かれる
元気ですかぁぁ!→ ビンタで闘魂注入→ エネルギーを分け与える
元気があれば何でもできる!
未知を切り開く存在に必要なのは元気である!それを伝えるための役割を担ったライトワーカーだったんだとそんな気がします
色んな次の世代を道引く人に元気を与え切ったのかもしれないですね。お役目ご苦労様でした(-人-)心からご冥福をお祈りします
そして、別次元でもまた未知を切り開くパワフルな導く者に道引く先導者の孤高の意識としての活躍を期待してます(*•̀ㅂ•́)و✧良い旅を
そして、死因となったアミロイドーシスという病気の対策の治療薬として名前が出てきた医療用医薬品 : ビンダケル
ファイザー でした
言霊で読み取ると
アミロイドーシス
命の実態が空間に伝わり、内なる統合が短く示す方向に
ビンダケル
強く内なる根源の反対に分かれ全放出して留まる
なんだか・・ビンダケルが体内に留まるのが根本原因で、そのせいでアミロイドーシス(命を縮める方向に)になってるとも読み説ける訳ですが・・
はてさて卵(ワクチン)が先か?鶏(ウイルス)が先か?それを今一度多くの日本人は考えないといけない
なんで猪木さんが亡くなってから「道」を読み説こうと思ったのか
どうして死因が老衰とか自然なものではないのだろうか
やはり、不自然な何か(薬・外部知識)が因果として存在しているとすべてはここに繋がってるんだろう
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