先日、明晰夢の実体験のメカニズムを詳しく解説したら、久しぶりに金縛りにあい、何かが接近してくる感じがあったので(さてどこに連れて行ってくれるのか?)と身を任せたら・・あれ?という新しい発見ついて色々と洞察してみよう
明晰夢への自分の想いをまとめたら・・
先日、こちらの記事に『明晰夢の科学的研修者の記録』と『私自身の実体験』で、相似する物事について、久しぶりに夢研究が向上するようなワクワクする気づきをまとめた
私の中では、『自分の独自研究』が、『誰かわからない先人の跡』に辿り着いた事で、レポートをまとめてたら、「先輩の資料が参考になるぞ?」と『加味サポートの導き』を感じたように
『今日の私の意識として成すべきを為した』から、「今日の日はさようなら、もうこの人生(一日)悔いはない」と、余生はVRシミュレーターで遊び、そのVR世界でも、クリアできなくて行き詰っていた所が
なぜか、スムーズにクリアまで至り「やった!やったぞ!!」と越えられないかもしれないと思っていたステージを『自力でクリアした達成感』を得て、安らかで穏やかな眠りについた
そしたら・・久しぶりの『金縛り』にあった所から、『新たな意識(この現実ではない)の役目』が始まった
私の金縛りの感覚
私が(金縛りになった!)・・と『感覚で理解』する時、外部から布団への『圧』を感じる事
これは例えるならば、風船が徐々に膨らんで『押し付けられる』ような感じ
目に見えないけど、『空間が圧』を生む。それが部位的に足や手、胸などの『圧迫で先に感じる』ので、あまり経験がない人は『怖い』かもしれない
しかし、その状態になった時、私はとりあえず体を軽く動かそうと試す
ここで『動かない=金縛り』であると『リアリティチェック』をする
リアリティチェックとは、夢の中でこれは夢か?と確認する為のあらかじめ決めているサイン
さて、金縛りだ・・とわかったら次のステップは『何が見える?何が聞こえるか?』
『幻聴や幻覚』というは、『潜在的に恐れているもの』が『具現化した幻』
『存在しない』のではなく、他人には見えない『自分だけが見る偶像』
そこで、次のリアリティチェック
目を開ける=自分の恐れているものを『向き合って見る・知る覚悟』
声・音に耳を傾ける=心の声、自我の『欲の声を聴く覚悟』
『怖いもの見たさ』という言葉がある
「怖いもの見たさ」とは、恐ろしいもの、危険なもの、不安なものに対して、見たくない、近づきたくないと思いながらも、好奇心からつい見てしまう、体験してしまう心理状態
夢や金縛り、霊を『得体の知れない未知のもの』という認知では、この金縛り中の『好奇心による偶像』が即座に反映される
カタカムナで こわい の言霊は
転がり入った調和の伝わり
きょうふ の言霊は
エネルギーが自然に新しく生まれ増える
(もしかして・・あれではないのか?)→『あれ』になる
(もしかして・・これはあの時の・・)→あの時の『それ』になる
色即是空・空即是色=『そう思えばそうなる』
これが金縛り中の『幻聴・幻覚のメカニズム』
つまりは『何かしらのエネルギー』に『思い込みが投影』される
なのでここで意志氣した呼吸の『グランディング=落ち着かせる』
心を落ち着かせるルーティンの呼吸を行う
昔は『釈迦の呼吸瞑想』や『明鏡止水』だったが・・
今は独自の『倍音呼吸法』が身についている
昨日もこの呼吸法を行い安定させている時も、どんどん『圧』だけは増してきていたので
怖いとか恐怖とかもないが『何らかのエネルギーが接近していた』のは感じた
そこで次のステップとして『意識して観測を求める』
『好奇心』で思い込んだ物事を見る・聞くと=『見せられる・聞かされる』になるが
『私は私』、「それ以外のお前はなんだ?」という『未知のエネルギー』と向き合う
『敵』でもなく、『味方』でもなく、ただ『対峙』して向き合う『鬼門の門番の鬼』
『素直な心(写し鏡)』で「それは何なのか」を感じる準備ができた所で
『仏悳=ほっとく』で圧を『受け入れて見た』結果・・
バチーン!うわぁあぁぁああ!!ぁぁ!?!!?ぁあぁぁあぁあ!?
私が明晰夢に入るパターンの『ぶっ飛び』が起きたのだが、手足をつかまれたり、体を抱き上げられたり等の『導きのガイド』というより・・
『正面衝突で弾き飛ばされた』ように、ぐるんぐるんと物凄い高速回転して意識が体から吹っ飛ばされた(笑)
元来なら、その吹っ飛んだ後に『どこかに着地』して『五感がきて明晰夢に入る』のだが、目覚めて振り返ってみると・・『その先の記憶』はまったくなかった
これは『未知(未だ知らない)の体験』だった
「そういうパターンもあるの!?」と面白い発見だ
これをいくつかのケースを仮説を立ててみようと思う
仮説①興味を持った生霊の接触
生霊は多くの人が『無意識に発しているエネルギー』で本人にその『自覚』はない
これは良くも悪くも『興味の対象』に向けられて飛ぶ事がある
過去にこれからカップル相談を受ける前の日に、「ひどいよ!」と『泣き叫ぶ女性の声』が聞こえたが、それは結果、カップルの別れ話の最後に『現実に聞く事になる言葉』だった
また「相談があるんだけど・・」という『女性友達からの声』が耳元で聞こえた翌日、朝起きてしばらくして、『法的な相続の相談のメールがその女性から届いた事』もあった
こういった経験から私は時間や空間に囚われない領域に『生霊(まだ形になっていない思考エネルギー)は存在する』と『認知』した
『人・物・場所・思想への共感』など、様々な波動への『類は友を呼ぶ』ように
『求める=居心地がいい所』へ向かう自然なエネルギーの流れ
例えるならば、『仏が説法を説く』時に『弟子が自然に集まる』ように
『穏やかさの真理を求める探究者』が集まり、『人の欲望・エゴを求める者は興味を持たない』ように
『明晰夢』というのは、実体験した『真理の探究者』にとって『大好物』と言える
私がFloating Storiesさんが最新のテーマとして掘り下げてくれた『明晰夢』に感動したように
同じように『明晰夢』について『興味を持つ波動のエネルギー』とは
この世(現実)とあの世(多次元)の『境に意識の観測』が向いている
そうなると、私が心に素直に発する『発言・波動・真言』というのは
『この世の者(常識)ではない』空間について『認知次元』が違うエネルギーの質(波動が違う)
現実で言葉にすれば、『今の現実常識』では『世迷い事』だろう
しかし、その『世迷い事』を『体験』しているが『言葉にできない思い』を抱えている人は多い
例えば、私は以前、『200人に一人に見える光の粒子の話』を親友に話した時、その親友も『子供の頃からそれが見えていた』けれど、『周りから変な奴』と言われてから
『ずっと言えなかった』と素直に告白してきた事があり、「俺相手なら、そういう話は大好物だ!(≧▽≦)もっと色々聞かせてくれ!」と伝え
文字通りなんでも(この世の非常識・不思議体験)話せるようになり『氣綱』を深めた事がある
また、その光の粒子が見えると伝えた記事にも同様に、やはり見えていたけど、「それが何なのかわからなかった」というコメントがついたり
『その言葉にできない思い=エネルギー』が類は友を呼ぶように『居心地が良い所』を求める性質がある
この事から、『明晰夢に興味を持つ生霊』が飛んできたと仮説をする
仮説② 変性意識の界隈の未知の接触
生霊は生きている『人の想いのエネルギー』だが、金縛りの時点で、『この世』でもあり『多次元』でもある『変性意識の空間』
つまりは、『境目』でもある為、『死霊』・・と言えば聞こえは悪いが、『もやもやして浮かばれないエネルギー』もあるだろう
私の感覚では
成仏とは『仏に成る事』であり、穢れを払うとは『気枯れを払う』でもある
成仏『させる』とは、『仏の教え』を説き、『仏にする=ほっとけ=自由にする』でもある
気枯れを払うとは、枯れた気に『エネルギー』を与え、『元がなんだったのか』を思い出せる
共通点は『足りない』を『足る(満足)』にする為に『和足す』事
そして『釈迦』とは『問題に巡り合い解決する』という意味
成仏させるとは、導く事で、後は自力で精進しろと『背中を押す加味のサポート』
気枯れを払うとは、足りないエネルギーを和足して『元気づける加味のサポート』
『全知全能の神』だとしても『頼らせる』のではなく
『自力で取り組む者』に必要な力を後押しで『和足す加味』である
『先祖を供養する』とは、人と共に養う事
『養う』とは食物などを与えて育てる、または生活させる
だんだんに作り上げる。つちかう
だから
「あと一歩だよ」と界隈を彷徨っているエネルギーには『教え』を説き
『問題を自力で解決する気』があるなら養って『元気』を和足す
しかし「それは自分の業だろ?自力で回収してこい!」
と見極めて甘やかさないで追い返す『鬼門の鬼』でもある
私はずっと『先祖供養というテーマ(命題)で旅』をしてきたから
ある意味では『彷徨う先祖の駆け込み寺』のようになっていたのかもしれない
仮説③圧の正体 両方
明晰夢への『興味の波動』
成仏を目指す、気枯れを払い『元気を取り戻したい波動』
その両方が『圧』となって押し寄せた為に、圧によって『鬼門の鬼が弾き飛ばされた』説(笑)
何が来ても『対峙』して受け止める覚悟の鬼
仏が必要なら『仏の面』で受け入れ、敵対するなら『鬼の面』で
問題を解決する『釈迦』として・・と『写し鏡』で向き合った結果
それが『大量=大霊』になったら手に負えない
人を列に並べるのは難しい=『例え難し=心の整理が必要』
それほどまでに『明晰夢』というのは『大きなテーマ』なのだろう
『この現実』では『鬼門封じ』のように精神性を語る事は『禁忌』として否定される冷めた環境
昔は『熱血と意欲』がそこら中にあり『活気』があって『切磋琢磨で精錬研磨』
『宿敵と書いてとも』と呼ぶような『磨けば光る意志』がたくさんあった
そんな『先人達の魂との繋がり』が『断たれた』から『冷めてしまった』
そんな『先祖達の繋がりたい意志』と冷めた現実でもなお、『明晰夢』を通して『先人達と繋がりたい意志』が集まる場所
そりゃ『禁忌とされた鬼門』でしょ(笑)
『精神と現実』を繋ぐ方法
誰もが『心の故郷』に還りたい
『心が故郷』だと感じている者は『現実に意識の観測』が向かなくなる
『この現実しか存在しない』と思い込んでいる『信仰に囚われている認知』では『井の中の蛙大海を知らず』
その思い込みの幻想から徐々に『認知』が変わり始めるのが『明晰夢(別の現実体験)』であり、そこに行けないまま『彷徨う先祖達(信仰の亡者)』もいる
ならば『そこを目指す素直な心を持つ人』と共になって養ってもらえば、『浮かばれない者達は成仏』できるし、気枯れた者達は『和足しで元気を取り戻す』
結果的にそれが『衆生を救う』=『釈迦=問題を解決する事に巡り合う』なのだとしたら・・
それをテーマに探求をしている者には・・『生霊・死霊・気枯れた者(元気を取り戻したい)が集まる』のは自然の流れ
そういう意味では、『覚悟なく軽々しく取り組んではいけない禁忌のテーマ』とも言えるし、そういう見極めの判断や決断の門番の『云う鬼の魂』も宿す『精神修業』も必要
『仏鬼釈』という『精神と現実』を繋ぐ『鬼門』
『廃仏毀釈』というそれを『禁忌』とした『世界への疑問』
『令和の元号』の言霊はカタカムナで読むと
失われ『伝わったものに調和』する→伝統文化破壊して移民優遇・国譲り政策
しかし、私にとっては 『失われた伝わりに調和』する
『靈和・例話・礼吾』
失われた先祖の靈を先祖供養して和の心で調和する
例え話(故事成語)が伝わり調和する
礼を持って吾(我)を労わり心と向き合う(悟)
0と0で∞(夢現・無間・無限)
そして『今の心構え』は『心が前』にあり、それに素直に従う下僕=下の人の業(役目)
『上と下』を繋いで『止める』と書いて『正』でありその問題を解くと書いて『正解』
『心(真)と人(我)』以外は『一切無常=全てがあるのが常』=空間
昨日の寝る前の私は『一日一生の役目』を終えて『穏やかな意識の死』を受けいれた(眠り)
心のままに我が生きた一生を終えて、真と我が『無』と向き合った
それが金縛りの状態で『穏やかな心を保つ状態』
結果、はじきとばされた(笑)
「お前に鬼や仏はまだ早いww」と『門番に返された』のかもしれないし
「お前にはまだ次のミッションがあるから帰れw」と言われたのか
それとも、圧の中で伝わった『元気』を取り戻させる『気枯れを払う問題解決の為』に、また『現世に意識が戻された』のか・・
『仮説』はあくまでも仮設、『仮想空間の設定』を考えて『思考シミュレーション』してみただけ
しかし、『体験は確実にあったと記録』しているからこそ、それを説く為に『仮設』が生まれる
何も無いから『有り得ない』のではなく
『有るから得る=有り得る』という可能性が広がる
『未だ知らない』、未知の体験の新しい発見
これが私の『認知の意識をさらに拡大』させる
『想定していた世界』には無かった『想定外の体験』
これを『解釈=釈迦を解く』しようとまた『ワクワク・ドキドキの意欲』が生まれる
そして『自己表現の弥勒』になる
『弥勒』はあまねく全てを見て歌や詩にしたり、石に刻んで『自己表現して記録する』という意味
自己表現に必要なのは『想像して創造する』という『制限なき自由意志』である
『足り無い』なら足るを知る=法則を知るまで『創ればいい』という『和』を足す心
それが根幹にある教えは大日・釈迦如来であり『万教帰一』
全ての教えは『宗・主の糸=素』に至る
それは次元を超えた『多次元』に置いても『共通の法則』
『どんな夢の世界』を訪れようと『和の心は調和』する
だから明晰夢の役目とは『私』が『和足し』となって『渡し』になる事
その『流れが自然』であり、『自然を巡る龍』となる
はじき飛ばされた事で、『今の私』にはまだ『例が足りなかった』のだろうと思う
もっと『問題を解決する』為に『例えられる先人の智慧(例・靈)』があるのだろう
足りないを知る、そして~たるを知る(法則)
『不思議な体験』をしたら『自己表現の弥勒』として『和足す』
その『和足す心』で気枯れた人・物・事が『元気』を取り戻し
『元来の素直な心』のままに『果たす役目が動き出す事』もある
そうすれば、その人が『問題を自力で解決』して『釈迦・仏に成る』
=成仏して『気枯れに和を足す一人』となり『一+人=大和の心』が成長する
塵も積もれば山となる
『ちり・ごみ』と『穢れ』と呼ばれ『土』となった『先人達の意志』
その『先祖を一人一人が宿して共に供養』すればその意志は『大和』なる
昨日の明晰夢(金縛り)は・・終わってみれば、こんな『例え』がスラスラ出てくるように
もしかしたら、先人達からアレもコレもと『アドバイスや意見』を聞かれさて・・
『キャパシティオーバー』で意識が吹っ飛んだ結果
どこ行けばいいかわからなくなって意識が消失した のかも(笑)
ま、これも仮説です(仮の設定)
でも、こういう『仮説』があれば、『そういう可能性』もあると
『転ばぬ先の杖』と成るでしょう
転ばぬ先の杖とは、『虎杖』と呼ばれた『湖畔に生える傷を癒す植物で旅の必需品』
もちろん『杖』にもなる『万能薬であり人を支える道具』でもある
と、同時に虎=トーラ=原典の教えは
慮=七つの自然エネルギーを思う=気配りの支える心
悳・得・恩・恵=共通点は『支える心』
地球は『earth』、Hを前にすれば『heart』
『心が前』の『心構え』である(笑)
私は『心に素直』に『悳』を積む『和足し』の渡しの一人
感じる漢字(先人の智慧)を読み解く『妙見狸の訳詞如来』
人と『共』に、人が『生きる事を養う』為の先祖の智慧
それが欲しければ『急がば周れ』(自然の恩恵のある湖畔)
・・うん、やっぱり『キャパシティオーバー』ではじき飛ばされたな(笑)
『心を穏やかにする』というのは・・『先祖を受け止める覚悟』が必要なんだろう
それこそ『無(全てがある)の境地』になるというのは・・明晰さが必要・・
(つ∀-)zzz Σ(゚Д゚)
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