肚を吸える、肚を括る、言葉が伝える重要な精神的な心構えと肉体の身体操作の連動を実感すれば・・なぜかやっぱりこの世は光の投影で映し出された仮想世界だと気づく流れになる不思議なお話
肚・胎という文字の形象
先人の精神論にこんな言葉がある
肚を据える
怒りや恨み、鬱憤を晴らす。 ② 心を落ち着ける。 気持をしずめる。 がまんしてこらえる
肚を括る
どんな結果になってもたじろがないように意を決する。 覚悟をきめる
前回、知らずに釈迦のウェーサーカ=ニルヴァーナと満月と言う繋がりから
セブンスター(。・ω・)y-゚゚゚を復活した
と言うのも何故か『満月は煙草を吸いたくなる』からなのだが…
その1本目である事に気づいた
『腹が出るのはみっともない』という認識。だから無意識に人は体裁を保つ為に『腹を引っ込める動作が身についてる』と気づいた
昔のように太っている訳では無いが…太っている時に、(太っていると思われたくないから)か、無意識にそれを『身につけてしまっていた自分』に気づいて
『腹が膨らむ=楽になる呼吸』をしてみると、腹式呼吸のように『丹田の当たりがポッコリお腹』になるのだが…その時、『下半身が物凄く楽』になり、『緊張』が解け、どしっと『地に足がつく感覚』が来た
しかし、目の前に人が通る時…やはり無意識に(ヒョイッ)と少しだけ『膨らみを潰す』ようにキュッと『お腹に力が入る』という、貯めた気を外に吐き出して『体の重心が上になり安定が崩れる』と気づいて
その都度、また腹を膨らませるを繰り返していて気づいた
(。・ω・)y-゚゚゚これが
肚を『据える』→安定 =自然体
肚を『据え兼ねる』→安定しない=不自然な体裁
そこでもうひとつ
『肚を括る』を意識してみた
これは丹田に溜まって膨らんだ氣を『上に戻す』のではなく、丹田よりも『下の股間の方』に下げた後、登って来ないように送り込んだ『丹田の経路をキュッと締める』
すると『重心が下』に下がったまま『腹を凹ませる形』になった
これは『腹筋に力を入れる』という『緊張』ではなく
内側から『細胞に酸素を充填して密度をあげる』という『膨張』
表面的に『空気の層』のような『柔らかな弾力』を残しつつ力を全く入れずに『凹ませる』という
なんだろう…例えるならダイラタンシー?
ダイラタンシーまたは剪断せんだん増粘性は、ある種の混合物が示す、遅い剪断刺激には液体のように振る舞い、より速い剪断刺激に対してはあたかも固体のような抵抗力を発揮する性質である。この現象が起こる物体をダイラタント流体、ダイラタンシー流体、剪断増粘流体といい、非ニュートン流体の一種である
柔らかい流体だけれど強い衝撃が来た時は表面が固まるような…何が来ても問題ないという『どしっと構える体幹』になるような・・これが『肚を括って肚を据える』という事かと
また丹田より下や下半身に力が伝達される事で逆もまた然りで、下からの衝撃がそのまま固形化した反対の表面に伝わるように
『地からの力』も『肚』を通して『上半身に衝撃として重心の力が広がる』ような・・言うなれば『重心』という『重い流体』を振り回す『遠心力の基点』であり、始点→力点→作用点の中継のような
つまりは『肚(丹田・腰)が安定』する
腹筋に力を入れてしまうと最初から『緊張状態』なので、その流体が動く『自由』がない
つまり肚を据えるとは肚には一切の『筋力』を入れず、空気で細胞を満たし『柔らかく膨らませた状態』にしておくとそのボールのような弾力がそのまま『遠心力のように活かす事』が出来る
その状態を保つには吐くのでなく『吸う』
常に『緩やかに吸い続けている』
『無呼吸』ではなく限りなく『無に近い微細な呼吸』で肚に『氣』を巡らせる
固めて耐えるのではなく、『瞬間的な膨張で押し返す』というイメージ
そうすると文字通り『萎縮』する緊張がない
と、理屈でわかっても『肚をポッコリ膨らませる姿』を人に見られた時に…キュッ!と無意識に凹ませて重心が上に行ってしまう理由もわかった
目の視覚と認知による緊張
私は『目で人を観測』する事、また『人の目で観測された』と感じた時に、その『波動を察知したように腹が凹んだ』のを客観的かつ主観的に『内観』で感じた時に
『人に見られる=世間体や体裁』を気にしているのは『自我』だと気づいた
そこで眼鏡を頭の上に外し、『遠くの雲』を眺める事にした
裸眼の視力はもはや0.1くらいで眼鏡がなければ何も見えない
何も見えないと目の前に『人…らしきもの』が通ろうと、こっちを『見ている』のか、それは『若い女性』なのか『婆さん』なのか『男』なのかも分からない
すると『気』にした所で『意味』は無い
自分から見えない=相手からも見えない(気にされない)
すると『据え兼ねていた肚』も緊張しないでフゥ〜と安心して膨らんでどしっと地に足で立つのが『安定して楽』になった…だけでなく
肌寒い中半袖で(。・ω・)y-゚゚゚だったのに『肌寒さ』すらも感じなくなって…
ここでさらに面白い事に気づいた
遠くを観る目は『ソマチッド(光の粒)』を観ている
達観した人は『遠い目』をしている。これは遠くの景色=『空の雲や山に焦点』があっている、あるいは空想の『物思いにふけっている』と客観的には思う
しかし、その裸眼で『何も見えない』状態で『肚を据えた状態』で遠くに見えたのは…
私の『眼球の汚れ』だった
遠くというより『目の中』から『目の表面の眼球というレンズの汚れ』に気づいたのだ
俺、遠くを見てるような遠い目をしてる時
めっちゃ『近距離に焦点』あってるやん!
近距離というかもはや『目の内側』やん!
ここで焦点を少しずらす…と言っても肉眼で見えるような『物質』には焦点は合わない
では、その目の内側から目の外を見た時に眼球レンズの表面の汚れ以外でピントがあったのが
『光の粒子の粒』である
『マナ・プラーナ・ソマチッド』など様々な表現の言葉があるが、私は直近でホログラムの仕組みを学んだ事で光の粒子が二次元に角度をつけて照らす『参照光』だと認識した
するとこういう事になる
目をつぶって『背景を暗闇』にした状態で『光の粒子』を追った時に、焦点が近すぎて合わなかった『ステンドグラス』のように見えた状態を
背景が『青空の色がある状態』で粒子の流れを追いかけた時、眼球のレンズのように汚れた部分が『ステンドグラス』であり
空を舞うような『白いプラーナやマナ・ソマチッド』が背景に色がある空間での『光の粒子の見え方』だった
これは面白い『光に関する発見』である
背景黒
→光の粒子にはそれぞれ『色(赤・青・黄・緑・紫・白)』がある
→焦点が合わない『ステンドグラス(様々な色)』
背景(現実・空なら青)
→光の粒子は『白一色』
→焦点が合わないステンドグラスは『目の汚れ(割れ・傷?)で透明』
この事から…やはりこの世界は『二次元のホログラム=仮想』である
という、次元や存在の『領域を超えた目線』=『達観した遠くを観る目』になり、それ以外に『感応』しなくなる(寒さ等も忘れる)
(。・ω・)y-゚゚゚やはり満月にセブンスター
空海の筆が走る釈迦誕生日の不思議な発見でした
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