好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

空海の霊場物語17 17日は釈迦(問題解決)の日だった?

急におすすめにでてきたウェーサーカ 釈尊祝祭日?真法の時代、真如実相、和歌は隠遁の源、菩提をすすむる直路也・・と有難い説法講和が心地よく聞けたお話

17日はウェーサーカ 釈尊祝祭日?

ウェーサーカ祭の正確な開催日は、その地域や宗派の採用する暦によって異なる。仏滅紀元を採用する上座部仏教では、満月の出る Uposatha の日(たいてい仏滅紀元の5月か6月)にウェーサーカ祭を行う

ウェーサーカ祭が「釈迦の誕生日」と非公式に呼ばれることがあるのは、この祭りが釈迦の誕生・悟り(ニルヴァーナ、涅槃)・入滅(パリニルヴァーナ、般涅槃)の三大仏事に結びついているからである(日本の仏教では降誕会・成道会・涅槃会は別々に行われるが、南伝仏教ではこれらは同じ月の同じ日に起こったこととされる)。

買い物しようと町まで〜♪で〜か…ける前に満腹でお昼寝の狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ

目が覚めると…オススメに出てきていたのが
ウェーサーカ釈尊祝祭日と言うLIVE動画

その中で面白い事を言ってた

「日本でも真言のお経は山奥などにガツンガツンと彫られていて、廃仏毀釈などで寺や巻物が燃やされても絶えないようにしたが、いかんせん、それを修行する読みてもいなければ悟る者もいないのが真法の時代」

『真法の時代』( ‘ω’)?と気になり調べると…

真法をみるとき真龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり」(出典:正法眼蔵(1231‐53)谿声山色)

「真如」と「実相」は、同体のものに異なる立場から名づけたもの ) 仏語。万有の本体で、永久不変、平等無差別なもの。涅槃(ねはん)・法身・仏性

『和歌は隠遁の源、菩提をすすむる直路也。真如実相の理、三十一字におさまれり』」(出典:ささめごと(1463‐64頃)下)

『真法をみるとき真龍をあやしみ』…と聞いて、即座に訳詞如来の妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢが『音の響き』に反応

怪しみは『疑う』
しかし『心に又土』と『自然』を感じ
妖すをあやす=『手懐ける』

つまりは『龍』『真理』と身に着ける

まさに・・『白龍の導き』シリーズもたくさん書いてきたな・・

白龍の導き2 アワの音 から八百比丘尼と空海へ

白龍の導き 天地人を繋ぐ 命運を握る龍(流)=ニギハヤヒ?

白龍の導き 夢中=師合わせ 現実=自我の息抜きと実感

白龍の導き 篩籠 ダルマとは丸だ!

正法にあふとき正法にいとはるる

いとはるるは

ねぎらう。 手厚くもてなす。 [訳] 生き返った人に会うかのように、一方では(私の無事を)喜び、一方ではねぎらってくれる。

しかし、私は『意図張るる』
『正しい法』を追い求めた『目的はこれだったのか!』と自らの『宿業の道』を心に納め『納悳』する

この遺された真言の先人のメッセージが、『ろ過された真水』のようにすうっと飲み込む過程で『余韻の解釈』を少し加えてテイスティング

(゚д゚)ウマー『飲みやすい言霊』として神道(浸透)する

真如と実相
同体のものに異なる立場
万有の本体で永久不滅
平等無差別なもの

これは…

『真』『如く』〜=想像と感覚・潜像
『実際』『相対』だ=体験と実感・現象

精神で味わう『感覚』
肉体で味わう『体感』

真如実相とは『体感覚』

『体感』無くして『理解の覚え』なし
『知識は後』から着いてくる『脳の補完』

万有の本体で永久不滅で平等無差別なもの
それは『命に宿る意識』と言う経験

現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)

あらゆる身体を自在に現す三昧という意味で、人々が出会いたいと願っている姿をその人の前に現して、その人を導くことのできる能力

独覚法華経 現一切色身三昧と化城喩品

これは『そうありたい』と『相対』する『何かへの役目』を担う意識

色即是空、空即是色
そう思えばそうなる

いとはるる、労る気持ち
これがなければ『生まれない役目』

カタカムナ23首 生まれる選択

例え苦しめる『苦言の鬼』になり嫌われようとも
『君が笑ってくれる』なら僕=人の業は『惡』にでもなる

空と君=コロナ=太陽との間には天地人の祈りがあった・・

それが真言における釈迦
『問題に解決する事に巡り合う意識』

釈迦=問題解決の結果を遺すまで
問題に『取り組み続ける姿勢が弥勒』

弥勒は『あまねく全てを石に彫って自己表現して記録する』と言う意味

…しかし、いかんせん、それを『修行する読み手』が絶たれ、『修験者廃止』され、『悟る者もいない』のが真法の時代

…と言う何気ない『一言二言』を聞いた時に…私は思った(´-`)oO

誰も来ない山奥の『冠岩間の巨石に行って瞑想』したり

空海の霊場物語 蝙蝠岩は冠岩間

誰も来ない蛇の道の奥にある『鬼の隠れ里』と言うお経や梵字が掘られまくって逆さになって積み上げられている『巨石の上に行って瞑想』したり

導かれた鬼の隠れ里 33が表すフェイク

『観光』と言う名の『一般的移動』の中で『蛮行』とも『変態』とも言われかねない『奇行』の『気功』をして『寄稿』してきた進撃の巨石を追う人形『奇行種』(笑)

真法の時代に『最も欲した』であろう『石の意志』に触れ、『意志』を汲み取り、『修験者』のように『次の意志を伝える巨石(レイライン)』を巡り

その自覚なき『託しードライバー』として『宿して担いだ意志』を『法華経の守護龍の八代龍神と白龍龍人の元』へと連れ帰り降ろす

『心に素直』に生きる『天然慈石』の私は『真言に縁』ができて『大日如来』に繋がり、そして『北極星と北斗七星が根源』にあると『目星』をつけた

その『大日と釈迦』がワンセットで『大日釈迦金輪』として描かれてる『節分』にしか表に出てこない『星曼荼羅・北斗曼荼羅』

その先に繋がる『世界観』
『先の世』を観る方法は『観世音』

音で世を観る=『振動周波数』を感じる

私は神社に行くと必ず『周りの音』に耳を澄ます。石にも木々のざわめきにも虫の羽音にも人の足音や遠くの鳥の鳴き声にも…

あらゆる空間に存在する『命は音(振動)』を持っている

例え動かない『無機物』でも『反響で音』を出す
その音で観て『響いた世界をひとつ』にする

つまり『無』になるとは『周りを無』にするのではなく、『自らを無』として『場』を提供し中を『音を統合して聞き取る空間』にする

そのためには( ゚ ρ ゚ )ボーっと『空っぽの一(位置)』になる

空(有無)をぼう(忘・望・房)と見上げる時ほど考えている

spongeのアナグラム ONE GPS(観測全体の一人)

『空気の振動を感知するセンサーそのもの』になる。すると、一つ一つはそれぞれの『意図はるる役目を持った存在』だが、その役目=『音の発信源』が何か?と言う『固定概念(形)』を全て忘れて

ただ『ごちゃ混ぜの音』を『空間に響かせる』だけ

例えるなら、芸術は爆発のように
好き勝手『空間に色』をつけてもらう事で

最初は何ものでもない『カオス』に、『自然のもの』だからこそ『幾何学的な法則』を描き、『美しい形象』を見せる

その形象の完成は『夢で受け取る』

え?Σ(゚д゚;)『あの体験』は『こういう完成系』を伝えていたのか!!と素直に『感性』で受け取る

『弘法筆を選ばず』とは自ら『書く事』は無い
空海は『空と海』と言う自然の『キャンバス』

『海』にはあらゆる『命の可能性』が宿る
『空』にはあらゆる『命が想い描く空間』がある

海から生まれし『可能性』
空へと想い『昇る龍』となる

しかして、その『想いを実現』するのは
『地』に足ついた『人=修験者』である

『体験』『修める者』
体感無くして理解と言う覚えは無い

和歌は隠遁の源、菩提をすすむる直路也

『和歌』と言えば現代の説法者と感じた『チリヌルヲワカ』に突然興味を持ち

チリヌルヲワカ 情景を詠う和歌を詠む

和歌に隠された正統口伝継承者のイロハの『ロイ』にも気づき

ロイの伝説は口伝だった イロハ歌を詠む

交わりを絶って俗世間からのがれて暮らすような、表の『童謡の裏』に潜む誰も気づかないような歌の隠遁の『葉隠、草隠れ』

『一寸の虫にも五分の魂』と言う『朮(おけら)の行い=術』に気づくように

ホツマツタヱは虫の知らせ 葉隠れ草の根は心=地球が鍵…

そこには『菩提への直路』があった

煩悩(ぼんのう)を断って悟りえた無上の境地。

そう『自然体こそ極楽』であり、それを『細胞』が感じた時に『即身成仏』『仏の三千世界(肉体の中にあるミクロな細菌の共存世界)』を垣間見る

事情を内観し自浄する  極楽浄土は『細胞』に

『人』から見て『虫』と言う小さな存在は『形』も違うし、現実では『コミュニケーション』も取れない

だから『違う命』だと感じてしまう

しかし、その生態、生き様を見習った時、『大きさ』は違えど人の持っていない『協力や共存の法則の中で連動』していると気づき

『即身成仏で観る細胞世界』の中では見た目は『人の世界の見え方』のまま『虫(菌)の世界を体感』する

独自体感論 蚊から学ぶ 自然界の陽動の生存戦略と夢に入り込む周波数

独自体感論 蚊は自然のメッセンジャー

正確には『菌に意識が宿る事』で、『あらゆる世界を転々と旅』して、意識は『体験』を得て戻ってくる

すると『一寸虫にも五分の魂』というのがただの『言葉』ではなく、あれは『今(人の間)』となっては『寸劇のような儚い夢』だった、『虫だった私の人生』と感じ、役割を担っていたから

『人のエゴで無用な殺生はしない』と思うようになる

『自然を観音する』というのは『その域で息』している『意志』を受け入れる事

『住職』となっては『同じ御堂の域』を『堂々巡りした空気』しか吸えないが、『修験者となり旅』をすれば『あらゆる領域の氣の流れ』を取り入れる事が出来る

これは『流行りに敏感』…というのもおそらく『仏法用語の真言』だろう

ここはちょっと複雑な『訳詞』が必要だ

まず『感』があるから『精神領域』
次に『敏』があるが『毎度鞭打たれる』と書く

のぶんの意味は『鞭』で叩く(●´_ゝ`)ノ)Д`)ペショ

『流れに行く』は山水に『充』ちる
しかし余計な一本で『川』になっている

ただの『水の流れ』ではなく『川の勢いのある流れに行く』のだから、川の流れは『中央』に近づけば近づくほど『早く急』であり『流されに行く』ようなもの

それは毎度、『無知打たれる行為』を感じる
「危ねー!冷や冷やしたぞ」( ;´Д`)

『流行り』に流されて『自分を見失う』
そう言う『自己』を見失った者が『皆(衆生)が集団』でかかるのが『流行病』
それが『正法も真法も見失った宗教』

だから『敏感』『造られた意図的な流れ』に反応して『真言の修験者は警戒』する

新型コロナムーブ?
都市伝説ムーブ?
陰謀論ムーブ?
デマゴーグムーブ?

基本的にこれらは『流れを造った者』からすれば、『一過性の流行り病に犯されたもの達』『次の流行りで立場を無くして一掃』して『水に流してしまいたい』訳だ

細々した『細石』は簡単に流される
しかし『厳(巨石)となった意志』はそう簡単に流されない

君が代は千代に八千代に『細石の巌』となりて
『虚仮の蒸す』まで(大事な教えを護り抜け=守護龍)

国歌 君が代は日本人のDNAそのものだった

『真を言う』とは根源には『誰かの教えを語る事』ではなく、『自らが体感・体験』して『身に着け宿し』て意識が変わり『心が変容した過程』『問題を自力で解決』した

『釈迦の痕跡(自己解決)』を元に『今の心=念の真実』を『声を明らか』に『声明』する

それは『石=巌(自分自身)に彫って刻んだ自己表現』『弥勒の意志の言霊』

だから『有言実行』出来る
問題解決する『釈迦を宿してる弥勒』

『今すぐ』は出来ないが、『即身成仏』で
『仏の世界』と繋がれば『大日如来』

『閃光の如く閃』がきて問題に巡り合い解決する『釈迦力を発揮』する

それがまさか『5/17』が釈迦の日で・・また『17』繋がりで『和らぐの精神=17条』とシンクロニシティ(類は友を呼ぶ)

空海の霊場物語15 意枠付きの聖徳太子の17条の稲本(カタカムナ)

そこでありがたい説法の講和の『サムネイルの数秒間の話』を聞いただけで…ここまで『書く意欲』が止まらなかった

真龍をあやしみ正法をいとはるる
真如実相
和歌は隠遁の術、菩提への直路也

いやー、買い物しようと町まで〜…出る前のたまたまオススメに出てきた数秒間の話が

『飲みやすいソーマ』のように『真言が浸透』して心地よいと感じた…と言う事は、釈迦の誕生を祝い真言を語る弥勒達の宴は、それぞれの自己体験の学習発表会のようなもので、『望む人達には心地よい空間』だろう

で、そのウェーサーカは『満月の日』なんだってさ

ニルヴァーナ(涅槃)、満月
北極星と北斗七星(セブンスター)

なんか感慨深い…これは今日はセブンスターを復活したら美味そうだな(。・ω・)y-゚゚゚ また『文豪』になりそうだけど(笑)

白龍の導き 満月とセブンスターと竹林の七賢から北斗七星へ

たばこと物書きの不思議・・

これこそまさに『空海の霊場物語シリーズが続いてきた理由』かも知れない

ちなみにこれが真言寺の宝物庫にあった釈迦の姿だってさ(彫が深いね)

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