好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

白龍の導き 天地人を繋ぐ 命運を握る龍(流)=ニギハヤヒ?

天と地と人という地点を結ぶ愛の流れを繋ぐのは命運を握る龍の巡り…握る、ニギハヤヒ?ニニギノミコト?まさか白龍の導き?

寝起き閃 龍が流の理由

前回、ヨタと与太話が天地想像の仕組みだと観測者と実践者は元々一人という話を完結させた

天地想像 天と¥と人とヨタ(Y)話

それに気づくには、それぞれの地点を繋ぐ巡る意識がないと分からない事
そこを巡るのは、その『立場』という物事を『気遣う愛』があるからと言える

わかりやすく言えば

地球の生命が『空気の中』を生きているように
海底の生命が『水の中』を生きているように

無意識の『恩恵が愛』ではあるがそれは『不変的な流れ』という『循環』によって成り立っている

『空気』がなければ『音の振動が無い』ため『声』を発しても『言葉は目の前の人にすら届く事はない』

この『観点』で意識を巡らせて見れば『新しい視点』が見えるはずだ

ギョテクリテペの遺跡から発掘された石像に『口がない』、ウルトラマンに『口がない』のは

『空気を必要としない』か、元々その環境に『空気がなかった』から『コミュニケーションの仕方』は言葉ではなかった(テレパシー)

しかし、そんな地球に『空気を与えた』事により、あらゆる『空気に適応した進化』が起き、口や鼻による『呼吸器官』が生まれた

そして不死は『寿命』を授かった
『終わり』があるから『新たな始まり』がある循環

別に『進化の話』をしたい分けでは無い
『繋がらない点』に『氣』を巡らして見たら『何と繋がる?』という『繋がりを辿る氣の巡り』が

愛(I・私)という氣の巡り=『龍』
龍は『愛の中を巡る意識』である

それは『誰しもその状態』なんだけど
そういう『捉え方の観点』に『意識が繋がってない』だけ

だから『天地人を繋ぐ』のは当たり前にそこにある『愛の中を巡る龍(意識)』の役目

私は『訳す如来』の流れの龍
私は『直すカムナホビ』の流れの龍

自然にその『流れを繋いでる』と感じるのは、『白龍の導き』が始まってから・・

白龍の導き2 アワの音 から八百比丘尼と空海へ

それで今回もまた白龍の導きだろうなと思ったのは『命運』を握る龍の『握る』という部分

龍

ニギハヤヒ・ニニギノミコト
寿命が始まる天地を繋ぐ存在

千と千尋の物語でも最後までその存在を隠されていた『ハクの名前』

そして何故かここで思い出す雑学(´-`).。oO
なんでもののけ姫の『モロ』が『美輪明宏』だったのか?

実は『大神』と書いて『みわ』と読むらしい
白き山犬=狼=大神=みわ=美輪明宏

…えっと『白繋がり』で思い出しただけ(笑)

さて、私は古事記やそういう古文書の『知識は無い』ので、ニギハヤヒやニニギノミコトについては何をどうしたかなんて詳しくは知らない

なので、知らないならば感じればいい(´^p^`)Σ(゚д゚;)

カタカムナで読み解く ニニギとニギハヤヒ

ニニギの言霊は
次々と圧力の内なるエネルギー

ニギハヤヒの言霊は
圧力の内なるエネルギーが引き合い飽和した根源

なるほど(´・ω・`)これは面白い
ドックンドックン『鼓動』が聞こえるね

圧力の内なるエネルギー〇=器・球
引き合う→← 膨張←→=相反する相対の力の方向
ドックンドックン=『拡縮』を繰り返す『命』

まさに龍が握る『命運の魂』

そうなるとその役目を持つ白龍は

ハクの言霊は引き合い引きよる
パイロンの言霊は勢いよく引き合い伝わる強い空間

なるほど(´・ω・`)

引き合い引きよる場=祈りと願い
勢いよく祈りと願いが引き合い伝わる強い空間

『想念という次元』そのものが『祈りと願い』を繋ぐ『空白』であり

その祈りと願いが『魂を持った命』
役目を持った命=『ニギハヤヒ』

『一人一人』そのものが『ニニギノミコト』なんだ
だからニニギから『神の寿命』が始まるんだ

白龍は人の祈りと願いを繋いで
役目を持った魂一人一人の命の躍動を運ぶ

だから『龍神様に祈る』と『子を宿す』という伝説が『東北には多い』のかもしれない

私は父親不明の傑物という伝説の人物は、どうせ『聖母マリアの処女懐妊』に繋げる為とか、父親は日本人ではなく『行きずりの外人の子種』だろうとか…

『生々しい3次元での性行為』を誤魔化しただけだろうと思っていたけど

これは『法華経の比喩』だったんだ

どの話も『子宝に恵まれない者』は『人事』を尽くして『祈りと願い』を捧げてきた『真面目なのに報われない』というベースがあった

そこに白龍の言霊

引き合い引きよる場 祈りと願い
勢いよく祈りと願いが引き合い伝わる強い空間

まさに『命をお腹にご懐妊』する分けだが
それがニギハヤヒ=『命の躍動』

思ったんだけど(´-`)oO
やはり古代日本は『575』への基準があるのか

カムナホビ
ニギハヤヒ
オオナホビ
オオナムチ
スクナヒコ
イヅノヒメ
サクヤヒメ←コノハナでは無い気がする
イワナヒメ ← イワナガでは無い気がする
セオリヒメ ←セオリツでは無い気がする

『五文字』って音の上がり下がりが『山』でとてもリズミカルかつ言いやすい

実は『君が代』もたった『一文字』抜くだけで
『完璧な57577』の短歌になる

君が代は
千代に八千代に
さざれ石 ←ここで『の』を取る
厳となりて
苔の蒸すまで

これ簡単に言えば
お前らの時代は1000年も8000年も
『細かい事』が色々あるけど
「大きくなれよ、その流れが途切れるまで」

さざれ石『の』厳が着くと『〜の限定』されてしまうので『意味』が変わってしまう

『細石の厳』となると『耐えて護り』になるが『厳となりて』のみだと『一人一人が』という『国民全員へのエール』になる

たった『〜の』をひとつ取るだけで『意味』も『語呂の良さ』も全然違う

作曲家がメロディをつけるのに『一言足したか?』と思うほど『読み言葉』としては余計な蛇足に感じる

〜ヌシシリーズは外来?

オオクニヌシ
コトシロヌシ
オッコトヌシ
カタシロヌシ

なんか語呂悪い…
ヌシの言霊は『抜けた示し』

オオナムチがオオクニヌシ?
次々と奥から核が広がり凝縮するが
次々と奥から引きよった圧力が『抜けた示し』?

ただの『間抜け』か、はたまた『魔抜け』か

『国』譲って『名前だけ』になっちゃった?(笑)
国を『失った後の物語』もあるし『言霊』は意味深だ

なぜなら色々預言じみたゲームを開発するカプコンのモンスターハンターライズ(和風)の中で、今までのモンスターが里に大量に押し寄せてくる百竜夜行という新しい仕組みの中で・・

その大ボスを『ヌシ』と呼んでいる
『外来の侵略者の親玉をヌシ』と呼ぶ(意味深)

こんな感じで『歴史』を知らなくても『エネルギーの役目』をカタカムナで『感じた後』に調べれば見えてくる

カタカムナの信者ではなく感者になる

その流れでニニギノミコトとニギハヤヒも調べで見よう

ニニギノミコト

瓊瓊杵尊(ニニギ) アマテラスの孫にあたる神で、宮崎の高千穂に降臨した天孫降臨伝承は有名。 名は「天地が豊かに賑わう神」を意味し、降臨の際、稲作をこの地上にもたらし、産業における農業の神としての性格面が強い。 このため御神徳には、五穀豊穣や商売繁盛の他、国家安寧、殖産振興などが挙げられる

ふーん(´・ω・`)まずはひとつと…

その名はコノハナノサクヤヒメ。 一目で気に入ったニニギノミコトが使者を立てて求婚すると、 ヒメの父 ・ オオヤマツミノカミは、とても喜んで、姉のイワナガヒメも一緒に結婚させようとしますが、ニニギノミコトは、醜いイワナガヒメを返し、美しいコノハナノサクヤヒメとだけ結婚します。

これがあるから疑わしいのよね

というのもこれは『ヤコブの話』になってくる

ヤコブは親と兄弟を裏切り母の故郷の叔父の元へと逃げその2人の娘と結婚する際に、妹と結婚したかったが姉を押し付けられた…そこまで一緒

イサクの遺作 ヤコブはサタンの隠し子

これは西洋と東洋の違いを主張して争うような考え方に見えて…実は元々、『古事記を語るルーツ』が一緒の『渡来人のシナリオ=都合のいい猿芝居』だったら

だろうね?としか言いようがないノウハウ

能ある鷹派詰めを隠す

能楽と世阿弥とまたインド(牟須)

なぜならこういう『繋がりがあるように見せかける=権威付け』事で『国の乗っ取りや懐柔』がしやすい

「あなたの祖先は実は私達の血筋なので、必然的にこの土地の権利は私たちのものです」と

侵略者が言い張る
盗人猛々しい歴史の改竄

『西からきた秦氏』はそれを『手段』として用いてきたから、信用出来ない(´・ω・`)

つまりニニギノミコト=ヤコブと繋がる話は『ミスリード』、いくら古い文献を追った所で、その『古くからずっと騙されて来た』のでは『歴史を追う限り騙される』ことになる

だから『今を見る必要』がある

今を見れば分かるだろう?
『京を移す遷都』するもの達は天皇守護の八咫烏

北京→南京→東京→西京
『古事記』をルーツに『転々』とする『乞食』

では『本当のニギハヤヒ』を追う事にする

ニギハヤヒの正体は明確ではないのだが、『日本書紀』や古代神社の伝承などを総合的に考えると、出雲系の王であったことはほぼ間違いないだろう。 このニギハヤヒの子孫が物部氏であるということは、実は物部氏自身が最初に畿内強力な勢力を確立した王であったと考えることもできるのである。

だろうと思った(´^p^`)出雲だよね

だってもうニギハヤヒの言霊の圧力の内なるエネルギー引き合い飽和する根源というのが

イズム(根源)でありリズム(躍動)

そうなるとイヅノヒメも
『イヅモヒメ』だと思うんだよね

そうなると

カムナホビ
オオナホビ
イヅモヒメ

これすなわち

オオナムチ
スクナヒコ
スセリヒメ

やはり『五文字三位一体』の『音の三神のバランス』も整う。そういえば、音のさんしんと書いて三線。中国で生まれた三弦という楽器が琉球(沖縄)に伝わって生まれた弦楽器

そんでもって北は津軽にあるのが『三味線』、これ『偶然』でしょうかね?実は三味線に関することわざがありまして・・

三線をひく

相手の言うことに適当に調子を合わせて応対する。 また、あらぬ事を言って、ごまかす。 さみせんをひく

これ『どっち』なんだろうね?と思うのが『陰旋法』というヨナ(4.7音)抜きの北の三味線

陰旋法から繋がる和のルーツ『ねぶた』

その『ヨナ』っていうのも『預言のイザヤ書』に出てくる『災いの象徴』となっている『九官鳥=人の真似して話す鳥=中国人』をさす事を考えると・・?

『三線を弾く』のは『南からの渡来してきた南蛮人』という事を、日本の古くから『北の地域に根付いた風土』として『音』ですら受け入れられん!と『先人達が波長の波動で守護』してきてくれていたという訳です

そもそも『三位一体』なのに『音の長さが違う』ってどうよ?っていう『違和感』が強かったのは、元々、『韻』を大切にしているのはどこ行った?(゜Д゜≡゜Д゜)?『文化破壊』も甚だしい

3は111 平坦
5は212 山なり
7は313 山なり
9は414・333 平坦

必ず間に『1』が入って釣り合うが、9まで行ったらみんな『3で平等』・・やはり『39』は不思議だ…

11は515 山なり
13は616 山なり
15は717 山なり
17は818 山なり
19は919 山なり

でもこれは、10以上が蛇足の証明
11は2
13は4
15は6
17は8
19は10

桁違いのヨタ話に水増ししなくても『人』を理解するのには『一桁』で十分である

これはこれで『掘り下げたい法則』だが・・

↓↓↓ニギハヤヒに戻す

ニニギノミコトから寿命が始まった?

面白い考察を見つけた

古事記』 [上の巻] 18 天つ神に寿命が設定された瞬間 | ‘ものがたり’散策

「私が二人の娘を並べて差し出したのは、イシナガヒメを側において頂けたのなら、天つ神の命は、雪が降り風が吹いたとしても、常に石のように変わらず動きませぬようにとの思いで、また、コノハナサクヤビメを側において頂けたのなら、天つ神が木の花が咲くように栄えますようにと、願をかけて送り出したのであって、イシナガヒメだけを返されたのであれば、今後天つ神の命は、桜の花のようにもろくはかないものになるでしょう

これ以来、今に至るまで、天皇の命には寿命が与えられ、限りあるものとなりました。

まぁ結局は比喩なんですよ┐(´-д-`)┌

願いと祈りに名前をつけた
コノハナサクヤもイワナガヒメも比喩

イワナがヒメっていうのは『イワナ』も『ヒメマス』も『伝説』に入ってる『風土が北』にあるんだよね

カタカムナ65首 イワナ(岩魚)ガヒメ(姫)

神の孫であるはずの『天皇に寿命』がついて『人になった神』という『権威付するストーリーの為』の礎の『伏線で出てきたに過ぎない2人』

物語の主役は天皇

さらに『この話のモデルはインドネシア』にもあるようで、もはや『節操がない模倣パターン』というより『テンプレの十八番ネタ』

という事は『ヤコブの夢』もまた共通している

ヤコブな場合、『父の権威を兄弟から騙し取って逃げてる所』から始まっているので、それがこの話に見えてくると…

話は『高句麗』あたりまで戻り『新羅や百済』という既に無くなった『天津国の逃げてきた亡国血筋の始まり』になっていくが…それも前回の白龍の導きで辿ってきたから分かる

白龍の導き 満月とセブンスターと竹林の七賢から北斗七星へ

結局は『移民に権威をつける為』の説話
『虎の威を借る狐』『ハク』をつける

箔をつける

より高い値打ちや評価がついた状態になる、貫禄が増す

泊をつける

舟をとめておく。岸につく。また、その場所。とまる。とめる。ふなどまり

兄弟姉妹の最年長者。長兄

なんだろうね…

白に人をつける 伯 伯爵 →権威をつけ
白に水の流れをつけて 泊 → その場所をキープ
白に竹と水の流れをつけて→高い値打ちや貫禄を見せる

虎の威を借る『狐』ってのがそもそも
ミトラ=水虎=推古の『模倣のキリスト教』

推古とは
調べて『昔の事柄』をおしはかること
『古き知恵』を大切にする『温故知新』

そうやって『他人のふんどしの権威』で『箔』つけて、まるで動物が立ち上がって大きく背伸びして『威嚇』するように書かれた『節操がない十八番ネタの古事記』

私には元々、『神話オタクの霊』が取り憑いて、それを『自動書記』と偽り書かせた『利己的な権威を持たせる話』にしか思えない

当然、それを『盲信』して進む先には、『神オタクの霊達の元へと連れていかれる』のだろうけど…元々が『権威付けの天皇崇拝』から始まる世界は結局『元の木阿彌』に戻るだけ

いったんよくなったものが、再びもとの状態に戻ること

『一旦は良くなる』んだよ

黙阿弥=黙る阿弥=争いがおさまる
陀仏が必要ない=崩れない、悟る必要がない

そういう『箔流の流れ』もあるらしいが、それは最後は『黒龍=酷な流れ』『末世が待ってまっせ』の繰り返しの『輪廻の理念』

だから値打ちや貫禄とか顕示欲の格差を見せる必要のない、ただの白

白・しろの言霊は『示す空間』
『色んな流れ』があるんだよと

どこにでも『ニギハヤヒ(命)』は『顕現』出来るんだよ(๑•̀ㅂ•́)و✧

ニギハヤヒとは『意志氣の自在感』の事であり
『その場所』に『目的を持って生まれたい』と願う

その『天地想像』でそれを『体験する地点(愛・I・私)』が生まれ、それを体験する『ニギハヤヒ(命・意識)』を『龍』が運ぶ

白龍が握る命運の魂=ニギハヤヒ
それは『人の宿業を持った命』であり『魂』なんだ

そして白龍の言霊を読むとそのまま
引き合い引きより離れ自然に湧き出て生まれる

『天』から降りた『白き王』=『天皇』とは『人の事』
『点(占う心)』は『人の意識』として『命運』を握った『白き流れを観測』している

『観測者』と『実践者』を繋ぐ
『天地を繋ぐ』は『白龍=人』で
その白龍の中身が『魂と命のニギハヤヒ』

なんか『天地人の三位一体』は
観測者意識・実践者の魂・命の流れ

こういう事なんかな〜と

いずれにせよ『575』のリズムのイズム
『龍』は『出雲』より湧き出るエネルギー

うーむ(´-`)oO毎回最近、答えが完璧にわかった後に『一回消される』っていう寝覚めのルーティンが起きて

まさに観測者の意志を聞かされる?
観測後の結果が頭に残る?
→からの『結果に至る体験』をするシンクロニシティ

そういう事だったのかΣ(゚д゚;)の急がばまわれパターン

『答え』が入った『引き出しを開ける鍵』を探して

…この工程いる?暇を持て余した神々の遊びか?『閃きの勘』が鈍らないように『日々トレーニング』か?…って考えた時にまたこれも白龍だわ(´-`)oOと思った理由が

白龍はたまに『海で魚に化けて泳いでる』という設定がある

まさかな〜、真魚〜?←空海(幼名)じゃねーか

さかな の言霊は
遮る力の核

まるで『力の封印』
『記憶』を忘れて『遊んでる』のかな

結論を言えば、あなたも私もニギハヤヒ
目的をもってこの場所=『今』に生まれる為に運ばれた役割を持った意識

感覚的量子論5 質量を持つ事を選んだ素粒子=意識

『一人ひとりには大事なお役目』がある事を『思いだして』くだされよ?

365=弥勒後の世界 神は日本人の中にいる(天岩戸)

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