カタカムナ研究を振り返ったきっかけのボヤキ、しっくりきてさっぱりしてせいせいした、で全てが説明できるお話
私にとってのカタカムナ
何だか生霊と話すように1人で目を閉じて勝手に出てくる言葉を聞いていた
私にとってのカタカムナは、楢崎皐月の書き記したメモを現代の50音の日本語のあ〜んに落とし込み、その1音ずつに日本人ならわかる言葉に当てはめて、それを世に広めてくれた『吉野信子さんの書籍』に出会ったことが始まりだった
きっかけは
敵意の言霊から戦争に繋がるロジックを読んで納得した事
敵意 循環放射するエネルギーの伝わり
喧嘩 強く全力で放出する力
争い 感情の場が外れて伝わり
戦争 強く引き受け外れて生まれる
言霊で読むとこうで、それを『自分なりの解釈』に当てはめて考えた
初めはつまらないいざこざ
そこからやった、やってないの水掛け二元論
ついには血みどろの殴り合い
そのエネルギーが新たな敵意として広がり周りに飛び火していく
そこまで行けば当の本人達が和解した所で、喧嘩の理由も争いの引き金も、もはや違うものになって止められない
だから敵意を向けない事
喧嘩や争いに『なる前に止める事』
それを『自制する心』を持つ事が解決策
敵意を向けてくる相手を『赦す事』
許す=許可するではなく
赦す=相手の気持ちを受け止める
それが戦わずして敵意をおさめる最適なロジックと考えて『実践』した時、『言霊の解釈』としてしっくりきた
だから納得した
これは『私の指標』にしようと
だけどカタカムナの『信者』ではないので、それを『現代に生み出した人へ尽くす』とかそういう感覚は無い
ならば『生み出した苦労』が報われず、『ただ利用されているだけで損』じゃないか!(`Д´)ノ)罒`)
と、感じる人はわかってない
目先の得より『徳』を見ろ
損して『徳』取れ
例えば、アーティストが『作詞作曲』したらJASRACと言う『利益分配の仕組み』に登録する事によって、歌を利用したり、カラオケで歌われたりすると『印税が入るという仕組み』を想像してみよう
すると、『現実ではお金と言う力』が集まるだろう
これと同じで、『現代カタカムナ解釈』という形で吉野信子さんという『役目』を担った存在の元には、その『現代語解釈のカタカムナ』を使って、人を納得させて人を喜ばせ、人を元気づけるという使い方をした人達がいたら
それは全て、その『現代解釈を生み出してくれた人の人徳』になる。『その人が生み出した言葉の法則』から『人徳者が産まれる』
良い意味での『貢献のネズミ講』
黙っていても『人徳』が貯まる
ま、流行りに飛びつく『インフルエンサー』に利用されれば、『逆』もあるけどね( ̄▽ ̄;)『人気=業』が貯まる
少なくとも私は『ライセンス契約』など必要のない形の経典として『誰でも読める書籍』として発売された本から、『現代解釈カタカムナへ感応』したから、信者ではなく『感者』であり
この現代語解釈が『あって良かった』
これに『出逢えた事が人生の指標』となると『感謝』を感じている
だから私がカタカムナ解釈で『どこかの誰かの気持ちを軽くするライトワーク』をすると、それは全て、巡り巡って、吉野信子→楢崎皐月→蘆屋道満→???→???と『カタカムナのルーツへの徳の貢献』になる
誰のものでもない『エネルギーの循環の一部』になっている
それがわかって
しっくりきて
さっぱりして
せいせいした
日本語では『一連の流れ』で意味が伝わるが、これもカタカムナ現代語解釈で言霊を読むと『全て連鎖のエネルギーロジック』になっている
しっくりきて
示しが自然に集まって引きよって離れエネルギーが放射循環
さっぱりして
遮りが自然に集まって勢いよく引き合い離れ示しが循環
せいせいした
次々と責任の伝わりの示しが分かれる
しっくりくる…とは、何か『元』があるけど、『何か足りない状態』に『ちょうど合う』事
さっぱりとは何かが『停滞している状態』が『改善』される事
せいせいするとは、何か『重い状態』から『軽く楽』になる事
『欠けたパズルのピース』がカチッとハマって、やっと『解決』した
だから
しっくり、さっぱり、せいせい…なんだけど、ここからが現代カタカムナと現代を生きている自分の独自ロジックの知恵への応用解釈
感じる漢字のカタカムナ
せいせいは『精製』とも『生成』とも『清々』とも同音異義語の『漢字』によって『解釈』が分かれる
示しが分かれる=〜した
これはそうなる因果
因 パズルのビーズがはまるまで
果 完成した物は何?
それは『果てから結ぶ=結果』
『精製』なら
各種物質の単体を100%又はそれに近い純度に、また必要とする物質を含む混合物から目的の物質を単一で純度が高い純物質にする技術・操作・工程のことを総じて、精製と呼びます
『生成』なら
ものが生じて形を現すこと。また、ものを(まとまった形に)生ずること
『清々』なら
気分がさっぱりと晴れやかになる様子
こんな風に『元々のエネルギーの捉え方』が『現代カタカムナ解釈』でしっくりきてさっぱりするまでの『過程』
ここまで『導いてくれる指標』があるから、結果の『せいせい』が『人によって変わる』
私は『漢字に縁』があるようで、漢字の成り立ちにも『深いエネルギーの渦(語られない歴史)』があると感じて、『精製』からの『生成』をしている
それはおそらく『清々して納得出来ない』ほど、この現実に溢れて蔓延している『情報や知識』というのは『紛い物の不純物』だらけ
だから『現代解釈カタカムナ』を使って、『エネルギーの流れ』に沿って動いてる『純度の高い精製』をしようとしている
その辺にある『人の文献』として固まった『使用済み核分裂カタカムナ情報の再利用エネルギー』ではなく、その『純度100%のカタカムナ』を感じてみたい
そう、信者じゃなくて『感者』なんで(笑)
それでなんとなくわかった事がある
カタカムナが何故か『80枚で面(二次元)』なのか
それは『MRIの断面図』のような動いてない『時の一面』を切り取った『積層造形』だと言うこと
これはあくまでも私の独自のカタカムナ解釈だが、『夢の中で見たカタカムナカード』の記号配列か文字の読みが、今現代のカタカムナカードと「若干違うぞ?」という『違和感』を感じた事
夢だから記憶が曖昧…と自分でも考えたくなるが、そうじゃない角度からも『仮説』として繋がる事がある
並行世界の同時並列処理
私はついこの間、『平清盛の遺物』を夢の中で、睡眠中にサイコメトリーをして『死因を追体験』している経験をした
この時、寝る時に『額に読み取り対象を載せるという工程』が、この『現代の私も無意識にやっている独自のカタカムナ研究方法』であるという事がリンクした
という事は、同じような『体感で学んでいる並行世界が存在する』となると、それぞれが『違う体験や経験』を積んでいる事になる
それがカタカムナは『次元をまたいだ立体構造』であり、それぞれの次元にはMRIのように『二次元に輪切りしたカタカムナ』しかない
本当に次元をまたいで『立体的な動くカタカムナのエネルギー』の流れを把握するには、全部の次元の自分の『意識が学びを融合』しないと完成しないだろうけど
『ちょっとずつ違うカタカムナ』を、それぞれ別の次元の自分達が、『同時並列処理して研究している』という構図は
まさに『分散型コンピューティング』であり、全ての次元を繋ぐ『愛』とは『デジタル』に思えてくる
分散コンピューティングとは、ネットワークを介して通信を行いながら、複数のコンピューターで同時並行的に処理を行う方法です。 処理を取りまとめるコンピューターが、処理を実行するコンピューターに指示を出して演算処理を行います
私は以前、別次元の私の心が融合してくるアンカーになる為に『精神修行』をしていると感じた事があった
物理的には『移行や連携』は不可能でも、『粒子の粒』のような『光の媒体にコード化』されれば『量子的シフトや核融合』は可能
と、思わせるような夢として、私の意識が『古代種としてサルベージ』されたりもしているから
それを考えると、世界や次元が滅びようとも、そこに『光(粒子)』がある限りそれは続いている。『カタカムナの断片の流れ』を追っている誰かが、『必要な経験値として私の意識を回収』したら・・
その世界から見て遥か過去に滅んだ空間に存在していた意識
=今の私たちが遠い過去に滅んだと言っている光年の星の輝きの向こうからという事になる
そうなると、並行次元の『エササニ』もまんざら変な話でもない
『夢』がある話だろ?でも『質量のない光』になれば『距離』は関係ない
科学の領域はまだ浅く、量子の世界の事はわかっていないが
『体験している人』は体験しているけど、ただ『表す言葉』がみつからないだけ
何を言っても『常識にない言葉は存在を否定される法則』だから
その『カタカムナの一部が私』であり、その『次元をまたいでカタカムナの全貌を追う者が私』という意識になって溶け込み、『輪郭や境目なんてものは無い』に等しい事になる
・・何を言いたいかよくわからなくなったけど、結論を言えば、『釈迦を追う者が弥勒』となり、弥勒は『釈迦が予言した未来の私(釈迦)』という話と同様に
カタカムナに『感応して追う者』は、いずれ『カタカムナそのもの』になる
私の中でカタカムナとは『名は体を表す』
つまりは名=意識付け)で体=存在意義の役割が生まれる
『生まれる選択』であり、それは『使命』を持った『素粒子』から始まる
・・そろそろカタカムナ66首行ってみるか(・ω・)/
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