生霊にむけて『独り言で語りだした無意識の内容』を邪魔せずに聞いていたら人はなぜ獣か?の因果がどこから始まるのか?の『納得の説法』でしかなかったお話
生霊に向けた独り言?
私はまるで『誰かそこにいるのか?』と思うレベルで、小声で身振り手振りで諭すような言い回しをしていた(見えてはいない)
私がやっている事を気に食わない?、いわゆる『そういう修行をしてきた人達の生霊』との会話?のようにこんな話をしていたので、独り事に気づいても止めずに聞いていた(ぼけっと)
「君たちは信者を集める環境を設けた。その結果、金銭的に儲が生まれそれを維持する事を正当化した、もう獣だというのは、真理であって心理を逆なでしたつもりはない
真理は非物質領域の普遍的ロジックであり、心理は物質領域の感情の観念だ
もっと観念しなさい」
・・うえぇぇ!?Σ(゚Д゚)と自分の『無意識』を『自我が観測』しただけなのに、なんか『有難い説法』を諭されたような気になった
とはいえ、現世に当てはめるととてもわかりやすい
オンライン・サブスクビジネス
例えば、『宗教を嫌う情報発信者』の人達がいる。しかし、そんな情報発信者たちが好きで『ファン』が集まる
この状態は同じ好みの『仲間が集う』のだから、宗教でもなんでもないが、「ここから先はメンバーシップのサブスクで」とファンの中にも『線引き』の分断を『設ける』
「たった500円だから・・」とかそういう問題でもなく『好きだから見ている』のに「好きならお金払うよね?」という『踏み絵』を設ける
『設ける理由』は様々ある
特典商法、他では味わえないここだけの秘匿、ファンとの交流、スキンシップ等々、本当は『価値なんてない』所に『人為的な付加価値』をつける
これらは「お金を出してでも集まってくれるファンのため」・・という
しかし『一部の閉鎖的に設けた空間』の中には、さらに『ファンから回収』するために『儲けるためのグッズ』による『さらなる分断』を生み出す『特別』が設けられる
そこまで行けば、『一般的には価値のない物』であり『信者』しか喜ばず『信者同士の中でしか価値感の共有』ができない、『信者』を食い物に『味』をしめた『儲け』になっていく
『商売として利益』が出始めたら、それを『維持』しつつ『より儲けよう』と『新規ファンの獲得』に力を入れて『拡大』していく
それは『もう獣(666)』の金銭マーケットを生きる『弱肉強食の人間性』に墜ちている。『分断、差別、隔離』による『設け』を考え出したら、『信者』を食らい『儲け』に味をしめた『もう獣』
信者とは不安(ファン)である
『自分の人生』という『現実』を生きる事に忙しい者達は『信者』にはならない。『行動』しているという事は『自信』があるから『他人』に興味を示さない
逆説的に言えば『信者』は『自信がなく不安』であるから他人に寄り添う。これは『固定ファン』にも言える事で、そこが『居場所として依存』している
そこにいるという『場所確保のための対価』としてお金を払うのは当然だという考えは、人それぞれの『価値観の見出し方』だが、その『気持ちを利用』して『設ける』という『行動』はそれを『受け止め支え切れる力』が必要だ
そこで、生霊として諭されてた宗教の者達は、いわゆる宗教という『誰かが遺した先人の遺物』という答えがあってもなくても知らなくても成り立つような、誰も確認できない『詐欺みたいなものをベース』にした上で
その知識による権威を威光という傘にして『虎の威を借る狐』でしかなく
「で?文句をつけるのはいっちょ前だが、そんな生臭い、生半可な生霊飛ばしといて、どの口がそれをほざくのだ?『修行者』なら自分の『今の心』を『観』て『恥』を知れ。それは『心理』であって『真理』と矛盾しているぞ?」
そんなぐうの音も出ない『論破で生霊返し』ってできるんかーい!Σ(゚Д゚)と(笑)
前もそんな説法あったからこれ二度目ww
私は思うんですよね
一時、私の事を『師匠』と持ち上げて、書く事を一生懸命「理解はできないけど、頑張って頭に叩き込みます!」と慕ってくれた人がいたのだけど『弟子とかいらん』と心の底から感じた事がありました
それは、『一時の共感』はあっても、徐々に『ズレ』が生じる
それは当然な話で、私は『体感』という『経験のフィートバックをレポート』しているが、それを読んで『疑似的に体感した気になっている人』では、積み重ねていく経験で起きる『相乗効果』の『気づきによる閃き』が起きない
『閃き』が起きた時点で、『今までの自分』は『過去』として興味がなくなり、『次の次元へと意識がシフト』していくが、その時、「弟子を置いていけない・・」という『心理に囚われる』と『自らの成長の機会(真理)』を失う
心理(人情)を選ぶと真理(ロジック)は遠ざかる
その『一人に意識が囚われるジレンマ』は相当なストレスだったのか・・心の奥から『甘い自分』と『足を引っ張ると感じた他者への怒り』が傷つける『言葉』や『文字』となって飛び出た経験も、今となっては『真理を優先した結果』と分かる
DNAを侵食しようとしたDNA(逆転写mRNA)を攻撃して、その汚染された細胞の一部を切り離した
そういう意味では、大量の『ファン(不安)』を抱える
それも『定期的搾取』の『金で囲い込む』ってのはねぇ・・
想像もできないほど恐ろしい業 だと思う
何が恐ろしいか?儲けるために設けた土台の『底が抜けないか?』って話
イナバ物置のキャッチフレーズは「100人乗っても大丈夫!」
これは伝統や文化に裏付けされた『自信』があるから『成り立つ』
そこに集まるのはファン(不安)な信者ではなく『安心の信頼』
でも『土台が弱い』のに『大量に信者』を抱えたらどうなる?って話
その『中身がよくわからない不安(ファン)が一気に暴走』するんだぞ?と
点々と『居場所』を変えて逃げても『不安(ファン)』はついてくるよね?
『やってる行動の先』に何が待ち構えているか?
それは『自ら作り出した不安(ファン)』という事だ
薄っぺらい大量のファンだろうと、親密な一人の弟子だろうと、いずれは遺して先に逝く事になる。それが『不安の種』という真理
なんで『卒業したはずの先輩』たちが『後輩の面倒』見なきゃいけないか?そりゃやっぱり残してきた『弟子』という『ファン』という『信者』が『依存して帰依して縋り付く場所』を探して『居場所を特定』しようと『不安になってる』からだろう?
弥勒は『いつ』降りてくんの?『どこ』に降りてくんの?
壮大な『不安を抱えた宗教ファンの大暴走』そのものが『混沌』だと気付かない
後輩が『荒廃』しちゃってるから前に進めなくなる┐(´д`)┌ヤレヤレ
だから『鬼』となって共感する意識に『教官(使者=死者)』として現る
生霊?生意気吐いてんじゃねーよ(# ゚Д゚)あぁん?Σ(゚Д゚)
生霊?が説法で引き下がった?と感じたのは、たぶん、素直に説法きいて『観念』したんだと思います
そして人の振り見て我が振り直せと『私自身』を振り返ってみたら、そもそも『不安な信者』もいないから『設ける』事もなく『儲ける』事もなく
もう獣(人間性)でもなく
だから、その先にいる目には見えないし、聞こえないし、触れない(たまに?謎に頭ひっぱたかれる感覚はある( ‘д’⊂彡☆))Д´) パーン)、何か見えない真理(ロジック)の精神性の領域が『共存』しているような・・
そんな『守護』がぼぅっとして氣を抜いてる私を『生霊から護ってくれてる』のだなと、そんな『不思議な体験』をレポートしてみました
ちなみに上記の『設け者=儲け者=もう獣』というロジックは何にでも当てはまる真理なので、分断、差別、区別、線引き、条件、契約、同意、あらゆる所に潜んでいる『渦』のような波動が重いエネルギー
だから『陰謀』というカタチがないものは『渦巻く』というのだろう
複数の組織や国家などによるたくらみが複雑に行われているさま陰謀の渦巻く ・ 陰謀が入り乱れる ・ 謀略の渦巻く
君子危うきに近寄らず は『目に見える物』が全てじゃない
『知識・常識』で考えるのではなく『体感』で感じるのじゃ~(゚∀゚)アヒャ
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