好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

裏カタカムナ 調和に疑問を感じ和を見出す

調和を求める限り和にならない?を暗中模索した結果、カタカムナには次元を超えた裏カタカムナがあると気づいたお話

調和への疑問…

願いは願っている内は
『願っている事』が『叶っている』

だから願う事を『手放す』必要がある

…と、同じように

調和を求め、『和を持って尊しとなす』為には
調和を『調べを続ける』限り『和と言う終息が無い』から

調和を求めるなら
『和を調べる事』を止めないといけない?

これは量子的観測の観点で言えば

量子の波の『観測を続ける』限りずっと『因果の間』に意識があり『量子の変化はない』が

『観測を止める事』で量子は『束縛から解放されて自由』になる

つまりこう言う事

考えるな、感じろ

考える=『調べる』
感じる=『和』

カタカムナで調和の言霊は
凝縮して生まれる『調和』

はい、これは『二重構造』

『同調圧力』や『世間体』に合わせる
『言う周りへの和』という自然というより『不自然』

そもそも 『わ』 一言で調和

津軽弁で『わ=自分』
私は和+足し、渡し

「わは・・こう思う」=自己完結
「私は・・」=相手に意志表示(反応(足し)を求める)

『丁寧語』にするという事は相手への配慮であり『添える』という事
つまり何かを『足して』いる

…これはカタカムナの『わの解釈』が
そもそもが 『無の中の意識』でされてるから

『無の中』の言う周りの和
『集合的無意識に合わせる観点』なんだろう

私は 和 という漢字が
『禾(いね)の口(ろ)』であり『かず』という読みだと

いね=伝わり充ちる
かず=『力の内側に進む』 となるので

『伝わり充ちる力の内側に進む』という事は『己の心』
『調和=言う周り』とは『逆』に感じる

『なごむ』 の場合でも
核の『内側に転がり入り』広がる
核から『転がり出て』広がる

調和→『凝縮』して生まれる『言う周り』に合わせる
和→伝わり充ちる力の内側に進むor核から転がり出て伝わり充ちる力の内側に進み広がる

調和が『無の中の意識に凝縮』する=『集合的無意識』
和は『無の為』の方向に進む=『無為自然』

この瞬間から私のカタカムナは
『調和という集合的無意識』から外れ

『無為自然の和』という『裏カタカムナ』になったかもしれない

カタカムナの わ の解釈が
調和(無の中)/和(無為自然) になった事で

他のカタカムナの解釈も、おそらく
無の中/無為自然で『次元を超えた解釈』が出来るかもしれない

ちょっとだけやってみよう

無の中の意識/無の為の自然の意識


命・感情/阿字観=閃 ・亜空間(有るけど気づかない)

これは『感情』というエネルギーは『亜空間に共振』する事によって感情に飲まれ、『人生の主役』になってしまい、周りの人はその『脇役になる』という

主役=感情に飲まれ『空気読めない』
脇役=主役の感情へ調和し『空気を読む』

無の為の恩恵を与える預言者が創りし『感情ドラマシステム』

ソロモン(一人門)の瞑究 その6 感情ドラマシステム

それは『亜空間からの感情というエネルギー』『無の中』で発動すると『命(命題)』にもなる

主役は感情の他に、主役だからこその『主観』によって自分に降りかかる問題を『奇跡のように達成』していく『主人公の閃』が降りてきて

脇役は『調和してる』からこその、ありえない奇跡のような結果に『困惑して感情の波』が生まれ『感動』したり、『憧れ』たり、『妬む』など

影響をうけてまた『役目』が変わる『無意識の波動に調和』する

これが、阿字観→阿羅漢
あ〜ら間の死後(45)の世界
羅+間=ラプラスの間=因果律を超えた

『無の為』という『自然』から
『無の中』の何でも有りの『空間』に
『亜空間』から流れ込んでいる

『あ =始まりの音』というエネルギー
『命(命題・閃)』であり『感情(亜空間の介入)』

これは『裏カタカムナの最初』になっていたんだΣ(゚д゚;)ソロモン(一人門)の瞑究・改め…『裏カタカムナ』なんだ

『無の中』の『集合的無意識』を読み解く
カタカムナの『感者』としてやってきた取り組み

カタカムナの信者ではなく感者になる

カタカムナ79首まで行って、ホツマツタヱへと向きが変わり

カタカムナ79首 NARUTOに導かれた理由に納悳だってばよ!

それは『草場の陰』に身を潜める『虫の魂への共鳴』が、『忍・偲の術=朮の行い』と気づき

ホツマツタヱは虫の知らせ 葉隠れ草の根は心=地球が鍵…

有るけど『気づかない間』
その『間の朮行』=『術』

『間術=マノスベ』が
魔の術=『麻鬼の魂』へと向き
魔女とは『麻鬼女=マキナ』
魔王とは麻鬼王=マギ王=預言者の王ソロモン

カタカムナ1首のマノスベシ
これが『魔術士』を示していた

つまりカタカムナとは『言霊の魔術=麻鬼・朮行=草葉の陰・葉隠れ忍道入門』だったという事

私は今までの『感じるままのカタカムナの意識の旅』の多くは、『無の中の集合的無意識(思い込みの概念)』ではなく、『無為自然の亜空間の夢体験』ばかりだったから

『唯一無二のカタカムナの体感』をしてきたのだろう

唯一 あ
無二 い

愛・I(私)・相似・相対を巡るカタカムナ

人を愛して学ぶ相対性から生まれる太陽同一性理論

そこには『真我』以外は一切『無常』

常に『無為自然の真』が
無の中の『亜空間』に 『あ』を投影し
その亜空間の中で 『い』を示してきた

真→閃(阿字観)と導き(阿羅漢)
我→命(命題)と感情(主役の主観)

これが『因果律のラプラスの間』という『無の為』に与える『自然のエネルギーの循環』

無の中に『夢=愛』を与えていた
だから無の中で『心に素直』になると『愛が溢れてシンクロニシティ』が起きていた

その瞬間、『心』重ねて
『真我』が一心一体となり『無為自然』となる

まるで「現実が夢のようだ…」と感じる
その『達成感の心地良さ』は…

それはこの『無の中』から出て
次元のステージが『無為自然』に至った時

それを『常に意識』して感じられる『常識』になる

私は夢の中で何度か『悪意を感じない世界』を体験した事がある

その世界は自分が『悪意や敵意、疑問や疑惑を反映』させない限り、どこまでも遠くへ自由に旅をしたい!と思うほど『波動が軽い世界』だった

例えば直近でもこんな夢を見ている

別世界を視察(遊ぶ)する使節団の一人の夢

その波動が軽い世界から目が覚めた『現実の波動が重く感じた』…という『差異』がある

その『精神の肌感覚』があるから
『違和感』を感じて言霊の『差取り』ができる

言葉に『格差の意味』がつけられている
それが『レッテルによる封印』

そのまま『鵜呑み』にすれば『偏見』が生まれ、『偏った思想』『間違い』を生み出し、その間違いを放置すれば、『無意識の中』『嘘が蔓延』する

目に見えないが、それが『蔓延している空間で感じる波動は重い』から、その空間には気づいてないけど

「嘘や間違いが有る亜空間があるぞ?」と
『不気味の谷現象』のように『心無さ』を感じる

そんな『亜空間』を探して『亜空間払い』をする
それが『魔術』であり『間術』でありマノスベ

カタカムナ47首 夢の取り締まり?

だからカタカムナの中でアシアトウアン=蘆屋道満は『安倍晴明=陰陽師』は『式神を悪用』していると『間術封じ=嘘を暴く』をしたんだろう

人相と憑依と陰陽師とカタカムナ(番外編)

『鬼役』を呼び出し『悪さ』させ鬼役を『隠して手柄』にする
『怒りの矛先を責任転嫁』もできる一石二鳥

=自作自演の舞台演劇
そう言う『式紙=台本・脚本』

その行き着く先が『神を演じる芸能(エンタメ)』『紙を操る書物(メディア・宗教)』
華やかで軽やかな表の『裏の闇は重い』

これが『無の中』で蔓延した『嘘』
無の中では『何でも有りの力』だが…

それは『無の為』に与えられた『恩恵』
『無為自然』からすれば、『無』とは『欲望を叶える空間』

無為自然ではない『禁忌の空間』であり『自由意志の選択』の余白

禁忌とは『とどめるの己の心』
己の心をとどめると『無(欲望)を気にしない』

そんな『無の中にいる』という事は…

『自然』から離れた『我』として
『禁忌を破った人の間』に堕ちた状態

これが『自覚』できてれば…の自覚もまた重要な『意味の違い』がある

禁忌を破った人間=アダムとイブの神話=『人は始祖の原罪を背負ってる』と『自』を覚えていれば

それは『集合的無意識の中に調和』してしまう

『自ら禁忌』に触れ、『無の為』に無の中に入った『今の意識が自我である』と自我の『出処は自然であると覚えている』

この『自覚』があれば『無為自然に意識』は戻る

感覚的量子論 点(占う心)の星の穴

だから『無の中の宗教や常識=死生観』に囚われてはいけない
『人(概念)』として『口封じ』を認めれば『無意識に囚人』という『望まぬ不自由に同意』して苦しんでしまう

これが『無為自然の自覚で同意』した場合、それは『囚人役という主観体験』を望んで『主役』になるという

『有難い体験』ができるからこそ『精神の成長の為の恩恵』に感じて『魂の経験値のひとつ(共同創造)』になる

ソロモン(一人門)の瞑究 その5 魂はクラン(共同体)

さて…ではこう捉えて見ましょう(。-∀-)ニヤリ

『偽宗教に調和』を求める『違和感』を感じて無為自然から『弟子として降臨』して入り込み

「何が間違っているか?」を『主観で体験』しては…

次は『その宗教の対抗とした生まれた宗教の弟子』として無為自然で『降臨』して入り込み

「ここも何が間違っているか?」を『主観で体験』しては…

『それじゃない宗教にも同じ事』を繰り返し、そんな宗教や教えが蔓延して『気持ち悪い調和や同調圧力』が起きているのに

『無宗教』で、『色んな宗教のいいとこ取り』して上手く『バランス』取って『重い波動の影響を受けない存在』がいる

…なんだ?!この種族は?!(゜Д゜≡゜Д゜)

こうやって『達観した精神が育つ受け皿』が、『無の中』『育っている不思議』を体験するべく、無の外の自然から『未知を求める意識』が訪れる

それを宿すから『日本人』は…シュメール=主命入る(語呂)

なう(2025/04/26 04:44:23)

26→積む・詰む・二無
60→無例・無霊・鹿王院
04→推し・霊視
44→獅子・志士・支持
44→獅子・志士・支持
42→死に・質・子に・師に・執
23→罪・積み・詰み

二つと無い詰むを積む
霊視の推し
獅子たる志士を支持
師、子、質への執
罪を積み詰み

これが無の外から見た『The 日本人』
二つと無い詰むを積む

『有り得ない失敗』を生む=『可能性』を広げる

無は『何でも有りのシミュレーション』だから、シミュレーションの『限界突破の想定外』をやらかす事で、『無の可能性』が爆発的に上がる

だから『霊視の推し=自然は注目』している

獅子たる志士を支持

『自由な発想力をどんどん生み出せ!』と恩恵を与える

師から子へ、質の確執

ただそれは『師がやった事』『子が確執=こだわり』が強い

罪を積み詰む
『先人の失敗の尻拭い』の負の遺産の『罪を抱え込み詰む』

…( ・・ )これが日本人の『竜頭蛇尾』

でも、これが『今出てきた』という事は『解釈を変えろ』って事だろう

私はこの『罪を積んで詰む』というのは
魂年齢が『成人期のもの達』の事だろうと思った

幼年期の魂は『宗教や常識に盲信的』で、『力あるものに帰依する』という主役にならないで『脇役に徹する集合的無意識』

若年期の魂は『感情』に流されまくり、『周りを渦巻く欲望に忠実』で、『主役になりたがる』

それもまた『幼年期の脇役』が力あるものの空気を読んで寄ってきて『神輿に担がれる集合的無意識』の出来事

この幼年期と若年期の魂が
『世間体』であり『同調圧力の正体』だから

『ここが常識』として押し付けてくる『概念の調和』というのは、絶対に

『平和』にも『大和』にもならない

理由は簡単で『若年期の主役』は、『幼年期の脇役』を対等には扱わない=『力の格差』を求める

若年期同士は『主役の取り合いのマウント合戦で戦争』になる

その『争い』を止めようと『介入を試みるのが成人期の魂』であり、ここが『The日本人』だと推しの霊視は伝えている

戦の中に入って止める=『武』
それは『獅子の志士』として『支持』を集める

…がしかし、当然、それは『詰むんだよ』

理由は簡単で、『主役と脇役が決まってる舞台演劇』に「ちょっと待ったー!」と『配役にない傍観者』『善悪の正義感(中立)』で舞台演劇を荒らす事になる

『中間』とは、見つける、見出すもの、『見極める境界』であり、そこに『分断の介入』で入り込み、その『間で拮抗』する必要も無い

彼らは『加害者であり被害者という役』を演じたくて『無の中に自ら堕ちた状態』だから『意識』は変えられない

『その業を満足』するまで『修める修業中』
『邪魔』してはいけないのだと

邪魔とは
『牙』を持って『梯子』を降りてきた『麻鬼』
天邪鬼(どっちつかず)

ここで『一切皆苦=1切皆9』と俯瞰になれれば、魂は『老年期』に入り、若年期でも幼年期でも、それを介入しようとして失敗を学ぶ成人期でもない

それら以外=一切無常の…

『我』とはなんぞや?我は『何を求め訴えたり』
『12使途』を使役する『惡魔君』『一+一を支える心』『麻鬼の君』=コロナ=王冠=太陽

『偽=人の為のコロナ(人工)』が登場した時、我は求め訴える

惡魔君

エロヒム、エッサイム・・エロヒム、エッサイム・・

フランスの悪魔学の本に載っていた呪文で恐らくはヘブライ語で、「神よ、悪魔よ」とか「神よ、神達よ」といった感じの魔物への呼びかけの言葉です。
エロイム エッサイム Eloim, Essaim Elo’tm, Essaim (呪文,悪魔学,グリモア) ヨーロッパの神話・民話 :幻想世界神話辞典

『自分自身』がこの『無の中に求めるもの』を探し始める

私はこの老年期の魂になって

いつかやってみたかったけど、やる暇もやる気にもならなかった『精神修行』が無性にやりたくなって始め

それも『周りの情報に合わせる』のではなく『唯一無二の独自の体感論』『結果は自分にフィードバック』して積み重ねていくスタイルで

答えを探したり、応え合わせという調和すら求めないで『孤高の取り組みの期間』があった

今思えば、その孤高の取り組みになる前に、それに『迷いなく打ち込むきっかけ』にもなったのは

『共依存していた親しい人との絶縁』があった

これも『修行を逃げ出しても拠り所や慰める逃げ場ない』という『追い込み』だったのかもしれない(代償として払った?)

その先に『自然にカタカムナ』に出逢った
それまでは全く『存在も知らなかった』
『未知との遭遇』が今に至る

カタカムナはもう日本人の中に根付きつつある

そして、絶縁したはずの『親しい人との関係』も元に戻り、今度は共依存にならず、自然に『適度な距離感』になった

これらの表も裏も『無の中の常識』から出て、『無為自然の意識の感覚』も経験してきた中で

『調和』は『求めるものちゃうわ』
一人和=大和を持って尊しと為す

ヤマト心の帰還 浄化の波動法

無の中の常識=常に諸行無常、万物流転、栄枯盛衰の集合的無意識に『合わせるならば調和』は必要だけど

そこは『応え合わせ』ても常に波打つ振動で安定しない混沌の感情ドラマの空気読んだ『主役と脇役の配役交代輪廻』

だけど『無の外』からの『恩恵』を感じ『無の為の愛の調べ』を感じたなら

『調』はいらない・⌒ ヾ(*´ー`) ポイ
言う周り/周りに言うは必要ない

『和』を持って尊し
『考える』のではなく『感じる』

考えれば『違和感』だが
感じれば『和感』

常識の中では『違和感という言葉』は蔓延していても、『和感という言葉』は使われない

『違うもの』は有るのに
『元になるもの』は無い

だから『有るものを無い=有り得ない=否定』に変えられている

それは集合的無意識が『無の中から出さない為に気づかせない』という事でもあり

それは『没入感』を高めて『VRコンテンツクオリティをあげる』という意味では、『無の中の人の為』でもある訳だから、良いも悪いもない

『和感=無為自然の波動』を感じてそれに『一体感』を覚えた私が何故、また『無の中へ意識の観測を戻す』のか?

それは『違和感を感じたい』からなんだろう

無為自然はいちいち『気にしない波動空間』
『禁忌』すら赦してほっとけ=『仏』

でもそれは『禁忌に触れる』という事は
『それが成長の為に必要』で求めてる『自由意志の選択』なのだから放っておくのも『恩恵』

…(´-`)oO{あ、そう言う事か

『映画13F』の中で覚えていた気になったセリフ

その前に前置きとして

2024年→2020年の仮想世界へ降りると
2024年に仮想世界を作り出した開発者の意識が
2020年の仮想世界の中で1930年の仮想世界を生み出して悪さをしていた

それに気づいて2020年の仮想世界で1930年の仮想世界を閉じ、さらに2020年の仮想世界も閉じようとした時
2024年の現実から『現れた存在』に2020年の『仮想世界のデータの人間』がこう言った

「あんたが元の世界(2024年)に帰っても、この世界(2020年)は消さないで放っておいて欲しい」

早すぎた映画「13F」はこの世の真理を語る

今の私はこれが『無の中』『無の為の外』

『無(仮想)という自由な空間』は『自然の中』に余地として残してくれ

つまり『自然の中に有る』けど『気づかない亜空間』として『無』『可能性の余地』として『無くならない恩赦』を受ける

これが無為自然

例えるならばフラットアース(二画面の中の三次元)

フラットアースはVR 未だ来ない=未来のデジタルツインユートピア(1000年王国)

『VRゴーグルで没入した世界』
無の中は『仮想データ世界』

その中でやってみたい『役割をロールプレイ』して『シミュレーション』をこなす

出れば『気づく』
出るまでは『忘れている(没入感)』

出て『思い出して』も『まだやりたりない』なら戻ってくる

そう言う『無我夢中』

だけど、そこから出る『ログアウト』もまた『無我夢中』

感覚的量子論 無我夢中と向き合えば無為自然に至る

カタカムナ12首 目蓋はこの世はVRを現していた

『入口』は『出口』

何を求め『入ってきたか?』
何を達成すれば『出られるか?』

『出処の自覚』があるか?『自力で目を覚ませる』か?

『無為』になるとは『境界』を持たない事

これは『現実』である
これは『夢』である

(ヾノ・ω・`)チャウャウ

夢も現実である=『夢現』

無の中の人は『無限=限りない虚無』
無為自然は『夢現=夢うつつな朧気』

最後に唐突に裏カタカムナの『続き』が浮かんできた


現象・伝わる/意・夢

あ→阿字観の閃と阿羅漢の導き
=命題と感情の役目

い→夢で意欲が生まれる
=夢記憶の伝わりを求める意欲が現象へ

裏カタカムナは…『想像』ではなく、『体感の体験』のフィードバックで創って行く『精神領域での創造』であり

それは『無為に使う』か『自然になる』か
ま、『創造』できた時点で自然に巡り、それを『無の為に恩恵』として与えれば

無為自然の夢現の『あい』で『無の中』で『生きる事に活かす=生活能力』として『宿す事』はできるのかもしれない

…って書こうとしたら

(´-`)oO{え?レシピ?素材は現地調達?

無の中に無い『念』を生み出す為には、それを『創造に至る修める業』が生まれると?

『知恵の閃』が来ても、それを『知識』として『常に意識=常識』にする為には…

『阿羅漢の導き』がどんなに過酷で険しいとしても『避けては通れない』

(´-`)oO{ま、でも『望んだ』から来るんだろうし

『今の私』という意識が『面倒くさい』と思ったら、『別の私』に変わればいいだけ(。-∀-)そのための『魂はクラン(共同体)』

『老年期』に至るまでの『積み重ねの魂の引き出し』と『仲間たち』

艦隊を指揮する意識の導きの流れ

感覚的量子論11 意識の共存と多重人格と大器晩成

役割を変えてロールプレイの十人十色は実は『一色(一人和)』

『一人和=大和』『御名(無為自然)』の為に

それが『和を持って尊し』という和合

その『無』と『無為自然』の境目が『金輪際=今はの際』なんだろう
大日/金輪、釈迦/金輪の『際』の見極め

大日=大光明=閃光、釈迦=問題に巡り合い解決
金輪=金の輪=金の縁

大日如来のパワーストーンの導き 大胆不敵から金輪際を見極める

時空を超えた呪術繋ぎは授術 封印の中心は大日金輪?

…(´-`)oO{たまに魂が『超越期』に至ってる気もするが

魂の年齢 霊格レベルを調べてみたら・・

とりあえず、裏カタカムナと感じる『音の響き=体験』を見つけたら今後もメモしていこうと思う

追記:先に 裏カタカムナの『に』が来てましたw

裏カタカムナ 逃げるというレッテルの忌を変える

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