ホツマツタヱは虫の知らせ、草の根を分けてでも探せ!と目を付けられる草の者(忍)、根の者(偲)の葉隠れ草の根活動、一寸の虫にも五分の魂、すっからかんの朮(おけら)の行い=術。無一文、全ては無いの中から有が生まれる、襤褸は着てても心は錦。有るのに得ないは『有り得ない』、思考停止は馬鹿野郎!そんな奴は虫が好かんから無視される、地球=心に気づけ!というお話
虫の知らせ=ホツマツタヱ
朮と書いて『オケラ』と読む
朮の行いと書いて『術』となる
まず、その『伝えの術』を知ると、『虫の知らせ』という不思議な体験は『次元・空間』を超えて『与えるきっかけ』に感じる
前回、カタカムナの79首の体験をまとめている最中にそれに気づいて『ホツマツタヱ』にシフトした
私がカタカムナを使う事で、『虫』という形をとって接触してくる者の意識を『夢で体験』していたのだと気づいた。例えば、『蚊が私に見せる夢』は様々な気づきを与えた
今思えば、『水の神として現れた女神』も、大瀧沢神社に身投げした『法華経の伝導者の姫』だったもので
その地の蚊に転生した何かに刺されに行って『法華経に感化された者の血』を与えて、その『魂を受け継ぐ子(蚊)らを生み出す』為に来たのではないか?とすら思う『子作り体験』も変性意識で…(´-`)oO{
そういう意味では
カタカムナで ホツマ の言霊は
引き離し集まった受容
どこかに離れたコミュニティ
ツタヱの言霊は
集まり分かれて届く
コミュニティから届く
コミュニティに届く
『秘匿通信の送受信』とも、『メンバー限定の交流』ともいえる
そのホツマが『虫=ミクロ』な存在、『目に見えない領域』とするならば、かつての『示申=神隠し=夢のような世界を観る』の共通点は、『素直な子供』が多かった
たいていは『神社や森』など『自然の木々の環境は虫のテリトリー』であり、それは人間の及び知らない『ミクロな宇宙の生態系』でもあり、それを素直に受け入れる=『虫に敵意』が無い
興味を持って近づいて『観察』はするが『無視』もしないし『殺す気』もない。それが『虫に伝われば』?と考えた事はあるだろうか?
おそらく私の『ホツマツタヱ=虫との交流』は、この時に始まっていたのだと思う
緑のオーブはレンズの光の反射…と『物理の常識で思考停止』になってくれれば、これほど『姿を擬態』して『目の前にいても怪しまれない事』は無い(笑)
これは例えのひとつだが、実際、私は夢の中で『日常の中』の『当たり前の中に擬態』している『当たり前では無い者を観測』した
このように、実は『身近な物質に擬態』している『五分の魂を持つ虫=精霊』が近くにいるという事を当たり前という『概念的・認知的に無視』するから、有るのに得ない=『有り得ない』と決めつける
その結果、『虫の知らせ(あえての違和感)』に気づかない
これは人間が不必要に『虫』を恐れ、『見つけたら殺す、殺虫、近づけさせない』という構図が
虫が好かない=虫も好かない
そんな『汰(沙汰=争い)食う虫も好きずき』で、『類は友を呼ぶ=人を殺したい存在が寄ってくる』のは自然の摂理の因果応報
『無菌・殺菌・滅菌・除菌』の『対象が人間』になる
『薬(毒)を撒いて大量虐殺』の『対象が人間』になる
『人』が『虫を食い物』にするように虫もまた『人を食い物』にする
「そうなってはいけない!」という『人と自然の共食いの危険を知らせる報せ』を『無視』するから『幸せに反する報い』を受ける
『虫』という漢字は、古来より『様々なことわざ』に使われてきたが、多くは『レッテルの対象』
しかし、それに『気付く』ことが大事
古来より日本人は『虫の鳴き声を心地よい』と感じ、『外来種である外人』には『騒音や耳鳴りのように不快に感じる』という現実への投影を観て
『在来種=虫』が『外来種の外人が住みにくい』ように『日本人の住処を護っている』とも思えないだろうか?
しかしその虫の声を『心地よい』と思わず『心が穏やかにならない日本人』が増えると、土地侵略の外来種の思惑通り、『除草剤』を撒いたり、『芳香剤』を広めたりと
『空気も土地』も『味方が破壊する事に加担している』と感じた虫は…
「虫を見つけたら殺せ!」と『老若男女に教育洗脳』されている『今の自然に優しくない日本人』をどう思うだろうか?
私は人里に紛れて生きる虫に刺されるくらい平気だと『共存の在り方』を模索した1人で、刺されている所を発見しても、殺さないという『殺意を虫に伝えない事』が伝わるとどうだろうか?と思考実験した
『人も敵意を向けない相手や動物』となら『仲良くなろう』と近づくように、『人以外の存在』も人『への恐怖』、あるいは『人が恐怖を感じないで向き合える』ようになれば、『コンタクトをとれる』と思わないだろうか?
ここで虫の知らせとホツマツタヱに繋がるであろうポイントは、やはり
掌を太陽にの歌に言の葉に隠れた草の者(偲)の意志
やなせたかしが作詞した『掌を太陽に』の歌はメロディは別の人が『子供向けの童謡』として創っているが、『詩』として『一文』を読めば、『言の葉隠の草の根活動の虫の知らせ』と言ってもいいだろう
あの詩のポイントは三種類の『虫の名前』
ミミズ、オケラ、アメンボ
これは漢字で読むとこうなる
虫引
螻蛄
飴坊
虫を引く
婁はひく/むなしい 古い
(旧字の食)の台土方
僕ら=人の業は皆生きている
生きているから・・
むなしく古い土台の方(先人達)
皆(人の業)は生きてる友達(先祖供養)なんだ
草の根をかき分けて『観測』しないと気づかない
『一寸の虫にも五分の魂がある』とフォーカスした上で
漢字に置き換えると、「人の業を忘れるな」という戦争反対の『草の根の者からのメッセージ』の継承
ここでさらに術式展開して『朮』を広げると、オケラ=スッカラカン
このスッカラカンが前回まとめた『無一文=素空観』
何も『無い』に全てが『有る』
何も無いから『全て』は産まれる
何にも無いって事、そりゃ何でも有りって事 by hide
そして、これが『阿久間=亜空間』に繋がり、『魔女』!?に繋がっていくという・・お話は、次回の『魔女の秘密』で(笑)
で、そんな無一文という『無』の一文字から『無意識の私』に『夢の一文』を書かせるメッセンジャー
それが『蚊』という『虫文』
『文を届ける方法』というのは古来より様々で、『鳥に括り付けて知らせる』などあるけれど
もっと達観すると『風の便り』、『虫の知らせ』など、万物のあらゆる『生命エネルギーに意識を憑依させる=心転身』・・というのも私は可能ではないか?と思う
虫を殺さない、虫に敵意を向けない、すると、安心した『虫側からコンタクト』
「あっ!Σ(゚Д゚)」って『阿字観』で『閃かせるきっかけ』を与えればいいんだから、蚊がブスッと『媒介してきた意識(メッセンジャー)』を『無意識(RNA)』に入れれば「夢で逢いましょう」が叶う
そして『夢寄りの使者』として、誰にも知られることなく『任務』を与える
これぞ、ホツマツタエという朮の行い=忍び『術』
それは『自然や虫を恩恵』として『偲という氣』が巡らないとダメかもしれない
草の根活動に・・
「草の根を分けてでも探せ!」という相反する思想
言葉が語る『葉隠れ』とは、『一寸の虫にも五分の魂』がある
『朮(おけら)』の行い、『無一文』の役立たず?
『無』という『素空観』から、『有りっ丈の夢の一文』が生まれる
夢が有る言葉=『希望』から『理想=ideal=愛である』
ホツマツタヱは、『虫』から『愛を広げる草の根活動』
『草の者(忍び)』であり『根の者(偲)』の処世術であり
言葉という言葉自体が、『葉』と『根』である(気づかないだろうなw)
根も葉もないって・・それは『言葉じゃない』って事(風説の流布)
『虫』からしたら『人』は『生殺与奪の神』である
『天変地異』をもたらす『絶対神』である
それに『素直に耳を傾けない』という事は
それは人が『神に懇願しても願いは叶わない』と相似する
『人の為だけの都合』で『全体のバランスを破壊』している事に気づかないと、『虫にする事』が『人にも起きる』という『自業自得の因果応報』が起きる
虫は見ているから『気づく人=波長の合う存在に虫の知らせ』を出している。そして、『虫』・・と言っているがこれは正確には『昆虫』という意味ではない( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)何!?
虫を『ただの虫(人間的概念)』だと思いこんでいる事自体が『ブラフ(擬態)』
それはメタファー=隠喩であり、『現実の見た目』がそう見えているが・・
『夢の中』で逢えば、それがどのように見えて、『どんなメッセージ』を持ってくるか?それは『貴方の空間次第』で変わる事なので、決して『思い込み』をしてはいけません
多くの夢は、私の現実的な『体験のフィードバックが反映』されているけれど、そこに『介入する意識』があった時、私は『明晰夢』として『今の私の意識が自由に動ける』ようになる
つまり、夢という『空間の設定を無視』して、『今の心=念』になれるから、『念動力が使える』のかもしれない。それは『介入者』が『共存者』か『敵』か?によって対抗する力がかわる免疫のように・・
夢の中では戦う事も多い=虫が好かない
そういえば、この明晰夢の時、私は『忍び』だった
結局は心で繋がり、その心の強さを示す=志
心=HEARTで 地球=EARTH
『叡智の接続』を『人が変える』だけで、心は地球とシンクロしている
『地球』を変えたければ『人の心』を変える
そんな葉隠れ、草の根活動をしているのは・・『虫』である
虫を介した『宿った意識』である
虫は無視される=有るのに無い=空である
いてもいなくてもいい存在、人には取るに足らない存在
・・と思っているからホつ間の伝えは途切れたのだろう
そもそも自然と人が繋がるためには虫という役目が相棒でなければならない
その小さな『一寸法師』にも役目があるのだと気づく
その一寸の法師の説法に耳を傾けると・・ミクロはマクロ
人類が到達しない『宇宙や量子スピン』などのエネルギーの事を伝えているかもしれないのにね・・
変態的科学者が虫の研究をしたりする事は、はたから見ればマイノリティの異端だろう
しかし、その異端が観ている事こそが、実はその人しか見えていない宇宙を感じる事
ミクロな虫を観る事が、この宇宙法則を知る事になる
と知っている先人が遺したのが一寸法師
一寸の虫にも五分の魂
私はそう感じる
・・さて、ここまで、今日の素空観の寝起き閃きの阿字観(新しい意識の観測)で始まった阿羅漢(導かれし先祖達のタオ)をまとめると・・
ホツマツタヱ
虫の知らせ、葉隠れ、忍び、偲
一寸の虫にも五分の魂
『虫』を介した『文』のコンタクト=意識体のメッセージ
心にダイレクトに地球の振動エネルギーを具現化
という
朮の行い=術・記述
オケラ=無一文・スッカラカン=素空観
襤褸を着てても心は錦=無から有の夢一文
その夢一文が新たな意識の観測の阿字観を産みだし、その先へ阿羅漢が導く
この繰り返しが老子の自然のタオの流れだとしたら、無に還るたびに永遠に新しいループをして夢現に世界の可能性は広がる
だが、その『生み出した全てを楽しむ観点』を持てるのは『一人』だけ
自分が生み出した『三千世界を修める虚空蔵菩薩』である
・・という結論に至ったが
神代文字の時代に、がっつり影響しているか、すでに習合しているのか
法華経というか、釈迦イズムを感じるのが、自然との調和
それは偲=人を思う事
人が人はどうあるべきか?を問う事
その『自己を問い正す姿勢』があれば、耐える事も忍ぶ事もできる
ちなみに今、しのぶと書いて『恕』と出てきた
これは、『相手を思いやって許す』という事であり・・
あぁ、そうか、『虫(自然)』は『人をギリギリ恕状態』なんだろう( ̄▽ ̄;)末世
滅菌・殺菌・無菌・除菌、それて徹底させる為に補助金、支援金を出して
菌を金で攻めるという大量虐殺の禁忌を犯しまくっている人類
『蚊を遺伝子組み換え』し、その『mRNA』を『自然界に媒介させる』というのは・・虫に宿す葉隠れの草の者、根の者の意志を『書き換えて偽』にしてやろうという
ビルゲイツ(傀儡)を操る者達は『自然の虫(菌)が好かない』から『虫を使って共存するべき人を苦しめよう』としてしているのだろう
そういう、『マクロの動き』と『ミクロの動き』は相似しているのだから、ミクロの世界との接し方で人間の未来は変わるともいえる
・・ふむ、この辺はホツマツタヱに戻ってきた感覚はあるな、うんw
やっぱり、この辺か(時代特定)
『精神テクノロジー(自然の法則理解度)』もかなり進んでいるが、それよりも『物質テクノロジーが上回ってしまった』結果、『間違いで滅びた時代観』を感じる
それはおそらく、この世界(空間)の事ではなく、『異空間』の出来事だろう
実は、この『異空間』という考え方をあっさり理解に至ったのが亜空間であり、それが悪魔であり、魔女で説明できてしまう訳で
それについてはまた次回のお楽しみ!
LEAVE A REPLY