れる、られるの『ら抜き言葉』を追ったら言葉に何故『葉』が着くか『laurel』で理解した話
ら 抜き言葉は良くない
と前に指摘された事があったが…
なんで?(´-`)oOと記事を書きながら思った
言葉ではおかしい事になる
逃げれるよ?→逃げられるよ?
やれるよ?→やられるよ?
通れるよ?→通られるよ?
投げれるよ?→投げられるよ?
捨てれるよ?→捨てられるよ?
走れるよ?→走られるよ?
『主観』が『客観』に変わっている\_( ゚ロ゚)ここ重要!
『自分で出来る事』が『先に他人に』されてしまう
もうこの時点で『ら抜き言葉』が正しくて、『らをぶっこむ考え方』が国語的になんか『邪な都合のいい間違いの価値観の押し付け』に感じた
いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことで,話し言葉の世界では昭和初期から現れ,戦後更に増加したものである。
しかし、「ら抜き言葉」は、言葉の「意味の変化」ではなく、日本語の「文法の変化」です。 つまり日本語の根幹をなす枠組みが崩れてしまうということ。 この流れを放置することは、日本語という言語そのものの崩壊につながる危険があるという意見もあります
ら抜き言葉」は話し言葉ではふつうに使えますが、言語の変化にたいして保守的な書き言葉ではまだ違和感があるようで、とくにフォーマルな文章では避けたほうが賢明です。
\_( ゚ロ゚)ここ重要!
『話し言葉』では当たり前
『フォーマルな?礼儀?』とか言う都合で?
らを足したら、相手に『献上語』になる
どうぞ差し上げます的な
俺はやれる(๑•̀ㅂ•́)و✧←勝てる
俺はやられる(๑•̀ㅂ•́)و✧←負けるΣ(゚д゚;)
ダメだろこれ…
れる、られる。なんか他にも『呪術的な狙い』がありそうだな?と思って調べたらドンピシャ
られる=laurelとは
栄誉、名誉〔~に〕栄誉を与える
なるほど、『献上語(くれてやる)』だわ┐(´д`)┌
〜と、仰せられる=栄誉
れる=relとは
相対・根
やれる、通れる、食べれる、走れる・・何か相対する物事への『可能の宣言、根にあるもの』
ちなみに
『lau』は葉っぱ \_( ゚ロ゚)ここ重要!
なので『重要度』で言えば『根』の方が高い
そんな『表層的な都合のいい装飾の価値観(葉)』で個人個人が持ってる『可能(根)』を奪うんじゃないよ…ったく
やれる(๑•̀ㅂ•́)و✧と『根っこで宣言』してる人に口出して「ら抜き言葉はマナー違反だから、らを足しなさい」と語り
や『ら』れる(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)負け宣言
こう『言い換え』させるように指導する
薄っぺらい『葉っぱ理論』
それは『都合にとって正しい礼儀』を教えてやったという『自己満足の栄誉』欲しさのエゴの行動という事になる
だって、人の気持ちを表明する『rel』を『laurel』にして『相手に献上させる』という『すり替え』してんだからね
薄っぺらい『葉っぱ理論』を言う
だから『言の葉』
なんで言葉には『葉』が着くのか分からなかったがこれでスッキリした
私は仮物の『薄っぺらい葉(知識)』はどうでもいい
『根っこの自分』から生まれる=主観的な可能宣言
『rel=根の言霊』を大切にする
寝言は寝て言えは薄っぺらい知識の『言葉』
根言は根で言えは脈々と継がれる『魂の言霊』
そんな、『れる、られるの文法』という書き方よりも、自信を持って『やれる!という可能宣言』を伝える表現が『ら抜き言葉』だと思うので
『社会で間違い』だと指摘されようと、そこに『根からの言霊の力が乗る』のでしっかりと『主観で宣言する事』が大事(๑•̀ㅂ•́)و✧
そもそも、なんで言葉に『葉』がつく?の観点を誰も気にしないから
英語にしたら『葉(lau)』と『根(rel)』が出てくるなんて『簡単な言葉遊び』も気づかない
そもそも、言語、語源、語呂、言語道断、のように
言って語る
語る源
根本、本根
根性、性根
言う性質には『根』がある
恨みや怨恨、根深いという
どこにも『葉』は出てこない
虫食い穴だらけなのが薄っぺらい言の葉
いくらでも『複製のフラクタル』の先のカタチ
だから『言葉』はなぜ生まれた?どうしてそんな『カタチを形成』するのだ?と『創造に至る想像』をして『DNAのルーツ』を『根元の語源』まで辿ると
言葉と言霊の違いがはっきり感じる
自由に閃き描く発想の知恵(変わる波動)と
蓄積されて凝り固まってるパターン知識『フラクタル』は違う
言葉は軽く薄い波
言霊は重く厚い脈動
これも良い悪いではなく『使い分けの適材適所』
周波数の波は高周波になるほど『直進性が強く反射しない』が、低くなればなるほど『反射して歪んで波紋』を生む
わかりやすく例えるなら
高波動の正論=耳が痛い上に曲がらない
低波動の邪念=邪な波紋が広がる
薄っぺらい偽善の言葉は簡単に枯れて火が燃え広がるが(地表の火)
反論しようのない根幹の気持ちの言霊の表明は水を得る(地下の水)
結果、母体の幹までは燃えない
表面的な『葉っぱは目に見える』が
土の中の『根元は見えない』ように
どちらに重きを置くかも『観測者』しだい
って、ら抜き言葉を掘り下げただけで、まさか言葉と言霊の違いに至るとは思わなかった(笑)
そこで最後にこの気づきからまたひとつこの言葉の意味がわかった
根も葉もない
物事の根拠や証拠などが全くないことを意味する表現
LAU(葉)・Rel(根)=ら・れるもない
『主観』も『客観』もないただの『言動・妄言』
それを口から出まかせの『デマ』という
デマの『内容』はもちろん、その『発言』自体も『中身はない』という言葉にすらならない意味のない『妄言』
つまりこれを『口にする人間は存在する意味がない』という事を『自覚』して恥を知ろう
「デマだというなら、これを説明しろ?あれをどう思う?これはどうなんだ?」と『専門家付きの証拠を明示』しても、それを見ざる・言わざる・聞かざるかまして、ただお抱えの御用学者を利用して「デマだ!」といって騒ぐだけ
何も始まらないし、何も終わらない。周りに迷惑をかけるだけの最弱の人下無の中でも最も『存在する忌みを持たない邪魔な語源』
デマの言霊は 内に循環する受容・需要=自己都合
葉切れの悪い『言葉』で説明すらしない妄言・妄動
『言葉』で説明できない事に、デマと使う人は、『れる側』ではなく『られる側』の献上されて当たり前だったから、発言するたびに『良くないカルマが積み重なっている違和感』に気づかないんでしょうね
根も葉もない『デマという語源』はどっから誰が何の目的で造り出した?
そういう目線が、次元を超えていくという事
次元とは『都合のいいルールを妄信した人が一定数いる仮想空間』の事だよ?とアインシュタインもヒントだしてたやん?
おっす、タヌキっち!相変わらずキレが良いネ~!今年もよろしくな!
で、なんかさ、ふとマヒナスターズの【ふられ上手に惚れ上手】っていうクソみたいな歌が浮かんだんだよー、だからどうって訳じゃないんだけど、タヌキっち、よかったら聴いてみて。クソみたいだから~
毎度(/・ω・)/元気そうでなにより、こともよろ ←変化球
聞いた、聞かれたクソだと聞いた
られた時からまた聞いた~
なーんだこれ?なーんだこれ?
平成なのに?昭和歌謡?
歌詞をみながらまた聞いた~
クソかどうかはわからんが、ふと沸いたのが『られた』の繰り返す所だろうなというのはわかったw
ははは♬嘘みたいにどうしようもない曲だよ~、コレ。
「気のどくね~♪気の毒ね~、ほんに貴方は気の毒な方」ってとこが、マジでスゲ~と思わない?
「お前ってクソだな」とか「お前って本当カスだな」とか言われるより「気の毒なかただな!」って言われたとしたら、マジで落ち込みそう。そこがスゲ~くない?
ちなみにマヒナの「惚れたって駄目よ」とかも聴いてみて!ある意味異次元だから((+_+))
わたしの父親がマヒナ好きで。その影響とか、水商売経営の過去があるとかで昭和歌謡が身近なんだ。
マヒナ、ある意味味わい深い~~~きゃ~~~~♪
ははは♬嘘みたいにどうしようもない曲だよ~、コレ。
「気のどくね~♪気の毒ね~、ほんに貴方は気の毒な方」ってとこが、マジでスゲ~と思わない?
「お前ってクソだな」とか「お前って本当カスだな」とか言われるより「気の毒なかただな!」って言われたとしたら、マジで落ち込みそう。そこがスゲ~くない?
ちなみにマヒナの「惚れたって駄目よ」とかも聴いてみて!ある意味異次元だから((+_+))
わたしの父親がマヒナ好きで。その影響とか、水商売経営の過去があるとかで昭和歌謡が身近なんだ。
マヒナ、ある意味味わい深い~~~きゃ~~~~♪