あなたのねがいは何ですか?imagine=im negai=今人の想像は明確ですか?無意識にあなたがしている願い、寗、甯、覬い、覦い、僥い、歛い…忌みが違う、願う行為に隠された7つのエネルギーと八咫烏?!なお話
ねがいの漢字が多すぎる!!
この記事に派生する前に同時に2記事まとめていたのは、神社に新たな真理の探求のヒントを『request』した結果、その想いが叶った『Quest』が発生して、それを心が納悳して腑に落ちるまでの一連の流れ
結果、ねがいは叶って『シンクロニシティ』を感じた今、どういう『ロジック』なんだろうσ( ̄^ ̄)?と『感じる漢字』を探して深堀をした結果…
ねがいは、想像以上に漢字が多かった
願い、願掛け
これが一般的な『常用漢字』だが
『原』に『頁』
原とページ
この組み合わせでは正直、何も感じない・・無理に考えれば原典の項目・・といっても『目次程度』にしか
しかし、ねがう=『行為』であり『行動』
それに対して表現する漢字が他に6つ出てきた
甯=それよりも
寗=どちらかといえば~のほうがよい
僥い=ねがう 求める
歛い=引きしめ集める、取り入れる
覦い=のぞむ。 ねがう。 こいねがう、高望み
覬い=身分不相応なことをもくろみ、うかがう
おそらく私は『歛い』をしているのだろう
『への下』に『一』と『咫』が『欠』けて=足りないを求める
なるほど(´・ω・`)これは面白い発見だ
ここから、『咫』という形象に感じ取った深堀へ導かれていった
八咫烏の真相
咫=あた。 日本の上代の長さの単位。 開いた手の親指の先から中指の先までの長さ。
中指と親指を開くと真ん中に『人差し指』がある
つまり『三本足』になる
八咫烏がなぜ『三本足のシンボル』か?
咫(親指と中指の間)に『人差し指』がある
人差し指=『先導、方向性』を示す
八咫烏が導いたのは『神武天皇』だと言うが…
この言葉の語源は
『への一』の下に『咫』に『欠』けている
への下の『一(位置)』に足りないのは『王』で『全』になる
まだ無き『王』を『先導して導く』から三本足(咫烏=アタガラス)
もしくは・・『亡き月の王=望む』とも捉えられる
烏は『廃墟』→人が滅ぼされた地にいる=『唐巣』と読み解くと、国や主を無くした『故郷を失ったもの』とも捉えられる
咫=『三つの柱=親と薬(自然)』を伝え『人』へ導く唐巣
善悪と中立、その中立の立場をコントロール出来る邪=『全』の横の『金』の知恵でもある
その上の『八』は八代龍王=『法華経の守護龍』と読み取れば『空海が唐から伝来』させた『梵字と密教』のように
『八代龍王(法華経)』+『廃墟となった唐から伝来』し『新たな亡き月の王』を導く存在=預言者=月夜見(裏)
そうか(´・ω・`)だから『八岐大蛇』や『八代龍王』や『八郎太郎』を『悪者』にするという『レッテルの流れ』が『表』なのか
西南から来たのは『咫烏(アタガラス)』は『廃仏毀釈、神仏分離』を進め
東北に来たのは『八咫烏(ヤタガラス)』は『釈迦の教え(丑)と原典(虎)』を根付かせ
『八の守護=法華経』が頭にあるから、『善悪中立の三本足』をさらに『俯瞰から観れる観点』があるんだ
八=8=♾
それは『繰り返しの流れ』を意味し、その繰り返しから『離れた視点=宗教から離れる』で『王=主体性』が生まれる
『歛う』は『咫が先導するべき王』が『欠』けている
つまりはねがうは『望』であり、『亡き月の主を求める』って事
ちなみにこれも途中で気づいたが、こいねがうと書いて変換すると『希う』
つまり希望とは、文字通り『亡き月の主を求める』で正解と言える
だから、Questをrequestするとそれは『主体性』であり、『主が求め引き寄せる体(役割)となる性質』でもあるから
『歛い』=『引きしめ集める、取り入れる』は叶うんだ
これは気持ちを引き締め運命を受け入れる
『歛い=主体性は叶う流れ』が起きる
その過程に『痛みや苦しみ』があったとしても、それは『主が求めた体をなす為に起きる事=業』であり、『ゴール』ありきで『逆算で創り出される量子的なシミュレーション』でもある
だから『果報は寝て待て』
一度、歛いは手放して忘れてasleep=寝ている
そして夢で逢いましょうってな(゚∀゚)アヒャ
そして夢で『授業=授かる業』の『授記=授ける記』を受け取り、『指導靈とミッションブリーフィング』を行い・・『記憶』を無くしていざ『体験の目覚め』へ
さぁお前の求めた『地獄巡り』から『気づきの仏を見つける旅』の始まりだ(笑)
薬師如来の試練とは、薬師が『薬(対処法)』を見出し、『口頭で訳詞て癒す説法(処方箋)』を生み出すまでの授業だから、課題は『病気にかかり克服』する事
『その病の体感』無くして『理解』なし! 納悳である・・
で、結論として
『三本足の鴉の見た目』はたたの『莫迦(もしくは意図的な陽動)の盲信の偶像』であり、そんな『化け物烏』がいたという訳ではなく、ただの『言葉のあやのメタファー=隠喩』
咫が『親指と中指の間の長さ』と言われて、素直にそれを行動すれば『人差し指は?』となる。前になんで『指の名前は変なのだろう?』と調べた事があったが
『三本足の鴉』の『名(役目)と体(行動)』を考えれば、『人の進むべき方向を指さし先導(船頭)』するという、『国と主を失い故郷を失った戦乱に巻き込まれた民の預言者』と読み解けるし
それを『シンボリズム』とした場合、あまり存在を『公』にしないだろう
だから、『苦言も助言も権力者の影で自由自在』にできる、なんなら、権力構造に深く関わって『乗っ取って邪そのもの』にもなりうる
助けられた『恩を咫』で返しちゃう存在
そうすると、『公』に『名を広げて名乗り始める』だろう
しかし、私が感じる『八咫烏』とは、特定の『天皇(主)の立場を護る』のでなく、一人一人が十人十色で、個性を発揮して、『それぞれの運命の役目を果たす』為に
『八代龍神(法華経の守護・自然法則)の加護』の中、善悪・中立という極端の端と端の間の理の『端間理』を知って、『学びの空間の終わり』に『ケジメ』をつけて
「はよ囲まれた鳥籠の中を意識した観測世界(狭い)から出てこい=産まれろ!」を導く為に、『精神世界(裏)で流れてるエネルギー』なんだろうなと思った
やたがらすの言霊は
飽和して分かれた内なる力の場の方向
『表と裏』、それぞれの『役目』と考えれば、『表天皇』、『裏天皇』という立場があってもおかしくはないのだろうけど、表は『立場』を求め、裏は立場はいらない
おそらく『縁の下の力持ちのアトラス』、『表の舞台装置を支える黒子やスタッフ』として『演者を盛り上げる裏方(ディレクション)』に『存在意義』を感じる側だろう
それは何も知らない無垢な子供たちに『伝承を聞かせる寝物語の日本昔話』や、誰が教えたのかわからない『暗号で秘密を歌った地域伝承歌』とか
これらは自然に『生活の中』で『その地の風土』で身につく『真相に辿り着く門外不出の密教』であったりする
八咫烏といえば、京で『加茂家』が有名だが、『鴨』というと、全国に地名が分布する
なぜか東北は『青森』だけ『鴨の地名』が付くエリアがある(今はもう地名が変えられたが)
八咫烏の教えの『風土』でもあったのかね?(シランケド)
もしかして、私がいつも行ってる神社の元々の『氏神・土地神』って・・
血縁ではないにしても、『波動』が合えば感じたり『一時宿したり』できるのは、人間もまた『粒子配列』の『固有の振動をする波形』であり、その『波の道』に『決まった配列を持たない素・祖粒子』が混ざれば・・
『解決・解明』する事を『ソリューション=solution』という
解決の役目の質量を持った素粒子が、粒子配列に混ざる事で閃きが起きるしたら
それは、『祖+龍(流)+シオン』
日本人も失われた氏族、『シオンの民』と言われるが、その『祖先』が『龍(流)』で一時、『シオン=同祖の末裔』に宿る時、『解決策の閃き』が降りる
その時は『私は私』であって、『私ではない何か』である瞬間がある
それが訳詞如来の妙見狸 ← いや、ほんと誰やねんw
ま、それも含めて、私が願ってきた真理の探究のシンクロニシティであり、この記事では皆にこれを伝えたい
甯=それよりも
寗=どちらかといえば~のほうがよい
僥い=ねがう 求める
歛い=引きしめ集める、取り入れる
覦い=のぞむ。 ねがう。 こいねがう、高望み
覬い=身分不相応なことをもくろみ、うかがう
『願う』だけでは何も叶わない!・・という言葉は実行を伴うという意図だが、その前に、意識している事が『願う』だから中身がない目次=『原典の頁』を読んでるだけ
『中身』がないと何も伝わらない
あなたは『無意識』に『どのねがい』を使っているのか?
私の独自体感論で言えば、『歛い=引きしめ集める、取り入れる』は叶う
それは『望みを達成する為の成長の試練』も含めるから地獄巡りのHELL体験=経て生まれる『経典』
そうか、だから『三姉妹(女神)』は私を『地獄』に連れてったのかw(夢の景色)
それ以外の『落・烙してねがいを叶えよう』とすると『烙(火であぶる)』でもない事になる
それよりも、どちらかといえば=優位・比較
希う(こうねがう)、高望み、分不相応のもくろみ・うかがい=他力本願
ねがいを『聞き』はするけど『叶えてやりたい』と『同調』すると思うか?
もし仮に・・その『他人よりも優位になりたい』という『他力本願をに力を貸そう』というとしたら、そこには間違いなく『邪な見返りの条件』がつくだろう
まぁ『代償』、『世話を焼く(烙)手間賃(禄)』としては『身分不相応を穴埋め』する『等価交換』だわな
「主体性のないお前のこいねがう、他者より優位になりたいという高望みの代償は、そこに『お前という価値観は無くていい』という事だから、『魂』をよこせ」となるのは当然
『分不相応の等価交換の代償』は恐ろしいんだよ?(もってかれるよ)
『ねがいと引き寄せ』がくっつけられるのは『そういう側面』もあるから
ねがいに『他者をどうにかしよう』と望んではいけないし、『他者より優位に』、『他者のようになりたい』など『他人をねがい』に巻き込んではいけない『自制の罠=民を見る目』がある
「お前さん、祠側をやってみるか?」で体感して観てきたから、人の業のねがいの根幹に潜む『もくろみは見透かして』いるぞ?(笑)
だから、ねがうのは心に素直に向き合って、今の心を観て、観念し『自分の業=成すべきこと』を回収する為の『道しるべ』を求めなさい
歛い=引きしめ集める、取り入れる
気持ち引き締め、縁ある業を集め、それを宿し取り入れる
祖+龍(流)+シオン=ソリューション=解決・解明
もうひとつおまけに 『祖粒子恩』=祖は粒となって子にめぐむ
虐げられてるシオンの末裔を手助けしたろ!(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)師
靈が宿る日本人の魂・精神
そこを意識して観測できるのは日本人の魂を持ち先祖供養する者達
先の祖を人と共に養う=宿すから『祖粒子恩』な明確な『解決法を閃く』
悟りとは、『差取り=格付けの差を取る精神』である
靈に始まり靈に終わる
今回はその歛いに反応した『祖粒子恩』が『八咫烏』だった訳だ
有難いね(。-人-。)すっきりさっぱり、『三本足の鴉なんていない』と確定(笑)
こうやって『伝承の偶像の神話』を『文字通り』正していくと、『至極真っ当な伝承』が見えてくるから、間違いを繰り返し、間違いに気づき、間違いから離れてを繰り返し、『真理はひとつ』へ向かう
その導きが祖+龍(流)+シオン=ソリューション=祖粒子恩=子孫を助ける知恵の閃きで解決・解明
『伝える役目を終えた素粒子』は『粒子配列から外れる』だけ
カタチを持たない現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)
現実に現れるとは『肉体(粒子配列)を再構築』する必要はないからね(宿る体があれば)
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