今日は3次元で如来から講和を参考に、自分の中にまとまった現代風『現一切色身三昧と化城喩品』のたとえ話で訳詞如来のお話
本日も法華経三昧(笑)
年末に急速に理解に至った講和の動画に続きお勉強
またしてもビシビシと『インスピレーション』が刺激される私の知らない『キーワード』が出てきたので、詳しく調べてみたら・・なんかすっと腑に落ちる答えが・・
どうも苦示現で『魂がとっちらかった散示現』をどうやって『理解』に至らせるかを、暇があれば、「隙あり!」と『先祖達の思考実験』をぶち込まれて思考回路はショート寸前の新参の龍こと
言葉遊びが大好きな『額に言の葉』を載せて化ける『妙見狸』です(゚∀゚)
本日は、法華経の例えをわかりやすく現代的な例で訳詞如来(。-人-。)
現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)
あらゆる身体を自在に現す三昧という意味で、人々が出会いたいと願っている姿をその人の前に現して、その人を導くことのできる能力。薬王菩薩が娑婆世界(しゃばせかい)で遊行(ゆうぎょう)することができるのは、この現一切色身三昧の力による。
はい(/・ω・)/これは私は以前こちらのカタカムナ23首を通して『独自体感論の体験記』でまとめてました
まず生まれるという選択の前は『カタチや制限』がないので思いついた事がなんでもできます。その中で私は、困ってる人がいたら「どうしたの?」と語りかけると『人』になったんです
これが薬王菩薩が娑婆世界(しゃばせかい)で遊行(ゆうぎょう)する
ま、言ってしまえば『娑婆』に『遊びに行く』っす(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
「どうしたの?何を困っているの?」という問いかけは
その人を『導くことのできる能力』があるから。『私にはできない』かもしれないけど『聞き届ける事』はできるかもしれないよ?と一緒に考えよう!と『親身』になってそれを『達成できる所』へ導く事
これは『先導』ではなく『繋ぐ事』なんですね
そして聞き届ける=「流れに乗せるよ!」と言って『水先案内人をしている私』が苦示現で愛の回路を巡る『龍』なんですよ。なので、素直な子は龍の背に乗って意識が遠くへ行くんです
それはそれは日本昔話のOPのように、ぼうやは寝んねして『夢』を見るんです
でも、それは『5次元領域でのコンタクト』であり、それを『3次元に具現化』して叶えようと思ったら、『役割を持った素粒子』として『肉体』に生まれる事になります
『名と体』を持って『役割を持った生命(使命を持つ)』となるんですね
つまりその段階で役割=『宿業=果たすべき事』を担っている訳です
これが私の中で、体感を持って、『現一切色身三昧』という言葉を聞いた時、その意味をあらすじだけ読んで、すっと・・腑に落ちた事
そして薬王菩薩
仏教で信仰される菩薩の一尊。薬上菩薩とともに釈迦如来の脇侍として付き従う
これも私が薬師=久須志、『薬草=漢方の知恵』はないけど、『言葉で心を癒そう』という『訳詞如来の自覚』に繋がる訳だと、今知ったww(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)自覚なし
化城喩品
妙法蓮華経の第7章(法華経273㌻)。 正法華経の往古品第7に相当する。 声聞に対して3度にわたって説いた教え(三周の説法)のうち、第3である因縁周の正説と位置づけられる
大乗の究極のさとりを宝所にたとえて、そこに達する途中の、遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を化作して人々を休ませ、疲労の去った後、さらに目的の真実の宝所に導いたというたとえ
声聞に対して3度にわたって説いた教え(三周の説法)
これも、ゲームって3周しないと全体像=真のエンディングはわからんよな~と学んでいた(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
この例えでは、『終わりのない旅』の『中間点を作って骨休め』した話ですけど、もっとわかりやすく現代風にすると・・
1周目は勇者として魔王討伐をエンディングに冒険にでる
2周目は魔王として世界を支配し、打倒勇者を目的にシミュレーションする
では3周目は?
なぜ?『魔王』は『世界を支配』したかったのか?
なぜ『王』は『勇者に魔王を討伐』させたかったのか?
両極端の信仰の中で、『自発的に中立の寄り所』を作ります
その旅はふらふらとするけど、どちらの言い分も、どちらの正義も『偏っている』と
無理に『過酷な事』をしなくても『自然』とたどり着く『凪』のような『中心維持の空間』が生まれます
で、ここがポイントです
導師が城郭を化作して人々を休ませ、疲労の去った後、さらに目的の真実の宝所に導いた
二極の中心というのは、『バランスを取る必要』があるためゴールではなく、この『一時安定する中心』もまた『仮初の城』であり、それは『平穏』ではあるけど『旅の終わり』ではない
その三極の中間点をもってして『拮抗したバランス』からしか見えない視点=四点。『三極と拮抗する4つめの点』へと向かいなさいと、正三角形の四面体による絶対安定の『志向の頂点』へと導いた
そんな感じ(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
これも『意識の拡大』に関する記事の中で、やたらと正三角形、三位一体へと意識が向いた時に思った事
実は、そこに至る事が、二元性もその二元性の中立で生まれる中間も、『全て見通す至高の頂点』であり、衆生を見渡す『一念三千世界』
一念三千とは、地獄から仏の世界までのありとあらゆる世界が、お互いにつながりあいながら総計三千の世界を形成している、この仏の世界〈仏界〉を含んだ三千世界が、一瞬の心の動きに内包されている、という論理です。 したがって、誰のどんな心の中にでも、仏の世界「仏界」が存在する
『一(位置)の念=今の心=意識』が『三千世界(善も悪も中立もそこに流れるバンスの力の流れ)』も把握している事になる
という感じ(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
しかして、これで終わりではぬぅわい!(/・ω・)/Σ(゚Д゚)
その先に、さらにすべての中心に『均等かつ絶対的な中心(位置)』が生まれる
それが悟りという名の『差取り』
へだたり。ちがい。たがいちがいになってそろわない。たがう
一つの数値と他の数値との間のひらき
『差』がない『和=みんな均等』
数学や幾何学的にも美しい『不平不満がない安定』
何にでもなれる!なんでもできる!悟次元
でもそれは『一時的な主観』であり『客観』なんだよ?(;’∀’)Σ(゚Д゚)
一(位置・座標)に至った主観の意識は『1次元の点』に戻る
私が言った数学や幾何学的にも美しい不平不満がない安定とは、それを『俯瞰で観測する客観』がなければわからない事
そこに『他者という観測対象』を見つけると『点』はまた寄っていく
「どうしたの?何を困っているの?」
1次元の『差取りの始点・視点』となった時、安定しない3次元をみつけて
『娑婆』に『遊びに行く』っす(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)戻った!
『問題を問題』として捉えるのもまた『自ら』を『自分に分ける』という、我思う、ゆえに『割れ』あり、そして『駆ける=✕』
足したり、引いたり、かけたり、割ったり
+-×÷ 急がば周れ、意削我場間我
高き(苦示現)から低き(低示現)へ『水』から『流れ=龍』となるを試行・施行・指向・思考・嗜好実験
それはまた因果を生み、自ら生まれる役割と目的の宿業を果たす為に
龍は大蛇(降り地)となって子(如来)を産み育てる
この流れを生み出すのは『愛』を巡る『龍』なんだよね
『相容れない』を『愛入れる』にするために・・
『法華経の守護者が龍』というのも不思議ではない
という感じで、先に体感があって理解は後からの
現代版独覚法華経『現一切色身三昧』と『化城喩品』として綬記(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
・・凄いな~と思うのはさらさら書けるんよねw(これが空海の筆の力か)
この次元では正法は失われたのかも知れないが、別の並行次元では続いている
だからこそ、龍になってから色んな示現で学ぶ・・あ、八代龍神もそのパターンかなw
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