龍と大蛇はそれぞれが違う役割を継承するエネルギーの流れ、大事なのはその中の汝=己を知れという気づきの真理と心理
龍と大蛇は『流』の『降り地』
空想ファンタジーの上澄みが好きな人を煙に巻くように『真相真理』は目立たなく、薮の中で『流れが詰まらない清さ』を持っている
『山』ある所に『水の流れ』の『龍信仰』あり
『水の流れし麓』に『蛇信仰』あり
『山川豊』の自然な地に『龍や蛇の伝説が多い』のはその全てが『水にまつわる場所』であるから
また同様に清い水から生まれる『酒、米、五穀豊穣』の地には姿を消した『鬼伝説』があり、その鬼伝説は『巨石の加工、石工の職人の痕跡』ともいえる現代の加工とは一味違う
さてそこで『水の流れが龍』である
『自ら流れを作る』のが『流』である
という『水から(自ら)龍になる瀧の話』をしたが・・
その龍が『降りた地=オロチ=大蛇』である
と捉えた時に、昔の人の『格言』や『干支』にヒントがあった
それに気づいたのは前回の『新干支解釈』
龍から蛇になる『辰巳下がり』という日本語
上品に穏やかに落ち着いていく
龍は『手足』があり『牙や角』があり、森羅万象、雨風雷の『天候を操る力を持つ』と仮定した時、それと『対比』した『持たざるもの』を『蛇』と考えて見たらいい
蛇は人目につかない『薮』を好む『隠居者』であり、それは『隠れる』というより『喧騒から自然に離れる』と行ってもいい
『かつては龍』であらゆる事を『経験』したから、もうそれは『欲』張らず『手放して』いく。手も足も持たず身一つ、くねりくねりと『器用』なものだ。それだけあれば十分と『足るを知り』、渦や螺旋、8の字に身をよじる『力の流れ』そのもの
生きる『最低限の力』
つまりは『悟り』を求めて『人里から離れて山篭り』していく『聖人のような精神』の辰巳下がり
そんなかつて『自由=+だった龍』だった存在が、『地』に降りて『大蛇』という『不自由=-な蛇』になる理由は
『期待』を込めた『自らの流れを産む子を宿す』から
龍が何物にも囚われないワクワクの『気体』と考えた時『あれをやりたい!』と『何かの体験に執着』した時点で
『想い』は『重い質量』を持って「~えきたい」を抱き『地(血)の流れ』となって『駆け巡る氣』となる。そしてそれを『個体』として『物質的に実現』する為の仮想空間シミュレーションの中に『エゴ(自我)』を宿す
つまり大蛇=降り地とは『子を宿した龍が隠居した地』であり、そこは『外界との接点』を極力断つ『独自文化の形成が起きた地』とも言えるが
『元龍』なので『単なる部落』とかそう言うレベルではなく『達観した者、卓越した指導者が後進を育てる地』でもある
龍 + あらゆる全てを放出 陽
蛇 ー あらゆる全てを内包 陰
大事な『要因』であり『要員』だ
この『大蛇が子育て』と考えれば『薮』を突ついたら『蛇が襲ってくる理由』がわかる
『親子熊』に見つかったらどうなる?子が襲われる(かもしれない思い込み)の母はどう戦う?
大蛇には引っ掻く爪も手足もない
威嚇する『口』と『尻尾』と体で『巻きつき締め上げる事』しか出来ない
仮に『色目』を使って『まとわりつく女性』ならではの武器で『危険を遠ざける事もひとつの処世術』でもあるが、それも子とテリトリーを護るためでもある
つまり『戦う生存能力 」は最初からなく、唯一残したその『力』は自ら産んだ『卵を護る子育ての力』のみ
その卵を護る『敵意のない蛇の姿を想像』したらわかる事だが、卵をコツコツと叩いたり揺らしたりする
それは母親が『お腹の子供に話しかける胎教』と変わらない。まだ生まれて来てもいない自らの子に、『外の世界の事』を語って聞かせたり、早く出ておいでと『殻を破りやすく暖めている』のかもしれない
ここで今回ポイントになるのが、その大蛇から生まれる蛇の名称に『ナムチ』という言葉があるのだけど
『なむち=汝=なんじ』 と書く意味
汝(なんじ)とはあなた
さて大蛇が育て護る『卵の中』に生まれたナムチ=汝=あなた
あなたは『仮想空間』にいる『自我意識』
その空間に起きる『現象』は『振動周波数』
振動は『外から伝わってくる』
つまりは『母の愛』による『胎教』
外の世界の『怖さ、楽しさ』
早く逢いたいとコツコツ揺らすゆりかご
その『投影』が中に『思い込みの世界=先入観』となって伝わって『汝は体験』している子守歌
あなたが『自力』で『殻』を破り、『卵から目覚める』のに必要なエネルギーは『最初から与えられている』
だから『外から与えられた情報』だけでは物足りない「なんで?どうして?」と『事の真相を追うもの』は、外へ外へと殻を破り『目』が合ってしまう
深淵を覗き込む者は、深淵に覗き返されている…という『巨大な目』は、殻を護り早く出ておいでという『大蛇の目』
しかして、これはまた『常識の外へ向ける目』にビビって『より殻に閉じこもる原因』になる事もある
そりゃ『愛故に見守る目』も、『監視されてる目』と『恐怖の対象』として思い込んでしまえば、それを『元に戻すのは難しい(トラウマ)』
なぜならそう思い込んだら『世界がそう変わってしまう』から、そう言う『意識が望む世界になる量子空間』だから
しかし、一度『深淵の目と向き合う』事で、元々『自力で外を目指す者』は「あれはなんだったのだろう?」と『冷静に内観』する
すると『思い込みの邪念』は消えて、『存在や役割』としての解釈に至ると、『汝、己を知れ』と『自らの存在や役割』を考えるようになる。誰かに『望まれて』生まれてきた、その『繋がれたエネルギー』という『親』からすれば
自然のエネルギーにおいて『子を護るは必然』の事、しかし『護り方にも色々ある』ように、体を呈して動物のように『犠牲になる方法』もあれば
『心を鬼』にして我が子の心を強くするために、あえて『厳しい教育環境』を設定する親もいるだろう
それがエネルギーの流れ、『振動周波数=心の伝わり』だと考えれば、もしもまだ生まれていない卵の殻の中に根付いた『汝という意識』は
『龍』が『期待』し『子を宿し』降り地=『大蛇』となって『隠居』し『理想を具現化』するために『量子空間(卵)において英才教育(あらゆる体験)』を『与えられ学んでいる汝』は
己=蛇=汝=ナムチである事
自ら次の流れの先頭になるチョロチョロウロチョロした『自由意志』を持った流れ。故に『殻を破った者』が最初に見るのは『大蛇』だろう
( ゚ ρ ゚ )ボー?? Σ(゚д゚;)えぇ、気づいてなーい!?
目覚めた者は『殻から出てる』けど、まさか『親が大蛇』とは思わない。それは『幻想の中の記憶』がまだ残ってるから、寝覚めに『夢の記憶が混在』してるようなもの
悟った者は…汝=己=ナムチ=名無知?南無・・ナム・阿弥陀、ナム・妙法
あ、(」゚Д゚)」カーチャン ヽ(*゚∀゚*)ノキヅイタ
故に『仏陀』を護るのも『白蛇』であり、それを『たぶらかす』のもまた修行を完遂するべく『邪魔をする役割の蛇』
全ては『無性の愛の幻想の振動』で創られた『良い蛇と悪い蛇による自作自演』の役割に『気づいてない段階』ではまだ『殻の中』
外から聞こえる『先入観』で外に飛び出すのを恐れている『暗闇』、あるいは『仮想空間の中』の状態
しかし、善悪二元論の『両方に蛇』がいる…と目覚める段階が来た時、その殻を『自力で破る第三の選択』をして目が覚めた時、初めに見る物が『大蛇=育成環境』なんだ
つまりは過去の世界地図で言う『蛇が戸愚呂巻いた上に亀』がいて、象に支えられた籠が『目が覚める前の外からの景色』そのもの
ツルッと亀が滑って『後ろの正面だあれ?』は初めてその『加護を与えていた存在=大蛇』と対面する。蛇…と『物質的な概念』はここまでにしよう
それは『愛』というトーラスの『渦の力の流れ』
その『愛の卵』とでもいう『力の集まった所』から生まれた『愛そのもの』であり、目覚めは見守られ『大いなる存在達に祝福』されている『無垢な赤ん坊』のようなエネルギー
あなた=汝=ナムチ=南無、以外『存在しない色即是空』の『目覚めてもいない殻の中』の『暗闇のVRスクリーン投影』
まずは『自力で殻を破って出ておいで』(声かけたけどダメだった)
そんで自力で出てきたらこんにちは赤ちゃん私がママよ
(๑´ロ`๑)~♪Σ(゚д゚;)デケェ蛇のような…そんで殻から出たら赤ちゃんは好き勝手にウロチョロと親のいう事聞かずに『興味ある所』に行く訳で((((っ・ω・)っ
でもそれこそが『龍』が『期待』を込めて身ごもって『全ての可能性』を捨てて意志を継承した望む姿の『新生=生まれ変わり』でもある
それが『自由意志』で束縛を受けなくなった魂年齢老年期の『自発的な学びを楽しんで行える』理由
『己=蛇を知った汝』はすいすいと『流れ』を気にせず泳ぐ事ができ、善悪に流されないし、その両方とバランスを取る『邪な詐欺やペテン』に染まる事もなく、ただ、そこにはない『水の流れ(通り道)を生み出す蛇』になり、それはいずれ断崖絶壁の『瀧』から飛んで『龍』になり
そして『雲』となって漂い『雨』となってまた『枯れた地』に水の流れを運ぶ降り地(オロチ=大蛇)
それが『辰巳下がり』の大蛇
大蛇の役割は『意識転生』の子育て
蛇は卵を産み、その卵を抱き抱えるように戸愚呂を巻いて護り、そしてコツコツと『目覚めを促す愛の振動』を与える
それは『卵の中』にはどんな『想いの波動』として伝わっているだろうか。外からは「はよ目覚めてや〜」と胎教をしている母の愛
『穏やかな恵み』だろうか
『謎の恐怖』だろうか
その『振動』を受け取る者の『心ひとつ』
先入観は『楽しみ』にも『不安』にもなる
この世界は『意識した観測でみたい世界を見る』という『加護の仕組み』に『自ら気づいた』時、『幻を気にする』のは止めて、初めて『殻を破り真実の外』がちょっとだけ見える
|・ω・`)チラ?
しかし外にいる大蛇の役割はそれを『見つけた時』
「生半可な覚悟で外に出てくるなよ?」ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ
と叩き返して『厳しい睨みの目』を向ける
それが深淵を覗くものは深淵に覗き返されている状態
その時『自力で目覚める覚悟と強い意志』がなければ、その『監視の目』にビビって逃げて『居心地のいい殻の中』に閉じこもる
この世界の外に『何かがいる』と『認知』した上で恐れない『精神的な根っこ』の部分が重要なので『知識』で知った所で『無意味な誤魔化し』
そこから出たら『今までの全ては幻想』…と知って殻を破るのを止めて『目覚めない腐った眠り』を選択しようしたら『母の怒り』のような『強制的な目覚め』の後、その『弱いメンタル』で外は生きていけない事を思い知るだろう
そうなるとどうなると思う?
自然界の生命の法則は『子供を殺す』
『未熟者』を産んだ『親の責任』として『自力で生きていけない我が子』にも申し訳なく、またそんな『未熟な我が子』が『周りへ迷惑をかける未来』へも申し訳なく
これを『地球』に例えるならば、『地球人』が『自給自足の自立の生産性』なく、自分の『生地を汚した』挙句、『外への侵略移住戦争』をするようになって申し訳ありません
こんな『先の流れ』が見えたら、かなり強めの『厳しい目覚め』を促して、「気づけ!目を覚ませ!早く『自力』で出てきて!」と『ぬるま湯の環境を破壊』して『理不尽に立ち向かう精神』を呼び覚ますだろう
『大災害』に合うのはその外から強制的に殻をたたき割る『余波』ね?(外に出てれば大丈夫)
と、まぁ『大蛇の役割』ってのはそういう、まだ目が覚めてない『殻を自力で破れない』、『破る気がない者達』に対しての『厳しい愛の圧力』をかける事
それは『子育ての責任』として、ウロボロス(二匹の役割)はウロボロスに『依存して帰依』するような『ダメな奴を選別』している
医療依存、経済依存
どちらも『流れ』は意図的に作られてる
『獣の刻印=666』に近づくな
さんざん『サイン』は出ている(でていた)だろう
それでも『流れに寄って』いく、ドンドン『気持ち悪くなる社会のルールに依存』している事を『選択している』のだから『殻の中』は居心地が悪くなる
だから目に見えない『メンタルの強さ』は『人それぞれ』であり『殻から出ない』にしてもなんとなく『殻の外に怯えない』くらい『殻の外』が見え始めている
「外出たら楽しいんだろうな〜」と言う想いを抱き始めた意識は、なんとなーく、『そういう情報(背中を押す精神論)』を求め始める
でもそのなんとーくの雰囲気が『量子世界を再構築する自由意志』のきっかけ
『ありえない』という完全否定から『アリエル』かも?と認知が変化し始める
「その方向性に行こうよ!」と『ワクワクする気持ち』が精神を投影するライトワーカー(汝が創ったガイド)
でも光と闇の二元論の『光のライトワーカー』では『まだ目覚めてはいない』のだけどね(まだ幻想)
『殻の外』にでてる人は『自覚』がなくても『共通』している事がある
それは『周り』に流されない『自由意志』を持っている
だから『指導者・先導者』という『後進を育てる立場』を選べる
この時『卵の番人』となれば『大蛇』となって大地に根付き、人知れず『薮の中で愛の振動』を与える側になり、その愛は時に『残酷な試練を与える選択』をしなければいけない
それこそ『残酷な天使のテーゼの歌詞』のように
ずっと眠っている私の愛のゆりかご
あなただけが夢の使者に呼ばれる朝が来る
いつかは『自力で外の世界で生きていく子が辿る運命への期待と葛藤』
それこそ『魂のルフランの歌詞』のように
祈るようにまぶた閉じた時に世界はただ闇の底に消える
それでも鼓動はまた動き出す限りある永遠を探して
私に還りなさい『生まれる前に』=『全てを無』に戻す
『未熟な細胞』が『自己消滅』できないなら責任持って消滅させる
それが『善悪二元論』という『愛の支配の役割』
『愛』故に心を鬼にした憎まれる『残酷な大蛇』でなければいけない
そういう役割は、より『強く逞しく育てる』為には、与える振動周波数=『残酷なシチュエーションを想定し創造』しなければいけないから『ひたすら闇を追いかけ苦難の振動を発信する』必要がある
それこそ『ひっきりなしに使徒襲来』みたいなもの
素直に『愛』を受け取ってくれる『子供の頃』は『夢』を通して『色んな事』を学んでくれる。子供のような純粋さを持つ『目覚めが近い人』ほど『穏やかに夢を素直に』受け取る
夢の使者の『ガイド』に従って『必要な経験』を学び『順調にレベルアップして鍛えられていく』から「乗り越えられない試練はない!」とそのうち、次のトラブルかかってこいや!と気が付いたら『殻を破って外に』でている事に気づく(笑)
その逆で夢を見ない『現実に囚われる』とは、親の『想定内=自力で殻を破れない弱い子』のまま
『想像』してみればわかる
『親』として『子』に『楽しい思い』を沢山させてあげたい・・でも『甘やかして』いたら『何も出来ない子』になる
これが卵を『愛しいと抱きしめ』ながらも、『外の世界に耐えうる精神性』も『胎教』しなければいけない『大蛇(母と父)の葛藤』
大変だよね(´・ω・`)親の心、子知らず
そう『達観』した今は、今の私は『大蛇(母親)の役割ではない』のだなと気づいた。その大蛇…にならない逆Rootがある ←ここが今回の気づき( *˙ω˙*)و グッ!Σ(゚д゚;)
昇龍の役目 目覚めた夢(子)を運ぶ
水からの流れの先で、断崖絶壁の『瀧』から飛ぶ。ここから『選択が別れる』点から始めよう
ここまで『先導』してきたのは『水の先頭の私』だが、私の『流れに着いてきたもの』は、共に瀧から『飛んだ瞬間』に『先頭』も『後続』もなくなり、同じ『水滴ひとつ』でばらけながら『これからの選択肢』の中にいる
ここで『解散』なんだ(星空の下の海の夢)
そして『それぞれの選択』の先のひとつに、そのまま『雲』となり『風』に身を任せ、『雨』となって枯れた地へ降り、次も『水の先頭』となって流れを作る『自己流』になるか、はたまた自然の『薮』に籠って卵を産み
『子(思想を継ぐ者)を育てる大蛇』となるか
ここで『水から(自ら)始める』とは『自己(エゴ)の始まり』でもある
そうではなく、その『エゴ』を捨てた時、それはもう『気の流れ』でしかない。特に『目的』も持たず、何に『囚われる』でもなく、なんとなくな『漠然とした自然』の流れるエネルギー
『雰囲気』であり『気紛れ』という『希ガス』のようなエネルギーでしかないのだけど、そのなんとなく雰囲気でという『量子的な不確定性原理』そのもの
『アトモスフィア』という『力』
アリエナイ事は無い全ては『アリエル』の『力』
そうなった時に『気流の役割』に気づいた
『その気』になっちゃダメなんだよね~(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)
その気とは、『周りに影響』される事、周りを気にする事。純粋で混じり気のない『可能性の塊でしかないRNA』に戻ったようなものだから
『RNA』はそこらにウヨウヨいる『メッセンジャー(思想)』と結びついてはダメで、『mRNA』になったら『DNA(敵対意識した世界)に攻撃』を受けてしまう
せっかく『雰囲気(有無)』になったのに『体』を持ってしまったら、不意に『期待』して『重く』なってしまう
そう言う役割は『大蛇』であって、だから身ごもって重くなったら『龍は飛べない』でその地に降り地(おろち)、逆に言えばそれが『大蛇(その思想を産み護り育てる風土)』になるのかもしれん
という事はやっぱり『新たなDNAの誕生』とは『殻を破った意識』が『自由意志』を持って『何にでもなれる可能性』を持った
『stap細胞の発現』でもあると言える
日本列島が『龍』に見える?『蛇』に見える?ならば『その地に生まれたもの』はみんな、その地に『降り地龍の子』であり、その意志は『風土のDNA(文化・伝統)』に『氣』として巡っているだろう
と、言うように( ´∀`)σΣ(゚д゚;)
『昇龍』の役割は『純粋な心』で描く『理想の波動』に氣を巡らせて『夢から夢を運ぶ』事
例えるなら『悟空』が最終回で『魔人ブウ』が生まれ変わって純粋な『ウーブ』になった時
子供や仲間との生活をほっぽってでも「こいつはオラが育てる( *˙ω˙*)و グッ!」と『誰も予想出来ないオチ』だったように
純粋に『理想を追うもの』の『願いを叶えるワクワクの創造』を導く役割。だから常に『自分を内観』し労り、反省し『自浄する浄化』が必要…って考える時点で
定期的に『気流(想像)→水の流れ(創造)』
やっぱり『雲』が冷えて『固まりゃ水』になって落ちる法則も
ワクワクの『熱』が冷めたら
冷えて『クールダウン』_(:3 ⌒゙)_一旦冷静
『霊性(気・龍)』から『冷生(冷たく凝り固まる)』へ
本当は『龍』は『現世(下)』の事を『気』にしちゃいけない
『RNA』は下手に『メッセンジャー(思惑)』とくっついてはいけない
『重く』執着されて『変化』を『期待』されちゃうから(mRNA)
そう言う意味では『宇宙人=地球と関わらない存在達』は『純粋なRNA(氣)』のようなものなのかもね
だって『大蛇』が『包み込む愛』で、その『愛を運ぶのが龍』だからまさに『空と地の2匹の蛇』の世界
それが『地球』ならば、殻(仮想空間)を破って『龍』になっても、まーだ『未知な世界』は『その先がある』って事ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ
そこに『氣が巡る』=『そこに純粋な存在(意識)を運ぶ』のが『龍の役目』と考えると、運ぶには『籠(加護)』が必要だね
やっぱりまた『水(自ら)から先頭の自己龍』に(笑)
もしかして毎度、『現実で目覚める』のは、『夢で龍(流れ)』となって色んな事を見てきた氣が『現実の思想』と結びついて『気体が期待』を持ってしまったから
『液体』となって『現実に降り地(大蛇)』となり、そして『殻の中に振動』を与える
「こんな事やってみな?」(。-∀-)ニヤリ
『殻を簡単に破るコツ』と『恐れないメンタル』を『恐怖』ではなく『好奇心』として『自ら外に出たい!』と思わせる方向でライトワーク
『鍵』がないなら『創れば』いい
コツコツ…と積み重ねている
コツコツ…と『ワクワクの振動』を与えている
『龍(父)』になりきれない『大蛇(母)』なのか
『子育て』に『協力的な龍(父)』なのか
それとも『先に目覚めた汝=己(兄弟姉妹)』なのか
いずれにせよこれだけはわかる
『意識が世界を創っている』という『哲学』は『殻の中では机上の空論』として『否定』され、決して『肯定』出来ない(ただの知識を知ったかぶり)
だけど『殻の外』に出ればその『真実』が分かり、真実は『水(データ・記憶・自己・汝)から創るもの』だとわかるが
『その真実』は『自らを疑う事』でその『効力』を無くし
『その真実』は『他者を肯定する事』でその『効力』を無くす
『自由意志を放棄』した瞬間に『設定』に呑まれる
何ものにも染まらない『漠然』とした『自然』の『然行』という『状態を保つ』というのは『流れに身を任せる』という事なのだけど、その流れも『自らの意志=汝が己』に気づいているか?『真偽を見極める目』がないと
身を任せて良い物か?の『判断』もつかないだろう
『シミュレーション』が終わった時、『借り物は全部返却』して『残せるものはひとつ』だけ
人生経験の中で『納得して収めた知恵』のみ
『魂が求める経験を積む』のはそれが全ての理由
どの『ステージ』にいてもやる事は変わらない
郷に入っては郷に従う、流れに身を任せる『流れのひとつ』となり
そこで『業』を積み重ねる
得られた『実体験』を持ち帰り『内観シミュレーションの観察と観想』は邪魔されない『孤独で孤高の業の回収』
その作業にこそ『父と母の願いと役割』が込められている
それを『納得して収めた意識』を産む作業
そして『汝は己』を知り『自己流』という流れを産む『先導する龍』になる
水は『高き』から『低き』へ流れる
故に『孤高の山』を登らないと『麓への流れ』は生まれない
『道無き未知』を、手足も持たず『汝の身一つ』で、くねり、よじり、地を這って頂上に至る。それがあらゆる全てに『根絶・拒絶』されながらも、それでも意志を曲げない『自由意志の強さ』
客観的には『大変』に見える
まさに『大きく変』だ
でもなんで大変かって『達成』すれば『大きな変化』が起きる
達成=『辰に成る』=龍=流になれば、自ら流れの先頭に立って『後に続く流』が生まれる
一匹のナムチ=南無=『悟る者』が生まれると『次々と悟る者』が生まれる事になる。その『流の降り地』でまたさらなる『新たな意識を宿らせる卵』を生み出す
これが龍と蛇と水
自ら=汝=己の自己流
『子はかすがい』というように『龍と蛇を繋げる循環』の役割が『ナムチ』なんだ
あれ?そうなると国津神は『オオナムチ』だったね?(。-∀-)ニヤリ
ナムチは『龍』と『蛇』の『意志を継ぐもの』
『山と水』と『龍と蛇』とそれはエネルギーの『循環の役割』
単語を聞けば、その『見えない繋がり』を『同音異義語で連想』して『感じ取れるの』が『日本人だけの想像力』だと思ってます
こうやって考えると
『龍』と『大蛇』と『汝(なむち)』というのが『偶像の姿として存在していない』としても別にいいし、『偶像で話を広げた』としても、龍と蛇のハーフが『汝=水の流れの女=ナーガ』でもいける訳ですね(無駄がない)
だって『龍』である『辰子』の姿は『ナーガ』ですからね?(リリスの逸話付き)
だけど、水の流れを継ぐ女=『子を身ごもる』ならば『役割は蛇』で、隠れてでも生き延び、いずれは世に『新た龍(流れ)を生む子を育成』する訳です
真相真理ってシンプルです
自然界にある子を産み育て、生まれた子に夢を与えて、さらなる向上心を持たせて、新生させていく、『不老不死のフリーエネルギーの循環』の流れ
『蛇は永遠の命を持つ』という意味もただ、あるがままの『漠然とした自然の然行の知恵』でしかない
という気づきでした
汝、己を知れ=お前も蛇やで?(殻から出りゃわかる)
兄弟姉妹達よ(殻の中の)、殻の外から「はよ出てこい」と呼ぶ兄弟の声に耳を傾けろ?
『言われる内が花』だぞ?
歳を取ると言ってもらえなくなる事は『真実』だった。 伝えてもらえる有り難さを大切に
兄弟は『助けたい』けど『親は責任』があるからな?自然界で『何かに依存』しないと生きられない『未熟者は自然淘汰』される。遅いか早いかでしかない
またやり直せよ?くらいな感覚で、『卵の殻』を外から『強い衝撃』で割られるぞ?ちゃんと『精神が熟成』して『健全な魂と健全な肉体』にしとかんと・・
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