きげんはやまとびと…ではなく山と人、降りてくる神の社の奥の院とピラミッド構造、仕組みは降臨にあり?という気づき
寝起き閃 大和人
やまと という『音の響き』はとても深い
私が初めて意識したのは『宇宙戦艦ヤマト』
その流れでヤマトの国、ヤマト国
それが知識がついてから
『倭』と書いてヤマト
『大和』と書いてヤマト
『邪馬台国』がヤマト
様々な『ヤマト説』を聞いてきたけど…どれもこれも・・
そんな勝者の歴史の捏造が当たり前の常識など眼中になくなった時、最もしっくりくるのは
日本の『八百万の神・自然信仰』における
『山への崇拝』という構図は『山と人』の関係性をシンプルに伝える
山と人という共にある状態が
『ヤマト人』であり『山人』である
…となった時に
山はピラミッドとも呼ばれ、様々な山頂に巨石を置いて鏡岩など信仰の元があったり、山の頂上には『仙人や聖者』が住むが、『限られた人』しかそこへたどり着く事ができないなど
『山と人』の間には単純に登ることは難しいが、その『上からの自然の恩恵』が『麓へと届く構造』になっている
そう考えた時に秋田の900年続く伝統でも、修験者の姿、『山伏』に『鬼の面』を被った『山神』が現れるというなまはげではない祭りがあるように
山から降りてくる人
『山人』が降臨するという構図がある
つまり『鬼源』は『山』から現れる=『上』から来る
『鬼の隠れ里』を訪れた時も思ったが、入口は硬く封鎖されていたけれど、その先に『山』があり、反対側に『風穴という洞窟』で繋がっていたので
表向きは『地面に潜った』ように見せて、実は『山の中へ入る隠しルート』だったと考える事ができる
何が言いたいかと言えば、『鬼と山』は切っても切れない『縁』があり、『自然の水の流れに関する伝説』には必ず関わっている『建築施行の技術者』
…という現実的な捉え方は『側面』でしかない
山と人、『自然信仰』だった頃から
『鬼と山と人』が『水の流れ』で繋がっていた
この構図が私はピラミッドの中身の構造が『出雲大社の天の梯子と同じ』という話を聞いてピーン!ときました
なんで今の神社には表に後から出てきた本殿がでっかく壁のように作られて、元々あった神の寝床と言われる小さな奥の院が人目から遠ざけられていて『神職』しかそこを扱えないようにしているのか?
私はどの神社に行っても、必ずと言っていいほど、『奥の院』を見る為にぐるぐると敷地を裏までしっかりと見てきた変人なので
奥の院へは『道』が繋がっておらず、周りは完全に『木枠』で囲まれ
『開かずの間』から途切れた道の先に『階段』がある
その先に『小さな神の寝床』と呼ばれる場所
私はこれは『テレポーター』、もしくは『通信機(公衆電話)』だったのではないかと思う(´-`).。oO
というのも、もはや管理もされなくなった森奥の古代の神社って、実は『奥の院がむき出し』になってたりしたんですね
おそらく「廃物希釈!神仏分離!」…と『命令』が出た所で、元々生活にその『教えが馴染んでる地域』って『信仰を護る!』とか『命令に従う!』とかそう言うのすらないし
「そんな壊したきゃ壊してえーよ( ´-ω-)σ自分でやれよ!御苦労さん」という地域民
『抵抗』もしなければ『気』にもしない民
そんな『人間性』の地域の『神社』とか『村神様』とか
スルーしてそのままだったんじゃないかな〜と思う理由は、そう言う『お上の命令』で『そこに住む住人に嫌われ役』にならないといけない地主は別に信者でもない
「やりました(*゚∀゚)アヒャ(どうせ確認の視察にもこねーだろ)」と、それで『そのまま』だったのではないかな?という
『奥の院に直接拝む形』で感じたのは…『知恵のお土産』を貰った感なんですよ
興味もなかったし、知りもしなかった『昔の偉人』と呼ばれた人の、特に『自然と人を繋げる教え』を解いた『朱熹』に関する事
その教えを生活に取り入れ『仏陀になったもの達の生き様』など、それが『奥の院』という現代の神社における開かずの間の向こうに『封印された祠と向き合う事』で得られたという事は
どこかと『通信?交信』してる訳ですね
それが『違う異世界』なのか、それとも『違う祠』なのか
そう考えると、面白いのが『神棚』や『仏壇システム』もまた手軽に一家に一台『携帯神社』(笑)
今の仏壇ではあの世とこの世の境を超えた『先祖との繋がり』の為に仏壇があるけど・・
元々は神仏分離前は『神も仏も同じ』
神威⇒カムイ=イムカ=仏力
左からを右からに変えただけ(笑)
こうやって『教え』は絶える事なく『形を変えて』残ってきた
その教えが『山と人の自然』の繋がり
それを説いた『仙人達』は『山人』
『耶麻人』かもしれないし『耶摩人』かもしれない
しかし、それ以外の『頂き』には行けない人達が『麓』に住み着き『人山の賑わい』で『自然信仰の集まり』ができる
『山の知恵』を持ち帰り伝える薬師=久須志
不治の病=富士の山居、仙人力で『山の麓』が栄える
ピラミッド構造の中に出雲大社のような開かずの間の先の奥の院のような構図
日本では『山の中』にそれがあったら入口は『洞窟』ですよね
その『奥の院』はあちらとこちらを繋ぐ『扉』だとしたら、その『テレポーター』があれば行き来できる
まさに『どこでもドア』と『山人』しか使えない『携帯電話』
山と人が繋がる、自然な教えがそこに根付く
それは山と繋がる祠で、山とひとつになった仙人達と交信している
仙人とは人山人
人山の向こうにも人山
それを繋ぐ山人=山伏=山と人と犬
そういえばなまはげの発祥地の男鹿の赤紙五社道の反対に山を下った所が真山(マヤマ)神社
そこに『鬼の鬼面を被った修験者と神犬』が降りてくる『山の神』降臨の構図…
うーん(´-`).。oO
…ちょっと蛇足の考察が邪魔して勢い止まったから一旦保留
なう(2024/05/27 19:42:01)
この続きが来たのは6/2日の事でした
続きは度肝を抜く『言葉が導くピラミッドの秘密』のお話をお楽しみに( ̄ー ̄)ニヤリ
LEAVE A REPLY