好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

シンプル哲学 善行ではなく然行

とても穏やかな風の中、庭の草刈りする親父を手伝っていた時に悟った感覚。善行ではなく漠然とした自然の『然行』のお話

善行とは悪行の回収

私は善行も悪行も『他者』がいなければ成り立たない時点で『見返り(リアクション・反応)』を求めてると思う。そう言う意味では、『悪行』をしてくれて『有り難い』、なぜなら『善行』できるから となる

『困っている人』を助ける『利他が善行』ならば、困っている人がいなければ善行にならず、むしろかえって『要らぬお節介の押し付け』という『利己的な悪行』になる

つまり『善行』とは『悪行』なのだ(・ε・` )表裏一体

そんな事を考えるきっかけになった穏やかな気候の昼下がり、私は庭で作業中の親父に捕まった

「ちょうどいい所に来た、草刈ったから落ちてるのを袋に入れて捨ててくれ、もう疲れた」

汗だくで腰をさすった老人は後生ですから〜と言わん雰囲気で『断りにくい空気』を醸し出す

私はある提案をした

「草だから、刈ったなら拾って捨てなくてもそのうち枯れるだろ」

それに対して老人はこういった

「これを見ろ?前に抜いて置いたのが枯れてないからまとめて捨てたいんだよ」

確かに風化するにはこの穏やかな気候ではそう簡単にはいかぬな(´-ω-)うむ手伝ってしんぜよう、と黙々と家の周囲を片付け、後ろから追いついた時

満面の笑みの老人はこういった
「いや〜助かった、サンキュ、サンキュ」

そんな『くだけた満面の笑み』は久しぶりに見たなと想いながら、お礼を言われた瞬間に

これは『善行』なんだろうか?(´◉ω◉` )と『哲学』が始まった

汚く散らばった草を拾い集めて「やった」よと恩着せがましく「刈ったまま放置」という「悪行を正した」と報告する『善行の達成感』はないな( ¯꒳​¯ )

また、困ってる人に『頼まれたから手伝う』というきっかけの『利他の行為』としてやり始めた草拾いが

いつの間にか『主観』で刈残しの草を引っこ抜いていたり、いかに効率よく片付け、片付けた後の廃棄までのルートを確保するか?

などなど、いつの間にか『自分の楽しみや学びの材料』に変わっていたため

助かったよ、ありがとう(´▽`)
と言われた瞬間に…

何が?(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)

となった時に『自分がやっている事の感覚』に完全に気づいた

善行ではない然行

誰かのためにやる行動ではなく
自分のためにやる行動

『漠然』とした『自然』な行動

その考え・気持ちがとりとめなく、範囲や内容がぼんやりしていること。物のありのままの状態・成行き。この世のあらゆる物の総称。本来そうであること

これ漢字の『分解ばらし読み』にしたら( ´∀`)σ実に面白い哲学的真理だった

『水』が流れ、『草』、『日』で『大』きく
『月』の『犬』の『心』、『自』ら『月の犬の心』

漠然としてますね
『範囲も内容』も分からない

でもそこには月の犬の心
『自然に共振した意志』

ああ、そうか俺がやってる事は毎度『シチュエーション』は違うけどこれなんだと

自ら(水)龍(流)になる瀧

『自ら流れを作ろう』としている

今そこにある哲学 積み重ね #マスクをはずそう

きっかけは頼まれた事を手伝うという利他の善行すらも、やり方を『自分流』に決めた時点で、それは『人の為』ではなく『自らの学びと経験の体験』に変えている

『漠然』とした『流れ』『自然』に変えている
『未知の体験エネルギー』を受け入れ『成長の学び』に変えている

そう言う意味では、漠然を受け入れる自然とは言い換えれば

魚心あれば水心

互いに心を通わせる、好意に対して好意で応じる

自然の流れに『身(月)』を任せる『忠実な心』
『運(ツキ)の運び』はあるがまま『流れに任せる』

ちなみに私は魚心じゃなく『後ろに流れ』があるなら『追う心・王心・応心』でも成り立つと思います

追う心=先人の導きを追うのにサポートの流れが
王心=前に進む意志に着いてくる流れが
応心=同意・肯定して流れを取り入れる

草と土が新しい風で激しく舞うけど、日は出ているのに気候は穏やかで心地よい、そんな昼下がりの午後に、私は『然行』に気づき『私の中に確立』しました

漠然とした自然を取り入れる
それが『魂の超越期』にやるべき学び

『老年期』は何を学ぶか?それを自由に選んで『自由意志で心にしたがって楽しんで遊ぶ』から吸収が早いんだけど

超越期は何を学ぶか?を『探す必要』すらない
漠然とした『あらゆる学び』『身近』にある

それに『気づく』のが『魂の超越期』なんだろう

『運命に身を委ねる』とは、人事を尽くして天命を待つとか、天上天下唯我独尊とか、真我以外一切無常とか、『確立された先人の悟り(ひとつのゴール)』以外にも

ただ『漠然とそこに在る』けど『気がついてない事』に気がついたら、それを『自然に受け入れる』という『然行』がある

例えば閲覧注意だが、こんなダンゴムシの写真(実際は縦横無尽に大量に止まらずに動いている)

ダンゴムシ

湿った草をのけると、そこは腐海の森のオウムが日の光に当たって集団で逃げだす後継が広がっていた。ダンゴムシと言っても大きなものから小さなものまでさまざまいて、ひっくり返って起きあがれない仲間の横を通り過ぎていく様はパニックの時の人間の利己的な行動そのもの

そのひっくり返っている所を仲間に起こしてもらえない奴に手をさし述べようとした時、そいつは自力で起きあがった。この俯瞰で一部始終を見ていた私は

優しい巨神兵の気分だった

自らが災厄であり、『一部を助けようとひいきする行為』がまた、それ以外の『見えない場所に影響を与えてしまう』という、そこにある景色(命のエネルギーの流れ)を漠然と自然に眺めていた。眺めている事が学びだった

『漠然とそこに在る』のは私というダンゴムシから見ると災厄の自然災害
『漠然とそこに在る』のはその自然災害(私)によってパニックになったエネルギーの流れ

一寸の虫にも五分の魂
魂とは役割を持った生き様

ダンゴムシがうじうじした湿った場所を好むのでなく、そういったうじうじジメジメした所で繁殖する雑菌を餌にして食べて、土に栄養を与える糞を生成している

つまりダンゴムシがいるという事は、それだけ雑菌という豊富なえさ場があり、栄枯盛衰で、それはいずれ、それ以上の土への栄養を残し、その栄養を元に土を綺麗にする細菌たちの餌になり、その細菌を餌にして、ミミズが丸丸と大蛇のように肥え太り

土の中にトンネルという空気がある空洞を産みだしてくれるから、水と空気と熱を内包した栄養ある土が生まれる

ダンゴムシがいる →量子飛躍→ 土に栄養たっぷり

私は、乾燥しかけてるが『底がしめった枯草』をどかしただけ=秘密のベールをはいだら、『有害な菌』を『有益な糧』に変える『楽園』があった

これも漠然とした流れに身を任せた先に見つけた事
底には『自業自得の縮図』があった事を学んだ

カタカムナで読み解く漠然

漠はエネルギーそのもの
カタカムナの言霊で『バク』は

内に引きあい引きよる(融合)
引き合わずに引きよる(分裂・反発)

融合とも言えるし反発して分裂するとも言える
故に『漠』でもあるし『爆』でもある

そして『ゼン』の言霊は

内に強く引き受ける
強く引き受けない

『責務・宿命を背負う・受け入れる』とも
『責任放棄・反発する』とも言える

故にぜんぜん…と続くと『次々に』になるので

ぜんぜん大丈夫→次々ドンと来い!超常現象
ぜんぜん大丈夫じゃない→もうやめてくれ

だから『漠』を『自ら』引き受ける『然』=月に従う犬の心=『素直な感性』がなければ

漠然とした自然を受け入れられない
=『自我を捨てた然行』ができない

最初に頼まれた時

なんで俺が…→エゴ
めんどくさい→エゴ

こうなっていたら、例え草拾いを手伝ったとしても、「ほらやってやったぞ?」とあなたの『業(カルマ)を代わりに回収する善行』したと『報告』して『リアクションという見返り』を求めていただろう

それでは今回のような漠然としたカタチのない自然エネルギーの中にある『有り難い学び』に気づかなかっただろう

どうりで『穏やかな気候』に感じる訳だ
それは心が『漠然とした自然と一体化』してた

もうひとつ学びはあった

汗だくで腰をさすった老人は後生ですから〜と言わん雰囲気で断りにくい空気を醸し出していたが

刈り散らかして来た草を私が全部拾い集め、追いついて後ろにスタンバイしたら、『綺麗に片付いた自らの軌跡』を見て『笑顔』になり( *´꒳`* )

『勢い』に乗ったのか、当初ここで終わりと決めていたゾーンをオーバーして「ここも気になる、このツルを追っていたら…」とどんどん刈り進む

腰痛かったんでは?(´◉ω◉` )と疑問に思うほどたって歩いてどんどん草をかり始めた

そこで私は

なんだよ、まだ終わんねーのかよ…
腰痛がったのは振りかよ…
ったくめんどくせえ…

とはならず(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)

…あのペースで行くとゴミ袋足りないから追加しよ(´・ω・`)一旦戻ろう
刈り終わるまで暇だから、今のうちに袋にまとめたのをゴミ捨て場に置いてこよう( ¯꒳​¯ )

『空いた時間でできる事』を考え、ために貯めた袋をまとめて持ってゴミ捨てに行く途中も、『抜骨抜力』という『武術の考え方』と負担のかからない『骨に乗る姿勢』や『痛みを感じないチャクラの呼吸』を意識しつつ

ゴミ袋がどこかに『スレて破れない』ように『避けるべき最悪の事態』を意識して注意を払い…と『修行実践モード』に入っていたから川沿いの道を側溝の段差をまたいで移動するという

本来ならば『障害物競走のような苦難』もまた『自らの行』から得られる『体感フィードバック』『楽しんでいた』から

何の苦もなくただ漠然とした『次の変化の流れ』を自然に受け入れた結果

何のストレスもねえやと( ⚭_⚭)✧むしろ学び

そして『私』という『追い風を味方』につけた親父の後ろを追う心あれば水心

追う心=先人の意志を継ぐ者
王心=自ら考えて動く
応心=受け入れる心

親父『自らが流れの先頭』になる
私が『後ろからのエネルギー』で押す

それは『楽』で楽しい事(≧∇≦)
そりゃ『笑顔』にもなるわな(笑)

『先頭が笑顔』だと『後ろに続く者も安心』する
そんな『漠然とした自然』を体感した昼下がり

私は『然行』という『悟り』を見出した

そして偶然にも、然行とは『然るべき行い』と書く

そうあるべき・そうするのが当然を意味する表現

誰に強制されるでもなく『自由意志でそうする』のが当然と気付く

見返りを必要としない笑顔でいたい
常に『自分が笑顔』でいられるためには

『自分』がそこに『在るけど見えない漠然としたエネルギー』という『後押し』として受け取って『楽に楽しく進んでる』のだと

それがあるがままの自然の心
自ら月(従)遵う犬(忠誠)の心=自尊心

そしてこれと同時に必要な心構えがこれだろう

終わりのない問題と向き合う覚悟

ちなみに漠然の中には『日月』と『犬心』が入ってる
狼とは山犬=自然への忠誠心=大神

はい、日月大神
どこいっても『古き祠の岩』には『日月のマーク』がある

日本語ってほんとすげえ
先人は知恵を遺していった(。-人-。)感謝

3344

で書き終えた時の文字数が『3344』文字で、ちょっと気になったので調べて見たら

エンジェルナンバー 3344 は、可能なことから始めると良いでしょう、だってさ( ´∀`)σ

『きっかけ』なんてとても『些細』な事
私は『刈られた草』拾って『悟り』ましたから(笑)

今日も何かワクワクするきっかけが待っていそうな予感(*´ω`*)

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