好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

自ら(水)龍(流)になる瀧

寝起き閃ワード『瀧』鯉が瀧を遡って龍になる伝説とは違うルートで自然に逆らわないで龍になる『瀧の法則』がポエムとして降りてきたお話

水の流れの始まりはちょろちょろと染み込みながら地を伝って行くようなか細きもの

そこに合流するように水が増えて来ると、それは規模の小さい土石流となり、規模の小さい鉄砲水となり、それはやがて川となり、その流れの周りの砂利に苔が生え、植物の種が芽を出し、澤が出来る

水の先頭はそれを知らない

自分の後ろに川ができて、澤ができて、そこに自分の求めていた自然が育まれる事を

ちょろちょろと物見遊山でゆっくりと右往左往と手探りでマイペースに進んでいたのが、気がつくと後押しされるように景色が流れ、まるで空を飛ぶように、進む速度が上がり、導かれるように方向に迷いが無くなる

そしてそのたどり着く先が海ならば母なる海へ繋がり自ら海へ還る
そのたどり着く先が崖ならば、その流れのままに気体となって空を舞う龍になる

その流れに期待を込めて水から川に合流したもの達が、自ら龍になるための道筋を生み出す

山を下る水があってうねるような勢いの流れがあって、それは『瀧』になる

川

ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ名作 Σ(゚д゚;)

こんな『辞世の句』なのか『座右の銘』なのか、よくわからんけど『龍とは何か?』についてのレクチャー

久須志=漢方=釈迦の教え=薬師如来=心も身体も癒す=自分も自然も大切にする心を持つ者=穏やかな心を志す者

久須志=薬師 で繋がる不死(富士)の霊薬

おそらく直接的な血の流れというDNAとは違い、そう言う『波動(固有振動数)』を持つ者に『龍』が着く

例えるならば『電磁石』のようなものなんだろうʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

砂鉄

私のケース、最初の『流れ始めた水』
どこからか流れてきた『支流』か『自流』

緑のオーブが映っていた場所から始まっていた物語

ありのまま、『素のままの自分』で生きるためにはどうしたら?古代日本、何故こんな『伝統や風習』が?『好奇心』やそれを求める『意欲』をもって『地元の神社』から始まり、各地の『古代遺跡巡り 』や誰も来ない山奥や森の『道無き先の祠』を見つけては

(何故ここにあるんだろう)( ´~` )シリタイ Σ(゚д゚;)

こんな『波動』を放ちながら、『元』が何だったか分からない埋もれてた砂鉄を『自分の身に吸着』させて持ち帰り…そのうち電磁石が砂鉄同士を引き合うように『勝手に引っ付いて』が量が増えた時は

頭も身体も『重く』なって『抗えない眠り(高波動)』に落ちては・・夢の中で、それらの拾い集めて来た『砂鉄のような何か』が『元のカタチ』になって伝わってきて、目覚めと共に『穢れ=気枯れ』を払って

『正しい周波数』の『幾何学模様として安定』させる

そうやって集めた何かを『私の一部として融合』し…そしてまた『引きつける波動が強く』なって、より遠く、より昔の、より大きな『元は何かだったもの』に『私そのもの』が『引き寄せられる砂鉄』のようになっていく

その私の中に『溶け込んで宿った何か』が、『元々そうだった』…というより『さらなる大きな一部へ還りなさい』と導く先が自然…とは考えるのが

『自然』ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)どこまでも限りなく

そしてその『先頭の水』の私が『勢い』をどんどん増してるのは、『私の求める事へのシンクロニシティ』が起きているからであり、『先人の知恵』とは、先に『水が染み込んで消えた』大地が抉れた止まった『流れの痕跡』であり

元々『水が流れていた所に巡る』のだから一度水が流れりゃ『早い』だろうね( ´~` )傾斜がある

言葉は『生み出す』事は難しい
だけど『先に言葉がある』から前に進める

そうやって先代達が『目指した先』が『母なる海』に還りたかったならば『海へ繋がる支流と合流(ソースへひとつに)』するだろうが、私の流れは『断崖絶壁から飛び降りるルート』に進んでいるようだ

だけど私はその『飛ぶ瞬間の感覚』を『何度も経験』してきた

勢いが増し、波のしぶきの『水滴のひとつに分離』してはまた、崖に向かって進む『止まらない流れに戻る』ように『一時空を飛ぶ感覚』の『自由な心地良さ』を『夢という不思議な空間』で

飛ぶ事への『期待』その先は『気体』という『目に見えない流』になり、そして『流れ』は『龍』を生み出す『瀧』になる

みたいなʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

だから『こっちの孤高ルート』に好きで来る人は『精神的に達観』してないと、文字通り『龍飛岬(断崖絶壁で自殺の名所)』だぜ?(笑)

作られた『流行』は人工的に舗装された川
『人』が汚せば『ヘドロ』が詰まって流れは『澱』んでしまう

自然に生まれた『水路』は、やがて周りに沢山の『命』を産む

だけど皮肉なものさ

自然の水の『流れを求めているもの』の先にあるのは『水が枯渇』したかつては水が流れていたであろう『気枯れた痕跡』

その『先人が築いたであろう水路』を自ら水を流して先に進む『先頭の水の視界』には、決して『水の楽園』は映らず『見渡す限りの希望が枯渇した絶望』しかない

だけど、どこからか『後ろに合流した水達』によって『後押し』されて、道なき未知を『前へ前へと進む流れ』になるから『通って来た道のその後(川や沢が生み出していた功績)』を振り返る事も無い

そしてそのまま『龍』になり『気体』となって『自然』を巡る、その時初めて気づく軌跡の起こした奇跡、でもその時は自ら龍になって『気体』になっているから『自ら(自我=エゴ)』と『繋がり』はなくなっている

でも雲となり、水の流れの『枯渇した大地』へ『雨』となって降り注ぎ、再びこの枯れた地に水の流れを!と『先頭の水』となって流れを生み出す『志龍』に宿り『合流』する

意識転生、『雨』は遠いどこかの誰かの『記憶』。その雨は『大地』にしみこみ、それは木や森、川という『自然の一部』となって『そこに在る』

だから『私に始まった』事では無い。遠い遠い『はるか昔』から、血筋に限らず『思想やアイデア』は繋がっている

『集合的無意識』と呼ばれるものはどこかで誰かが『思いついた事』で、それが『縁ある遠いどこかの誰か』も『同時』に気づいている

『見えない電波』がはるか遠くの人とリアルタイムで繋がる『電子テクノロジー』ならば、同じ理屈で『一瞬で繋がる』のは『量子テレポーテーション』

『意識転生』は『瞬間』
『閃』もまた『瞬間』

『私が気づいた事』は『どこかの誰か』も『同時に気づいてる』が気づいても『気』はカタチはない。故にカタチにする『設計図』となる『元のカタチ』を思い出さないと、そのカタチを『具現化』される事はない

気と体=名と体

気(エネルギー)『に』体(役割)を見つけるか
気(エネルギー)『の』体(役割)を見つけるか

これはつまりは

『自ら流れ』になるか?(本流)
『水の流れに気づく』か?(合流)

川

そこで久須志=薬師とは

『毒』も『薬』も創れる力
『傷つける事』も『癒す事』も可能な力

殺法と活法

心(目に見えない)も
体(目に見える)も

それは『人』だけにあらず『自然』にも同じ
人は最後は『燃えて消滅』しようと『自然体』になる

火葬場で焼かれた『親族の骨』を見る度思う

『薬漬け』にされた『骨』は『不自然なピンク色に科学反応』を起こし、焼け落ちて尚『自然に還らない』。食生活で既に弱っていたのか『頭蓋骨』が溶けて『頭の骨も残らない』

明らかに『不自然』な人の『科学的アプローチの痕跡(DNAへの影響)』は死してなお『自然に還らない』で『歪に遺る』

飛ぶ鳥が跡を濁してしまっている

どんなに人として真っ当に生きようと『最後に還る場所』に『迷惑』かけちゃ『自然』に帰れない『業(カルマ)』を遺す

カタカムナ48首 阿修羅ちゃん

だから生きてる時に『自然体』でいよう
心も体も『健全で健康』でいるために『自然の菌』と繋がろう

独自体感論 健全は健康と違う

だってその『菌』こそが、『人に知恵』を与える『先人達の龍(氣)』そのものなんだから…ってこういう事を言うとスピリチュアルなのかな?スピリチュアルって言い方がもう『西洋的』で好きじゃない

かと言って『神がかり』とか、なんか『特定の誰かの力』を『借りてるみたいな表現』も好きじゃなくて、『名も体も失った』けど、かつてはそんな『想いだった気体』が、『期待して後押ししてる』ような

神秘十字線と仏眼 守護の実感

ソマチッド 光の粒と量子と付喪神

『水』から『飛』んで『龍』になれ( 。・ω・。)ノ 瀧Σ(゚д゚;)崖に導いてる!?

そういう意味では、もしかしたら『自然(体)』が好きで『人造的』な事は好かんと感じる人ほど

久須志命の意志=久須流
流派=『九龍が宿ってる』のかも

元々持ってたのでは無く、そんな『縁に導かれて後から宿る』のかも?なんて、前回クシナダヒメの独自考察した時

クシナダ=久志灘

私は『兵庫』という『西の方の伝承』を追いましたが…私が知らなかっただけで、青森にも『クシナダヒメ伝承』があり、大白蛇神社、龍伝説、山水に纏わる場所、稲作、水と酒、全部揃ってる場所がありました

神社

神社

祭神または御神体の名称は地方や神社、または神仏習合によって表記や読み方が異なるとはいうけど『目と鼻の先の距離』で、『櫛』なのか?『奇』なのか、クシナダヒメの『漢字が違う=伝承が違う』ように『歴史』なんてものは『曖昧』なのさ┐(´∀`)┌ヤだから私は『久志』と読む

こっち(東)じゃ( ‘д’⊂ 彡☆))Д´) パーン

なんで私が突然『クシナダと閃いた』のか…そうか「前に巡った場所(多分行った事がある)を今こそ思い出せ!」という閃のタイミングで、とんでもない所に『龍(私の意識の流れ)が遠征』して行ったので

なんで西いっとんじゃ( ‘д’⊂ 彡☆))Д´) パーン

『流れ』を間違えるのではない!と引き戻されて『水から(自ら)流(龍)になるという体験』をした結果

人の情報(既成概念や歴史の捏造やフェイク)に流されんな!( ‘д’⊂ 彡☆))Д´) パーン

って感じでしょうね(笑)

とはいえ『孤高の崖』から飛んで、クシナダの手がかりを『雲を掴む』ように彷徨ったんだから、水から『気体(期待)』になっちまったら『風流(自由)』ってもんですよ?

・・て私が伝えたい『風流の解釈』が、なんか『現代の風流』って変えられちゃってますね?

洗練された美しさ、低俗でない優雅さがあることを言う。「風流なご趣味ですこと」と、茶道、歌道、生け花など金と時間のある人の遊びなどをほめる

美辞麗句な傲慢だね┐(´д`)┌ヤレヤレ

『風の流れ』なんだよ、『気流』なんだよ、『氣』とは『巡る想い』で『カタチがない自然』なんだよ、カタチをもたず、でもそれは『在るのが自然』でそれは『そうなる趣き』がある

その『栄枯盛衰』で『諸行無常』の『万物は流転』する『季節的な変化』の『何か』を『感じる』のが風流なのに・・

何が、茶道、華道、生け花などの『金と時間のある人の趣味』をほめる言葉?いつから『文化侵略と崩壊』は始まってんだ?文化庁よ?

月の裏に何を隠した?文化庁のロゴの思想

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top