回向という言葉を聞いた瞬間に閃アンテナが反応した結果、普段から自分がやっている事は回向なECHOだったと気づくお話
回向とは
自ら修めた善行の功徳が、他にめぐらされ及ぶことを期すること。 仏事法要を営み、その功徳が死者の霊を平穏にさせること。 善事や念仏に専念し、浄土に生まれるもととすることも回向とされている
なるほど(´・ω・`)
今日はこの言葉の波動が共振して響いた結果、私の中の『駄洒落ラッパー=新スキル』が詠い出した
エコな回向をECHOする栄光ʅ(´⊙ω⊙`)ʃyo Σ(゚д゚;)
ECHOとは
エコーとは、やまびこ・こだまといったような反響現象や反響そのもののこと
エコとは
「エコ」とは生態学・自然環境を意味する「エコロジー(ecology)」の略語で、現在では「環境にやさしい」といった意味
栄光とは
輝かしいほまれ、キリスト教においては神のあらゆる素晴らしい性質のことや、霊の美しさ、永遠さ、神聖さのこと
こうやって考えると
仏教における回向(波及効果)が先か?
英語のECHO(反響)が先か?
キリスト教の栄光(神の永遠)が先か?
まぁ共通点は、これは『人事の結果』なんよ
エコ(エコロジー)は自然環境、あるがままで、人の行動が起きる前の事
行動の後に現象(回向・ECHO・栄光)が生まれるが、行動の前に潜像(エコ=自然)がある
この潜像において『自然である事を望む』
それは変化しないという事ではなく、変化も含めた自然を保つ=あるがままの一部である事をさす
回向というのは簡単に言えば『自分の為にやった事が、いつか誰かの為になる』という気持ちで行動する事
善悪を超えた領域で積み上げた経験が、後に誰かが継承して役立てる材料になる
今だけ金だけ自分だけのような『目先の事』ではなく、長い目で見れば『今は悪に見える行為』も『時』が来ればその『前例(前霊)』があったからこそ『正しさとは何か?』
それが『心に響く=ECHO』
『不自然を自然に戻す』という回向
回って向きを変える
回って向き合う
そう言う意味で言えば、こんな日本の現状を比較するなら、あの時切腹して見せた、『三島由紀夫の前霊』が呼び覚まされるだろう
彼は右翼左翼、善悪を超えた『あの時の未来の今の日本』を見据えていたと『今ならわかる』人が増えるだろう
そして彼はその先にあるヒトラーが予言していた神とロボットになる予言にも興味を持っていた
それが『今』ならムーンショット計画=日本人アバター計画だとわかるだろう
…だからなんだよね
人が健全な魂と健康な肉体を保つ為に必要なのは『自然環境から生まれる食の恵』であり、その自然からの学びを共存して活かして行く『教訓の継承こそが回向』という行為なんだ
自然が『不自然』にねじ曲げられている
先人から継承されてきた回向が壊されている
先日のリンゴ農園のO157騒ぎから学ぶのは、野生のイノシシはジャンプしてリンゴ食えるって事と、豚用ワクチンを食わせる手段として、野生のイノシシに『遺伝子組み換えコーン』を食わせた事
それがイノシシの腸で消化出来なかったら『食中毒の菌を持った糞がそこら中にまかれる』だろう。イノシシだけじゃなくシカなどもそれを食って腹を壊すと糞とO157の範囲は拡大する事になるが…
それも全部、『遺伝子組み換え』という『自然を不自然』にする『邪な行動が因果の発端』
そんな間違いは間違いだと声を上げて問題提起する作業は『善悪を超えた必要な回向』
善とか悪とかじゃなくて…
おめーらはただの『邪(ウイルス・侵略)』だろ?
善悪というのは人を含む『自然の中にあるパワーバランス』だが、邪というのは善悪のどちらにでも『なりすましの擬態できる癌細胞』みたいなもの
だから、エコなええ子は
あれれ〜?おっかしいぞ〜?『これな〜に〜?』と
『邪』を見つけて誰も気づかない闇で蠢く情報を善悪ではなく無邪気に気づいてつまみ上げる(´・ω・)つこんなの見つけたど?と害虫を捕まえて標本にする
誰も気づかない、気づいても気にもしない
書いてる時は、こんなに誰かが参考にする未来なんて想像もしてなかったけど、誰かに届け!みんな気づいてくれ!という願いの力は少なからず回向してたという結果
『罪』って『横目』に『非』って書くんだけど
『邪な目』の人に気づいても、横目に背けて『見て見ぬふり』する事でもある
『罪』を憎んで『人』を憎まずというのは、罪を犯すであろう人を『見逃すのも同罪』という事
だから『見逃した時点』で責められないんです
目は目を、刃には刃を=『抑止力』があれば罪は起きなかった
それが『因果応報』が起きる理由
邪は計画の前に必ずサインを出す訳ですから、抑止力として『炎症反応(サイトカイン)』しないと『罪』が起きてしまいます
だから私は『気になった事』を『そのまま』にしない
それは自然ではなく『不自然』だから
これが後に『どっかの誰かの役に立つ』
不自然を自然に戻すええ子のECHO(反響)
だから『善悪を超えた回向』ってのは『漠然とした自然と一体化』だろうなと
栄光の架橋をECHOしながら
ええ子は今日も自然体(๑•̀ㅂ•́)و✧
大きな事じゃなく小さな発見でもいい
誰も気づかない事、誰も気にしない事
そんな『基礎研究』を何十年も続けた果てに『栄光』に辿り着いた『昆虫学者』もいる
自分が真剣に取り組んでいる事が、いつか誰かの役に立つ、その為の『礎』となる!!…ってそこまで意気込まなくてもいい( ´∀`)
例えばプロのミュージシャンを目指して努力したけど『華やかなスターの舞台』には上がれなかった人でも向き回れば『後ろに続くもの達』へと『今まで培ってきた経験を提供』する事が出来る
ドラムにせよ、ギターにせよ、YOTUBEで指導してくれるピンキリの様々な解説動画は『目に見えない多くの可能性』を育てている
『努力は人を裏切らない』というのは『ゴール・成功』にたどり着くって意味では無い
そのゴール(夢)は『エゴを満たす為に設定』したものであって、『エコ(自然)な回向』はその蓄えてきた力を『向きを変えて回す事』が出来る
俺の屍を越えてゆけ(´-ω-)ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
『名プレイヤー』にはなれずとも『名監督・名コーチ』になる
そう言う気持ちで『日々』を生きていれば、自然に『回向』できてるし、『辛く苦しい経験』もいつか誰かを『笑って励ませる材料』になるから
まさに真剣に努力した事は無駄にならない
回向は与えるだけじゃない
『与えられている』からできる事
そうやって考えれば、自分はその『大きな流れの中の一滴の水』に過ぎず、『善悪の二元性のエゴ』ってちいせえなぁ(´-`)oOって思う
とはいえ、人間だもの(今の意識の器)
善悪の世間体の中で生きる上で『大小の代償』を払う事になるから、極力、善悪・光闇・左右の『二元論には関わりたくない』
=君子危うきに近寄らず
さりとて、自然を不自然にするバランスを乱す『邪』を『問題提起』するには波動をさげて・・
=虎穴に入らずんば虎子を得ず
汚ぇと思う所に手を突っ込んで…
意味が違う(‘д‘⊂彡☆))Д´)クスリノリスク
だから、思うんだけど
『善行の功徳』って・・なんでもかんでも『善が良いものという偏り』が都合がいい
人の行いは善の押し付けも相手の気持ちに気づいてないだけで悪行になる
私は善行ではなく『然行・全行』だと思う
然行とは漠然とした行い=意識・無意識の行動も含む
全行とは善も悪もひっくるめたてめーの自業自得
多分それがわかってないと、どんな説法もクドクドした『苦毒』になるだけ
真の意味で『功徳』とするなら、善行という二元の偏り、『都合のいい宗教観』から離れる事
『回向』という仏教用語から離れても、言葉は『言霊』であり、漢字で読んでも『音の響き』で読んでも『心に反響(ECHO)』する、そして偏った教えに『反教』する
『都合のいい邪(言い分け)の不自然』に気付いて『自然(エコ)』に戻す
という訳で
エコ(自然)な回向(利他の継承)をECHO(木霊する)するええ子のお話でした
駄洒落は哲学なんだぜ?(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
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