好奇心

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君たちはどう生きるか?(予想外れと本編感想・ネタバレなし)

目は口ほどに物を言う、鋭い眼光の目は死んでいない。宮﨑駿版『君たちはどう生きるか?』を見てきたら考察する(予定地)

君たちはどう生きるか?を看板から考察

君たちはどう生きるか

追記:見た結果 アオサギ以外は全然違った(笑)

本当のレビューを読みたい人はページ下部へ

※あくまでも見に行く前の事前情報なしの予想が大外れしましたが、日本は『鳥にまつわる話』が多いので参考雑学程度に興味があればどうぞ(⌒▽⌒)

↓ 以下本編とまったく関係ありません ↓

日本を語るには『鳥』を用いるのがもっとも簡単だと思うのは、最近の気づきの中で、『八咫烏』『鷹』『鴾』を調べていた

鴨と加茂、皇の鳥と八咫烏 背負って担いだ神輿とは?

能ある鷹派詰めを隠す

失われたトキ(鴾)と廃仏毀釈は金品強奪

それだけじゃなく、他にも『格好』『鷺』『鵜』『鴨』

念のためを鵜呑みにする鴨を狙った鷺の保険に注意

カッコウは夜鳴く その生態から繋がる気づき

『百舌鳥』『雀』

寝起き閃き「もず」に隠された新世界秩序!?

絶対に読んではいけない『すずめの戸締り』の考察の氣締め

『鶴』もそう

カタカムナ47首 瀬織津姫?

カタカムナ54首 鶴と亀と鍵と門

今回、直前になって公開されたポスターの『鳥』について詳しい人は

アオサギか『ゴイサギ』と言っている

調べてみるとゴイサギは、ペリカン目サギ科ゴイサギ属に分類という事で、確かにぱっと見『ペリカンっぽいくちばし』にも見えなくもないが、名前の由来は

『醍醐天皇から五位の官位』を与えられたことからこの名前らしい。

五位の鷺 <平家物語より> [歴史・伝説]

この世にこそ王位も無下にかるけれ、昔は宣旨(せんじ)をむかってよみければ、枯れたる草木も花咲き実なり、とぶ鳥もしたがひけり。
中比の事ぞかし。延喜御門(えんぎのみかど)、神泉苑に行幸あって、池のみぎはに鷺のゐたりけるを、六位を召して、
「あの鷺とって参らせよ」と仰せければ、いかでかとらんと思ひけれども、綸言(りんげん)なればあゆみむかふ。鷺はねづくろひしてたたんとす。
「宣旨ぞ」と仰すれば、ひらんで飛びさらず。これをとって参りたり。
「なんぢが宣旨にしたがって、参りたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ」
とて、鷺を五位にぞなされける。今日より後は鷺のなかの王たるべしといふ札をあそばいて、頸にかけてはなさせ給ふ。まったく鷺の御料にはあらず、只王威の程をしろしめさんがためなり。

平家物語 巻第五 朝敵揃 より

《現代語訳》

今では、朝廷の権威も軽くなってしまったが、昔は天皇の命令である宣旨を読み聞かせれば、枯れていた草木も花を咲かせ、飛ぶ鳥さえも、その命令に従ったものである。
その昔、醍醐天皇(だいごてんのう)が神泉苑(しんせんえん)にお出掛けになられた折、池の辺に一羽の鷺がいるのをご覧になり、六位の官職の役人を呼ばれ、「あの鷺を捕えて参れ」と仰せられた。
命令を受けた役人は、どうせ捕まえられはしないと思ったものの、帝のご命令では仕方がないと近づいて行くと、鷺は羽繕いを終えて飛び立とうとしていた。
そのため、役人が鷺に向って「陛下のご命令である」と告げると、鷺はその場に平伏して飛び立たなかった。そこで、鷺を捕えて、帝のもとへと連れて行った。
すると帝は「そなたが、命令に従って、私の前に参ったことは、神妙である。そなたに五位の官位を授けよう」と仰って五位の位を与えられた。今日より後は、鷺の中の王である、という札を作り鷺の首に掛けて放してやったという。
これは、帝が鷺を欲しいと思って捕まえさせたのではない。ただ帝の権威の力を知らせようということの為である。

「源平盛衰記」という本があり、ほぼ同じ内容の五位鷺の説話が載っています。しかし、そこには五位の官位を賜ったということは書かれていません。

このリンク先を見ていて、私が『君たちはどう生きるか?』の看板ポスターを見て『強烈に惹かれた理由』と感じたものを見つけました

この話を基にした「鷺」という『能の演目』がある

「鷺」という能では、シテ(主演)の鷺の役は、少年か還暦を過ぎた老年の能役者のみが演じると決められており、些か特殊な扱いの曲

鷺の聖性や清らかさを現わすためとされていますが、その意味では、この能に登場する鷺は、コサギのような、清楚な美しさを感じさせる、純白の鷺でなければならなかった

コサギとは小鷺 コウノトリ目 サギ科

コウノトリ=赤ん坊を運ぶ=『皇の血筋』をどこからともなく連れてくる鳥

能楽についても興味を持っていたのはタイムリー

能楽と世阿弥とまたインド(牟須)

醍醐天皇の在位は、897年から930年のことで、平家物語のこの段は、1170年代から1180年代と時代背景的なミスマッチがあるけど、能は『六十六番物真似』で生まれている

つまり、『元』があって『後世によって構築』されている

菅原道真は,遣唐使の廃止を提言
894年遣唐使を廃止してから40数年後に唐は滅びる

この唐は地図を見たらその後の『明・1368~1644』という大帝国でもある

唐

明

この辺の描写は実は、もののけ姫にて『鉄砲を伝来してきた女』から『明』というキーワードが出ている。また西から海を渡ってきたオッコトヌシ(猪・約500歳)からも、そして明を攻撃し、鉄砲を伝来してきた外国勢力(石火矢衆)と『朝廷の密偵=ジコ坊』が手を組んでシシガミ(山の民)を殺すべく山狩りをする

もののけ姫の真実 士師記と信仰

けれど、それ以前にアシタカの一族の長老は「我々の祖先がここに移り住んで約400年」と言っていた事を考えると、年代的に、ちょうど『唐の滅亡の時期』と一致する

という事は、醍醐天皇の時代に何があったのか?

昌泰の変(しょうたいのへん)は、901年(昌泰4年)1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした事件

ちなみに『藤原家の家紋』をみてびっくりした

家紋

『草と額のマーク』という匂わせ

草と額

そこで醍醐天皇の時代の事を表現しているだろう、『五位の位』を授けられた鳥という『ササゴイ』、しかして『大人しく従った賢い逸話』も含めると、鳥は見ていたその『鋭い眼光』『人の愚かさ』のすべてを・・

みたいな?(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)

・・ここで『ゴイ』サギ、ササ『ゴイ』という言葉も偶然引っかかる

ゴイとゴイムは五位と悟意牟?

タルムード、宗教思想、権力闘争、その辺は『君たちはどう生きるか?』の哲学的な方面

これが辞世の句、集大成となるラストの作品にも関わらず一切の宣伝をしないという事は、興行収入という富や名声が目的ではなく『伝わる人に伝わればいい』という最後のお役目といった所か

『君たちはどう生きるか?』

これは、それ(全て)を知って・・という前置きにすれば・・まぁ、あくまで予想という壮大な大外れの可能性もあります

その時は黒歴史( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ Σ(゚Д゚)

と笑い飛ばして、普通にまったく違う内容のレビューをしようかと(笑)

追記:宮崎駿→庵野秀明ルートに派生!?

映画を見に行こう!と心に決めた夜、姉が行く予定だった美術館に行けなくなったからと貰ったチケット

庵野

ふふふ( ̄▽ ̄)導きやな~という訳で、古き時代の特撮技術も含めて新しい視点を学んでこようと思います

実際に『君たちはどう生きるか?』観てきた感想

普通に感想を言うなら『たった2時間に全部入ってる』

ナウシカ、ハウル、もののけ姫、ラピュタ、千と千尋の神隠し、世界観やそのままトレースしたような構図など、わかる人には「お!なんか懐かしいあのシーンが再現されているような?」それでいて展開はもっさりしないで次へ次へと新たな未知の予想外のシーンが続きみんな静かに息をのんで魅入っていた

途中はどんどん雑学を知らない人は置いてけぼり(知ってる人はそこで考察してしまうw)になるだろうけど、最終的には、アニメーター監督を目指す者達には、あらゆる『映像技法』が用いられている『一流の見本』であると同時に、これを学んだ『君たちクリエイターはどう生きるか?』

という日本のアニメイターや作家への『投げかけと問いかけ』と『託す思い』も感じると同時に、脚本・シナリオライターに向けて、この映像作品や『展開の背後』には一体どれだけの『表では語られていない歴史』の『洞察や考察』が隠されていいるか『よみ説けるか?』と

説教くさくない作品で見やすかったという意見も多いですが、この作品自体が『愛の鞭という説教』であり、説法だと思います

ジブリ=宮崎駿はこれで終わりでも、これを見た子供が次の宮崎イズムを生む継承者になる
全部の作品をみなくても、全て人繋ぎにワンピースにまとめた集大成

そんな感じ

でもね、本当はネタバレというより、考察や洞察をめちゃくちゃ書きたい(笑)
人物の生い立ち、環境、登場キャラクターから連想できるあの人種や宗教思想等

でも何一つ書けない、まだ書いてはいけないので
公開できる日までそっと下書きに書き溜めておきます

・・もう洞察の項目は10以上、1つにつき3000文字くらいは、世界が広がる話です
何を伝えようとしているか、非常に深い、この作品自体が何度も見返す哲学ですね

ひとつ言える事は、我々日本人の一部とはそういう『人種』という事(選民思想ではない)

これは本編と関係ない余談ですが

これから『AI任せになっていくクリエイションの世界』に『人が物を生み出す創作する』というバックグラウンドには、何か『大事なものを継承』して『次へと託していくという役目』がある事を物語っているかのような・・

生物への冒涜、人が人を感動させる作品はAIには生み出せない、AIに頼る者は生み出せない、そんな単純な事すら忘れた、与えられたものをただ貰うだけの『魂のない人間たち』は描かれてます(一瞬だけ)

そして最近、AIが生み出した作品を見て気持ち悪くなりました

何度見ても何も入ってきません、ただただ、『何一つ成立してない』のに『次へとつなげようとする不気味さ』だけがループしますが

私は『君たちはどう生きるか?』の一回目でかなりの『詰め込まれた思想』を読み取りました、二回目以降は、じっくりワンシーンごとに止めて何度も確認して『とり逃した伏線を回収したい』と思わせるほど

なぜこのシーンにこのシンボルが?どうしてこの人はこんな発言を?などと、思考や想像が作品の時間軸でいえば『前後』、作品を飛び越えて現実の歴史や史実、宗教、イデオロギーなどの人の愚かさだろうと立派だろうと、『語り継がれて継承されてきた生き様』を追いたくなる

『その作品を生み出した人』には、『どんな背景』があって、『どんな事がきっかけ』でと、『影響を与え続ける作品』は『人の手』によってしか創れない

AIだったら、その動機がなく、条件で依頼されたからそれっぽくという表面だけの薄っぺら

クリエイターはAIに依存していく社会をどう生きるか?
一般の人は便利を餌にAIに人を支配させる依存社会をどう生きるか?

創り手=創造主とはなんでしょうね

おそらく『終わっていく人たち』は後に『君たちはどう生きるか?』という作品すらもAIに学習させて、気持ちの悪いまがい物を生み出すんでしょうね┐(´∀`)┌ヤレヤレ

適当に積み木を組み立ててすぐに世界を崩壊させる(本編みればわかる)

素晴らしい作品でした
そしてお疲れ様でした

師匠と影響を受けた弟子の作品を両方見れて良かった

シン・エヴァ見たネタバレなしの独自の気づきと感想

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