好奇心

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もののけ姫の真実 士師記と信仰

悲しみの怒りに潜む真の心を知るは森の精、もののけ達だけ、という歌と作品の双方に隠された明と士師記の物語

何故かもののけ姫を見直した

きっかけはなんだったのか分からないが、何故かもののけ姫を見直した。そしたら今までと全く違う物語に感じたのは、冒頭15分程のアシタカが旅に出るまでの流れで

西から海を越えてきた祟り神=イノシシ(方角)
祟る原因は石火矢(人間の銃)
祟り神を討つと呪われる(カインの刻印)
東国の弓の名手、長髄彦、阿弖流為、流鏑馬
アシタカヒコ→追放→アシタカ
東北、ヤックル→角鹿→秋田

アシタカは東北の者だったと知り、またアシタカが追放される時の村の集の会話の中で、我ら一族がこの地に移り住んで数百年と言っていた事から、移民である事もわかり、森を敬う生き方をしていた

つまり、この一族は、海を渡ってきた清か、南から合流して東北の地に融合した長髄彦一族であり、山の神=自然や動物というのは、おそらく元々その地にいるアソベ(縄文)の民を意味している

ここまでの情報がものすごく意味がある

そしてその祟り神を生んだ石火矢の出処を辿り、西へと向かった時にアシタカがたどり着いた湖のほとりの多々良場

ここは女性が仕事をして明るく働きながら、鉄砲を作っていて、その鉄砲は目の前のシシガミの森を守る山犬に向けられていた。この鉄砲制作を指揮していたのがエボシという女性なのだが、作中でとても意味深なセリフを言う

ミンの銃より重いな、これでは女性が扱う事はできない」

作中にミンという国は出てこないが、アシタカの東国から見て西のここよりも遥に西の海の向こうから祟り神になったイノシシはやってきていた事が後から発覚する

ここで、日本という島国とさらに西の海を越えてきたイノシシ、そして、ミンという地理を組み合わせると、ミンとはであるとわかる

明

そしてこの時代の前後にはとても興味深い地名があった、それがタタル国

タタル

タタル → 祟る → 祟り神?
東のタルタリ → タタリ → 祟り神?

日本、特に神仏以外で使われる事がない言葉が、西の大陸の地名から来てると考えると、くだらねぇもまた百済であるという観点から

もしかしたらこの舞台は、過去の中国が舞台かもしれないが、歴史は800年ごとにずれて繰り返すというガイアの法則から考えると、そのままずらせば日本に該当するのも不思議なものだ( ̄ー ̄)ニヤリ

ま、今回は舞台は日本って事で進めていく

さらに作中でその祟り神となったイノシシが来た西から海を越えて、シシガミのいる森におっことぬしという老年の目が見えないイノシシ(推定500年)の一族が現れる

シシガミに人間と戦い滅びる覚悟を伝え、山犬達もその戦いに参加すると協力し、大陸を超えてきたエボシ率いる石火矢の鉄砲隊と、ジゴ坊という謎の朝廷側の山伏勢力が手を組んで、人間による山狩りを始める

物語の主人公であるサンは人間に捨てられ山犬に育てられ、人間にもなれず山犬にもなれない立場

黙れ小僧!お前にサンが救えるか!

の意味が物凄く深い事に気づくのだけど、そんな問に、アシタカはすぐに決断を出さない

「分からないが救いたい」

最後まで悩んで、森と人は共存できないだろうか?と双方の立ち位置を貫こうとする。だが、その罪のない普通の人間たちに戦争する知恵と武器と理由を与える武器商人の最終目的は

シシガミ殺し

シシガミはなんだかよく分からないが、昼は人面鹿、夜は透明なだいだらぼっちという巨人。森の精の木霊はそのだいだらぼっちが消える時の風を心地よく感じている

シシガミは生と死を司るという能力から人間に不老不死の薬になると狙われる

最後はシシガミは自然の再生を行い、サンとアシタカは結ばれることは無く、双方が双方の生き方、森は森、人は人の中で共存していこうというカタチに収まる

この一連の流れと、もののけ姫の代表的な歌が全ての鍵だった

悲しみの怒りに潜む真の心を知るは森の精、もののけ達だけ

この映画は、動物名の物の怪として描かれている存在達は、元々その地に昔から住んでいた先住民であり、人として描かれているのは侵略者が根付いて繁栄した末裔達

侵略者達から見ての先住民狩り という構図

西の猪が人間に黙っておれん!と言ったのはエボシがミンの銃と言った時点で明によって滅ぼされた国か、あるいは清(後金)によって滅ぼされつつある明の国そのものか

いずれにせよ武器商人による紛争を持ち込まれた側になる

山犬は見た目が狼なのに、作中では絶対にオオカミとは言わない。これにも非常に強い意味合いを感じる

例えば、アシタカは最初、自分の村にいる時はアシタカヒコと彦がつけられるが、追放後はヒコを名乗らない上に出身を北の東としか明かさない

狼とは大神を意味し、作中では付けられない的なコンプライアンスがあった可能性もある。ジブリにはよくある宗教絡みの表現の不自由というものなのか、それとも意図的にそこは山犬である必要があるのか分からないが

猩々(オラウータン・赤毛猿)については山犬は同じ森の仲間という印象を持っていない事から、動物側(先住民族)でも一枚岩では無いという事を考えると、勝手に住み着いた異民族のような者達もいたのだろう

いずれにせよ、イノシシ、山犬、猩々は、元々この地に住んでいた古着先住民族であり、森が荒らされるとは侵略者=異民族による攻撃を意味する

だから人間として描かれているアシタカもサンも侵略者の血

森の精・森の神=元々その地に住んでいた民族と文化の違いを受け入れ共存している東北の地か、争い奪う西南の気質かどうかの違い。だからサンのセリフの「アシタカ(縄文)は好きだ。でもニンゲン(弥生)は嫌いだ」みたいな言葉のニュアンスとしてもとれる

となると、最大最強の謎がシシガミだったんですが・・ここ数日続いたライオンズゲートの夢の旅と、44=士師のおかげでこれじゃないのか?と繋がりました

シシガミとは士師記

シシガミといっても見た目は獅子でもなく、トナカイ?かと思えば顔は人面

ししがみ

( ´ ᵕ ` )何このキモイやつ

最初から最後までそこにいて、ただ同じ事を繰り返すだけの存在。森の動物達、遥西のイノシシ達まで、シシガミよ!と駆けつけてくる程の存在、人間達が不老不死の化け物だと欲望の対象にする存在

シシガミって何?( ´ ᵕ ` )

という疑問は見終わって数日後にたまたま目にした言葉で繋がった

士師記

『士師記』は聖書の書物である。 ヨシュアの死後、サムエルの登場に至るまでのイスラエル人の歴史が含まれており、他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達が救済する内容である。この書物は、キリスト教においては旧約聖書に、また、ユダヤ教においては預言者に分類される

様々な時代の英雄烈伝みたいな移民ユダヤ伝承がまとめられた物

この中に描かれる伝承を全部足してカタチに偶像化すればもしかしたらこんな生物になるのか?透明なだいだらぼっち?のように巨大だけどどこか掴み所のない空想の風のようになるのか

ししがみ

シシガミは石火矢では死なないという表現があった。伝説や伝承、信仰は死なないし消滅しない。どうやってそれを証明するかと言えば、首をとって仕留めた!という物的な証拠が必要になる

首

つまり士師記という移民の民達にとってこの伝承は先駆者の生き様のバイブルであり、心の頼りという意味にもなるが、作中のシシガミとは自然のサイクル、万物流転、栄枯盛衰であると表現している

信仰など無意味、滅びるものは滅び生きるものは生きる、山犬達はその自然の法則を護っていた。言うなれば、士師記の信仰を頼りに、猪がかつてユダヤの民が渡ったであろう日本(山犬=神輿・アーク・幕屋)に協力を頼み、共に侵略者と戦ってくれと

でも実際の士師記は英雄烈伝ではなく、その歴史のサイクル=滅びと再生の真実だけは消える事無く不変の法則と歴史は繰り返す事を揶揄している

シシガミを言霊で読むと
次々と示す内なる力の実態

士師記が英雄伝説だと語っている。ひとつひとつはその時代を導いて救った者達の生き様だが必ず滅びている。そして滅びるからこそ再び導く者が生まれ新たな物語を紡いでいる

その繰り返しという全体像を見れば、シシガミという光の中では不安定な人面鹿?夜の闇では透明で巨大な人型でもないダイダラボッチ、夜明けは風になって姿を消す

信仰は正体を明かししてしまえば効力を失う種のある手品のようなものだが、生かさず殺さず握ってコントロールすれば力を維持できる。故に 掴み所がない ように現代までは繋がらないでどこかで途切れた伝説になっている事が多い

力がそこにある と伝え聞けば現代の人間でもパワースポットを訪れるように、その伝説の元に惹かれてくるだろう。それは士師記(先人の知恵)を私利私欲に使おうする人のエゴと本質的に同じである

シシガミの正体はそこにある自然を意味していた

結局、この映画の肝はにあった

悲しみの怒りに(侵略され追い出され)
潜む真の心(栄枯盛衰の繰り返す自然法則)を知るは森の精

物の怪達だけ(自然と共に生きた縄文の人々)

この映画の主役はサンでもアシタカでもない
その目線で見たら、悲しみの怒りにも真の心にも気づけない

そう言う作品だったんだなぁと受け止め方が変わった(´ー`*)ウンウン

ナウシカの原作で、風の谷の民とはかつて人類が行った核戦争の放射能まみれの世界に適応した人類で、元の綺麗な空気に戻るというのは、自分達が滅ぶ事を意味するというミスリード表現のように

表現の不自由を逆手に取った、西の縄文先住民と東日流のお話だったのかなと( ´꒳​` ) .。oO(深い

と、なると気になって来るのが〜?

平成狸合戦ぽんぽこ!!

これも狸が虐げられてきたもの達の末裔表現の不自由を逆手にとった方便と見方を変えれば、文明の生活をしている人間は全て侵略者の末裔。ちなみに狸はカテゴリ的には、犬、狼、熊など、広義に至る表現なので

狸達は何のために何と戦ったのか?そのへんも今度読映画を見て感じ取って見ようと思います(ちょいやっさ!)

このタイミングで、謎のもののけ姫を見直そうか?の流れももしかしたら、真の心を知る森の精の住む樹齢数百年の御神木の影響かもしれない

ご神木から伝わる明な話の東日流外三郡誌

あそこ行くと風がさわさわ〜って木霊するんだよね(見えないけど)( ˇ-ˇ )

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