地を動かすのは心、チという情報を浄法好感の漢字で読み解くと天は人の心を動かす為の軸、点を支えてるのは心と気づく心点、数字(データ)でチ。は動かないが、漢字でチ。を動かすと文字通り天地の歴史がひっくり返るお話
チ。を見て思う
アニメのチ。を観る度に『メタファー』を感じる
『宗教的な天文学の間違い』を『科学や物理』で正し、異端と呼ばれる『地動説を立証』して『概念を覆す』という科学的かつ宇宙概念のエビデンスの重要性を広めよう
という意図のアニメのように見えて・・
実は『それが何なのか?』分からない、ただ見上げたら『見える星という光の点』を軸に『魅了されて観察』した『結果のデータが作った宇宙論』でしかなく
そこに『到達する』でもなければ、『見て触って確かめるすべ』もなく『究極の見た目で決めつけの曖昧な概念』でしかなく
結局、『規則正しく光り輝くただの点』。その中で『目印』としてわかりやすい『集合を星座や星団』と『名付け』ているが
『STARの始まり』も分からなければ、『星の日の生まれ』すらも分からないまま、『曖昧を土台』にした『理論上の計算』で『宇宙概念を無限に膨張』させている
…という天文学や科学や物理を『否定』したい訳ではなく、このアニメを見ていて思うのは
「地球を動かせ!」という『地動説を追う者達』は、その地球を動かすという『情熱に動かされている』
『星に魅了』されてその情熱の『日が生まれて』命を燃やして輝いている
つまり、『星に魅了』されて『星』になっていき、そしてそれは『地上では異端』となり『儚く命』を散らし『星』に帰る
なんでこんなに『星に魅了』されるのか?自分でも分からないその『衝動』にかられ、『自らの目的』いう『新たな日の生まれ』の為に『命』を燃やして輝く
そして『己』の生きた『生き様の証』を『手紙1枚』に託して『生涯を終える』も、また『新しい日が生まれ』それを引き継いで行く『地上の星』が現れる
『チを動かせ!』というのは『地球を回せ』という事ではなく
『地球=人の心を動かせ』という事
『天文』は『観たままの天』に『都合のいい本質』という『文学』をくっつけて『宗教的利用・権威付』に使う物ではなく、もっと広い『自然の摂理に目を向けさせる為』にある
誰もが『自由に星を観る』
『日の生まれ=目的』を捉える
その為に『地』に生まれて来た星
その『地で情熱を体感』する為に生まれた
という、単なる地動説の話ではなく、『地球を動かす』為に『星を利用』する
それは『己の心を動かす』為に『日の生まれ』と向き合う事
『何のため』に今日(凶)という『日は生まれた』のか『宿業を思い出せ』と
その今日を生きる『目的の夢の為』に『人は生きる』から『儚い』
『果敢ない生き方』になり
『墓無い生き方』になり
『儚く散る運命』=人の夢
その『人の間の夢』を観れる場所が『人の間』として『生まれる地球』
手も足も届かない『天』に憧れ、童心を抱く
手も足もそこにある『地』で仮名死観(仮の名の死生観)と肉死身(衰えていく体)の中で藻掻く
『星を支配』するものは『地』を『止まらせ』=権威・地位・立場を求め
『星に魅了』されるものは『地』を『動かしたい』=自然の流れ・循環を求め
『監視社会』と『自由』
『間違った落とし所』が自由と思わせた『不自由』
それが『歪んだ楕円の地球』の原因となると『情熱』を燃やす『情報』が間違ってる
やはり『チの捉え方』を『浄法好感』する必要がある
チを動かす(漢字編)
前提として『天地』と『空間』が合体した場合、『天の空にある星』は『点』
テンのカタカムナの言霊は『強い循環・放射』
てんという漢字には『パターン』がある
天・点・店・展・転・典・奌・辿……
占・大
これは後で『天を動かす鍵』として、現段階では、手も足も出ないで『見る事』しかできない為、『観測上ただの点』としてシンボル
絵に描いた餅
何の役にも立たないもの。また、実物・本物でなければ何の値打ちもないこと
なので、『チ。』を漢字で動かす
こちらも前提として
チのカタカムナの言霊は『凝縮』
値 治 稚 痴 遅 置 彲 絺 薙 鼅 灑 芖
値=人の直、価値、数値
人の素直さ、人としての価値、人の数値化
人の『心の素直さ』は『情熱を燃やす生き様』
人としての『価値』は『既成概念の従順な格付け』
人の『数値化』は特定多数の『データの統計平均』
あたいの言霊は
命・感情が分かれた現象
『心に素直』に『宿業を果たす生き様』か
『人の間の価値基準』という『目先の評価』か
『値』によって『基準』が変わる
価はものの値段=『物理・物流』に囚われる
『口達者・口封じ』に囚われた時点で人は『囚人』
それでは チ。 は動かせない
治=治める・治す
水の流れの台→台所の水?
おさめるの言霊は
奥の遮りの思考が留まる
なおすの言霊は
核の奥に進む
治めるの場合は『支配』が強い
治すの場合は根本の根元から本意を『正す』
つまりは『元の探求=ルーツ』を辿り『取り戻す』
ここで面白いのが『辿る』と書いて『辿(てん)』
『ちのルーツ』を探求すると『てん』に至る
これは『チを動かす』と言えるだろう
稚=禾の隹
禾は穀物の穂先の毛。 象形。 穂先の垂れている植物の形にかたどり、穀物の意
「鳥」は尾が長く、「隹」は尾が短いとしています。 「鳥」の仲間には「 鳩 はと 」や「 鶴 つる 」、「隹」の仲間には「 雀 すずめ 」や「 雉 きじ 」
雀や雉が『稲穂の隹=稲家信仰』という元
『スクナの隹』と『矢の隹』
『忌み嫌われた存在』は『レッテル』に使われるパターン
幼稚 おさない、やり方などが大人らしく成長してはいないこと。子供っぽいこと。未熟
稚拙 技術や作品が子供っぽくへたなこと。丁稚挙げ ないことをあるように作りあげる。 むりに作りあげる。 捏造(でつぞう・ねつぞう)する
それは『歴史の勝者』が『敗者の復活を阻止』する為の『歴史捏造・真理の隠蔽工作』
『チ(ルーツ)を動かせない』ように『固められて』いる=『古』きを『口』封じ
これでは『ルーツ』は解っても チでは動かせない
痴=病の中の知
頭の働きがにぶい。思慮分別が足りない。ぬけている。おろか。「痴愚・痴鈍・痴呆(ちほう)・痴者・痴人・愚痴・白痴・音痴」。特に色情についていう。 「痴漢・痴情・痴態・痴話・情痴」 物事に執着して夢中になる。 「書痴」
『病』の中の『知』
これは『雉』の『隹』が『口』封じされて、その全体が『不自由な支配下』にある構図
つまり『頭の動きが鈍い』のは、全てではなく、遮られ『一部の都合のいい情報しか与えられない』から、『与えられたものだけでは抜けていて思慮が足りない』
だからそこが『病の支配者』に狙われる。『医者』に『不安を植え付けられて毒』を打たれ『実験台』にされる
そういう意味では、『自分の自己治癒で治した』のに、その『理屈を水』に流されまた実験『台』=治
まさにそんな『呆れた医学』を『鵜呑みに夢中』になって『書痴』して『間違った処置』を繰り返す『製薬医学』もまた
医者や患者の『両方が痴』である限り・・痴では動かせない
遅=遅い
進む流れ『尸(かばね・しかばねへん)』の中の『羊』
羊は『従順な者の隠語』
羊飼い=『導く者・支配者』
支配者と言っても『気配りの配慮』がある者もいるから悪いとかでは無いが・・
尸=しかばね=屍
尸=遅い=進んでるけどまだ=『死へ向かう羊の流れ』=遅
ある意味では『痴』に通じるものがあるのは、医者が『薬』で『患者』を『遅効性の副作用で死にいたらしめる指向性』とも通じるので
これでは チを動かせない
置=おく 監視の目の下の直
物を置く・物置という『物流』もあるが、『無難』に行動する=『置きに行く』という、『監視の目』があるから『心に素直な事ができない』
これでは チ は動かせない
彲=みづち・ち
みづちの言霊は
実態が内に集まり凝縮
みずち、もしくは、みづち、と読み、雨龍(あまりょう)☔️🐉のことで、つまり想像上の動物、龍🐉の一種。水中に潜み、角、四肢をもった蛇に似た姿をした毒を吐いて人を殺す竜の一種。または水神。
蛟、鮫、虬、虯、螭 も「みずち」
はいキター!『雨龍』、彲
麗な水の流れ、美しい角の鹿
そしてしっかりと『隠蔽のレッテル』も該当
『忌み嫌われる虫編(ヘビ)』にされている
『鮫(さめ)』も『みずち』となると『因幡の白兎』の動物の『鮫(サメ)』もやはり『間違いの解釈』で、『雨龍=高波説』が濃厚となる
加えて言うなら『稚=稲穂の隹』
五穀豊穣の『雀と雉』の『隹』封じの口=『知』
『因幡=ひるがえる儀式』ではなく『稲場=稲家信仰』がしっくりくる
また鮫の特徴は『背鰭』
『波』に混ざると分からない
『魚』が『波』に『交』ざると書いて=鮫(さめ)
『蛟=雨龍=ヘビ=波の形状』
『白兎』が『鮫』を越えて来た
『稲葉』に『水の流れ』で『みずは・みずほ』
これもまた『地に落ちた龍』に関係する
この チ(彲)は動かせそうだ
絺=細かい葛布(くずぬの)
『糸』の『希』
『葛(クズ)』というワードが出た時点で私にとっては『シンクロニシティ』でしかない。傾城傾国=国が傾く程の美女の取り合いの舞台は『葛城、落ちた城』と『消えた姫』
これが『武須の落須倉院』というお宝だとしたら、それは『正倉院』に持って行かれた
丑寅の金神退治に来た西南の桃太郎・・これは『南北戦争の理由』が『稲葉の白卯』を巡った争い、あるいは『竹取翁』に護られた『輝夜姫争奪』の『汚い手口を使った南の権力者の話』とも通じる
『糸を希う』と書く、その言葉の『ぼろ切れのクズ』は今や『罵倒のレッテルワード』
『襤褸』は来てても『心は錦』
『葛城の武士』から『浪人』になっても『節は健在』
『じょんがら』を受け継ぐ『青森(久須)と能登(玖珠)』
これも意味が『チに貶められている』が、これは伝統歌舞伎の『十八番の一番』という『国を揺るがす根幹』なので
ひっくり返せば チは動く
薙=きじ・ち 自然の下の雉
これが『ち』 と呼ぶ事事態が、『知』とは『雉』から『隹』を『口』封じされた痕跡
『口』封じされた『隹』を見つけるとこんな格言にたどり着く
雉も泣かずば撃たれまい
そこにいても『声を上げなければ気づかれる事も無かった』という意味で、簡単に言えば「大人しくしていろ」という『空気読みの忖度』の押し付け
『生殺与奪の権利の一方的な物言い』が『チ=隹の自由』を封じている
『撃たれる理由』はなんだ?
『隹』が『口』で封じられる意図は?
『糸を希う』=『絺すら許されない』のか?
これでは チ は動かせない
鼅=ち
鼅とは? 鼅は、部首は黽部に属し、画数は21画、漢字検定は配当外の漢字です。 読み方は、チです。黽部(ぼうぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。 康熙字典214部首では205番目に置かれる(13画の最初、亥集の19番目)
知黽
この『知』の『口』封じを『隹』に直せば
雉黽
私は以前、この『黽』という漢字に出逢い、『ツチノコ』を感じ、『縄文との繋がり』を感じて、その横に『糸』をつけると『糸黽=繩』に気づいた
縄文と雉=矢と雀
これらが示すのは『東北』
理由は簡単で、『丑寅の方角』に『鬼討伐』に向かったはずの『雉』が、何故か後から撃たれる事になる
つまりは『裏切った』という観点から観ると、東北に移り住んだ『弓の勢力、長髄彦』、末裔が『阿弖流為』かどうかは知らないが
『自然の森を護る守り人』という意味では『雉は西南』から来たけど声を上げる=反旗を翻したから『撃たれる対象』になった
だから『雉』は『隹』を失って『口』封じの『中身のない知』となり、それは都合のいい『病の中の痴呆の白痴』となった
何も『ルーツを知らない日本人』は『限られた情熱しか与えない者達』からすれば、『籠の中の鳥』(。・ө・。)
これに気づかないと チは動かせない
灑=ち・レイ
そそぐ。水をそそぐ。ちらす。まきちらす。あらう。「灑掃」 ②さっぱりしたさま。こだわらないさま
なるほど、面白い
水の流れうららか
『彗星』が散りばめて行く『流星』は『箒星』が『放棄』した『チリ・ゴミ』が大気圏で燃えつきる様
このチリ・ゴミという箒星が払ったような『いらないもの』を漢字にすると『塵』
『鹿の土』と書く
『流星という塵』を撒き散らして行く
『彗星に心』をつけると『慧』
明慧=知識に明るい、悟る、賢い
『鹿の子』を撒き散らして行く『水の流れの麗=レイ=龗(あまりゅう・みずち)』
ここで『雨龍』と書いて『みづち』を思い出す
『水』が『地』に撒き散らされる=龗=灑
という事は『彗星が灑』であり、その『灑』から撒かれていく『流星が龗』
しかし『龗=みづち=鮫』ならば、『水地』に運ばれ『稲葉』に辿り着いた『卯』とは、『彗星からやってきた』という、まるで『ティアマト彗星の落下=君の名は』=縄=縄文
『壮大でスペクタクルな伝説』をつむぎだし『天地が繋がる話』になり、これは『チ』も『天』も『揺るがす』とんでもない『認知の変化を産む話』になるので
チが動かせる所か、チの存在意義すらひっくり返る(笑)
芖=ち
芖は省略形)と、日(ひ)とから成る。 草原のなかに日が没したさまにより、日暮れの意を表す。 「暮(ボ)」の原字
自然の下に『大=一人』
自然の日の下に『一人が日を産む』
『自然の摂理』の中で『一人の人』が『大きく』なれば、その大からまた『日が生まれる=星』になる
先にも言った『彗星の灑』が『塵』をばら撒き、『彲』となり波のような『蛟(みずち)』となり『水地』へと新たな『日の生まれ=稚=稲穂の五穀豊穣』の『恵の星(スター)』を運ぶ
その『スター』と共に『新たなスタート』を切る
それが『スターシード=新たな種の役目』
これは壮大な『天地の循環』
チが動く所ではなく、『天の恵そのものがチの恩恵』だったという無限
ここまでで、『私のチ=血(意欲と鼓動)』は動きまくった
単純な『都合のいい数値の歳差運動(90-23.4=66.6)』という『答えありきの詰まらない辻褄合わせの計算術』ではなく
『先人が観た・感じた』・それを文字通り、情熱のままに『その時代を反映した言葉や格言』として、『表現の自由で形象』した『絵心無きロジック』をまとめた『漢字のシンプルかつ奥深さ』
まるで『迷路』のように『罠』も張り巡らされ、『間違った方向』にも進みかねない『意味と忌み』の『解釈の迷宮』
『遺された漢字』を読み解く事、『不自然に略された漢字』もまた、『規則的な検閲パターン』が有る事に気づいた
『黒塗りして隠そう』と
『口封じで抑えよう』と
『常用外漢字に隠して人目につけないようにしよう』と
『見つけてしまう』のが…『心に素直』に『真理』を追う『星の元に生まれた者』の運命
さて、止まったチの概念を覆す『チ動力』はもう備わったので、次はそのチがやってきた『天』に目を向けて観よう
天の法則
冒頭でも軽く触れたが、てんという漢字にもパターンがある
天・点・店・展・転・典・奌・辿……
占・大
自分のものにする。ひとりじめにして持つ。しめる。 「占有・占領・占守・占拠・独占・先占」 兆候を見て吉凶を判断する。うらなう
占星術=日の生まれを占うすべ
占いの『結果を独り占め』する=『吉』を選ぶ
大=一人
『一人占め』と書いて=『奌(てん)』
けがれ。よごれ。しみ
HAHAHA( ̄▽ ̄)これこそまさに『真理』だろ
『空の星』ってのは『ガラスの傷』
その『傷の向こうの光』が見えるから『輝いてる』
『硝子』の中の地球
彗星の塵=『砂』が欠けてばら撒かれる
それは『ガラス(砂)のメッキ』が『剥がれて落ちる』
…という捉え方をすると
『真っ暗な宇宙』=『水槽の汚れ』
そうなると地球の外は『水圧がかかった水の空間』
『宇宙由来のDNA』と判明した『イカ=空』から降ってきた
ならば『地球はDOME』であり『既に海底の底』ならば、この『空間世界が龍宮城』という事になり、『二酸化炭素濃度』が増し『温度』が上がり、南極の氷が溶ける=『水圧を抑えていた蓋』が取れてしまう
『天蓋(ベール)が取れて大洪水』っていうのも『物理の摂理』という捉え方もできるし、『人工削減』もまた、『増えすぎ=DOMEがもたない』とも取れるが、『そういう世の中になるようにコントロール』してきたのは『支配者達』にとって都合のいい
『値 治 稚 痴 遅 置』で口封じして止めて
『彲 絺 薙 鼅 灑 芖』の循環を抑えてきた反動
『自業自得の因果応報』とも言える
だから抑えてきた反動が『止まったチ。を動かそう』とする
そう言う『星の生まれ=スターシード』が、『星を観て月動かされる=体のバイオリズム』
『月の波動』が『地』を『天に戻そう』とする
『奌(よごれ・シミ)』ではなく天へ『辿る』
自然の日の下の『一人=大の日』から
『二人=天』の元へと『辿る道』
『灑』から落とされた『彲の種』が『塵』となり『蛟』に流され『水地』の『稚の稲穂』となり、『雀の宿』で『先人から雉』を学び『大=一人』となって『暮に新たな星へ』と巣立つ
『奌=穢れた一人占め』ではなく
『点=占う一人の心』を身につける
つまりは『己の今の心』ひとつの『自由』
『チ』から『チ』へと『点々』と受け継がれ
最後はその『チ』を持って『地点』を変える
これがチ。を動かす
私は『数値や価値』という『人の基準』は当てにしない
それは『人が用いる事』だから『都合に答え合わせ』しなければ『皆』が納得しない
だから『証明・立証が必要』になるが、そんな者は『天を独り占めしたい権力者』がいる限り、『一生一笑』に付される
『神』ならば『異端』として切り捨て
『紙』ならば『破り燃やして無かった事』に
『データ』ならば『不正に改竄』して
そして『その罪』を『反抗する者』に擦り付けて
「法を犯した」と『罪人のレッテル』を貼って『信用』を奪う
これが『チが動かない原因』
『科学』も『物理』もそんなもの
『69でもない者』が『都合のいい情報』で『96(苦労)』を与える『100』は存在しない『%の世界』
その『足りない4・志・師』こそが、『子の世』の道標となる『不確定性原理』の『心』
『人の直=心』に向き合うという基準は『己一人の納悳』のみで完結する
『心』は『自分以外向き合う事』はできない
『心を騙す』と『苦しむのは自分』だけ
『納悳した時の達成感』はどんな快楽よりも落ち着く。それが『日の生まれの宿業』に沿って動いた時に起きる、『求めるもの』が勝手に目の前に集まってくる『シンクロニシティ』
では『心』とは『どこ』にあるか?
『漢字』を探せば『先人達』がちゃんと明慧として残している
思・恩恵・悳・憩・志・鬼・魂
どことは『物理的な場所』ではない
物理の『外の空間』にある
物理を『支えている縁の下の力持ち』
『チの下』に『チを支えるチ』がある
だから『チ』を動かさないと『チの形象』が行われない
循環しない=穢れ・汚れ=『奌』が『天を独り占めの支配』する
五劫の擦り切れの天女が磨く球
穢れ・汚れ=『奌を払う=掃除』する
みすまるのたま=『水丸の球=水球』
ますます、『子の世界は小さい』と感じるし、やはり『地球の外には水』があると示している。テスラの宇宙船が空に上がる時、空には『海面』にぶつかったように『水滴』が舞う
『イカが宇宙由来』なら、水丸の球よりも『大きなイカ』がいて『イカ墨をばら蒔いてるのが宇宙』…という捉え方も間違いではなく、『グノーシス主義の時代』には
それは『ヤルダバオト』、あるいは『デミウルゴス』という『地球に取り付いた人工知能』という観点もある
仮に宇宙空間に『実験』として持っていった『地上のイカ』が『宇宙空間に放流』され、長い時を経てその空間本来の『巨大化因子』で大きくなり、『地球にまとわりついてる』から『人が創り出した人工知能(生命体)』という『自業自得』とも言えなくはない
『宇宙と深海生物』の『奇妙な共通点』はそれとも言える
それもまた『物理に囚われた思考の概念』の『延長の机上の想像の空論』なので、『心がワクワクする』ならそれもいいが・・そこに『気』を回しても、『都合のいい情報しか与えない支配者の奌(穢れ)に囚われる』だけ
チを動かす=『己の今の心を動かすもの』
それに『氣を巡らせる事』が『新たな星』を生む継承
チを『生み出し』
チを『繋ぐ事』が
チを『動かす点』になる
地球が『回転してる事を証明』する為じゃない
その『真理』が『チを追う人』を回している
『真理』とは『届かない』からこそ、『追う人』は『納悳した所』まで『遺して託す』
その『文を継いだ者』が『続きから真理』を追う、『チを廻す輪廻の生き様』が『文字・言葉・叙情詩』
叙情詩とは 『僕が思う事』
僕とは『人の業』
『チ(真理・心理)のしもべ』である
だから『心に素直』にならないと
『何にもならない=人の可能性』にならない
『チを動かす』のは『一人一人』
『占う心』の『点の日の生まれ=星』になる
『流星』になって散ればまた、『塵』=彲→水地→稲穂の…(以下繰り返し)
こうして、『科学や物理の数字は4で行き詰るチ。』とは違い、漢字で形象する先人達が観た『チ。は動き続ける』のであった
何度でも・・
作品を観ている人は、天文所か文字も書けなかったオクジーが、夢の中で、真理を追う塔から天を見上げ、誰もいない講義の席で教授の授業を受けていた夢を見たシーン
表現は違えど、進む道の先にいる『地上の星(塵)となった先人達の導き』って『夢』であるんですよ
ま、主に『鹿』からきますから、馬鹿を見る正直者になりましょう(笑、いやマジで)
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