好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

縄文ではなく繩文 隠された黽(ツチノコ)の継承文化

ツチノコの夢という伏線があって、籠目の歌の亀という伏線があっての鬼が云うは縄文ではなく繩文文化という稲荷琴吹のお話

君の名は…縄?蠅(ハエ?)

亀はツルッと滑っても亀(カタチがね)
というかこめの歌の『道理』に気づいたきっかけで

『亀』の形状がどこかで…(´-`)oOあ、『縄の右側』だわ!と気づく

それでこの右側の形はなんて言う?と調べて行くと、『蝿』という字に行き着いた

蝿(蠅)」は、「虫(むし)+黽(ヨウ)」の形声。 ヨウは揺ヨウ(ゆれる)に通じ、 空中をゆれるようにあちこち飛び回るハエをいうんだって。 (ネットから) 縄のようにゆらゆらうるさく揺れながら飛び回るからか

うーん(´-ω-`)『縄のように揺れるハエ』はおかしいし、ハエが飛ぶのを『揺れる』とは言わないよね

で何よりもこの文字の形象そのものが私はある『幻の存在を表している』と感じた

それは直近でも夢で見てきた『ツチノコ』

ツチノコ

あなたが夢の中においてツチノコをペットとして飼っていたという場合には、あなたが現実としっかり向き合えていることを表した夢となっています。また金運の上昇も表した夢となっているので、金銭的豊かさを手に入れることが期待できるでしょう。

しかし、飼っているツチノコが懐いていない場合には、あなたは自分の願いなどを無理やり抑え込むことでストレスを感じていることになるでしょう。

初めて夢で見てきた時の事を『記録』として残している通り

ツチノコ

亀に乗って爆走し空飛ぶツチノコと遭遇する夢

私が見たツチノコは『空をふわふわと飛んで』いて、周りの人はみんな別に珍しくもないというリアクションだった事

その『虫』なのか?『蛇』なのか?なんとも分からない存在の『形を絵=文字化』したら『黽』がしっくりくる

空をふよふよ縄のように浮かんでたとするなら、縄文時代とは『意図』『ツチノコ』『文(知恵)』の時代

エジプトの仮面の頭にコブラが描かれているが、古来の日本の神の頭にも人面の蛇、『宇賀神』が表現されている

宇賀神

宇賀神は、頭は白髪の老人で、体が蛇というインパクトのある姿です。 こちらの宇賀神を頭に乗せた弁財天を「宇賀弁財天」といいます

私が直近の夢の中で見たツチノコは『人面(女性)』の蛇…っていうほど長く、細くはなく、亀のようなフォルムで首が出てて尻尾がチョロっとピコピコしてる

害は無い所か『悪いもの(黒い影)』を食べてくれるような(その時は顔は蛇)

その黽を虫や『ハエ扱いのレッテル』を貼り、「見つけたら金をやろう」と賞金まで出して『珍獣扱いの見世物』にしようとする思惑は…

明らかに『黽』を捕まえたい
その『秘密を暴きたい手口』である

昔、『失われたアークを探す番組』で大量に『環境破壊を金の力』で行ったように、『金に屯する勘の鈍い奴』を使って炙り出そうと…

縄文の心、自然を大事にの精神が真に宿ると『敵意』が無くなり、その敵意が無いと『安心』すると、様々な動物が…『夢の中』で私に集まってくるから不思議

仮に『黽=ツチノコ』だったとしても、夢の中の私は目の前を飛んでいても『捕まえようとしなかった』し、懐いて来たツチノコは『好きなように』させていた

それがかつての『宇賀神=宇迦之御魂神』ならば…と書いててなんかしっくりこねえ(´-ω-`)と調べたら

『倉稲魂命(うかのみたまのみこと)』という表記があって

あぁ(´-`)oOこれだ

『稲家の米倉』と鬼が云う『命=稲荷の米俵』
五穀豊穣のお稲荷さん

言葉の歪み 田舎者は稲家者 八百万の自然稲荷信仰

宇迦之御魂神と白龍龍神との不思議な縁

稲とは『命の根』

カタカムナ『7首』に語られた
『ハエツイナホン カタカムナ=生えつ稲本』

『形(パターン)』を持った『神名』
『物質化した現象(片方)』した『神名(道具・法具・応具)』
『非物質の潜像(片方)』の『神無名(エネルギー)』

それが『命の根の元=根源』

稲荷寿司からおいなりさん

寿(ことぶき)はめでたい祝を司る
壽(ことぶき)はいのちが長い、長生きを司る
また琴吹(ことぶき)ならば琴は『弾く』、笛は『吹く』演奏を司る

まさに『弁天は音楽の神』でもある

『稲荷の収穫祭囃子』が聞こえて来そう
『豊穣の喜び』『声明らか』『神と楽しむ』

『声明と神楽』

もしもそこに『夢の中の私』がいたら、私に懐いていた『人面のツチノコ』と一緒にその祭りを楽しむだろう٩(ˊωˋ*)و‹‹\( ˙▿˙ )/››

その『精神が豊か』になり『心』が満たされる『豊穣の知恵』を授けていたのが、『宇迦之御魂神=宇賀神=頭の上に人面のツチノコ』だとしたら

縄文文化とは…あった(´-ω-`)やはりな

『神=示申』とかつての表現が『常用漢字から失われた』ように、私は『糸亀』ではなく『糸黽』と表現しようと、『よう』の読みで漢字を探したんだよ

そしたらあったよ

真・繩文文化

なわ、すみなわ、規準、 つぐ、つなぐ

繩文とは『基準を繋ぐ、継承する』という事

つまりは『原典(形になってない精神)』があり、それを『文化(形の現象)にして継承』する

つまり、『字書く』を促し、『自覚』させる、『生きる事を遊びや学び』に変える『アソベ族の学習文化』=結果、『識字率』が高い

だから繩文時代は『その教えが廃れるまで、穏やかに発展』し、『1万年もの平和が樹立』されていたとしてもおかしくは無い

なぜなら私のように、『宇迦之御魂神→ 倉稲魂命』であり、『稲家の倉に貯める米』を鬼が云う=魂の『命の根源が稲元』になってる『稲荷信仰』と『精神世界で豊かな知恵』を授かり『心が納悳できる状態』になると

ことわざの『意味=現象』がやはり『忌=潜像』に変わる

腹が減っては『戦(単に戈)』は出来ぬ!・・ではなく
『食う』に困らなきゃ『人は争わない』

『戦う為』に『鋭気を養う』のではなく
『満腹』になったら『争う気』も消える

たらふく作って、たらふく食って、たらふく動くから『体が健康』になり、そしてその教えは『精神に宿りDNAに継承』されるから

その季節や環境の『自然の移り変わり』に合わせた『風土、風情、風流』が失われる事は無い

これが鬼が云う『稲荷信仰』
稲荷寿司→『琴吹』を司る・『長生き』を司る
収穫の声明と神楽の『琴や笛の音色の祭囃子』

その衣(心は錦)と形(生き様・ナリ)の『イナリ』が好きで『狐』が現れ、成り行きで眷属として受け入れた。狐はその『愛らしさ』で『人を化かす』=獣の瓜

狐色に焼く

料理において材料を焼く・揚げる際に、材料の表面が薄い橙色に近い色合いに仕上がっていること

『火の違う使い方を教える者達』が入り込む
『争いの地から来た者』は『木や森を焼き払う』

いつの間にか稲荷信仰は『狐色』に染められ、『材料として利用』され始めた。『自然信仰の対象』が『物理的な道具や手段』になって『精神の継承』が失われてしまった

『純粋な風土』に『混ぜ物』を入れた結果、土地も人も『滅びる運命の始まり』で、それが緩やかか、急速に『侵攻』するかは、『自然治癒の力と免疫力』次第

つまりは土地や風土、風情、風流を愛する『地元愛』という精神の氣の巡りが多ければ『自然に元に戻る』が…

『見た目の体裁(食料確保)』だけ『手段として生産』するのでは『魂が宿る命』は生まれない。『云う鬼の継承無き命』は、『現象の供物』でしかない

『猫(病)』の皮を被った『虎(トーラ・原典)の威』『借る狐(人を化かす)』『おいなり寿司(何でもごちゃ混ぜ統一教の言いたい放題の祭り囃子)』の言いなり

それ、稲荷じゃねーから
それ、倉稲魂命じゃねーから
それ、五穀豊穣じゃなく『後国放生』だから

『国』を『手玉』に取った『後』は『命だけは奴隷として助けてやる=緩やかな侵略』

だから繩文時代は『いきなり終わった』のではなく、徐々に奇妙に『何かに文化を移し替えられる』ように消滅して行った

しかしそれは『片方の神名(物質化)の滅びの役目』であって『精神の片神無名の再生の役目』という『命の根=稲』からまた生える

『閉じられた気』は己を探求する心=禁忌から『湧き出る氣』で開かれる

…が、(´・ω・`)今日の所は

ツチノコ=黽=『繩文の意志』
『繋ぐ継承させる文』と生えつ稲元カタカムナ

『カタカムナ』と『繩』と『ツチノコ』
その継承は頭の上に宇賀神=宇迦之御魂神=倉稲魂命

稲荷と米俵と鬼が繋がった大きな発見

なう(2024/11/03 11:11:09)

エンジェルナンバー1111は、新しい始まりやチャンス、人生の転換期、新たな章の始まりを告げるサインとして、古来より世界中で認識されてきました。天使からのサポートと励ましがあり、新しい道へと進む準備が整っていること

確かに、『縄文』『繩文』では『観測世界』が違う

縄文は縄の跡の模様と土器文化
繩文はツチノコと精神の継承文化

ある意味で『ツチノコ』という名称も面白い

土の子ならば『自然』
槌の子ならば『木を追う』
木を隠すなら森…が焼き払われたらどこ?(・ω・* 三 *・ω・)

愾槌(いかづち)
心に氣を巡らす木を追う=今の心を観る=観念

カタカムナ77首 カンナギ(巫)はイカヅチとカミナリを語る

そんな『消えた自然』と『自然を追う子』がであって『合体=宇賀神=心氣一転』=『意識』が切り替わる

それが鬼が云う=『魂と靈』が宿る
『靈魂』という『精神世界からの継承が可能な状態』か…

そしてその『靈魂間位置病=レイコンマイチビョウ』という『現実に囚われる警鐘』も前に教わってた事を思い出す(全て伏線になってる…)

DNAと月 綾波が霊を癒す感覚と霊魂魔位置病

それを『文化=文字化』して『字書く』事で『自覚』させて繋ぐ繩文

んんん??(´-`)oO訳詞如来の妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ
お前はまさか…俺の頭の上に

はっ!Σ(゚д゚;)『額に言の葉(カタカムナ)を貼り付け化ける狸の仕草』はそう言う事だったのか(内容を説明してくれてたのはツチノコ)

神代文字のフトマニ図を枕の下に入れて寝ると?!

神代文字のフトマニ図に異変が?!

いやいやいや(ヾノ・ω・`)

でも現実的に『自分で実践』してやってきて『現象として確信』してるから『常識』では『無い=存在しない』のだろう

でも『常用漢字』という『常識』がどれだけ『忌のある言葉』を隠された一部の『井の中の蛙大海を知らず』かに気づけば

『非常識』は一般常識という『普通では無い』だけの『非常用漢字=一部の実践者のみ』が身に付ける領域の知恵

普通とは『与えられた情報を出ない』ように、『想定内に収まるようにコントロール』されたどうとでも出来る『囚人領域』

『四角』の中の『口封じの器』の『一人=大』でしかない
勘が『鈍』いと『金(地位・名誉・人気・権力)』に『屯』する

『人』は『昔』、『金』で失敗した=『借金』
こんな風に先人は『精神事例を文字化』して『警鐘を形象』として継承を促してくれている

惑星にビル立てて金に屯する奴を搾取するアヌンナキ

有るのに得ない=『有り得ない』
そんな奴はほっとけ=『仏』

イムは忌=『己の心』
己の心は『意識』が変わらないと
現実の『見え方・観測する角度』を変えられない

物事は『多角的』に捉える
多角=四角=物を云う立場の角=過度=極端

『大局』を見なければ『対極の自作自演』は分からない
『自作自演』と解ればそこは『囲まれた空間』
『視覚』を封じてるのは『立場の口=情報統制』

それを『信じるも信じない』も『人の言う事』を『気』にした世界を『観測』するかは『貴方次第の色即是空』

『周りは全ては無いもの』として
『真の自分の心=有るものと向き合う』と…

私は夢の中で『ツチノコ』と出会った
その時は何なのかわからなかったが、この記事は先にその『体験記憶』が無ければ、まとまる事は無かったと言える

しかしまあ、『繩文』か・・繋ぐ文、継承する心

縄とか土器とかは『行動の結果』に過ぎなかったとするならば、それは『繩文文化が失われる末期』

一度『滅び』かけ、『自然と共に生きる中』で、『人同士の争い』はいけないと『武器を作らない事を繩文文化として継承』したのだとしたら…

ヒビ入れずに丸穴を開ける技術や火のコントロールが必要な土器等を作れる知恵で再び『テクノロジー=道具支配依存』を生み出してはいけないと『武器を作らない選択を継承』したのかもしれない

それが『カタカムナ』…かどうかは分からないけど、77首で『後3つ』まで行って…こっから『裏』?!Σ(゚д゚;)に突入した所からの『ツチノコ→繩』は偶然とは思えないので

まぁ、これもストック記事が10以上溜まった状態での後出しなので、いつ公開になるやら…

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