恵まれてるな〜…と思った時、恵まれない人への慈悲が出る。めぐむって何だろう?と調べたらめぐむ=德と言う読みを見つけた後、おまけで、心とは地球の事だったという気づき
恵まれてると感じた
先日、縁の下の力持ち(タイヤ)のエピソードで
私は『私の気づかない所』で『見えない力に助けられている』と気づいた。それは日頃の行いがいいから?…という『他者や周りへの行い』とは思わなかった
ただ『心に素直に従った行い』
『自然体』で生きているだけ
『やりたい』と思った事
それが『心からの意欲の欲求』であれ、『困ってる人への手助け』であれ
『心の思うまま』に『素直』に『悳』の行い、やって良かった!(*^_^*)と思える事をしている
それは『徳を積む行為』とは思ってなかったけど『めぐむという行為』になってる
それは『慈悲』なわけだ
そう考えた時
「恵まれない人に愛の募金を!」というのも『自費』をかけている
言葉とは『同音異義語』で不思議に『循環』する
私は『自費』をかけてはいないが『慈悲』はかけている
それが『恵まれない人』へ『めぐむ』事になっている
めぐむ の言霊は
思考が内に引きより広がる
『心』に『問いかけ』そして『反応』が返ってくる
まず『自分』に投げかける
『現象』に対してどうしたい?
『潜像』である『心は応える』
こうしたら気持ちいいな( ´˘` )
その『思い』を『素直に実行』する
任せろ(*•̀ㅂ•́)و✧
これが『悳を積む』と『徳(めぐむ)』になる
そうやって『自分の心』が『恵まれて満たされる』と
今度はその『恵まれない人』へと『徳慈悲』が生まれる
思考の同音異義語は
志向・至高・嗜好・試行
どれもこれも『心がワクワク』する事
ワクワクは『意欲が湧き出る』オノマトペの擬音
『心がワクワクする事』をすると『徳を積む事』になり
その『積んだ徳』から『慈悲を德(めぐむ)』
そういう『忌み=己の心』が『納得』する
『納得』は内側に『納めて得る』ので、納得すると『満足』する( ´˘` )
めぐむと同じ言霊のエネルギー
だから余り1は周りにめぐむ=慈悲
あまりの慈悲=マリアの慈悲
お金持ちが『募金』したり『投資』したり
『自費』をかけて必要以上に集めた『富の再分配』をする
きっとそれで『経済の世の中』は『上手くシステムが回る』のだけど、そんな『当たり前の流れを止める』のが
『格』差
『格』付け
品『格』・人『格』・性『格』
かく の言霊は
力が引きよる・力に引きよる
つまりは『欲を求め取り憑かれる』
「力が欲しいか?」の心の『隙間(好き魔)』をついた『空く間(悪魔)』の誘惑=格・核・角
そうなると『心を閉ざす』
心に素直な『悳では無くなる』
『損』をしたくなくなり『得する事に執着』する
そん の言霊は
強く外れる
強く外れたくない・失いたくない
引き寄せた力を『維持する意地』の格付け
『満足する事』よりも『目減りしない維持』を考える
『損得』とは『ゼロサムゲーム』
参加者の得点(利益)と失点(損失)の総和(サム)が「0」(ゼロ)になるゲームのこと。一方の勝利が他方の敗北を意味します。 つまり、一方が得点を得ると他方がそれに相当する得点を失うため、全体の得点の合計は常に一定、つまりゼロに保たれます
損するか?得するか?必ず『勝敗』がつく『格付け』
そんな世界に『悳や徳』が巻き込まれるのも『同音異義語』の不思議な所
私的には『損得やゼロサムゲーム』とは
『ポジティブとネガティブ』のようなもの
ポジティブとは
ポジショントークとアクティブワーク
立場と声明、行動と働き
一方でネガティブとは『ポジティブを否定・拒絶』するだけ
つまりは『得に対する損』という
どちらかが勝てばどちらかが負ける構図と同じ
これが『損得ビジネス』という『ゼロサムゲーム』
『金』なんてものは『印刷物を変えて刷れば』いいし
金に変わるものを『定義(データ)』をpayっと作ればいいだけ
『ルール』を造れる金持ちや権力者は『金がほしい』のではなく『思い通りに支配してコントロールする権利を手放したくない』だけの『我がまま』なんだよ
だから、そんな『本心をひた隠し』にしている『疑似餌』に飛びつかなければいい
『ムーンショット』?『リアルな他人の体』を使って、『自分以外』になって無責任に『好き勝手VR体験』してみたいだけ
そんなものは『明晰夢の中』では、いくらでもできるのに・・そういう『心から最も遠い所』に行った者たちに心は開かない=その人自身の業の問題
そういう意味で私は『恵まれてる』と思うのは、その『損得』を『心底嫌っている事』
『自分が幸せ』になる事で『誰かが不幸』になる事を心から望まない。かと言って『自分が不幸』を選び『他人を幸せにする犠牲』をも求めない
「それじゃ成り立たないだろ!」と文句をつけ『現実的な価値観の強制』してくるのが『ゼロサムゲームの損得ビジネス』
そういう『逃げ場のない与えられた条件のトロッコ問題のようなレール』には近寄らず、その『勝ち負けの価値の格付けの争い』から離れる
そこに『悳と徳』がある
だから『勝ち負けの争い』の中では実は『なんの徳も積んでいない』
何も『恵んでない』し何も『恵まれていない』
『慈悲(サービス)』が欲しいなら『自費』を払え
『損得の世の中』では『慈悲』は『自費で買う』らしい
『継続課金』がなければ『慈悲』は打ち切られるらしい
『それが人間』って言うのなら『自然とは相容れない』
『自然』とは『見えない力』そのもので『気づかない』けど『慈悲を恵んで』くれている
その『有り余る恩恵=愛』を『心』が感じた時
それは『誰かに德(めぐむ)慈悲』となる
それが『どんなカタチ』で『巡って来るか』は分からない
分からないから『めぐり逢い』は『師合わせ』でワクワクする( ´˘` )
『使い方がわからないもの』を先に受け取ったら
今度は先導する導きの師が『慈悲の使い方』をレクチャーしたり
だから、私は自然に『朱の知恵』をつけて感じたのは『悳(心に素直)』を積む事が『徳(めぐむ)の慈悲の行為』になるという事
大切なのは『心』です
これも不思議な『結論』なんだけどさ
心は英語で『heart』
地球の事を英語で『earth』
『h』を後ろに回すだけで『心』と『地球』は一つになる
Hを『human(人間)』と取るか?
Hを『叡智』と取るか?
『地球のシューマン共振が人に影響する』というのも、言いえて妙だけど、語源にもその『片鱗が隠されている』という事なのかもね?(シランケド)
こういう風に、なーんとなく?でぽん!と閃く
これが『心に素直』な『自我(エゴ)が邪魔』しない『悳』の状態(笑)
『恵まれてる』という事は『徳・恩』という事をしているんでしょうね
ま、向こうの世界では色々、やってるみたいだし?(゚∀゚)アヒャ
最後になって『恩』と書いても(めぐむ)と書くと気づきました
『恩恵』なんて『めぐむをめぐむ』で凄い事になってます(笑)
『恩恵』を受ける、これ以上ない有難い事(。-人-。)祈
しかし、望まぬ接触、人の業に関わる事を
『有難迷惑』という
有難いとは『滅多にない』という希少な事であるけど
迷惑とは、『迷わせ惑わせる』という『人の業を邪魔する事』でもある
自分のやるべき『人事(悳)』を尽くさず
他人のやるべき『業に関わろう』とする
『業』がつくと人はお金に苦しむ
本来はその人が『自力で成すべき試練』を『代わりにこなす』など
『良かれ』と思ってやった事が『返って仇』になる事もあるから
『誰かの為に』という気持ちも『有難く滅多にない』けど
それが返って『人を迷わせ惑わせる』事もある
触らぬ神に祟りなし
これは直近では、自然界における『カラスのヒナの巣立ち』の時は『親は心を鬼』にして子供を追い出すという厳しさでも実感した。きっと子供の巣立ちに『親が助けて』しまえば、その『ヒナの為』にはならないんだろう
『心に素直になる』とは、逆に言えば
『他人の業に関わらない』で自己完結する事でもある
『自然』に求めれば自然は『恩恵を徳』が
『人』に求めれば、『損得で自費(金払え)』を求められる
そう考えれば、人は『心を持っている』と『勘違い』しているだけで
『心と地球』は繋がっていても『人と地球』は繋がっていないのかもしれない
『心の在処』は証明のしようがない
悪魔の証明=空く間の証明=空間=空(有無)の間
もしも、心が人の中ではない所にあるのだとしたら
『心』は『カタチ(在り方)』に囚われずに様々なエネルギーに『共振』できるだろう
・・なるほど、波紋・・だからまたカタカムナ検証が復活したのか・・
というカタカムナシリーズの続きが始まりますので、お楽しみに(≧▽≦)
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