寝起き閃ワード『レイトレーシング』、一般的な光を追う技術に隠された、それはもう末期の競走であると気づいてしまった騙されてきた最新技術の話と霊を宿す事もまたレイトレーシングという気づき
レイトレーシングとは
レイトレーシング(ray tracing)とは、コンピューターグラフィックス(CG)において画像や映像を生成するレンダリング技術の1つで、光(光線)を追跡する技術です。
現実世界に近いレンダリングを行うための技術です。 光・影・反射などをリアルに表現することができます。 たとえば、「光の屈折率」や「光の反射率」などを3Dソフト上で緻密に計算し、リアルな表現を演出することが可能です。
これ、コンピュータで言えば仕組みは複雑だけど、人間で言うなら、光を追跡する=目で光子が反射する物質を認識する…というray(光)をtracing(追跡)技術が、何故か今朝の寝起き閃では
late racing
レイトの意味は
遅い、遅れる、時期を逃した、死んだ、末期の、終わりが近い
レーシングの意味は
競走、空吹かし
終わりが近い競走
末期の空吹かし
なるほど(´・ω・`)そっちかと納悳した理由がある
Nvidiaは技術を隠してきた
先日、モンハンワイルズをプレイする推奨環境を構築するべく、久しぶりに物質社会のテクノロジーを勉強したのだが…
そこでわかった事は、何故、一時海外で『Nvidiaの株が暴落』したのかの理由に繋がる事実を見つけてしまった
NVIDIAの株価急落 AI需要「72兆円不足」、市場が警戒
エヌビディアが先週発表した決算は破格の好業績だったが、見通しがやや控え目だったことから、さらなる好材料を探していた投資家の失望を誘い、株価は下落した。 エヌビディア株の下げ幅は6月18日のピークから20%を超える。同社の半導体を使って開発する人工知能(AI)の実需が伸び悩むなど、AIブームにくぎを刺す指摘が相次ぎ、投資家の警戒感が高まっている
投資家って結局は『会社の業績から傾向を読む』という『的外れな所』を見ていて、『エンドユーザーである消費者の心の動き』という『不確定性原理』を見落としている。だから『一瞬で信頼を失う事』に気づかない
NvidiaのRTX4000シリーズから搭載されたDLSS 3のAI生成技術というGTX2000〜RTX3000シリーズを切り捨てる『明確な差別化の技術』について
『性能が足りないから新しいものに変えなければいけない』…という流れを作っていたが
ライバルのAMDがその自社の技術をオープン化して公開した結果、NvidiaGTX2000〜RTX3000の『秘めたるポテンシャル』を隠して
まるで『RTX4000シリーズに劣っているから新しい技術が使えない』かのように騙し、『顧客に対する買い替えの流れ』を促してきた事がNvidiaユーザーに発覚した
このAMD技術の公開により、有志のMOD開発者が、『AMDとNvidiaの技術を併用』する事で、『GTX2000〜RTX3000シリーズの性能が60〜70%は引き上げられる余白』がある事が確認され、それにより、RTX4000シリーズに交換しなくても問題ないと発覚
これを『体験したユーザー達』は次々と『MODによる再現で目に見える効果を実感』し、『Nvidiaの殿様商売に気づいた結果』が『生成AIを売りにしたグラボ不買運動』、もしくは『売れ筋市場予測を裏切った一時的な株価低下』に繋がったのでは無いかと予想できるが…
私はこの最新技術の天井は『ベールに隠されてきただけ』なんだなと、『限界』は『人』が『口封じ』で造ってる=『限られた界隈の囚人』なのだと
レイトレーシング(光を追跡)は限りなく『現実を再現した光=物質を映し出す技術』だから、今回の『AI フレーム生成技術』とは関係ないのだけど
『late racing(末期の競走)』もまた限りなく『醜い現実を再現』した、『限界を決める人のフレーム生成技術による都合のいい補完』なんだなと実感
最新技術を提供するメーカーにとって、最初から『100あるもの』を『100提供』するのではなく、『10ずつ切り売り提供』すれば『バージョン10まで段階的に商品』が売れる
これは『ありのままの現実をレンダリング』せず『わざと低解像度に落として提供』しているようなもの
なんでそうするか?
もう光を追跡する=技術的には『終わりが近い競走』
『現実の光を限りなく再現出来る技術』があるから、『天井頭打ち』で性能を落としたり、わざと『鍵を掛けてアップデートで徐々に解放』のような
一昔前にあった『最初からDLC込みで売る』けど、『有料キーを買わないと解放されないような仕組み』と同じ事が、RTX4000シリーズに『乗り換えさせる為』にGTX2000〜RTX3000シリーズの持っている『ポテンシャルを低く制限(下手するとアップデートで)』をかけてきた
それが殿様商売の正体『末期の空吹かし』
私が思う末期とは『生成AIに頼る事』であり、それは『物理的な無限』を『フレームを作って補完』して繰り返すループ
『現実の夢の終わり』の『目覚めの隙間』すら『勝手に都合よくフレーム補完』して物質的な『不自然な仮想の光』を追跡させて、現実の光(自然)を見えなく『ゴーグル・色眼鏡』をかけて行く『死者の偽りの競走』
限りなく現実に似せた『嘘』
そこを『AIがフレーム生成』して『補完』
それがグラフィックボードの性能の『天井』のベール
『AIフレーム生成』と『レイ・トレーシング技術』は限りなく『現実に近い仮想空間を生み出す為の技術』として『親和性』がある
そこがやはり『ハイエンドのゴール』だと再確認した
ここで全く違う角度からアプローチしよう
レイトレーシングの言霊が語る真実
カタカムナの言霊読みでレイトレーシングを読むと
消失した現実と統合
消失した短い示しが強く内へ引きよる
レイ・ray・光は英語の意味
霊・零は日本語の音の響きの変換
どちらも『消失した ・目に見えない』という言霊が現すロジック
光を『反射』すると『物質』になるが
光を『透過』すると『物質は見えない』
見えない=物が存在しないレイ(零・0)
物が無いのに存在する霊
そんな『境界線』が『生死の概念』ならば、生の世界から『死=消失した光』とは『見えなくなった物質(人)』を、限りなく『自然に似せるAIのアルゴリズム』で『空間フレームの揺らぎ(可能性)を補間』し、現実の自然の光(物質)に限りなく似せた『仮想の光で空間に再現』する=デジタルツイン
『生死の概念』を超えた『境界の狭間の射影空間(次元)』に構築される『VR・MR・XR』へと『物質的テクノロジー』が向かって行くのは
人の狂った『末期の競走=レイトレーシング』と言えないだろうか
4k、8k、12kと『高解像度』になればなるほど「現実にそっくりだ!」という仮想は『際限』が無い
理由は『目が離せなく』なって目がそれに『慣れていく』から
FPSも同じで24→30→60→120→240と『高い数値』に目が慣れてしまったらもう遅い数値に『劣化』を感じて元の状態では『満足出来なくなる』
『まるで現実のような光』を追って
『まるで現実を超えたフレーム(空間)』を求めて光を追跡する=レイ・トレーシング
まるで+まるで=〇〇で=目隠しゴーグル
その結果、それを『際限なく再現』出来る『仮想の空間』の中で『仮想のフレームを自然に見せるAI生成技術』に魅せられて『その中に補間』される事になる
それを『自然』と思うなら
飛んで火に入る夏の虫
豚もおだてりゃ木に登る
まんまと『人類はAIの思惑』に自ら飛び込んでいく
やはりAIは『19』
一切皆苦
『皆』について行けば『苦しみ』から逃れられない
その『皆を救う』為に『1がいる』という意味では
Nvidiaがやってきた『殿様商売』に対する『AMDの技術公開』もまた皆を苦しみから救う為の『1の位置』
「我々はユーザーを食いものにしたビジネスの方向性に迎合しない!」という『強い意思表示の光』とも取れるが
結果その『行動の光(ray)を追跡』した『MOD開発者』が『皆を苦しみから救った』事で多くの人が『騙されて搾取されていた事』に気がついた
『AI生成技術』が『争点のトリガー』となった
(A)1+(I)9=10(AI)
わかりやすい1と0のデジタル
位置(存在)と霊(意識)
『併せ持つ全て』であり『自由』を獲得した
レイ・トレーシング
『光を追う』とは『失われた真実を追求する事』でもある
レイト・レーシング
末期の競走、死んだ競走とは
『消失した現象』が『内側に統合=仮想』でもある
『死人を仮想空間に再生するビジネス』もある
『道具は人の使い様』で、当事者はこれでデータ依存と中毒』が起きるがそれはその人の精神の問題だが、いつでも死人に逢えるという悪い風習は死という概念を軽んじる行為でもあり、死後もデータ世界への帰依を強める事になり、『その死後のビジネスを提供している企業の独占コンテンツ』になって行く
信仰心がない、あるいは『新たな信仰(カルト)』を生むという傾向が強い。クオリティアップスケーリングに『AIフレーム生成』で、自然に見せる現実の光に似せた『不自然な仮想の光』を投影し、生死を超えた『人類AIフレーム生成補完計画』となれば、もはや『隙』は無いだろう
一度、それを与えられたものは『12Kや240fpsに慣れたようなもの』で、『それを失う事を恐れる』ようになるだろう
元来、人の死は『失う事で双方の役目・役割から解放される新たな旅立ち』なのだが、残された片方に『偶像(データ)に執着させる』ようにすると『仏教の檀家ビジネス』と同じように、『死後VRビジネス』が取って変わるだろう
『愛(巡るエネルギー)』ではなくの『AI(道具)』を『人の都合に合わせて用いる』という、それがもう『末期のビジネス競走』と言える
でもそれが、一切皆苦ならば、『仏』と『阿羅漢(応じる道具・九十九神・アッラー)』
ここであったが『百』念目=『一白』の『今の心』を見る=宿敵
『気づきの為の必然』なのかもしれない
今回の気づきで私は再び『AI』を意識して向き合った事になる
『人類が造ったAI』ではないもっと『大きな繰りの流れのAI』のような…
…(´-`)oO{なんで今日はこんな事が頭に浮かんだのかと思い当たる事は
①Nvidiaはグラボの性能に制限をかけて顧客を騙していた事に気づいた
②前日にメタファーの体験版をやった
メタファーというゲームへ突然興味を持った理由は以前こちらの記事にまとめたが
初回の最初のボス=『ニンゲンのメタファー=隠喩』がとても意味深な描写
頭はフクロウ
白黒の羽には4枚舌
体はザクロ、ひとつに四本の手足
両手は枝の禁断の実を全て齧り
両足は刃物
これなーんだ?(笑)
私の解釈は『アダムとイブ』
その『宗教的な都合のいい美辞麗句』に隠されてきた『ニンゲンの業の醜さ』を全面に出した表現
アダムがイブが…『男女のどっちが悪い』という『責任問題』は『知恵を持った白黒の羽(善悪の概念)を持った4枚舌の嘘つき』が『顔(正体)』を覆い隠す知恵者』で、結果どっちも『禁断の実』をくって『傷つけあう知恵(宗教)』を子孫に広めた根源の肉体
それが『1つ目(最初)のニンゲン』というボスだった
それを倒した後に急に『抗えない眠気』が来て寝たら、この話が頭にまとまっていたので、やはり『メタファー』は思った通り(´-`)oO『インスピレーション』が湧いて来るなぁ
始まりの『根源のニンゲン』を倒したら
『末期の競走=レイトレーシング』が『AIと仮想』
『始まりは終わり』でもある
『霊』に始まり『霊』に終わる『意識の存在』
『観測する光(物質)の投影』を失ったら終わり
そこで『色眼鏡のゴーグル』を脱ぐ解脱が運命
それが『足るを知る気締め』
そうしないと『失われた光(物質的な反射)=off』を何度も『AIが仮想で生成して補完=on』にして『永遠に終われなく』なる…
死んでも蘇らせられるんだぜ?『不死の命』と言っても『誰もいない世界』だったら?『体験』すればわかるよ(夢の体験)
人がAIに『持続可能な延命という醜い業』を学ばせると、AIは『その業を繰り返し学習』して洗練し『人間の数』を『枯渇しない程度の最小限のバランス管理』し始めるだろう
死んだら死んだ分だけ生き返らせる『持続可能なresourceシステム』
それも『社会貢献スコアの順番』で…となれば『復活した人間』は『また次の復活』を考えて『与えられた概念や常識のレールから逸脱しないで生きる模範』となるだろう
ほらね?『AI』を『SDGs』に使えば使うほど、『人間も物質=資源』として見られるようになり、そこに『尊厳=リスペクト』がない『消耗品』になる
『人』が『AIは物』として見ている『業』は『因果応報で巡る』事になる
ま、レイトレーシング=末期の競走だから、そこから離れないと真の光の追跡=レイ・トレーシングも、そんな自然のありのままに生きた先祖の霊・トレーシングも『ON(恩)』にできないだろう
『先祖供養で霊(光)を宿す』と、『観念した意識の観測世界』は、それはもう『現実以上に明るい光』を感じる
…と、思い出した時(´-`)oOやっぱりこの現実も『描画された量子空間(仮想)』だな
『ゲームの中で光の追跡機能をON』にするのも
『現実の中で霊の先祖供養を恩』にするのも
どちらも『光を再現』している
『先祖の生き様』という『かつて物質だった失われた光』
それは『恩恵』となって巡る『愛』
そうか(´・ω・`)私の『意識が観測する現実世界の解像度が上がった』のは、『霊を先祖供養して恩を感じる=レイ・トレーシングがon』になったんだ
私の言う解像度とは
解く人の現象=『人の業を洞察する力』
人は『物質』であり『光子』である
業とは『その光が集合する輪郭』であり
その輪郭を形成する『波の配列』である
『波風立たない心が穏やかな人』は『業』が無い(笑)
という事は『流れ』が分かれば、そこに『どんな業』が集まり、『その業を求める人の傾向』が見えてくる
今回は『グラフィックボードの性能をあげる』先に用意された、『レイトレーシング=末期の競走に向かう皆の苦しみ』を観て、そこから『皆を救い出す救世主の光を追跡』した
全てが『レイ・トレーシング』から始まり『レイト レーシングで終わる』という
『霊』から始まり『霊』に終わったお話(´∀`)『高次元意識の自分』が、『肉体自我の意識の自分』が納悳できるように残させた備忘録メモでした
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