ミノタウロスは稔田洞須、ケンタウロスは健田洞須、実はどちらも農耕の知恵に重要な意味を持っている名と体が貶められただけという神話はやっぱり遠野(神の泉)にあるお話
寝起き閃ワード ケンタウロス
( ¯꒳¯ )ᐝケンタウロス?
馬の足
人の体
弓を打つ
これは日本語の『諺』がなければ成り立たない『抑止力』だと気づいた
『馬と人の一体化』のメタファー
馬に関する諺は
馬耳東風
馬の耳に念仏
馬鹿のひとつ覚え
=聞く耳持たない・制御出来ない
これを鼻先人参として、馬を餌(目先の欲)でコントロールするのが人
人馬一体
乗馬において乗り手(騎手)と馬が一つになったかのように、なだらかで巧みな連携が行われること
『馬』を『制御する人』が『聞く耳』を持ち、馬を制御する
これがケンタウロスという『馬の脚』に『人の身体』というメタファーの正体
その人の使う道具が『弓矢』
ココ重要(・ω・)_/ Σ(゚д゚;)
例えば、『騎馬』と想像した時、『鎧や甲冑』をつけて『剣・槍・斧など敵に突貫』していく。『人馬一体』ならばその方が強いだろ!!というのが現実的だが、そこをあえて『鎧も着てない細身』という所がメタファー
表立って『戦う意志は無い』
真っ向から『戦う術を持たない』
牽制の『逃げ足の速さ』
近距離ではなく『遠距離』
つまり『弱い者達』が『勇気』を持って何とか、『知恵を持って抵抗』する象徴
森の守護者
弓の女神 アルテミスの守護者
つまりは『月の勢力』を例えたシンボル
森に近づけないように『罠を張り牽制』する
弓矢に関する諺や格言が示す危機感
手ぐすねを引いて待つ」
「くすね(薬煉)」とは、松やにと油を練り合わせたもので、弦を固めたりする粘着材。それを弓を執る左手につけることで「弓返り」をしないようにし、迅速に矢番えできるようにした
「満を持す」
弓を十分に引いてそのまま構えること。十分に準備をして機会を待つこと。
「手の内」
腕前、力の範囲、心の内で計画していること。
「的」
めあて、目標。はげしい攻撃にさらされるもの。
「的外れ」・「正鵠せいこくを射る」「図星」「的を射る」「的中」
核心や急所をついているかいないか。「正鵠」も「星」も、的のど真ん中のこと。
「矢継ぎ早」「矢数」
とにかく物事をぽんぽんと休みなく続けること
「矢の催促」「矢継ぎ早」な厳しく頻繁な催促。「矢先」
まさに事が始まろうとする時、あるいはその直後。「始まった矢先に邪魔が入った」とか。
「光陰矢のごとし」
時間のたつのは速いものだ。これと「走馬灯のように……」は、卒業式には決まって使われる。
「一矢報いる」
相手から受けた攻撃・非難に対して反撃し、反駁はんばくを加える。
「矢でも鉄砲でも持って来い」
こちらはびくともしないから、どんな手段を使ってでもかかってこい。
「矢庭に」
その場で。たちどころに。少しの猶予もなく、いきなり、突然に。
「やばい」
これの「やば」とは「矢場」のこと。とはいっても、現在の弓道場ではなく、盛り場などにあった「楊弓場」というところのことらしい。
「弓折れ矢尽きる」
力尽きてどうすることもできないたとえ。「刀折れ矢尽きる」ともいう。
「弓を引く」
反抗する。背く。楯つく。
「筈」
矢の筈と弦とが合うことから、当然のこと。当たり前のこと。「ここに置いておいた筈なのに」とか、忘れっぽい私はよく使っている。
「にべも無い」
愛嬌もない。思いやりもない。とりつきようがない。「にべ」とは「にかわ(接着剤)」のことで、弓を作る時、木と竹を接はぎ合わせるのに使われている。……けれども、現在は合成接着剤が主流で、かなり希少なものになっているらしい。
「射止める」
射あてて自分のものにする。
さて、必死な状況が見えただろうか?
弓矢は『近距離戦に弱い』から『牽制の矢』が尽きたら近づかれてしまう
矢が通らない『重装歩兵が大量に投入』でもされない限り、矢の雨が振る範囲の『矢面に誰も近づきたくはない』から『牽制』になる
『矢継ぎ早』に矢を打ち続け、矢を作り続ける
ここに置いた『筈』(もう矢が無い)
『にべ』もない(矢を作る材料もない)
『矢先』の『矢庭』に『弓折れ矢尽きる』(打つ手が無い)
これは足を止めて打つ『防衛』の場合、つまりは『城落とし』に対する『籠城の策』
しかし、だからこその『一定距離』を保ちながら付かず離れず動き回って『陣形や戦略』を乱す『鎧』も着なければ『剣』も持たない、『スピード特化の身軽な人馬一体の弓軍』の脅威
それが『ケンタウロス』というメタファー。そういえば武者ガンダムシリーズでも、『スピード特化のゼータガンダム』がケンタウロスだった
所で『タウロス』と言えば響きで似ているのが
ミノタウロス
ギリシア伝説の人身牛頭の怪物。 クレタ王ミノスが海神ポセイドンから供犠用に送られたみごとな雄牛(タウロス)を惜しんで殺さなかったため,怒った海神はミノスの后パシファエPasiphaēに雄牛を恋させ,その交わりから生まれた
これは『頭が牛に人の体の化け物』として有名
まさに『ゲームの設定』というか『神々の傲慢さ』というか、今思えばとても『整合性のない脚本』ですね(笑)
と、思うのは、私はこれ『漢字』にしたら『日本神話』として『地域伝承の風土』がしっくり収まったんですね
人の体に馬の脚のケンタウロスという化け物がメタファー(隠喩)ならば、当然、『牛頭』もまた偶像化されたメタファー。ならば『牛頭』もまた牛というのがシンボル
『牛を頭=頭目』とするもの達
『稔(みの)=穀物』がよくできる。『みのる』
『洞=大木や岩』などの、うつろになったところ。通りぬける。つき通す。見識によって見通す。さきまで見る
『須』=ス シュ・まつ・もちいる・すべからく
稔田洞須(ミノタウロス)とは
穀物が稔る田を見識によって見通し待つ
そうなると
健田洞須(ケンタウロス)は
健やかな田を見識によって見通し待つ
『稔田洞須(ミノタウロス)』から『知恵』を学び
『健田洞須(ケンタウロス)』として『継承』した民
『農耕の知恵をもたらした者』と『農耕の知識を受け継いだ農民』
それが『牛の頭目と馬の頭目』
牛と馬を祀る『牛馬信仰』
駒形神社
荒川駒形神社(岩手県遠野市)
馬産地遠野を代表する神社で、牛や馬を山に放牧する際に参詣したとされています。伝説によると、東禅寺の無尽和尚が祈願した際に早池峰山の神霊が白い馬に乗って現れ、その片耳を写したものがご神体として祀られています。また、阿曽沼氏の牧場があった頃に老いた白馬がいて、他の馬が通りかかると戦いをいどんで追い返したことから、白馬を祭神の化身と伝える説もあります
ならば『牛魔王』とはレッテルで『牛馬王』=混血=混人=『丑寅の混人』
それが全て『都合のいいメタファー=隠喩』に変えられている
『穏やかな農民』が『鬼(目障り)として討伐』されたように
『牛頭馬頭は地獄の門番』とされているが、それは侵略を試みた『敵から見たら恐ろしい』というメタファー
牛頭馬頭(ごずめず)とは、仏教において地獄にいるとされる亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、馬の頭に体は人身の姿をした馬頭をいう[1]。牛頭馬頭は漢訳語であり、元のサンスクリット名は牛頭はgośīrṣa(ゴーシールシャ)、馬頭はaśvaśīrṣa(アシュヴァシールシャ)である
門番の役目は『鬼』
侵略から『護る為』ならば『鬼』にもなる
この『洞須』が『岩手』ならば『アラハバキ(女神)』と『阿弖流為(弓馬)』となる
遠野には『馬を愛した姫』という伝説があり、実際に『その地』はある。そこに『呼ばれて』行ってきたからね
そしたら『法華経』に巡りあったし『空海の痕跡』も見つけた。遠野(とおの)と書いて『エンヤ』と読むけど、ヘブライ語では『神の泉』となる
泉は水が湧く=『母胎』
水は『流=龍』を生み、龍は『命運』を運ぶ
私はその地で『宿した何か』を地元の神社へ運んだ時、奇跡の『消えない虹』を見た
あの時はまだわかってなかったのが、地元の神社に祀られている『八代龍神が法華経の守護者』だったという事と、私が呼ばれて行った『滝に身投げした馬を愛した姫は法華経の伝導者』だった事
つまり、結果的に『法華経の伝導者』を『法華経の守護者』の元へと送り届けた結果、『奇跡の消えない虹』を見たという『私の遠野・神の泉物語』という人生の一ページ
今の私の心もアラハバキ岩という『母胎を通り抜けてから生まれ変わった』のかもしれない
漢字の捉え方が、『貶める意味のレッテル』を鵜呑みにせず、むしろ『レッテルワードの裏』こそが、『失われた真理の探求』と気づいた
まぁ、世界支配の脚本における『ギリシア神話の化け物や怪獣』という『偶像を鵜呑みにファンタジーなゲーム感覚』も面白いけど
稔田洞須
みのる田んぼを見識を持って待つ
健田洞須
健やかな田んぼを見識を持って待つ
(๑•̀ㅂ•́)و✧( ̄▽ ̄)みのれ!健やかに!
五穀豊穣、豊受、農作の意志
『稲家の農家の稲荷』がここまで揃ってる
牛?象?に乗ってきた農作の知恵を与えた若者(サカ族)
釈迦=問題を解決する事に巡りあう
これを破壊したのが『廃仏毀釈』
徹底的に『教え』を壊された
なんでだと思う?
私は『大地に愛された』という『嫉妬』だと思う
創世記における『カイン』は元々『農作の知恵』を持っていたが、『アベルを殺した』後に『大地に呪い』をかけられた
「お前の作った種は育たない」
得意だった『農作の知恵』が生かされず、『食べ物を作る事』も出来ず、『刻印』をつけられどこに行っても『嫌われ者』
そしたらもう『武器を作って侵略して奪う』事、『捕まえて生産させる』しか『選択肢が無くなってしまう』のも仕方がないと言える
一方で『建築の知恵』という、もうひとつの才能が『鉱物採取』など使える素材を集めて、意地でもその『呪いを解除』しようと捕まえた『奴隷を使って錬金術→魔術→医学→遺伝子組み換え』に進む過程で
『DNAを変えられた』と気づく
『大地の呪い・刻印』の正体は『遺伝子組み換え』だと
この時点で、『金の奴隷』にされたという『アヌンナキの話』にも通じる所がある
金の採取が目的というより、金に『遺伝子に影響関する何か(ウイルス)』があり、まるでそれを『探し求める為の才能』かのように最初から『鉱物を扱う能力』があるカイン
元々、『大地を耕し食物を育てる事』と『建築する二つの才』を持っていたカインから、『大地との繋がり』を断つ
これが『天は二物を与えず』という『戒め』なのか
そのカインの後に現れた血の繋がらない兄弟が『セト(セツ)』
神がアダムとイブに『与えた子』というカインからしたら『嫉妬の対象』でしかない『目障り』な存在
『無垢』で全てに『愛された子』
『賢く』て全てに『嫌われた子』
この『対比の構造』が、「神が創った全てをぶっ壊す!」という『後追い反動』の『粘着エネルギー』となり『破壊と再生の循環』が生まれる
…しかし、カインは『天が二物を与えた存在』だった。『大地に愛され恵』を受け取り、その地に『建造できる技術』もあった
『期待』されていた
しかし、『行動と態度』を間違った故に『ひとつの才能』を失って『アンバランス』になった・・
・・ってちょっと待ってください?、今回の話はケンタウロスで、ありミノタウロスまでなんで・・、その辺で『語り』を止めてくれ_| ̄|○精神が耐えられない
要は、この『創世記』ですら『説法』の為に『キャラクターと役割』が決まった読み手に『疑似体験、感情移入』をさせて『没頭させるための余田話の作り話』である可能性すら否定できないとしたら・・
『創世記を台本』に『盲信して成り立ってきた世界』という『概念は崩壊』する
それは、中国の天帝と黄帝の話にも『治水』と『牛』が出てくる神話があったりと・・神の泉の物語は、神棚を通ってオシラサマ
そんな『神々の遊びのような西の神話設定のゲーム』ではなく、その登場人物の『名と体』にこそ、『東に伝えたい生き様』があるとしたら
私は、ミノタウロスとケンタウロスから学ぶ生き様は
稔田洞須
みのる田んぼを見識を持って見通す
健田洞須
健やかな田んぼを見識を持って見通す
五穀豊穣、豊受、農作の意志
まさに久須志の心意意気
(๑•̀ㅂ•́)و✧( ̄▽ ̄)みのれ!健やかに産めよ育てよ!
その『穏やかな自然の教え(月の精神=バイオリズム)』を護る為ならば『心は鬼=門番』にでもなるだろう。それが『月夜見の守護の鬼神社』という構図
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