好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

春分の日の旅 笹清九頭龍・月夜見・白蛇・鬼神社巡り

極極自然に導かれるように始まった宇宙元旦の旅で、九頭龍・月夜見・鬼・胸肩・そしてその風化した放棄された地に趣き感じた古事記の嘘

どうやっても導かれていた不思議

当初、仕事を辞めた友人がリフレッシュの為に3/21に遊びに来る予定だったから、そのついでに色々神社とか回ろうかな?と思っていた(この時点では行先も決めていない)

しかし、突然、キャンセルが起きてその計画は無くなったので、私は出る予定は消えた…が、両親が3/21に旅行に行くから(* ‘ᵕ’ )☆空港まで送ってくれと頼まれていた為に

そこまで行くならついでに回るかと、20日の前日になってなんとなく思った(´-`)oO(この時点ではまだ行先を見てもいない)

そこでいつもの神社に、両親の旅の無事と、楽しんで『笑顔で帰ってくる姿を想像』しながら(-人-)祈(のちにそれは実現した)

その時に(明日俺も適当に弘前方面で神社回ろうと思うんすけど、どっかいいとこありませんかね?)(-人-)と伝えて帰り

夜も日をまたぐ手前に、あ、目的地決めてなかったわʅ(´⊙ω⊙`)ʃと慌てて『弘前 鬼 龍 神社』と検索

すると…まさかの予想外の

月夜見?!Σ(゚Д゚)
胸肩って宗像三神?!Σ(゚Д゚)
鬼?!九頭龍?!Σ(゚Д゚)

私が無意識に自分で追いかけてきた

①月夜に導かれ何度も出会ってきた
②正三角形・拮抗の守護結界の三女神
③鬼という水の流れを司る建築技術
④薬師=自然生薬の漢方の久須志の心

これらがまさかの『青森』に全て揃っているだと?!Σ(゚д゚;)と目的地は迷う事なく『一瞬』で決まりました

月夜見神社
胸肩神社
鬼神社
笹清水九頭龍神社
白雲神社

という訳で、写真とその時感じた感覚を含めてレポートしていきます(/・ω・)/

月夜見神社

向かう道中の市境でふと空を見上げると「無事についたか(・ω・)/後はよろしくー」と言わんばかりに『白雲龍神様』がお見送り

月夜見

車を止める事が出来ないので200mくらい離れた駐車場から歩いてやっと見えてきました

月夜見

長い歴史を感じさせる石造りの鳥居、それも足を三本の山の形状で支えているのは『水の女神信仰の神社』に多い作り

月夜見

しめ縄が『縄』じゃないのに驚きました。掘られた石の神社名もフォントも漢字も相当古い

月夜見

門の脇の大木は根から腐り枯れてしまっていた所が、『龍脈が絶えている感』を感じた(周りが住宅工事だらけで根が切れたのだろう)

月夜見

奥へ進むとやはりまっすぐと伸びた大木の林があり、その奥に境内へと続く空間が見えた

月夜見

月夜見

鬼と目が合った(笑)

月夜見

まさに『円の下の力持ち』と言わんばかりに、鬼が鳥居を円の文字にしている。あと帰りに見る『後ろ姿』がシュールである

月夜見

その鳥居の先に、鉄骨で支えられたおそらく『一番大きかったであろう大木』が枯れていた

月夜見

中身が『空洞』という事は、おそらく『雷』に打たれて中が焼けたのだろう。大事なものは『木の根元に隠す』という風習がかつてあったように、ここにも『何か』あったのかもしれない

月夜見

月夜見

石の鳥居に『石の米俵』。米俵とかは縄で作ればいいのに、そこも石造で作るんかい!という所に『鬼=職人気質』を感じる

月夜見

月夜見

本殿らしいものはすでになく、周りには朱色に塗られた掘ったて小屋?があり、なんか気になったので裏に回ると・・

月夜見

月夜見

そこは歪に『奥行きが突出した構造』になっていた事から、『神棚?奥のスペース』に何かあるのだろうと感じたので

ここにかつての『本殿に祀られていた何か』があるのだろうと挨拶してきた(。-人-。)私がきた Σ(゚Д゚)オールマイト

胸肩神社

胸肩

胸肩

最初にも思ったが胸肩?『宗像』ではなく??と思ったが、まごうことなく『胸肩』だった

胸肩

胸肩

胸肩

由来の中にもしっかりと宗像三女神の名前があるが、地元の人は胸肩よりも前から、弁天様と呼んでいるらしい

べんざい‐てん【弁才天/弁財天/辯才天/辨財天】 《〈梵〉Sarasvatiの訳》インド神話で、河川の女神

そうなんよね、弁舌が立つだの、音楽の神様だの財を成すだのと・・それ以前に、ここら一体の共通点は『水の女神様』であって、それは湿地帯・沼地において重要な水脈の意味を持っている

胸肩

ここも、なんか無意識にちゃんと挨拶しないとな~と(。-人-。) 祈

胸肩

さて、その脇に並ぶは道祖神猿田彦の岩なんだけど・・注目は〇と月の明の証。これは私が良く行く所はほぼ確実に刻まれている

胸肩

庚申と書いてるのも猿田彦を表しているというのは知ってはいたが・・その脇の俵?のような昔文字が読めなくて、宮司さんに聞いたら

胸肩

これも猿田彦を表していると知って・・私が毎週通っている神社で、地元の氏神か土地神だろうと、気軽にあいさつしとったのは・・猿田彦だったw隣に馬頭観音ある時点でぎづけよって話ですけどねw

胸肩

そして、ここでふと気になったのが、胸肩神社には笹竹があったんですね。竹と月とのつながりは氣が巡ってたんですが、笹というものは盲点でした(伏線)

胸肩

本殿?社務所?無人のおみくじを買った結果は『小吉』。何をやっても今はうまくいかんから、自分勝手に動き回らず流れに身をまかせろと・・(伏線)

胸肩

胸肩神社の一角には龍と蛇にまつわるスポットがありました。宗像と水の女神と龍と竹・・と

胸肩

胸肩

これなんて木の年輪の渦から龍を生み出すインスピレーション凄いですよね(いつの時代の誰の作品かわからない)

胸肩

この絵も不思議とパワーを感じたんですが、裂けた部分が最初は喉だと思って、龍の弱点である逆鱗を裂いたという意図だと思ったんですが、頭のほうだったので、角を折ったともとれるわけですね(角と言えば鬼なんですよね)

胸肩

白蛇も同様にかざられていて、最後に回る事になった白龍神社も、名はついてますが、祀られているのは『白蛇』という忌みでは、白蛇と龍もつながりがある(戸愚呂は渦)

胸肩

これは年表が天保と書かれていたので江戸時代の1830年から1844年に描かれたものでは、龍も蛇も鎮座してれば一緒って事でしょうかねw

胸肩

これは針絵手芸?布状の絵画で大海原を荒れ狂う黄金の龍が描かれてました・・いや、これ見た時、正直私は夢で見た景色を思い出しましたよ

確かに黄金の龍(稲妻)はすべてを破壊するエネルギーでしたから

夢診断 UFOから龍が暴れるのを見た夢のお話

笹清九頭龍神社

「目的地に到着しました」・・は?Σ(゚Д゚)と何回か道を行ったり来たりして、見える範囲には工場しかないぞ?と車を降りて、とりあえず、工場の裏手にぐるりと回ると、笹?が見えてきた

笹清九頭龍

そういえば・・神社の名前は笹清九頭龍神社だったから・・笹竹・・って事か?

笹清九頭龍

さらに奥へと歩くと、突風で笹がササササ~!と笹の葉サラサラの歌を思い出す

笹の葉、サラサラ、軒端に揺れる
お星さまキラキラ、金銀砂子

もしもこれが月夜見の晩だったら星空は・・と思うとここが発祥地では?と思うほど笹竹の葉の擦れあう音というのは不思議な周波数の波動を出していた

笹清九頭龍

そしてまごう事なく・・ここだ!と確信するほど強烈なインパクトの巨石を目の当たりにする

笹清九頭龍

かつては逆側に集落があったのだろうと思う平野の方向に古い鳥居が続いていて、現在の道路からはたどり着けない状態になっていた

笹清九頭龍

面白いのはここから( ̄ー ̄)ニヤリ まるで地場の影響がゼロ?と思うほど、直立してまっすぐ伸びている木に注目しよう

笹清九頭龍

まるで上からロープで釣っている?ぶら下がっている?と思うほど、重力で垂れ下がっているように見えて、その逆でだだ上から引っ張られるように、まっすぐと曲がらないで伸びている。それも左右に枝葉をつけないただの棒状の謎

笹清九頭龍

このあたりから、ここには入ってからの空間的に認知が居心地がいいぞ?ここ?となり始め、周りを見渡してすぐに気が付いたのは、階段の広さと段差の低さ

設計思想に足腰が弱い人でもこられるように、また参拝するのが嫌にならないように、さらに自然の木をよけて螺旋に蛇行して登る道の伸ばし方。『空間のすべてがおおらかで優しいエネルギー』に満ちていた

笹清九頭龍

笹清九頭龍

ここも神棚やらいろんな催事のものが仕舞われていたであろうけど、神!というよりは地元の人が集まる寄り合い所のようなアットホーム感を感じた

笹清九頭龍

この宮を永遠かけて栄え祀らんという後継の遺志の石は今は護られてはいない感じが残念ではあるが・・

笹清九頭龍

これもまた面白いのが、石に刻まれた意思に感応するように、自然の木が石に寄り添っている。ほかにも石はあるのに、この石碑だけがこんな状態だった。どんな念が込められていたのか

笹清九頭龍

笹清九頭龍

個人的にもっとも気が向いた、ここに来るため?と思うほど見つけた瞬間にやっとついた感を感じた小さな祠。はっきり言って笹竹に囲まれて外部からは見えないので、春~冬にかけては見失う

夏になれば古木は蜂や自然の虫の住処になって、近寄れないから、草木の枯れる木枯らし吹く秋か、雪解けの春しか安全に参拝はできない

笹清九頭龍

帰りは体も軽いが、曇り空に光が差して、笹竹のせせらぎも終わり、静かに見送られてた感覚だった。来てよかった、また来たい・・というより『何か届けにきた』か、『受け取って別の所に運ぶため』だったのかもしれない(私以外にここに好んで訪れる人はいないだろう)

鬼神社

駐車場がなく、奥にある墓地の一角へ車を停めて歩く、墓地の献花や風車がざわつく。すいません、鬼神社にきただけなので通らせて頂きます(。-人-。)と思いながら、道に飛び散っていた献花を拾い収めると、風は止んだ。その向こうにやはりとてつもない大木の林が見えてきた

鬼神社

鬼神社

そしてその見上げるような光景は見慣れたはずの鳥居にも表れていた

鬼神社

思わず口にでたのは「鉄人28号かよ!Σ(゚Д゚)」まるで超合金のロボットのようなちょっとやそっとじゃ倒れないぞこれという安定感

鬼神社

鬼神社

鬼神社

鬼神社

鬼神社

はい、ここで気づくのが境内へと迎う足元の階段の設計構造が九頭龍神社と同じでとても大きく広く、段差は緩やかで歩きやすい

鬼神社

また月夜見神社の枯れ木と違って、ここの木は筋肉か?と思うくらいミチミチとムチムチにぶっとくて元気!相当地脈がいい土地なんでしょうね

鬼神社

地震対策なのか馬への愛情なのか、絶対倒させないという補強の仕方の豪快さがいいですねw

鬼神社

これも九頭龍神社の文字形状と同じなので、時代背景的に同じ気がします

鬼神社

鬼神社

この狛犬、何が凄いってサイズが私の身長で土台の頭になるくらい、めちゃくちゃでかいだけでなく、目の部分が違う種類の石を使っているから、青く光ったように見えるという細工がされています

また一般的な狛犬はたてがみや牙、阿吽の口に意識が行くので気づかないと思いますが、これ・・『尻尾』がほかの狛犬と大きく違います。こんなにふっさふさに
『風になびいている狛犬』は他にはいません

鬼神社

鬼神社

鬼神社

これもみたらわかると思いますけど、既存のサイズの農具じゃありません。明らかに3~5m級のサイズ感の人が使う道具という事から、意図的に祀るために作られたのではなく、実用的に活用していた道具を奉納したとすれば、ここに鬼=巨人という構図は見えてきます(秋田のなまはげ発祥の真山神社の包丁もでかい)

さらに言えば、その丑寅の方角の混人は普通の人の3~5倍は身体的活動力があった・・と考えるとそれを『農業』に生かせばくいっぱぐれは無く、『建設』に生かせば、インフラ設計、『戦い』に生かせば『武神のごとき圧倒的強さ』を誇ったであろうけど

この足元が弱った老人にも、自然の地脈を避けた道の蛇行する配慮が行き届いた階段を見ると、『戦嫌いの優しい性格=円の下の力持ち』だったんだろうなと

ちなみに、ここには『大量の杉』がありましたが、私はその影響はなかったです。もともと花粉症にならない体質ではあるので、だからこそ居心地がいいと感じたのかもしれないけど、逆に言えば今の品種改良されている杉が花粉問題が起きるのかもしれません

岩木神社 白雲神社(白蛇の池)

はい有名な岩木山神社で、ここには令和元年の5/5に初めて来て以来の二度目で、前回は友達と観光、今回は一人で、ここに『白龍・白蛇の池』があるから、『白龍の導き』としてここを目的地にしてきました

岩木山

岩木山

九頭龍神社、鬼神社を渡り歩いてきたから感じた、岩木山の境内への道もなかなかの傾斜ではあるけれど、段差はとても緩やかで広い作り、ここにも鬼(建築)が関与しているのがわかります


岩木山

これはも神仏分離後に後から建てられた本殿前の大きな門ですが・・これが鬼の建築が関わっていないのがわかる理由はのちほど(伏線)。実はこの巨大な門の方向ではなく、ここから脇に向かう細い道が林のほうに続いていて

岩木山

そっちのほうに三つ首の龍の口から清めの水が流れています。前回はここの水で3日間口内炎ができましたが・・今回は大丈夫でした(前回はもっと暖かかったし、観光客も多かったので変な菌移されたのかもね)

岩木山

月夜見神社の岩に刻まれた文字形状とまったく同じ石碑、これも月夜見神社を回ってきたから気づいた事であり、岩に文字を刻んだ職人、あるいはその系列が同一という事がわかります。もちろんこの手の自然岩を切り出した石碑はてとも古いもの

岩木山

林の奥へと進むとひっそりと置かれた小さな祠が一つ。ここが本殿を立てるのにどかされた元の祀られていた祠なんだろうな~と(。-人-。)祈 をしつつ・・

岩木山

本命は周囲を清い水の池に囲まれていて、卵を育てる白蛇の池

岩木山

池の中心にある小さな祠、感覚的にもどう考えても水の女神様の祠で、自分の家の中並みにとても居心地がいい波長が合う空間だったので、ここで結構長い事、20~30分くらい手を合わせて呼吸瞑想してました。

岩木山

で、鬼(職人)の建築設計ではないと感じた最大の理由が、この門前の強制的に歩幅が縮められる階段の狭さと段差のきつさです。上がるも疲れるし、下がるも足を踏み外して危険。特に冬場なんて命に関わる問題が起きかねない

どう考えても、私がたどってきた『自然信仰の鬼の建築のこだわり』においてもっとも重要視している『階段の段差と幅』というコンセプトが使われていない事が、上り下りで息切れと足腰への負担を感じた時、イライラしましたね・・

入口の鳥居から上まで長い距離を歩いてくる工程で、唯一疲れるのが、この門の上がり下がりだった。押し付けられた新しい仕組みやルールが風土と合わないことへの憤りを感じた後

おみくじをひきました。ちなみに前回、この地に来た時は人生初の『大吉』でした

人生初の大吉

さて、今回は・・

小吉

小吉・・胸肩神社と同じ結果だったので、がっかりというより、やっぱり同系列の神様は私にこう言いたいようで

あせるな、まだだ、夜明け前だ、時を待て

実はこの旅を終えた後、これらの書かれていた内容が『これの事だったか!』と思い当たるような事が多々あって、そこを乗り越えても、まーだ色々と壁があって抜けきれない、光は見えているけど、まだ夜明け前感は実感しました(笑)

と、こんな知られざる縁があるものには力を与えてくれるパワースポットを巡ってからの気づきはまたおいおい別記事でまとめますが・・

なんでしょうね、人間の思い込みなのか、すり替えなのか、捏造なのか

ツクヨミは月夜見だった
星=日の生まれを見て因果の自業自得の因果応報先を予測する先見の明=『先に起きた物事を観て明らかになった因果(大いなる力)とその応報(大いなる責任)を伝える伝承者』たちだった

宗像は胸肩=強肩=武の精神だった
胸板、肩幅、強肩の防人・森の守り人の鬼の精神

タギリヒメは田切り比売だった
田を切り売りする商売

くさなぎの剣は草薙の蔓切りだった
草を薙ぐ、蔓を切る知恵と道具

倭建命は山と竹だった
『山』という自然が与える『竹』という恵を『材料』として扱う
何もかもが『風土』に根付いた『建設的』な当たり前の『生活の一部』だった

鬼の作りし建造物は『上に空間』が大きく広がり
そして足元は横に長く『段差もなく緩やか』で優しかった

広く緩く優しく広がった平野の如く、『サイズ度外視のスケール』で『自然の木の地脈』を避けるように『迂回して階段が螺旋に蛇行』していた。だから『地場の磁場』に狂いなくまっすぐ『自然の木が天高く反らない』で伸びている

全ては『鬼』と『水の流れ=龍と地』を表す意味になっていた

月夜を見るのは太陽は毎日同じ軌道を登るが月は毎日45分ずつ現れる場所がズレる法則を見抜いていれば、『地脈の自然の植物の成長』との『季節感』が狂う事は無い

ただ全ては『破壊されて放棄』されて『風化』していたから、伝承を継承する者もいないまま・・なんだけど、この旅の経路をたどると、ある『共通の人物名』が浮かび上がってくるのです

神無名の極意 過多の仮名を手放す

朕は天皇で麻呂(麿)は貴族
ざっくりいえば、そんな感じと親父に教えられたが

確かにおじゃる丸の影響で、「まろはの~」と身分の高い者しか使っていないイメージだったが、ちゃんと調べると

男子の人名を構成するのに用いる。名詞や形容詞語幹その他の語に付いて、人名を作る。古くは単独で用いられる場合も多い

つまり、拙者、吾輩、と同様、どこの誰とも身分も関係なく、俺・私=麻呂だったという事になる

そうなると坂の上の田の村の男=小高い丘の上の田舎の男
具体的な人名ではなく『仮の名』だったのかもしれない

鍵は坂上田村麻呂
具体的な人物像が全く出てこない

神武東征とか
征夷大将軍とか
丑寅の方角の鬼とか

何かと『西』は『東や北を目の敵』にするが、何を持って『勝ち』とするか?どう『戦を治める』か?結論を言えば勝ち負けに『拘らない事』、双方ではなく『片方が折れてあげる事』で決着はつく

例えば、天下に名を広めた『名声を捨てる』
名前を変える=『討ち取られた事』にしてだんまりとする

そして『新たな名前』にして『書類上の統治下』に置く事で、その地の人々を『そのままにする事』が出来る

なぜ『征夷大将軍』として『蝦夷を討伐にきた将軍』が、その『蝦夷の方でも英雄』として慕われているか?この『トンチのような策士の功』が坂の上の田の村の麻呂(男)が評価されているのでは無いかと思った

と、感じるのは

宗像三女神が『胸肩』三女神に
月詠が『月夜見』に
櫛灘姫が『奇稲田』姫に

名前をパッと見た時『漢字が違う』事で『同姓同名』ではないため、『有名は無名』になると当時に『朝廷の管理下』…と言っても『征夷大将軍が治める地』だから、実質、「敵の領地を奪ったのでもう安心です!」

と言いながらも、実は『伸び伸びと過ごさせて発展するナショナリズム(風土)を尊重』した

これは『1629年長崎奉行の考案』のキリシタン狩りの際の『踏み絵回避のやり方』にも似ている。『踏み絵を踏む』という『パフォーマンス』は、はっきり言えば『盲信や狂信』ではない者にとってみれば『茶番』である

『踏むだけで命が助かる』なら踏めばいい。それはただの『忌みを与えられた物質』でしかないのだから、もし『キリスト意識がある存在』ならそれは『許容』するだろう

逆に言えば『その馬鹿げた条件で上を納得させた知恵者』こそが、むやみやたらに『被害者を出さないために考案した救いの神業』と言える

『宗教や信仰を護る』のではなく『命を護る為に絵を踏む茶番に付き合うだけでいい』という『自由へのスケープゴートの逃げ道』を作ったのだ

それで『盲信者・狂信者』かどうかを確認して『気が済んだ』ら興味をなくして『気』にもしなくなる。『一時の圧力に抵抗』するのではなく『流れ』の中で『やり過ごす』

『蝦夷討伐』にしても、朝廷も『自分の配下の統治下』になれば、『占領した街が発展するのは良い事』だと気にもとめないだろう

争いたくない者たちは『自分達の文化を破壊されたくないから抵抗する』、それに対して『名を変える』か、一部の『シンボルを身代わりに壊す事に同意』するだけで

『子々孫々に受け継ぐ文化や生活』を破壊する必要がない、その『心意気』と『心配り』があったのではないかと思う

そう考えると、鬼の隠れ里と呼ばれる地には、大量の巨石が積み上げられ投棄されていました、これがひとつの見せしめのシンボルだったのかもしれませんね

東北にまつわる鬼伝説の結末は『結果的に感謝されるような事』をしているのに、『鬼は逃げるように去っている』

まるで『隠者の世直し義賊』です(笑)

岩手探訪録1 三ツ石神社の鬼の手形の謎

・・と思った時に胸肩神社にて坂上田村麻呂が神を祀った『807年』というのは『空海が現存している時代』でもある。さらに言えば『空海』は『南祖坊』として『十和田』に訪れている可能性がある事(ここで九頭龍召喚と繋がる)

白龍の導き2 アワの音 から八百比丘尼と空海へ

そして『弘』という没後に神格化された弘法大師の一部の文字・・というか、『弘』の『法の大師』なので『弘』がすべてであるとした時に、『地名』に使われている所をピックアップしたら面白い事がわかった

弘

正直、もっとたくさん使われていると思ったが、東北では『青森』にしか『弘』はなかった。この現象は前に『名を奪われた焼山』=薬師=久須志信仰が富士の麓であったというのに対し

焼山

久須志=薬師 で繋がる不死(富士)の霊薬

北は東北、『津軽富士』ともいわれる青森の『岩木山の麓』にも『久須志=薬師の痕跡』はあり、それは九頭龍、月夜見、鬼、白龍、白蛇として根付いていたのだろうと思う理由が・・

ユダヤ・キリスト教というのはヤハウェ・キリストの『一神教=1』
仏教は『八徳』を起点とした『多神教=8』

人が造りし『18』の思惑

だけど、もともと『神仏は一つの自然体』だったと考えれば、1+8=『9』という流れになり『1か8か?』なんて『二択の賭け』にでる必要がない

シンプル哲学 一か八かは九 都合のいい分離の痕跡

自然体が9=球=『〇』の状態
流れで球に辿り着く、龍の玉=ドラゴンボール

また篩にかけられて、ダルマ(法)の元に『〇』に戻ってきたw

白龍の導き 篩籠 ダルマとは丸だ!

そして、今回の旅で確信した鬼の999段の階段話、あれは千段作る約束に一段足りないから、鬼が去った・・は法華経における『一=真実』が足りない話だろう

もう一度、自分で歩いた景色を見直してみてわかった事は・・明らかに『人為的な破壊の手』が入っている。門痕以降の石畳はとても歩きやすく整地されていて仕事の丁寧さが際立つ反面

そこまでの道中にももともとは広く薄い岩が敷き詰められていたであろう巨石の痕跡もちらほらある(おそらくその建材が鬼の隠れ里に捨てられたもの)

結論から言えば、『鬼という存在』を『悪者に仕立て上げる人為的な工作』であり、それは『希釈廃物の山狩り』で行われたのか、『神仏分離』で行われたのか

いずれにせよ、『1も8も許容』する『9』という『自然の母体を破壊』したように思える

その流れを感じて、元旦に見た夢の景色、『月の死者が鬼』、『女・幼女』を連れていき、『男どもを蹴落として』捨てセリフを吐く

「いつまでも争いを続ける馬鹿は滅べ」・・全部先に来てた事が後から繋がっていく(笑)

2024年元旦初夢 赤い空と月の都市と優しき巨人

この立春の旅がなければ点と点がつながらなかったので、またしても白龍に導かれて、各地の想いを全員集合!で引き連れて習合してきた宇宙元旦の修学旅行な初詣?な感じでした(゚∀゚)アヒャ

同じ時代にかなり近い所に、『空海』と『坂上田村麻呂』がいた。『知恵者』と『知恵者』が・・そばにいたら、これも何かの縁だと『逢ってみたい』と思うだろう

私は・・直感的に九頭龍という自然信仰が坂上田村麻呂であったとするなら・・十和田に坊さんに召喚された九頭龍とは・・坂上田村麻呂(鬼の末裔)だったのではないか?なんてロマンな景色が見えてくる

それならば、坂上田村麻呂が『蝦夷』にも認められていて、なおかつ『ねぶた祭という神事』にも『坂上田村麻呂』が関わっているのが・・個人ではなく団体?坂の上の田の村の麻呂達=鬼による意志の形象(サイズ感)ではないだろうか?

蝦夷の族長阿弖流為ら500人余りが投降し、対蝦夷戦には一応の終止符がうたれた

打ち取ったのではなく『投降』させたという点をどう捉えるか?そこには『話し合いや説得の折り合い』が何かあったと思えないだろうか?

戦える者たちがいなくなったら、残された者たちは虐殺の蹂躙されて血が途絶えるとわかった時、子々孫々を悪いようにはしないと、約束する理解ある者がその地位にいたら?

抵抗する森の防人の鬼が去る事で、望まぬ戦いは終わった・・という事を忘れないように『一つの区切りの催し事』

このねぶた祭には3つのパターンがある

弘前扇ねぷた やーやーどう(いやいや戦に向かう掛け声のねぷた)
津軽弁でねぷて~とは『眠い』という事だ

五所川原立佞武多 やってまれ!(戦じゃこらぁ!)
全力で事を成せ!いけいけ!けっぱれ!という鼓舞の言葉

青森ねぶた らっせらー!
勝利の凱旋パレードでここだけ津軽弁ではなく
なぜかヘブライ語

そして、『坂上田村麻呂』を調べていったら・・これまた不思議な縁で・・『丹内山神社』がでてきた。ここも導かれるように訪れていた場所だった

岩手神社巡りとお盆旅の備忘録総まとめ

シンプル哲学 『地』は究極の愛

空海の足跡、坂上田村麻呂、アラハバキ(阿弖流為)、みんな同じ時代に同じ場所にいたと考えると、このメンツでいい知恵を出しそうなのは、空海な気がする(笑)

調停の命令上、討伐した事実・証拠を持ち帰らなければいけない
阿弖流為は森や自然と共存する環境を破壊されたくない

ならば、信仰対象の神の名前を文字上で変え、呼び名は地元の自由(方言といえばわからない)

シンボルをいくつか破壊し、民を統治下に置いたと報告し、破壊の後の再生の為に自分が管理するといい、近寄らせないで、東には東の日の流れを構築する

『東日流という文化』を発展させる壮大な計画
争いや破壊を嫌う三人寄れば文殊の知恵

東日流外三群誌・・ではなく東日流外三軍師

法を司る空海という師
蝦夷討伐の軍を指揮する師
アラハバキの守り人を指揮する阿弖流為という師

『戦わないに越した事ないよね?』と知恵者の『三軍師が結託』したら?

馬鹿な命令を出す自己中な京の余興につきあってらんね、どうせ自分でここまでこねーくせに┐(´∀`)┌ヤレヤレ

『嘘の侵略報告』をでっちあげてぬか喜びさせておけばいい

これ見よがしに『鬼を倒したどー!と嘘の歴史書を脚本』にして『都合のいい能書き』かいて『自慢する演劇の猿芝居』していく『滑稽な事』が起きるだろう

自分で足を運んでみればわかる事なのに『人の言う事=信じる』から騙される

噂を『神事茶』いけないよ?
信じた『神事が茶番』、それが勝者の歴史(思い込んだ騙され)

『信』という字は、もともと『自然の由来の七徳』ではなく、孔子によって加えられた『人造』の考えた方
『信用』とは、その『信』を『用』いると書くが・・『用』いるとは『月を刺す』形状

『月』の信仰者としては、『人』の『言』う事に『利用』される事を嫌う(感覚的)

だから肉を切らせて骨を断つ
『討伐対象の鬼がいない』ならこれにて一見落着、めでたしめでたし

桃太郎は百太郎、百鬼と話をつけて感謝された(坂上田村麻呂)

そして表向き姿を隠した鬼は、時折『世直し』に現れる七夕のねぶたとして山車に乗って民の町を練り歩き、邪気を祓う『森山の守り人、防人の隠者』となりましたとさ

鬼の建造物の『巨石』に触れてみな?石の意志は大きくて穏やかで優しいよ~?

なんてな(゚∀゚)アヒャ

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