好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

シンプル哲学 『地』は究極の愛

自業自得、自画自賛をやめて、地業地得と地河地産に、音を紡いで言葉のあやとりで再構築。『意味の解釈』を変えて『認知』を変えていこう ライオンズゲート第9夜(の時のストック記事)

自は地に還る

『自』という漢字を『地』にすると、それはとてつもない『地母神の愛の巡り』になる

自業自得 → 地業地得

地の行い(自然のサイクル)は地(自然の生態系)に恩恵を与える

そこに苦しみは何も無い

こんな気づきを得たのは、大木に囲まれた丹内山神社の奥にある『アラハバキ岩』の中をくぐって来たからか、その大岩を突き破って生える生命力ある大木に触れてきたからか

いずれにせよ、地とは凄いエネルギーだと、『地脈と水脈』、『地龍と水龍』に直に触れてきたからか

『自分中心(人)』ではなく『地中心(エネルギーの元)』なんだなと言葉を改める

自画自賛 → 地河地産

地の流れはその地で生まれる。つまりはその地の風土(伝統や文化)はその地に住む生き物が元になって生まれる

インダスもメソポタミアもエジプトも縄文も文明は『川の側で生まれ発達』するのも『津(港)』による『セオリー』

私は船頭さんが歌っていた『岩手民謡(南部)』を聞いて、津軽民謡とは違い、どちらかと言えば『沖縄のメロディに近い』と思って調べると

『岩手と沖縄には交流があった』という話が出てきた事から、その地を訪れてわかった『地域伝承』や『沖縄にまつわる伝説や伝承』もまた

この東北の地に『移住してきた祖先』から伝わっていても何ら不思議ではない

安倍原典 アヴェスター 三蔵法師はマリアかな??

イナンナ(伊奈女)とアシュタル(阿志多留)って

そしてわかった(感じた)のはアラハバキは『戦いの神』ではない

カタカムナの言霊だと
命の場が次々と引き合う内なるエネルギー

『地母神』そのもの

まさに大木の森の中心にあった巨大な大岩
そこはオニヤンマも蜂も蟻も全部『巨大』だった

涼しくて過ごしやすく虫の声は鳴り止まない
手入れなくても水は濁りなく綺麗

そしてもうひとつ驚いた事がある

虫から『敵意』が伝わって来ない?!

蚊や蜂が近くにいる時、人は『条件反射で危険』を感じてそれを『遠ざけようとするリアクション』をしてしまう

それは多分『正解』なんだろう

例えば虫は『羽音で会話』するように、『敵意も羽音で表現』しているとしたら、『人間の防衛本能』がそれを感じ取って『警戒迎撃体制』になる

でもこれは人里で生まれ育った、蚊や蜂、生まれた時から『人間というもの』を見てその、自然の流れを邪魔し生態系を破壊する『ニンゲンという怪物』を避けながら生きてる蚊や蜂だから

『今からニンゲンを攻撃する!!』という『決死の覚悟』を羽音で仲間に伝えているんだろうと仮定

しかし、この山奥の森の蜂や虫は、巨大な上に近くに寄っては来るものの、羽音は耳障りではなく静か、ぶぉーん!!と無駄な動きがなく、グライダーで滑空するが如くすぃーすいーと無駄な力なく飛んでいるのか

『視界には入る』ものの『攻撃される』という感覚もなく、まるで『道案内』をするかのように「こっちだよ〜」と、だから『私は虫に襲われない』だろうと仮定した上で、その理由を3つ考えた

①科学物質を塗っていない自然体

私は『虫除けスプレー』やその他、『殺虫剤や抗菌対策』、『整髪料や化粧品』など、人工科学物質の『自然の空間を汚す匂いを発するもの』をつけていなかったため

『自然の岩や木』と同じように蟲達に『無害』と判定された可能性がある。元々『天敵』がいない体が大きく肥えるほど食べ物に困らない『平和な環境』だから

他の生命体(動物)を襲わなくても、それぞれの種族(虫)が最低限の『自然の恩恵のみで繁殖』出来る環境

外敵に襲われない=命の危険を感じない
周りに敵意を抱かない=敵意が存在しない

ここは『ニンゲンがいない楽園』

②『呼ばれた客』だから?

私は『水の神と名乗る女神』が夢に出てきて、この地に旅立った訳で、

交通事故にあってくれません?と言われる夢

行ってみたらアラハバキという『地母神』と向かいの神社に『瀬織津姫』が祀られていて、どちらもまた『巨石と水の繋がり』があった

呼んどいて追っ払う事はしないだろうと(笑)※あくまでも私の感覚ですが

このアラハバキ岩が『イワナガヒメ』という観点でみても何となく『納得出来てしまう感覚』もありました。そして、その結果、今回の気づきはいつもの夢から醒めての寝起き閃じゃなく

『現実』で『自分の体』を持って『体感』し、直に『大木』にも『大岩』にも、そこに生えている『苔』にも触れて、その山の水の流れの下った『北上川』に体を浸水して身を委ねて

『自然とひとつになる気持ちよさ』を『髪の先から足の先』まで全身の細胞に取り込んで、そして生まれた『新しい造語の作り方』

人が生み出した業=『自』を『地』に還す

自我を捨てるとは『地に我を委ねる事』

我田引水

我の中心に引く流れ

『自が中心の意識』なら『自己中』、自分の『視覚(四角)の真ん中に流れ』を集めるが

『地が中心の意識』なら『地中』『流れを地に還す』

地中心なら流れは自然に『地下水』として『木の根』が吸い上げ『循環』する

『その地を愛す』とは自分の気持ちではなく、その自分すら捨て『風土を保つ循環の流れの一部』になる事

その究極が『意志』となり『巨石』となり
動かざる事、『不動の山』の心意気=厳龍

なるほど(´・ω・`)巌龍というシンボルもまたその『教えのひとつ』として『自然の一部』になっている訳か

地から分かれた『地(血)分の土人形』
力分かれた『自分という宿業の役割』

最後は全てのモノは『地に還る』

『地』は汚すな
『血』は汚すな
『自』は汚すな

汚しまくると『恥(ち)』になる
『恥』を知れ、そして穢れを祓って清めよう

自然に戻せ『状態』を
自然に還せ『地から分けた力』を

・・・学びのスケールがでかすぎるwww
ライオンズゲート中の旅の造語でした(´^p^`)出すの忘れてた(笑)

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