真が先で偽が後だと思っていたが違った。『偽』が出てくるから『真』として『元』が生まれる、『偽救世主』の預言のお話
あるがままに『名』は無い
真偽という「〜に対しての〜」という比較
これは『真がある』のに『偽が出てきた』というのが一般的だが、『真=唯一無二』である限り、『真=私が元である』という主張もない
偽とは『人の為』
自分ではない『他人へ向く』
何かに『なりすます=元』がある
『真似』する=『真』に『似せる』
疑われる=『比べる対象』がある
真は『模倣が話題』になり、勝手に『比べられる事』で、『真偽の審議』という『比較対象に問われる事』で、結果的に『真という名』を付けられる事になる
ありのまま・自然・唯一無二・オリジナル
『名も無き存在や役割』が『比較の為の名』を付けられる
つまり、『真』とは『後』から現れる
『不自然』がある、『偏り』がある、『間違い』がある
その『何』とも言えない『違和感』とは
『人の可能性』の違った『調和出来ない感覚』
人の為=『都合のいい流れ』に馴染めない時
偏りのない、間違いない、調和を感じる『自然体』
「・・もしかして、それがあるんじゃないか?」
と、『探求する者達』が追い求め、「これだ!」と『納悳』するものが『偽を間違い』だと『根底からひっくり返す真理』として『名と体を得たエネルギー』になる…が
それもまた、あるがままの『名も無き当たり前』の諸行無常の一切無常
『偽を暴く』ために『真理という名と役目』をつけられたエネルギーは、『偽』を暴いたら『役目』を終えて『真理』ではなくなる
真理とは『ウイルスの活動を不活化』させて『自然消滅させる為に現れる抗体』のようなもので
『必要な時』に『必要な場所』に現れる
『人の為の世』において真理は『人を活かしも殺し』もする
当たり前とは『当たる前』。『何』が当たる前なのか
『白羽の矢』という『人為的な当たり屋』か?
鵜呑みに呑み込んだ『概念の毒に当たる前』なのか?
「当たり前だろ?」というのは『当然の事』という
当たる自然の事
『自然』に『不自然』が当たる
人為的、人の為に『自然を破壊』する
その『先世見』の『行く末の体たらく』が、元素周期表の第七ピリオドには『自然の元素』はひとつもなく、全て『人工化合物』のみ
『科学』による完全な『自然破壊』
『AIと人工化合物』による『自然支配』
それが今現段階の『人の為のテクノロジーが進んでる方向』であり、『大和の心』はそれに『違和感』を感じている者に
『それとは違う道=真理』を示し始めた
これが『偽救世主が先に現れる』という預言
『目先の欲』とそれに飛びつく気持ち悪い『欲深いヒトモドキ』という『666の獣』を見て
『真理はそこに無い』と踵を返し、『偽=人の為の間違い』に気づいた時
『先に偽』が現れてから『真が現れる』
それは『偽の方向を向いてる』限り気づく事は無い
ほんと、良く出来た魂の『靈的精神性を育成する自然法則』、まさに『自然の摂理』で「自分で選んでいる」ようで、実は『選ばされて選別』されていく
今回の話は『嘘が世界を創る』に通じるものかもしれない
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