普段は中を見る事ができない五重塔の中にあったもの…その建築構造そのものが大日如来の心と祈りの舎利石(意志)が支えていたと知った衝撃のお話
母の月命日に行った帰りの事
ふと見ると、五重塔の塔の1階が4方向の扉全てが開いていた!!(写真は撮ってないので以下、図解)
近づくと住職が1人の女性に写真を見せながら説明をしていたので、私も飛び入りで話を聞きに参加した
中へどうぞと入ると、壁など周りには『真言八僧』の絵、中央には四人の菩薩像、丸く太い支柱が四本、真ん中に大きな八角形の柱が一本(階段はなく、上に上がるには梯子を使うらしい)
この真ん中の八角形の柱がしんぼく、神の木ではなく、心の木と書いて『心木』であり、これが『大日如来を示している』との事
青森産の樹齢300年以上のひばの木を一本40万かけてヘリで運んで来てすえたという逸話を教えてくれた
わざわざヘリで?!((((;゜Д゜)))なんて豪快な
なるほど!これが『心の支え』になっているのか!…と言ったら住職は、「この心木をよく見てて下さい」といい、長い木の棒で心木を押すと…
ゆら〜ゆら〜と寺の金のように揺れただと?!((((;゜Д゜)))どういう事だ!?
私はてっきり『心の土台』は『不動』の如く、『地に足つけて基礎がしっかりとしている』のでないかと思っていたが、これは『上から吊っている』との事
理由はいくつかの『故事』と当時の『有能な棟梁の経験則』かららしく、ひとつは、『木造建築』のため、木の中の水分が乾くと『縮む』という『自然の摂理』によって、塔のてっぺんの『相輪との隙間』ができる事
古くは仏塔の最上部にある塔身の上の覆鉢(ふくばち)に立てられたもので、一ないし一三の重層よりなるもの。日本では塔の最上部におかれる青銅または鉄製の尖塔で、一般に九輪(くりん)という。下から露盤・覆鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・九輪・水煙・龍車(りゅうしゃ)・宝珠の七つの部分からなる
二つ目は『地震等の揺れ』で土台から崩壊しないように『免震構造』になっている事(棟梁の智慧)
これは地震学者が来て揺れの調査をした所、ちょうど五重塔の『三階当たりが重心』となって『揺れが上まで伝わらない構造設計』に驚いたらしい
これにより揺れに対し、『心木が重心』を保つ為に『五重塔の塔は倒れない』との事
さらに住職は普段は見れない五重塔の中の、さらに4つの菩薩の土台の下の木の壁を手馴れた感じでパカッと開けて、『心木が地面と繋がってない所』を見せてくれた
ほんまや((((;゜Д゜)))地面から浮いている!!
だいたい、40〜60cmは浮いていた。木の縮みによって徐々に地面につく昔の木造宮大工の設計で、今の状態だと地面に着くまで、約200年らしい
((((;゜Д゜)))遠い未来!見届けられない
実は他の五重塔では、もっと『距離は短かった』らしいけれど、度重なる『天変地異の地震の影響は計算外』だったようで
既に『地面についてしまっている所』もあり、そういう塔はやはり『地震で倒壊』したりしたのだとか・・
そう言う意味では、この塔はまだまだ大丈夫だな( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ンと安心
そして、その心木が浮いている地面には、基礎が打ってあり、その中央が『骨壷のような穴』が掘られていた
住職はそこは『舎利石』を入れる所と言っていた
仏舎利は釈迦如来の遺骨を指しますが、遺骨の数量が限られているため、多くの寺院では仏舎利の代わりに舎利石を納めています。主にメノウ(玉髄)や、龍宮洞穴の石などが含まれます
住職いわく、舎利石とは、祈りなどをしている時にどこからともなく『ポトッ』と現れる『祈りの石』のようなものらしく、それは物理的な免震や建築に関係はないが、願掛けのような意味合いで入れているらしい
主に『メノウ(瑪瑙)』と知った時・・やはり『シンクロニシティ』を感じた・・体感が先で理解は後からなのだ・・
私は『この地に骨を納める事になった母の縁』で『大日如来の縁』が繋がったが、その母と共に八甲田の山頂に行った時に手に入れたのが『瑪瑙の勾玉のパワーストーン』
しかも『焼山(紅葉)の光景』から多くの『その地の残念』を感じ取っていた・・
この舎利石ひとつで3万円で買取りますのような『仏教業界ビジネス』もあるようで…そこはなんとも言えない『パワーストーンビジネス』というか、『人の願い買取ります』みたいな(;-ω-)ウーンと思ったけど
要は『石に込められた意志の力』が天に浮いた『心木=大日如来』を支え、その『空間自体を大日如来が重心となり支えている』という構図はまさに
『五重塔』そのものの『形象』が全体を支え、支えられの『持ちつ持たれつ』
『人との繋がりの縁』は切れてない=『見えない力で繋がってる』とも取れるし
何より『心木が揺れる』
素直に『揺れる事』で『支えている』
『御自由の塔』でもあると
『地の流れ』に逆らわないで、『天の意志で身をふの振り方』をする
それが『心』
心は『揺れるもの』
『伝わった力』を感じて『振動』するから『感動』
心が感じるままに『揺れ』を楽しめ(๑•̀ㅂ•́)و✧悳を積めΣ(゚д゚;)
私にはそう感じた
『天空』と繋がった『見えない重心』
『振り子』による『振動』
それは『周りが揺れている時』
『心木』は『揺れていない』
『心木が揺れている』は『客観的』で
心木からすれば『周りが揺れている主観』
『大日如来(真・芯)』は『揺れ』を感じない
その『心木の重心』に合わせて竹のようにしなる『五重塔(我)』も実際は揺れていない
つまり、揺れているのは『以外一切』は無常
『揺れない世界の中』からすれば『揺れてる世界は存在しない』
まさに『浮世離れした心』に従う者は『世から浮いてる』から『揺れる事』は無い
これをわかりやすく例えるなら
『地震が来た』時に『飛行機に乗ってる人』は『揺れを感じない』ようなもの
『免震』とは『地震』の影響を『免れる』
『地震』で揺らぐ、『自身』が揺らぐ事が無い
『心が揺れている』のでは無い
揺れているのは『お前自身』が『周りの振動』に揺らされている
その『波動に共振』して『感動』しているから『感じて動く事』になる
深い、実に深い・・というのも『相輪に心木』が吊られている
『相輪(仏塔=教え)』が倒れないように『心木』が支えている
『地面が傾いた時』も、相輪と心木だけは『真っ直ぐ』を保ち
傾きが『治まった時』、心木が「落ち着きなさい」と言わんばかりに揺れて『中心』へと落ち着く
これがほんとの『心は動じない』
心と体
精神と人間
『外』から見てもわからない『五重塔の中』
その中に仏塔(相輪=仏の教え)、『支える大日如来』、『土台の四柱と四人の菩薩』・・それを地から『祈る舎利石の意志』・・全てがあった
『人の祈り』と『天の支え』は『直接は繋がっていない』けれど、『見えない力』で支えている
瑪瑙のパワーストーン(舎利石の欠片)を手にいれた時に感じた事、焼き払われて『名』を失った『焼山の残念な仏たち』
・・いろんな『思いの縁』を『知らず知らずに引き継いできた』ものだ
そんな先の祖の意志を人と共に養って宿してきたから、各地の『古代の神社巡り』や『修験者が遺した巨石』などに『直接触れる為』に導かれて旅をしてきたのか(因→恩→果)
その『集大成』が『大日如来の縁』へと繋がれて『万教帰一』か・・感慨深いな釈迦クエスト(笑)
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