死んだ母が夢に出てきた多階層の夢は、深層に至るほど明確にメッセージ性を増し、死生観そのものが『空』となって大日如来に導かれ現実に繋がったお話その①
夢のあらすじ
私はこれから友達が遊びにくると、母につげる。母は「じゃおもてししなきゃ」と刺身の盛り合わせを提案
その時、母が好きな刺身が見えたので私は「どうせなら、母さん好きなの頼みなよ!食いたい分多めにしよう」と言うと「そう?じゃ、そうしようかなw」とちょっと嬉しそうに追加注文
その後、「私はそろそろ寝るから、友たちとゆっくり」と寝室にひっこもうとした時、私は今から寝るならぐっすり長く寝れそうだね、とふと時計を見ると、夜の11時!?Σ(゚Д゚)遅!?感覚的には16時くらいだったのに・・
母は何時に寝ても、夜中の4時には目を覚ます体質、その上、隣の部屋にこれから友達がきてワイワイすると考えると、眠れないのでは・・・と思い
二階で寝なよ!・・と言いかけた時、(今から寝ようとしている人に、二階に向かわせ、寝床を用意させて・・という方がダメか)と色々気遣いしていたら・・
シーンは変わって
私は二階の自分の部屋にて、友達が次々と合流してくる状況だった
「うぇーいw」「うーす」と軽い挨拶の後に、「俺いいもん持って来たぜ!」「俺も俺も!」とおのおのが持ち寄ったのは、なぜか形状やデザインが違う『PS3』
私もPS3が部屋にあったが・・(なぜ?PS3ってこんなにデザイン違い出してたっけ?)とか思いながら、ちょっとトイレ行ってくると一階へ降りると
階段の方をみながら玄関の壁にもたれかかっている中学生くらいの少女がいた。妹・・ではないが、他人・・という感覚もない・・しかし、あった事があるという知り合いという感覚でもない・・が
そこにびっくりという驚きもなく・・とあれこれ考えてる私をみつけた少女は、やっときた!さぁ行くよ!と言わんばかりに私に向かってきた所で
目が覚めた
起きた時、母の月命日だと思い出した
それが要因となって母が夢に出たとするなら・・
『お供えは刺身がいいってか?』と切り替えて、「今日、母さんとこ行ってくるわ」と父につげると、「庭で咲いた牡丹の花を持っていけ」と言われ
家の風土で咲いた花と、途中のスーパーでさしみと、ついでに母が好きだったスイカを買って墓参りに行った
庭で取れた花を水差しに入れると、すぐに小さなミツバチが花に寄ってきた
元々、そこに無かった花が現れたから興味津々にやってきたのだろう
天気もよく、風も穏やかで、お供えした横で一服しながら夢の意味を考えていた
母が夢に出てきて『刺身を用意』してくれたのは、私がきっと『最近刺身を食ってないから』かもしれない
生前は、私は頼まれたものしか買ってこないし、『有れば食う』というスタンスだった
家で『刺身やスイカ』が出るのは、『母が食べたい』と思った時が多かったくらいで、父や姉は外食で自主的に刺身を食べるが、私は自発的には食べない
母が『お供えに欲しがる事(夢のメッセージでリクエスト)』で、結果的にお供えした後、『私が食べた』
母は私に「刺身をたべなさい」と進めてくれたのかもしれない
そう思った時に『あの世の死生観』は大きく変わった(死者・使者の飯を食ったから?)
あの世とは望む世 心で繋がる世界
母は向こうの世界で元気にやっていると感じた
生前、死が近づいた頃、母は自分が見た夢を教えてくれた
母は『ボーリングを楽しんでいた話』をした
20代から75歳の無くなる半年前まで続けてきて、大会に出るとかではなく、自分のスコアに一喜一憂し、平均200をたたき出すにも関わらず、それでも尚、満点を目指し、楽しさも忘れない姿勢
そんな母は死の間際も『別世界でボーリングを楽しんでいた』のだから、きっとその延長上かつ、それ以外の『面倒な問題のない世界』で自由にやっていると感じた
また、これも『遺伝の能力』といっていいのか不思議だが、母の父に当たる祖父
祖父もまた『夢を通して現れるメッセンジャー』だった体験を記録している
私は以前、夢の中で、まだ『少年だった祖父』に出逢っていた
祖父が知らない娯楽を楽しませて大いに喜んでいた
そして、母の癌の進行に私が悲しみを覚えた時は、「泣いてる暇があった為すべきを成せ!」と『鬼軍曹』として現れた
こうなると・・もはや『親子三代、夢を介して繋がっていた』と言える
私は最初に夢で『祖父を助け』
現実では『母を支えて助け』
祖父は『娘を助けるため』に、夢で『孫を鼓舞』し
そして、母は夢で『息子に必要な栄養を与える為』にサポート
つまり、私が『夢で色んな世界を楽しみに行く』ように、母も既に『中学生の無邪気な少女』のように『別の世界から夢で遊びにきてる』のかもしれない
現実でも『いなくてもなんとかなる』というのは『いなくなる前に人事を尽くして支えた事』で『周りを思いやる余裕』ができたという事
『ぽっかり空いた穴』は塞がれれば『大きな心』になる
『現実にはいない』けど『心にはいる』
『夢の記憶を保つ』とは『先祖との繋がりの縁』を持つという事
そうすれば、私の知らない、祖父の祖父、またその曾祖父と・・そしてその時代に関わって『周りを思いやった事で繋がった縁』の多くがある
私は『現実の友』はいずれ心に宿す『心友』となると感じた
それを考えれば、『心友が大切にする縁ある者も護りたい』と思うだろう。それを遡れば『末代の子孫達』のために『有難い恩恵』が巡り続ける
『現れる形・現一切色心三昧』は変わって続くのだろう
まさに『夢』とは『意志の架け橋』である
『夢を継ぐ』とは『志』を継ぐ
全ては『有り得る=可能性』なのだ
『神』ではなく『加味』と気づく
加味とは
あるものに他の要素を(少し)まぜ加えること。つけ加えること
つまり、和足す心=渡す心=『継承して和多志』となる事
『一人に和(あじ)を足す』のが『大和の心』
加味の心=先の祖を人と共に養い加味して養う=『先祖供養』
先祖の知恵を加味するとは、古きを知り新しきを知る=『温故知新』であり
それに『現代の智慧』を『加味』を『和』として『足して』いく
『和を持って貴し』とは
『和を足す=渡し=継承』である
和らぐ、労わる、穏やかな心を受け入れ、建設的に『意識を拡大』していく
『夢が有る』のに『得ない』は有り得ない
『夢を見た』のにそれを『たいした事無い』と否定する
色即是空、空即是色=『そう思えば、そうなる』
『否定』によっても起きる=夢は忘れるもの=『忘却が生まれる』
自然界の動物・人間も含め『全ての生き物は夢を見る』のが『自然の摂理』
それを人間だけが『夢は消えるもの』と『人の定理』で自ら繋がりを断った
目に見える物=『物質・唯物しか信じない』と『人が言う』を『用』いて
その人が用いた『束の頁』=『信頼』を頼りにして『自分』を見失った『一切皆苦』
それが『自力』から切り離された『他力本願』であると『気づかない事』を受け入れている盲信
和唐=わからない
百済=くだらない
新羅=しらない
『有るもの』を『(心)得ない=学ばない・受け入れない』
『事故』が『在った』から『成り立つ語り』=『故事成語・格言・ことわざ』を認めない
『聞く耳』持たない、『心に耳』を傾けない=『恥・(極)端を知らない』
私にとってはこれもまた『金輪際の見極め』だと感じた
『体感という主観』があれば『自力で解釈して納悳』できる
しかし『見聞』という『客観』では『多力で決めたルール』に従う多数決
『他力の大本』が『金剛界の大日如来の金輪』ならば
『自力の大本』が『胎蔵界の大日如来の金輪際の見極め』である
その観点から捉えるならば『六道輪廻』は『嘘』ではないが
それは『胎蔵界』から『外れた道=外道』の『金剛界を盲信する世界』なのだ
『嘘』とは『口に虚』と書き、『口』から出た『虚(からっぽ)空(全て有る)』とするなら
それは仮想空間(思考シミュレーション)なのだ
『そう思えばそうなる=色即是空・空即是色』で生まれる『思い込みの盲信世界』である
それを『多数』で『決める=関係者の結託』する為に『信』を『用』いて『束の頁』にする『信用・信頼』
信用や信頼=『関係性を試される』のは、『信者=儲の損得』である
『極楽』を望む者は『私利私欲で助かりたい』と願う
『地獄』に落ちろと望む者は『他を貶めよう』と願う
それで『叶う世界』というのは『六道輪廻の死生観』という『トロッコ問題』から逃れられない
『関係者による奸計の分断』に見事にはめられている
しかし、それに気づかないから、『金剛界の大日如来の門下生=トロッコ問題の中』では『解釈=釈迦を解く事』ができない
『大日・釈迦』と『金輪』の『際』を見極められない
私の祖父は『白物家電』など、『時代の最先端』を求めたが
それは『独占』の為ではなく近所の人等『皆と共に娯楽』として楽しんだ
母はそんな祖父から、『世界の七不思議の本』など与えられ、今でいう『都市伝説』などが好きだったが
それは『秘めたる趣味』でとどまらせ、周りの『業欲・権力者』と上手く向き合ってきた(元日銀)
「そういう世界もあるんだ~」とボンボンのお坊ちゃんが支店長に天下りしてきて、知らない『華麗なる一族の自慢話』を聞いたと羨む事もあこがれも無くただ私に『伝え聞いた事』を教えてくれた
だから私には、祖父の『利他の心』と母の『秘めたる想い』の両方が備わって『夢を見る』という力が備わったから
親子三代の死生観は、『六道輪廻のトロッコ問題』の『外』だったと今の私は解釈する
釈迦を『金剛界』から『解いた先に胎蔵界=労わる・穏やかな精神』があり
それを私に生き様として『和足し(加味)』して渡してきたから『心で繋がっている』のだろう
つまり『力・権力・地位』で物言わす『金』という『間外物』に敏感に反応するのだろう
と、同時、『外道=外れた道』では無い所、『そこには無い物事』に興味を持つ
つまりは、『金輪』を切り離した『大日・釈迦』という無為自然
これもまた・・直近の旅という『主観で解釈した事が加味』されてる判断
例えば、この何気ない、弘前の矢坂神社・最勝院の旅も・・
『神仏分離』後に移り住んできた『金剛山宗派の金剛界の大日如来』をご神体と祀った最勝院
しかし、元々は『胎蔵界の大日如来』を祀り、『聖徳大師堂、五重塔』などの建造物を『そのまま引き継いだ現在』
『元々有ったもの』が『神仏分離』で追い出され『すり替わったという結果』に過ぎない
『胎蔵界の夢(精神世界・真との繋がり)は有った』、しかしそれは『無いもの』とされ
『金剛界の夢(現実世界・偽との繋がり)に変わった』だけの事と感じた
『見た目そっくりそのまますり替わる』のは、現在の『デジタルツイン構想』も同じ事
『金剛界』で『現実の夢を見れる』のは『金持ち』『金崇拝』この世は『金と割る知恵=分断』のみ
いつから『役割意識(ロールプレイ)の学びの旅』をする『精神世界の夢』という教えが
『現実の自己顕示欲』にまみれた『堕落した夢(欲望)』に変わったのか
その『同じ大日如来』でも『金輪際』を『釈迦として解釈して見極める』ためには『一閃・一線』を超えた『自力の体験』が無ければ理解はできない
・・という、『母に逢いに行く=大日如来に逢いに行く』でもある不思議な場所(笑)
これが私の『夢を通した導きに素直』になった結果毎回思う事
『帰(よりどころ)』が『胎蔵界の大日如来』なのだ(笑)
で、この母の墓参りは・・やはり『大日如来への学びの旅』をより深めていく事になった
なんと!不思議な縁で五重塔の『中』に入る事が出来たのだ(現実の話)
次回!『五重塔の中にあるものは!?』お楽しみに!
しかし、今回の夢で思ったのは、『故人が夢』に出てきたら、『墓参り』するといいという『縁の巡り』のタイミング。墓が無いなら、『縁が深かった所』に行くといい
『墓に宿る・眠る』というよりは、『一時的に縁ある現世』のものに『何かしらのメッセージを届けに来ている』からかもしれない
現に、私は『夢』きっかけで『月命日で行動』しただけで、シンクロニシティのように偶然導かれてきた『大日如来をさらに深く解釈』する事ができた
心(鬼門)に素直に釈迦クエストは面白い(≧▽≦)
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