好奇心

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2026年1月 サムライトルーパー復活に思う残念な事

昭和の子供の心を熱くたぎらせた、聖闘士星矢と肩を並べるサムライトルーパーが復活!?と聞いて予告PVを見て残念だと思った「仁義礼智信」形象の欠落のお話

サムライトルーパーの正当続編?

Twitterでたまたま目にしたサムライトルーパーが2026年に復活するという情報。そもそも、今の『平成』も『令和』の世代も知ってる人はいないだろう

元はこれ

『侍、復活、和の心』・・と思いきや?実はこの令和版のサムライトルーパーのPVを見た時に、直感はとても『残念な気持ち』になった・・(;´Д`)

侍とは何か?という根幹として古き昭和の時代に大事にされてきたのは、一人一人の『志を示した文字』

そこで見比べてみよう

昭和のサムライトルーパーは『額に文字』を重んじる

令和のサムライトルーパーは『首の裏(延髄網様体)に文字(らしきもの)』が刻まれている

これは・・『大きな違い』と感じる

額に文字を示すのは『相手に向ける意思表示、掲げる己の覚悟』である
それぞれが『違う覚悟の侍』として共闘するからこその『色の違い』がある

また『松果体』から発せられる『自発的な意志の力』とも言える

しかし・・

首の裏、『延髄毛様体』というのは、はっきり言えば、人間の脳の『運動前野に電気信号』を送り『体に影響を与える』という意味では『操り人形』とでもいった方がわかりやすい

しかも、『サムライの心意気』を示す、掲げる一字の『漢字』こそ最大のキャラ立ちの『個性とメッセージ性』なのに・・令和版は、文字ではなく『それっぽい読み込むコード=AIが書いた文字?』のような

『文字』として『はっきりと示していない』

『日本アニメ』だろ?昭和の『正当後継作品』だろ?『日本の心=侍を復活させる』のだろう?なぜ最も大事な『漢字』を誤魔化した?

・・いや、私が先読みしすぎて、実は最初は彼らも『なんだかよくわからない文様』だけど、実は後から『心』が育ってきて、『ちゃんとした漢字』になる!・・という演出かもしれない・・

だとしても、首筋=延髄毛様体は体を脳が乗っ取る操り人形=『ダミープラグ』なんだよな~と考えると、一人一人の意志というより、『過去の侍の魂が宿る?憑りつかれる?』あるいは・・

『機械的にテクノロジーをインストール』する?

進撃の巨人も鍵になるのは『延髄の部分』であり、その中に『人』として残っている
巨人を『道具(力)として体を操っている』ように延髄というのは『そういう部位』であるからこそ意味深

仮にこれがひとつの『境目』とするなら

松果体・額にはっきりと志した文字=『唯心』
前頭前野(運動脳)・延髄毛様体に文字っぽいコード=『唯物』

『侍の魂を心に宿す』のか、『侍テクノロジーを脳が道具として利用』するのか
まさに『昭和』と『令和』の大きな違いがそこにある気がする

いずれにせよ、継承されるべき『形象漢字』をはっきりさせない
あるいは『漢字を誤魔化す意図』が分からない

「仁義礼智信」

仁:人を思いやり、慈悲深く接する心.
義:正しく、道徳的な行動をする心.
礼:礼儀正しく、節度を重んじる心.
智:知恵を使い、物事を理解する心.
信:信用し、約束を守る心.

1988年に放送されたテレビアニメでは5人の少年たちが、その『心を鎧』に宿し、邪悪な勢力と戦う物語だったが・・

『文字を誤魔化す』のは、『礼儀正しくない』し、『道徳的でもない』し、『知恵』もなければ『形も理解』がない上に

『正当後継作品』といいながら、『文字継承破壊』している時点で、『信用も約束を守る心』も疑わしい
なにひとつ『文字の意志』を明確にしていない

ただ『鎧』着て、『刀』振り回して、『正義』気取って、『形だけ侍っぽさ』を演出して、派手なアクションして、バンダイが『子供向けのプラモデルやフィギュア』を流行らせる『メディアミックス』の為に

『昔取った杵柄』のように『二番煎じの甘い汁』を求めた『邪悪さ』すら感じるが・・

普通の新作アニメなら気にもしないが・・当時、子供心に、その『漢字を生き様や心意気に掲げて戦う侍』だったからこそ、『学び』にもなり、それぞれ学校でも好きなキャラに『感化』されるのも違うという現象もあった

漢字を額に、心に掲げたからこそ『サムライトルーパーは名作』だった

・・いや、私が先読みしすぎて、実は最初は彼らもなんだかよくわからない文様だけど、実は後から心育ってきて、ちゃんとした漢字になる!・・というやっぱり演出かもしれない・・(自問自答二回目)

という『期待』を抱きつつ、でもなんか『興味が薄れた』感もある

内容はともかく、個人的に思う

①『漢字の一字の形象』を軽んじて誤魔化した残念
②『額に掲げる』のではなく、『首裏=操り人形感』が残念
③『唯心・精神性』が『唯物・テクノロジー寄り』になった印象で残念

もっと重厚で重い『熱血感のある作品感』が欲しかったなと思ったという事は・・ゲド戦記の作者と同じように、これは『サムライトルーパーっぽい』オマージュだなと

なんで、『漢字』を使わなかったのか・・なんで『額』ではなく『首の裏』なのか・・『物語の中枢に深く関わる要素』だったりして?

あるいはただ、『儒教』という宗教的なコンプライアンスとトランスヒューマニズム(人にコードを埋め込む事で能力を引き出す)のプロパガンダだったりして?

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