寝る前に何故かおすすめに出てきた出口王仁三郎の文言を読んで寝た今朝、夢を見たわけでは無いけど、夢の中の現実観(霊界)を思い出したお話
寝る前に出てきた出口王仁三郎の動画
出口王仁三郎…と言っても写真一枚に音声はAIボイスの垂れ流しで耳に響く『観音の感動』という事はないが・・表示されるテキストとして文字に使われる言葉(漢字)などが忠実に再現されていた影響か…
気になって最後まで見た結果…
出口王仁三郎が伝えている『言の葉を和らぐ』の精神とは『聖徳太子の17条の憲法の曰く1と2』における『全ての宗は和らぐの精神を持つ事』を伝えていると気づいた
『聖徳太子が言った』から…とか
大本教の『出口王仁三郎が言った』から…とか
ではなく、それはかつてそれを『宗の心』として携えていた日本の先人達は皆、『和らぐの精神』を持ち、その『心』から生まれる『真を言う=真言』だった
念仏を『ぶつぶつ唱える』のではなく、生活の中に『今の心=念』をもって『人の為に動く力=働』、『人を動かす力』があった、果ては『仏に成る生き様』の人達が多かったからこそ
その『生き様が風土』として残った地は宗教などの『教え』がなくても『先人の背中』を見て『自然』に身についた
…と感じたのは、先日まとめ終わった田舎館の旅の中で、真言世界を表現する絵を書く自己表現の弥勒の作品の中で
『子供の心こそが仏』と見出して、『子供と接する事』を大切にしたという『良寛和尚』が描かれていた事
その絵の表現も伝えたい事も、『和らぐの精神』だったから…昨日は常に私の周りには『柔らかい穏やかな空間』が出来ていた
…そういえば(´-`).。oO今思い出して納悳したひとつの『違和感が和感』になった事がある
寝る前のルーティンで柔軟運動をするのだが…いつもはキツいゾーンは時間をかけてゆっくり傾けて行くのだけど…
あれれ?( ゚ ρ ゚ )と全く体が固くならずにペタンといった。この事から、体に『ストレスがかかってなかった』と確信
昨日は買い物行ったり、たばこ復活したり、山菜とったりと色々『体は使っていた』し、旅の記録をまとめるのに時間をかけて『長時間座って遊びも断捨離』してたにも関わらず…
『眠るまでノーストレス』だったのは、和らぐの精神から生まれる『言葉や絵画』という『自己表現に感銘』を受けて『心が振るえていた』からかもしれない
心が感じて振るえる(動く)
それは形無き空間が『歪んで変容』する
私という『光子の集合体』そのものの『存在の輪郭(固有振動数)が変わる』とも言える
単純に和らぐの波動を放つ絵や言葉を『目にしただけ』ではそうはならないだろう
例えば『現実的なストレス』を持っている人には
良寛和尚の生き様を『ただの暇人の爺』と取るかもしれない
例えば田澤茂の絵画を『自己満足で意味わからない』し、勝手に比較して『下手くそ』と取るかもしれない
例えば出口王仁三郎の言葉のテキスト垂れ流しの動画はAIが喋ってそれを流してる人は『金儲けしてるだけ』と思うかもしれない(これは若干思った)
↑↑↑10年くらい前の手法で、ネットに反映されていない古本の文言を引用してサイトを作りGoogleアドセンスで稼ぐ手法の動画版
ただ『宗(おおもと)に和らぐの精神』があると、そういった『偶然』や『たまたま』を結果的に『有難い事だ』と思って『柔らかく受け止める事』ができる
その『自己表現』が無ければ…
田澤茂という自己表現の弥勒に『逢えない』
良寛和尚の生き様が『子供の心が仏と『理解出来ない』
出口王仁三郎が伝えたい言葉を和らぐの『意図に触れる事は無い』
『1人1人』がそれぞれの『時代で生きた自己表現の弥勒』であり、共通点が『和らぐの精神』という生き様(波動)
『それが最も大事な事(๑•̀ㅂ•́)و✧理想はideal=愛である』と捉えて生きてる私にとって、これほど『居心地が良いと感じる感覚』は無い
…で、思い出したのが霊界(´∀`)Σ(゚д゚;)突然!?
この『霊界への入口は心=鬼門にある』という気づきを説明するために急がば回れの夢の話(〜たるを知る=仕組み)を体験談からまとめよう
夢とは心の有り様を映す魔法の鏡(第一段階)
さて、夢の記憶がある人は思い出しながら読んで欲しい
夢には『数パターン』ある
化け物など『架空の存在』が出てくるケース
これは現実で貴方の心に影響している波動が、『得体の知れない=掴み所が無い偶像』として『畏怖』、あるいは『恐怖』として表現された『仮想世界』
仮想と言ってもそれは貴方が『潜在的』に、あるいはあなたの『魂が千載一遇のチャンス』とばかりに『向き合い克服するべき問題』を体験させている
そこで『目を背けて逃げる』のはまだ精神が得体の知れない問題に『立ち向かう遊気』が無い、立ち向かう勇気を得る程の『魂を磨く人生経験』が足りて無い
それはまるで『試験』のように『定期的』に来るはずだが、『夢日記で記録』したりしてなければ覚えてないから常に『トラウマ克服の抜き打ちテスト』のようなものとして繰り返す
現実そっくりだけど『嫌』な夢
上記の得体の知れない問題が、だんだんと『はっきり』してくる。問題を恐れてはいても逃げないで『こっそり見れる』|ω◉`)遊気
その位の精神性になれば、『見せられる夢(映画)』のように『断片的な記憶』ではあるが『印象的なシーンの記憶』を忘れずに『現実に持ち帰る』ようになる
ここで『夢日記』を付け始められれば、断片的な記憶の欠片の整合性を『パズルのピース』のように『数年越しで組み合わせ』たりできるようになるが…(時間という概念は無い)
そもそもまだ問題を『こっそり見てる』だけなので『問題と向き合う覚悟』はできていない
化け物と『対峙』する夢
『戦う』でもいいし、『逃げる』でもいいし、『倒される』、『殺される』等、『自己体験』を伴う夢を大抵の人が『覚えている理由』はそれは『他人事では無い』と『実感』したから
見てるだけの夢とは『魂が得られる経験値』の『桁』が違う
現実でも同じで、画面の向こうのニュースで『他人の不幸』が起きたとして、それを対岸の火事のように『自分には関係ない』と思っていたが…
『それが自分の身の回り』に起きた時、初めてその不幸が『どういう感情や心の激動』を生むのか…『意識や生活の変化を実感』して、『今までの自分では無くなる変容』を感じる瞬間がある
それを『擬似体験』しているのが『夢』
つまり『夢の中での体験』でも目が覚めたら、『自己体験を伴う心の激動』によって『昨日までの自分という意識』が変わり『生活習慣も一変』する程の『人生そのもの』が変わるきっかけ
それが『魂の成長への導き』という『夢よりの使者・試写』
『心と向き合う』時、それは『鏡映し』となり、今の心が『念じた景色』を見せる
問題を抱えていれば『問題が何か?』を伝えてくる
掴み所が無いなら『天変地異』
わかってるけど怖いなら『偶像の化け物』
向き合い克服する覚悟が出来たら『現実そっくりのトラウマ再現』
『最初から同じもの』を見せていたけれど、『今の心=念の有り様』でただ見え方の『解像度=明確性』が違う
最近だと私の場合はこの夢
幽霊の正体枯尾花
幽霊だと思っていたのはただの『枯れた木』だったと気づいて安心する…転じて実は恐れていた事はちゃんと向き合うと『大した事は無い』という例え
これは『夢の中で本領を発揮』する『精神的な言霊』
恐れるから『恐れが反映した夢』を見る
嫌だと思うから『嫌な夢』になる
弱いと思うから夢の中の自分も『弱くなる』
色即是空、空即是色
そう思えば、そうなる『〜たる(法則)を知る』
夢で『映し出される問題』はただ現実から『移し出された宿命の問題』なのだ
宿した命の題(テーゼ)を問う
題とは是(これ)頁(ページ)なり
『課題』の何ページを開く?
『ゲームブック』の何ページに飛ぶ?
『原典』の真理の項目(リスト)を見たい?
「お前が見たいものを見せる」と云う鬼=魂
私はそれを『鬼門と向き合う』と捉えてきた
禁忌とは『禁止=やってはいけない事』では無い
とどめる己の心=『自制心』である
『自ら制する心』であり
『心が制する自』であり
それは『自精神(心)』である
現実の忌みの『禁忌』は最も大事な『自精神(心)』を封じている
そりゃ『社会不安』になるって
周りに合わせて皆『視野界不安』になるって
『皆が苦しみの中』に囚われる
そこから『一切(ひとりきり)』
一切皆苦の衆生は『生病老死』を重んじて『夢を軽視』する
『軽蔑視』して『夢・理想を語る者』を遠ざける
すると人は夢を『見なくなる』、夢を見ること、語る事を『恥』として『精神の問いかけ』に『自』が応じなくなる
見ざる・言わざる・聞かざるの三つの申す=『靈』を拒絶する『三猿』となる
「恥を知れ」とは他人を『罵倒する言葉』では無い
『心に耳を傾けろ』と自分に云う鬼=『魂の言葉』
「現実に逃げるな!こっちを見ろ!」
それは『問題と向き合う覚悟』を決めろ!『宿命の敵(適)をよく見ろ』という
『一人の心を和』にする為の導き
一+人=『大和魂が宿る器』を育てる
これは月の『器』を作る土台の課題
口封じの中の人=『囚』
口封じの中で一人が『大きく』なる=『因』
その成長を『支える心』に気づく=『恩』
その支える心が『口』だと気づく=『器』
人は周りから『色んな口出し』を受けて『成長』する
最初は『親』
次に『兄弟や友達』
進んだ道の先には『先生や先輩』
それぞれ『十人十色の口(思想)』を持つ
『善良な言葉』で支えられ
『悪意のある言葉』を投げかけられ
『中立の意志の言葉』を諭され
『邪な思惑の囁き』にそそのかされ
これらは『影響を与える色=周波数=波動』であり
全ては『皆』という『無の中の意識が同調』している
これらの『どれか(立場)に傾向』する事なく
自由に色々取り入れ『自己表現』するのが『今の心=念』
それを『念頭(初心・初志)』に置く
だからこそ、『和らぐの精神』が『心の宗』になれば全ては『役目の違う支えるバランスエネルギー』として『観たい世界を見る自由意志』を生む
まさに『万有宇宙』となる
鬼と『レッテル』を貼られ、『忌み嫌われた存在』も『悪い意味』に変えられてしまった『元は違う言葉』の数々も
『悪意や邪〜たるを知る』からこそ、『ウイルスを捕獲して機能獲得する抗体』のように『祓い清める=差取り・無害化』が出来
それはそれと『金輪際』切り離し、『全く違う解釈』として『自己表現で真言』し、それを『鬼門の門番に進言』する
「私は『渡し(継承)』、鬼月(気づき)の『和を足す』のだ」
現実の誰かに『言って変える』のではない
己の心=『忌み(認知)を変える』のである
それが『デーモン・コア=心・万有宇宙』
demon=鬼(月)=気づき=閃
鬼閃=鬼門の前に人が立つ
その門の向こうはmonde=万有宇宙
あ、Σ(゚д゚;)閃が来た
『鬼門人』を反転させると
鬼=demon=D
門鬼=モンキー
門の下に人=閃
閃は感覚=フィール
ギア4〜5のフォルムが
鬼→太陽神
モンキーDルフィは『鬼門人=禁忌の存在』か
だからイム様・五老星・世界政府(世界統一教会)は
ジョイボーイ=アソベの民→『大日如来信仰を禁忌』としたとも読み解け、やはり『根源神=艮の金神』
『鬼門の向こう』から現れた『意識』
それは『夢の仕組みで意識が変わる』と同じだな(笑)
これも気づき=鬼(月)
仮想(私)が捉えて『念じた観たい世界の鍵』
『今の心が鍵』となりその鍵で開かれる『扉の向こう』が変わる
鍵が無いなら創ればいいだがね?(ミスター3)
『どこでもドア』は『どこにでも行けるドア』ではなく、『その人が行くべき所に繋がるドア(のび太はしずかちゃんの風呂)』なのだ
地獄もあるぞ?(仮想の下層)
天国もあるぞ?(仮想の上層)
行くのはあなただけ(皆では無い)
さぁ本題に入ろう
霊界が現実そっくりな理由
私は夢の体験を語る上で何度か表現しているが、『悪意の波動が全くない世界』
世界のどこにでも自由に遊びに行って向上心をもって体験してみたい事を探せる世界
そんな気持ちにさせてくれる空気感がある『現実そっくりな環境の夢』…というのは
単純に言えば、この世界でも『悪意』が無くなる=人の根源に遊びと笑いと人を傷つけないで支え合い、助け合うという『和らぐの精神が一人一人の心』に根付いていれば
『政治』があってもこんなにおかしくならんし
『平等』ではなくても『格差』なんかもないし
医療も『自然界に無い毒物の開発』をして『動物や人体実験』をする事もないし
当然、『戦争や殺人、奪い合う犯罪』なんてものもないから
心が『不安』にならずに『安心』して過ごせる
心に『壁』を作ったり、『鍵』をかけたりと『疑心暗鬼な猜疑心の鬼』が護る必要も無い
…という現実にあって欲しい物でも人でも何でも『そのまま引き継いだ』上で、『金輪際二度と関わりたくない』と思う『概念や常識』を切り捨てた世界
それが『霊界』って覚えておけばいい
欲張って人を傷つけないなら、性欲も物欲も食欲もあってもいい世界
ただ一人一人が『後悔先に立たず』と『後で悔やむような選択』をする前に己の行動を『先世見』して『発言や行動を自制する心』を持っているのが大前提
それが霊界
別に『苦行』やら『修行』やら、何かの『専門性を高めて極める』とか、『一流の芸を磨く』とか、そんなのは条件ではなくて
ただ『波長・波動が調和する人』が訪れる世界
そこの波長と合えば『居心地が良くて留まれる世界』
ただそこに『行ける=移民できる可能性』が高いのは『日本人の魂』というだけの話
そういう『和らぐの精神を言葉や芸術、歌』として遺してくれて行った『先人達=弥勒の気持ちに心が共振』すれば波動が上がる…というか『調律』される
『見込み(353)』があるから『神輿(354)』に担ぐ
354=太陰暦=『月の波動』でツキ(運=氣)が巡る
現実では移民が『形だけの日本人になりすまし』して行く上で、大切な先人達の文化・芸術・言語という『イコン・シンボル』は『遺恨』として忌み嫌われ消されていく
そうなると、それらを『大切にしてきた人達』は『拠り所』がなくなり、『居心地が悪く』なって『逃げるように追い出される形』になるが…
ここ以上の『約束の地=和らぐ精神』は無い
ここが踏ん張り所の『正念場=正しい今の心の場』
先人が『迎えに来る場所』に生まれた
ここが『唯一の弥勒(自己表現)』の自由の精神が育まれる地
肉体は滅びても『和らぐ精神は心』にある
『形にこだわらない意識』に変容すれば
意識はいつの間にか『鬼門』を通って『現実と変わらない』が『居心地のいい世界』にいる
それを現実側から見れば『死』として見るが
霊界側から見ればおかえり(。・Д・。)ノ黄泉帰り
『何の為』に『現世』に行ってたか?
そりゃ霊界には無い『刺激を体験しに遊びに行ってた』というスリル満点な人生体験
だけど、『飽きるまで堪能』したから、あるいは忘れてた『自制が必要な物事を改修して回収(思い出す)』するために『意識が変容する体験』を求めた
それが『魂の経験値』を積んで『成長する為の向上心』であり、『〜たるを知る=必要な法則』に気づいたら
後はもう『余生』は『解脱』の為に『精神性を高める波動の物事』を望んで引き寄せて
衆生(無の中の意識)から意識を『一切』
真我=真を言う吾(われ)と『鏡映し』で向き合い『共振・共鳴』すると・・
お迎え(。・Д・。)ノΣ(゚д゚;)早くね?
今朝、それを感じたのは・・『亡くなった母』が普通に朝、『1階にいて朝飯を作っているような感覚』が今の現実感で感じて
Σ(゚д゚;)なんで?!生きてるの?これは夢?!…とか『過剰反応のリアクション』をしないで
(´-`).。oO(生きてる…てか死んだは夢?まぁ『居る』ならいいか
そんな『安心感』で満たされて夢の中で寝直して、そのまま現実で目覚めた時、しばらくその『悪意なき空間の余韻』が続いて…『静かに現実に落ち着いた』感じがした
和らぐの精神を発する先人達の作品や言葉の波動の影響で『意図せず霊界に帰ってた』のかもね
前は『精神世界を旅したい!』(๑•̀ㅂ•́)و✧と前のめりで『自ら望んだ結果』が『霊界学校』だったからね(笑)
戻って来るのは…まだやるべき事=『和らぐ精神の形象の訳詞如来のお仕事』が残ってるからなんだろう
おかえり(・ω・)c<´ロ`)ノ現実>⊂(´・ω・`)
次は…八坂神社、空海と卯と聖徳太子→日卯=昴=プレアデスへとまた意識の旅へさすらった時の気づきをまとめる作業である…φ(..)メモメモ
・・と下書きしていたけど、公開の順番を間違えたw
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