好奇心

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空海の霊場物語15 意枠付きの聖徳太子の17条の稲本(カタカムナ)

真言寺の宝物庫にあった聖徳太子の17条の曰く一二を見て三宝の解釈の間違いに気づき、曰く三以降との次元の違いに気づき「否!」と独自に読んだら稲本=カタカムナに繋がった話と罰に当たったお話

真言寺の宝物庫を巡り・・

母の月命日の供養に真言寺に行くと、クルーズ船でやってきた世界中から集まった『多様性の爺婆の人種』がいて観光していた

ここは日本だろうか?(´-`)oO

と思うような『異世界のような景色』の中、せっかく来たのだから、何か一つ『ここにしかない面白い物』を見つけて住職に聞いてみたいな〜とたまたま一般開放されていた御堂の中に入ると…凄い面白い事に

外人はスルー…と近づかない、入っても意味がわからないと感じて出てくるのか、あるいは『気味が悪い・・』という顔でそそくさと回ってくる一角があった

(´-`)oOそういえばあそこは…普段は解放してない御堂の裏に展示されてる『絵の宝物』が確かあったような…と思い出し近づいた時に感じた違和感

昨日は信じられないくらい外が暑く『30℃』を超えていたが…その御堂の裏の宝物庫は『エアコンもつけてないのにひんやり』と…

背筋がゾクッとするほどの空間的な温度差(密度)があり、その『寒暖差で気分が悪く』なるような…

当時は『そう言う意識』がなかったからわからなかったけど、今は『亜空間の逢魔が時(応接間)』という現実なんだけど『異空間』という感覚を感じる

ここからは『気』をつけて『心』してかからないといけないなと

…思ったのは『後悔先に立たず』な『後の祭りの罰が当たった今』なんどけどね(´-ω-)謎の腹痛Σ(゚д゚;)

ま、バチが当たった結末は最後(別記事?)にするとして、やはりそこには一般公開されない宝物が沢山あった

何を持って『宝』とするか?
宝と向き合えば『どんな気分』になるか?

それでは行ってみよう(≧∇≦)b

聖徳太子の17条の教え(曰く二まで)

さて、目に入って私がビタっ!仁王立ちで立ち止まって読んだお宝のひとつがこちら

十七条の憲法の写し

しかしここには、『曰く二』までで終わっている
Wikipediaなどを見ると残り15個の『曰く17』まであるのだが…

帰ってきてからこのwikiの内容を読んだ時に明らかに!『1〜2』と『3以降』の『内容の質』が違う

言うなれば、『蛇足』と感じた

それを説明する為にまずは『曰く1〜2』を書き出して感じ取ってみよう

一に曰はく、和を以て貴たつとしと為し、忤さからふこと無きを宗と為す。人皆党たむら有りて、亦達者少し。是を以て或は君父に順したがはずして、乍たちまち隣里に違たがふ。然れども上和やはらぎ下睦むつびて、事を論あげつらふに諧ととのへば、則ち事理自ら通ず、何事か成らざらむ。

まず『和(わ)』ではなく『和(やわらぐ)』とふりがなされている
『逆らう』ではなく『忤(食い違う)』事無きを宗(おおもと)と為す
=『間が違う』事は『宗』では無い

人皆党たむら有りてとは
色んな人が『徒党』くんで『屯』すれども
亦達者少し=やはり『達してる者』はすくなし

是(これ)を以て或は君父に順したがはず
乍(また)隣里に違ふ

この『間違いに気づかない多くの者』は、『間違いを隣里』へと広める

然れども上和やはらぎ下睦むつびて
事を論(あげつらふ)に諧ととのへば

※原文では『諧ひるときには』

上の者が『和らぎ』
下の者が『仲よくする、親しみ合う事』を

論(話し合う)に
諧=他のものとしっくり調和する。なかよくする。おどける。たわむれる

則ち事理自ら通ず
何事か成らざらむ。

※原文は『通(かよ)ふ』

『自分の役割』に思い当たり
『何かしらの役目』を見つける

…はいまとめて読んでみるとこうなります

まずひとつ、『和らぐ事!』その目的を『間違えない事を宗(おおもと)』とする

人が増えてグループやコミュニティを作って『集団(衆)』になっても、その中で『和らぐを宗とする者』は少ない

そういった集団(衆)は『和らぐの宗にはしたがわず』、あっという間に『間違いを周りに広める』

しかし

『上に立つ者が和らぐ宗』を持ち
下の者が『仲良く親しみ合い』

『調和』する為に『おどけてたわむれて意見』を言って『議論して話し合う』

政治や経済、人として『法則や仕組みの中で生きる上』において、『和らぐの宗』があれば

「こんな事をしたらもっと良くなるよね?」
「ならその支える役目は俺が!私が配る役目を!」

『自らの活躍出来る道』を見いだせるようになる

そんな『理想』…では『国作りの根本の宗(おおもと)』がこれなんだよね

おどけて、たわむれ何をやって楽しんでもいいけれど、それは『人を傷つける行為』なのか?
それは『和らぐ為の方向』なのか?

『ここが宗(おおもと)』だからこそ、私はまた目に見えない領域の『法則の相似』にひとつ納悳しました

魂の年齢『老年期以上の人(衆を好まない)』は
『99%自分から犯罪を起こさない』と言う特徴

魂の年齢 霊格レベルを調べてみたら・・

自分が『何か=人の可能性(役目)』をする事によって、『何処かの誰かが傷つく』という事に加担したくない

それは『和らぐの精神に反する』

何かをする事によって『何処かの誰かが助かる』ならそれには『力添え=縁の下の力持ち』をしたいと思う

これが『和らぐの宗』を理解している『少ない達者』であり『衆(集団)』とは『間』が違う者

そう言う者が『上』に立てば、『下』の者に『自由に発言や行動』をさせて、その『生き様』を見て、さらに『支援する支配者』となるだろう

人の振り見て我が振り直せ
『民の生活』見て『国の在り方』直せ

『支配者』とは『支え配る者』であり
『適材適所』『能力者』『配置する者』である

…あ、いけね( ・・ )曰く二に入ってしまった(笑)

どうです?『曰く一』の語りが、『権威的な押し付け』ではなく、凄く寄り添ったわかりやすい『理想の和らぐ現実』を創る為の『手引き』になってますね

それでは次へ

曰く二

二に曰はく、篤あつく三宝さんぼうを敬へ。三宝は仏法僧なり。則ち四生ししやう(胎生、卵生、湿生、化生の称、凡べての生物をいふ也)の終帰しうき、万国の極宗きょくそうなり。何いづれの世、何いづれの人か是この法のりを貴ばざる。人尤はなはだ悪しきもの鮮すくなし。能く教ふるをもて従ふ。其れ三宝に帰せずんば、何を以てか枉まがれるを直さむ。

三宝は仏法僧(ほうし)
僧(そう)ではなく『ほうし』と言う読み

これは和(わ)を『やわらぐ』に変えるくらい
『読みの質』が変わるポイント

曰く一の中で宗(達者)の『和らぐの精神がわからない集団』と触れている事から『僧』とは

仏教に帰依(きえ)して修行する(四人以上の)集団、転じて個人。沙門(しゃもん)。広く、宗教教団の聖職者

わかってない人達(莫迦)

しかし、『ほうし』と書くと『和らぐの精神』から読み解けば『奉仕・法師』となり『縁の下の力持ちの尊い行い』になる

『仏の法則』は最後は『ほっとく(仏徳)』

それぞれが『自由に発言や行動』をする『宗となる心意気』『和らぐを最も尊い(法)』とするなら放っておいて『暖かく見守る』だけ

則ち四生ししやう(胎生、卵生、湿生、化生の称、凡べての生物をいふ也)の終帰しうき、万国の極宗きょくそうなり

これは人類に限った事ではなく『自然界の生命の役割』の連鎖

終帰しうき(周期)…ではなく
終わりの『帰(よりどころ)=拠り所』

僧の集団は『六道輪廻と言う周期』に従うが
『仏法奉仕の和らぐ』では『終わって帰る(拠り所=一時的)』

私個人の感覚で言えば、『徳のシステムはあの世にある』と言う『夢体験』でそれを感じた事がある

徳のシステムは向こう側にあるという夢

何いづれの世、何いづれの人か是この法のりを貴ばざる。人尤はなはだ悪しきもの鮮すくなし

何処の世界の人の可能性もいずれ『この法を尊ばざる』を得ない

うまくいかないことをすべて『他のせい=他責』にする非情の悪者の鮮し=(あざあらし・はっきりしている)

能く教ふるをもて従ふ。其れ三宝に帰せずんば、何を以てか枉まがれるを直さむ。

その『可能性』を教えれば従う
それ三宝を帰(拠り所)知れば

無理に曲げるられた教えを『どのようにして直せるか』がわかる

はいここまで

まとめて読むと

二つ目は『三宝を敬う事』
三宝とは仏法『奉仕』

すなわち自然の『生命終帰(せいめいしゅうき)』
終わった後の『拠り所』が仏の法を奉仕する『縁の下の力持ち』なり

この法が『万国の宗(おおもと)』になればどんな世界も時代も『和らぐ』

『不安』に思う事は無く生きる事ができる

人のせいにして『傷つける悪者ははっきりする』から、『目』をかけ『耳』を澄ませ『手』を伸ばし『口』を出して説法を示し『帰依』させて『更生して甦る可能性』を示し『間違った教え直す事』ができる

なるほど

これは

『和(やわらぐ)』を以て貴しと為す
『罪』を憎んで『人』を憎まず=『更生(甦)』

『死生観を直す事』で『自然の和らぐ役割』を見つける

これは『キリストの弟子』が『犯罪者(罪人集団)で構成』されている(徒党)というのも通じる者がある

『弟子を更生』させて『甦』らせる
更生とは『至らない点』に気づいて『反省』する事

和らぐの法則を破る=『自然破壊』
何処かの誰かを『傷つけ知らぬ存ぜぬ悪しき者』

それは『かつての自分=自を分けた集団(衆生)』である…『過去を反省』するから、『宗』と言う『少ない目(観点)を持つ達者』になる

そしてそれは『仏法奉仕』の三宝に至ると

…まぁ、そんな『間違い』が無いと、『気づき・悟り=差取り』の後に『足りない(反省)』を知って『和足し(更生)』に至り『世を見て帰る=甦る事』はできないから

それも『学びに必要な事』として放っておく

仏(。・ω・)ノ゙御達者で Σ(゚д゚;)『間=次元』が違う?!

…なるほどなるほど、実に面白い
これが普段は『一般』には公開されていない
『ふりがな付きの憲法十七条』の『曰く1と2』

まさに『いわく(意枠)付き』である

(「じつは」と打ち明けられないと外からでは分からない)込み入った理由や事情

私はこれだけで、『ほっとけ=御達者で』(。・ω・)ノ゙に至った達者だから、これが『自由に論じておどけて遊ぶ』と言う『門前の小僧習わぬ経を読む』

これも…前回書いた真言の住職に『釈迦の話をする』と言うまさに『釈迦に説法を説く』と言う行為をしてスッキリしてきた結果かもしれんが(笑)

空海の霊場物語13 信仰宗教を肯定した先の無心教

『曰く三』…以降は見た瞬間に『興味が無くなった』のも不思議

これを『蛇足な補足』と感じた

三に曰はく、詔みことのりを承うけては必ず謹め。君をば天あめとす。臣やつこらをば地つちとす。天覆おほひ地載す。四時順より行き、方気ほうき通かよふを得。地天を覆くつがへさんと欲するときは、則ち壊やぶれを致さむのみ。是を以て君言のたまふときは臣承うけたまはる。上行へば下靡なびく。故に詔を承けては必ず慎め。謹まざれば自らに敗れむ。

『和らぐの三宝の精神を持つ達者』…になる為には?あるいは『支配者としての役目の詳細』の中で

『権力、地位、責任、支配(コントロール)』など、ここからは『宗』ではなく…『宗の教え』にして『衆生(集団)の人の為の細かい設定』になっていく

これは『涅槃寂静の解釈の違い』の時にも感じた

涅槃

法華経で名前の恩恵に気づく夢

私は『釈迦無き後』でも『向上心を持つ後世の弟子』『明るい未来を創る』のだと『多宝塔如来の虚空蔵菩薩(夢)を見せた』と感じたが・・

『仏教徒の間』では釈迦なき後の『宗教団体管理の縦割りカーストの5人体制』『上司に部下は逆らえないルール』などを淡々と語っていた事に『違和感』を感じたが…

まさにこの『曰く三以降』は『君主と臣下』と言う急に『自由を不自由』に締め付けている『気持ち悪さ』というか『繋がらない間違い』を感じてしまう訳だ

だから、『根本』に『和らぐの精神を宿した魂』がある人からすれば、『蛇足な話』で、『過ぎたるは及ばざるが如し』として

『担わなくていい役目』を頑張って『人の為に!』と言う魂年齢が『成人期の板挟みの苦悩の中』に囚われてしまう

魂年齢改訂版2023 成人期こそが『22を超えて』

人の為と書いて『偽』である事に気づく

最初の曰く1と2と3から『矛盾』するのは

1と2では『上は下を自由に遊ばせる』
曰く釈迦の『掌の上で転がし(角が無い和らぐ)』、大日如来(お天道様)が『見守ってる』

これが『理想世界=潜像界』

そこでは和らぐの精神の達者達は『傷つけ合わない』し、『助け合う』『支え合う』

まるで細胞組織である=胎蔵界

事情を内観し自浄する  極楽浄土は『細胞』に

しかし『現象界』はどうか?

その『理想を現実』にする為には『支配者の心配りに気づく達者な者』を『適材適所に配置』して、それぞれの『役目・役割と責任』『明確に明文化』しないといけない

そりゃ『責め苦』に合う辛い立場

なう(2025/05/17 11:11:11)

17→否・稲・一七
11→良い・易々 ×5

はい来たー(((o(*゚▽゚*)o)))エンジェルナンバーの中でも最強の6桁『111111』

しかもそれは『母が旅立った時間』でもあるし、その場所『真言寺に墓がある』から足を運び、そこに『意識の観測』が向いて気づいたのだから

これは『母』が『縁の下の力持ち』として『和らぐ仏法奉仕』をしてくれているのだろう

精神の母と肉体(代理)の母 決別と旅立ち

しかも『十七条』の話を書いてるのが『17日』だった(笑)

なら直感が思った事を声を明らかに『声明』して『核心』をつこう

17は否であり稲本であり一七である

まず『17』…と何度も書いていくと不思議と『ゲシュタルト崩壊』していきこういう認知に変わった

『一』と『七』=『北極星』と『北斗七星』
実はこれ『聖徳太子』とめちゃめちゃ関係がある

聖徳太子コード上巻 備忘録メモ

この『17』をコード=『暗号』とするなら
それは『北極星』と『北斗七星』を示し
『上の下』に『七』と言う『虍(とらかんむり)』
そこに『思い』巡らせ支えると『慮』
『配慮、気配り』の『母が子を思う=千里をかける』=『支配者の気持ち』

聖徳太子は『未来記』と『未然記』と言う『ふたつの書物』を遺したと言う(私は見ていない)

だがおそらくこれだと感じた理由は、『曰く1→2』が始まりであり終わりの『和らぐを以て貴しと為す精神』であり

その中には『おどけて遊ぶ自由な発言や議論』『向上心』にして、それを『補い助け支え合うのが根本の精神』になっている『理想世界』を示している

『努力をする』とか『頑張る』とか
『人の為に我慢』して『犠牲になる』とか

そんなんじゃない
やりたいからやる!(自力)

『足りない』なら『足して』助け合う
『多い』なら『分けて』与える
『余力』があるなら『周りへ回す』

自分の『足るを知る(満足)』
自分は『〜たるを知る(役目)』

傷ついて『角が立つ』ような、永遠に終わらない『争いの傷だらけの世界』ではなく

傷ついても周りが『自己治癒』を補い支えて『元に戻れる誰も苦しまない世界』

そうなる『楽観の未来記』が『曰く1、2』
そうなるまでの『苦難の未然記』が『曰く3〜17』

つまり『17条の憲法』とは、『北極星と北斗七星』の『虎の巻(原典・トーラ・タイガースクロール)』

で、そう感じた中でやっぱり『金輪際』と言う言葉も生きてくる

釈迦・大日金輪と言う『星曼荼羅の位置』は『北極星』であり『金輪』が描かれているが

金輪際とは、『もう二度と関わらないと言う線引き』の今は際(この世とあの世の境)

それを『理想(あの世)』と『現実(この世)』とするなら
まさに曰く1.2とは『理想のあの世』

そこには『支配者』という立場はあっても『権力や地位』は無い
助け合い支え合う『細胞の自己治癒』のような『胎蔵界』

曰く3からは下世話な『地位・権力・支配者』は『下を従え導く過程』で様々な『軋轢を生む格差カースト』が生まれて、『金=力の奪い合い』『ウイルスの侵食』のような『戦争の炎症』が続く『金剛界』

曰く1で言ってる通り、『それに気づいてない多くの者=衆生(集団)』がいるから

『そこから離れる(解脱)』のが『争いを好まず和らぐを求め宗に至る達者』からすれば

争いの世の中は(。・ω・)ノ゙お達者で
末永く『そっち(間違い)で争い』を続けて下さい

とほっとく(仏悳)と『未来記=理想』に至る

そして私がこの17条の曰く3以降を金輪際として『否!』と金の切れ目は縁の切れ目と切り離した時、頭に『カタカムナの文言』が浮かんだ

『形』を変えて『合うの術(和らぐの精神)』を知れば
そんな腐れ円は『諸消せ』ば生えつ『稲本』

はい、これはカタカムナの『567首の締め』で…
最も理解が出来なかった『イネホン』と言うワード

イネホン の言霊は
現象が充ちて強く引き離す

ふむ( ・・ )なんだろう『直感』が頭にジョン・レノンの晩年のピアノ映像を浮かべて、『アイソレーション』と言う曲を伝えてきた

何かを分離する行為。 あるものを分離する行為

和訳

僕らは全てを手に入れたって皆が言う
僕らがこんなにも恐れているのがわからないのかな
孤立を
僕らは独りになるのが怖い
みんな家庭が必要なんだ
孤立
一人の少年と小さな少女が
この広い世界を変えようとしている
孤立
世界なんてただの小さな街だ
皆が僕らを引きずり下ろそうとしている
孤立
分かってもらうとは思わないよ
こんなにも苦しい思いをさせられた後では
でもだからって君のせいじゃないよ
君はただ人間で狂気の犠牲者でしかないから
みんなお互いが怖いんだ
太陽さえも怖い
孤立
太陽は消滅する事はない
でも世界は終わりが近いのかもしれない
孤立

なるほど(´・ω・`)晩年のジョン・レノンは周りからの監視や名声に苦しんでいたらしいから、『この世から分離したい』と言う気持ちで作った曲だとしたら、『金輪際の今はの際』も同じで

釈迦・大日金輪から『金輪を分離』する
『サブスクビジネス』として着いて回る『名声と金』

それが『イネホン』と言う言葉のロジックなら、それは『稲本』では無いかな?と感じた理由は

『稲荷』とは『自然の恩恵で育った豊作の作物』をまた『自然の神に感謝して奉納』して『循環させる心配り』のような

『自然が支えてくれた』のだから『人も自然を支える関わり方』をする

言葉の歪み 田舎者は稲家者 八百万の自然稲荷信仰

十二支の動物の嘘 稲家の鬼子育て論

シンプルだけどそれが『三宝』
『仏法奉仕』の『和らぐ精神』であるからこそ

『自然』に帰らない『金が蔓延』して『蝕まれる事から離れたい』と『違う間=理想』を求め始める訳で・・そこはジョン・レノンの『imagine』

アナグラムは『im negai=私の願い』
「想像してごらん?争いのない世界を」

イエローサブマリンからジョン・レノンへの導きin1969

一人の少年と小さな少女が
この広い世界を変えようとしている

知れば知るほど尾の妖狐とエキノコックスのレッテル

それがカタカムナ567首は『引き寄せの振動エネルギー法則』がありその締めが

引き合った投影の集まりの現象が充ちて強く引き離すとは…

『宗(おおもと)』と『衆(集団)』の『分離』
もう『充分』だから『手放す=金輪際』

するとそれは『稲本=自然回帰』
自然に回る『帰=拠り所』

なるほど、カタカムナの引き寄せは
『不要な物(者)・余分』を手放して『自然に回す拠り所』

だから『縁』を手放し『新たな縁』が巡るという意味だったのだろう

そういえば、『縁のメカニズム』も以前閃きメモで書いてた(o^-^)φ

縁がないものは離れていく

さて、まとめるとこうなる

聖徳太子の『17条憲法』とは
聖徳太子にまつわる『北極星と北斗七星』の『1と7』

『曰く1.2』以外は『否!』と『胎蔵界(理想)』と『金剛界(現実)』を分離
その否と感じて『形』を割いて『腐れ縁』を『空に諸消し』た結果

『新しく生えて来た稲本』は『理想引き寄せのカタカムナ』

つまり『聖徳太子=カタカムナ』が繋がった
『北極星とカタカムナ』が繋がった

カタカムナの中心は…『北極星と目星』をつけた(☆∀☆)Σ(゚д゚;)目に星着いた

そんな『妙な見方』をする『狸』な私は妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢの訳詞如来

さしづめ『星へ導く者=北極星へ進路をとれ!』かもしれない(笑)

そういえば、私は夢の向こうのある世界で『法具師』になると語っていた事を思い出す・・

夏至新月の波動 法具師=孵化師になる夢?

『類は友を呼ぶ』の法則通り、聖徳太子=北極星と北斗七星=1と7=17条の憲法=カタカムナの稲本=ジョンレノンは理想を想像してごらん?と私の願い=imagine=という

カタチを裂けば『巡る愛のエネルギー』は
『和らぐを持って貴し』という、曰く『始まり(未来)』へ至る

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