無宗教とは数多の信仰宗教を否定せずに肯定した先に融合してひとつの次元に至る無心になる教えを説く、無いのではく全てがあるという気づき
寝起き閃 キーワード無宗教
私は…『宗教を元』に、『宗教の違和感』を見つけ『揚げ足』を取りつつも、その『揚げ足の取り方という方法』もまた『宗教の教えから来ている知恵』だという事を感じた
つまりは『悪い面を否定』して『良い面を無意識に肯定』している
それは『宗教全体を否定』しておらず
『部分的におかしい』…と感じたのは
『鵜呑み』にしたら『間違った』(傷ついた)
そう感じて『自己治癒で修正』し
それは「鵜呑みにするな」と『警告』を出している
『免疫機能』による『機能獲得』での『免疫寛容』
言うなれば宗教とは『宗(おおもと)』は既になく、ただ『教=弟子が解釈した解説本』が『次の元』になっている
つまり『次元が違う』から開祖が『否定』も『肯定』もできないまま、『死人に口なし状態』で出回る『教えの本』は既に『多様性(宗派・派閥)』になっている
『想像』してみたらいい
『あなたの業』が死んでも尚『引き継がれ』
『多くの人』を『間違った方向に導き続ける事』を
「あなたのおかげです!」と『感謝』されながら
「お前のせいだ!」と『足を引っ張られ続ける』状況を
『読み』間違うと(過去)
『黄泉』間違うし(未来)
『世見』間違う(今)
文字通り、『進む次元(次の元)』が変わって来る
その『今はの際』を指す言葉に『釈迦金輪・大日金輪』がある
それは『北極星(天頂)の位置』に描かれる
それも『天台宗』という『星読み(天体観測)』に分かれた観点での『天を文で広めた教え』
それを『肯定して良い面を引用』しながら
『悪い面を否定』すると『説法』はこうなる
大日如来=閃光の如く来る(閃・知恵)
釈迦如来=問題を解決する事に巡り逢うが如く来る(自己完結)
これは『如来』の話だが、星曼荼羅(北斗曼荼羅)に言い伝えられているのは如来ではなく『金輪』という名称
そして、『金輪際(こんりんざい)』という言葉がある
金輪際とは
もう関わらない、繰り返さない、縁切り
またこの世とあの世の際(戻れない分岐点)
金をまわす
金の輪
金に執着する
閃いた問題解決の知恵を『金をまわす為』に使うという選択
ここまでは読み解けていたが…実はその先に、「金輪際、二度とそっちには行きたくない」という意志が込められた『先人の言葉』も思い出した
地獄の沙汰も金次第
金絡みが『地獄』に行く
金絡みが『生き地獄』になる
『何でも金で解決出来る』という世界は
閃や知恵を『金で売買取引して回してる』世界
研究者や探求者は『自己探求の成果』を『買い取られ』ている
文字通り、『魂を売って』いる
つまり『釈迦・大日(自由な閃きと発想)』に
『金輪(支配)をつける』という形象は
そこが『金の切れ目は縁の切れ目』
縁とは『巡る因縁』でもある
これが『円の切れ目』なら
『金輪という円』を切り離すとても大事な『見極めの警告』になっている
つまり『宗教の多様性』の中に隠れた
『異分子達』とそうでは『素直な者達』
ここで『次元』が別れる
〜如く来る
〜が来るが如く
Hero has come !
(ヒーローがきた)
『大日(閃き光)』が来るが如く
『釈迦(問題にめぐり逢い解決)』が来るが如く
『如来』になる為には?
『教本の教え』を破って『金輪際』を見極め『自ら離れる』
守破離・断捨離はそこで必要な覚悟
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。 「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。 「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
断捨離とは、単に不要な物を処分するだけでなく、物にとらわれずに生きていこうとする考え方
『信仰の教え(良き事)を忠実に守る』からこそ、最後は『信仰(依存)から離れなさい』という『教えを護る』
『無宗教』になっても『信仰心』はある
しかし『依存』はしないで『一理=一の王(宗)の里』は認める
そう言う『バランスの取れた思想教育』の中で、『達観した先人達』が『多くの格言やことわざ』を遺してくれていた
その多くは様々な宗教を『比較・分析』した上での『哲学的な観点からの閃』で、その『時代背景』の中で『可能な限りの自己表現』で生まれた『門外漢』なのだろうと思う
そしてその『哲学』と呼ばれるジャンル
それこそが『無心教=発想は自由』という信仰の教え
無心とは…『無い心』と書く
しかし『無』には『全ての自由』がある
そうなると『全て自由な心の教え』となる
それは
思考シミュレーション
至高シミュレーション
嗜好シミュレーション
試行シミュレーション
志向シミュレーション
この中で宗教というのも『救済(優しさ)』と『束縛(依存)』と『解放(自由)』の三つを学ぶ
『優しさに依存する』と書いて『救済の束縛』
「救世主が苦しみから救ってくれるその日(世界の終わり)まで…」
…という『本の教え』に『夢中』になる
『永遠に目覚めない』ように眠らせる『子守唄』
その『優しい束縛』から『解放を求める』と眠らせようと『左目の民を監視』する『信仰宗教の盲信』を『自ら解き放ち自由を求める』
全てがある『無』の『優しい依存空間』から出る
『ゆりかごから墓場まで』の『思い込みの輪廻』を離れる
それは『シミュレーション(例え話の本の中)』だったと…
ああ(´-`)oO…そう言う事か
なんで『この閃』が来たのか唐突に理解した
昨日、『キュレールオブスキュレール33』というゲームを『ACT2』までクリアした際に
『今までプレイしていた世界』は『絵の中の世界だった』という展開になった事で
『感情的』に『感傷的』に観ていた主人公や死んでいく仲間達が『必死に生きる意志』を示していたのが、全ては『絵を描く者の思想の反映の世界のキャラクター(役割を与えられた者)』
そして『その世界の果て』に近づけば近づくほど敵キャラは『キュレールオブスキュレール』しか出てこなくなるのだが
キュレールは『守護の盾』を貼り
スキュレールは『憤怒で攻撃力』をあげる
これが『ひとつの絵』を『二人の創作者』が『それぞれの思いを表現』していた状態であり
一人はその『絵の世界を護ろう』とし
一人はその『絵の世界を破壊しよう』としていた
それは『死生観』の『境界線』
まさに『今はの際(この世とあの世)』
『絵の外の世界』と『絵の中(何でもあり)の世界』
…まぁゲームの物語的には『まだ続く』けど、ここでは一旦止める(33も含めて考察は別記事で)
このゲームで受けた『衝撃が相似』したのが大日・釈迦『金輪の見極め』が
『素直な信仰心』によって『無心』になり『守破離・断捨離』して、『金の切れ目が縁(円)の切れ目』として『地獄の沙汰も金次第』という
『六』でもない『外道の輪廻の金を回す界隈』に『堕ちない事』を『自らの意志で選択』し『優しさへの依存』の『束縛から解放』できるか?
『宗教観』という『本の中から解脱』できるか?
『本来の役割(救世主)への盲信』を捨て『元来(宿業)の主役になる事』ができるか?
これも…キュレールオブスキュレール33の中で、『もう現実にいない』が『思いを込めて描かれた人物』が
自分は絵の中の『ペイントレス(色無し・仮想の人)である』と気づいた時…『知っててその中を誤魔化して生きていた』…あれ?これ…まさか
嘘だろ…『キリストの話』か!Σ(゚д゚;)33!やべえ考察が唸る(笑)
ある意味でこれも『キリスト教へのメタファー』か…
( -言- )ククク おもしれぇ、『おもしれぇ導き』をしやがるせ!今日もまた神社行って『白龍龍神に感謝の報告』だな(一人一)有難い
…って『次の進む兆し』を見つけた『次元の私が生まれた』ので、『この話(本質)を一巻の終わり』にしよう(本の世界を終わらせる)
要はそう言う事です(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
大日は太陽より明るい『大光明の閃光(閃きの光)』
釈迦は『問題にめぐり逢い解決する』
「暗いと不平を言うよりも進んで灯りをつけましょう!」…という『釈迦』は『誰にも見えてなかった光の元(閃きの光明)』に『目星』をつけていた
その『大日と釈迦』が目で見る『星(北極星)の位置』にあるのだから、そこに『目星』をつけた時
『如来』…ではなく金輪という『違和感』を感じる
まるで『ゴールの前にラスボス』がいる
『真』の前に『偽(人の為)』がいる
その『偽』と感じた『金輪の名』は金輪際、今はの際、この世とあの世の境
金の切れ目は縁の切れ目の地獄の沙汰も金次第
さあ、ここまで『信仰心』に従い『盲信してきた』がどうするよ?『無心』を正しく『見極め』られるか?
無心を『心無い』と捉える『ヒトデナシの意味』もある
無心するとは『人に欲しいと要求する意味』もある
しかし、『無』には『全てが有る』という『空(余地)』がある
『全てが有る心』になると『足るを知る』
『もう満足であるという意味』もあれば『〜たるを知る=法則を理解』するという意味もある
ここが宗教の『間』違いの見極めで『六道輪廻の解脱』ポイント
六道輪廻とは『69道輪廻』
69は『星座では蟹』を示し
蟹は『キャンサー・クラブ』であり
それは『医学用語で癌』を指し
癌とは『病の中に品山』と書き
医療ビジネスで『金をまわす』と
『お鉢』が回ってくるのは『死生観ビジネス宗教』
つまりは『堂々巡り』して『元』に戻る
『秘密で結託したクラブ』が『金をまわす地獄』
それが『69道輪廻の正体』であるから
『1』切り離した位置で『1/69』
169=13×13
『意味(他人)』と『忌み(自己)』の間
『13000年周期』の『役割逆転』とポールシフト
『中(13×13)』にいながら『外1(69)』に離れる
この構図に至るとわかるだろう
(69)という『本の中の教えの質』に『夢中』になって、『様々なシミュレーション』をしていたのだと
つまり69とは『宗教ビジネス』であり『無心』であり、『無心の捉え方』を間違えると『永遠に出られない繰り返し』
『お金を無心』するとは遠慮なく金品などをねだること
閃や知恵のアイデアを『金でまわす=サブスク』
『優しい依存への束縛』
『元来』は『如来』なんだよ
『閃で問題解決』する
『トラブル解決』の為に『釈迦力』に頑張ってそれを『成したら帰る』
その『でっかい姿』が『大日如来』であり『釈迦如来』を表現した
ウルトラマン
Hero has come !
(ヒーローがきた)
こうして前回の『巨人伝説』へと繋がるのか(笑)
『金』は必要ない
『金をまわすという宗教』から『守破離』する事ができた者達が『共同創造して構築』する『次元の新地球』
…そう、やはり『仏の世界』は金は重要ではない?
…むしろ、『金を捨てた』から、『金の輪に群がる有象無象の魑魅魍魎の亡者共が湧いてくる地獄』になってるのかも?
そりゃ『解脱』して離れたくなるわな(ㅎ-ㅎ)
なう(2025/05/16 09:11:57)
16→忌む・厳
60→鹿王院・六王・無王・無例
09→応急・奥・憶
91→悔い・杭
11→良い・易易
15→以後、居心地、一期、一護、一語
57→熟、郷士地
己の心に厳しく
例が無い釈迦の六王は無王
奥の憶から応急で
易易と良い
以後、居心地のいい一語を一護
郷士地として熟
ふむ( ・・ )『今締め』の『戒め』って感じになるのは、やっぱりテーマが『死生観への姿勢』、『今はの際の見極め』だからかな?
釈迦の例が無い=『初めての弥勒』(自己表現の記録)
それは良い(≧∇≦)bと『居心地のいい一語』を『一つ護って郷士地』として熟す
郷士は、江戸時代の武士階級の下層に属した人々を指す。江戸時代、武士の身分のまま農業に従事した者や、武士の待遇を受けていた農民を指す。平時は農業、戦時には軍事に従った。郷侍とも。
ま、『時代の解釈』は変わるとしても
『襤褸』は着てても『心は錦』
普段は『農民=生産者』であり
有事の際は『武士を産む一語を一つ護る地』
『心構え』の『マインドセット』
『育む者』もそれを『護る者』も両方持つ稲荷の鬼信仰
『新しい細胞』とそれを『護る免疫抗体』
…それって『NK細胞(虚空蔵菩薩)』なんだよね
『大きい存在の忌み』が『外の存在(哲学の巨人)』だとなんとなくわかってきたぞ?_φ(..)メモメモ
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