遺された言葉は「石の上にも三年」だが、これは『意志の上に三念(三昧耶戒)』と捉えると途端に悟る次元が見えてくる説法を聞かされるお話
石の上にも三年?
ことわざ (「石の上にじっと3年も座っていれば、石も暖まる」ということから)どんなに辛くても辛抱していれば、やがて、何らかの変化があって、好転の芽が出てくると言うこと。冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。 がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。
* 辛抱しておれば必ず成功する
* 我慢しておればやがて報われる
* 辛抱してやり遂げることが大事だ
* 忍耐が大事
要は『辛抱』や『我慢』してれば、周りに何らかの『環境変化が起きる』から的な『忍耐』になってるけど
違くね?(´∀`)Σ(゚д゚;)
これが本日の寝起き閃きポイント
冷静に考えてみ?
冷たい石を温めるのに『三年もいらん』し、その『石を温めるのが目的』の謎エピソードを捉えて『いつか何かが変わる』って意味わからん
そこには石の上にも『三年座る』という『強い意志』があるからこそ『成り立つ話』であり、その『初志貫徹で貫く意志』とは何だったのか?
それは三年という『時間ではない』と思うんだよね
おそらくこういうエピソードの出処は『仏教』とかだと思うとなると
『三』というのは『三昧耶戒』だと思う
《〈梵〉samayaの音写。約・時・却などと訳す》仏語。
1 漠然とした、時。ある時。さまや。
2 衆生しゅじょうを誘って悟りの世界へ導こうとする、その時。さまや。
3 密教で、仏の本誓ほんぜい・除障・警覚・平等の意。仏と衆生が本来平等であると解していう。さまや。
これらは『時』と表されているが、瞬間は『念=今の心』である。つまりこの『悟りの意志』を持った人における『三昧耶戒の念』が、言葉だけ伝わって
いしのうえにさんねん…
石の上?に三年?!(´∀`)Σ(゚д゚;)状況ワカラン
待ってればそのうちなんか変わるんじゃね?(忍耐・我慢)と解釈されたがために、『石の上に座る』という多分『瞑想や修行』だろうけど、意味わからんエピソードの格言がピンと来ないのだろうと
おそらく意志の上に三念 が正解だと思うが、それは悟りの行を行っている人を『客観的に見ている側の捉え方』だと思うので、あえてここは『主観での三念』をさらに紐解いて見る
仏と衆生が本来同じと悟る
衆生とは
生命のあるすべてのもの。人間をはじめすべての生物。
なるほど(´・ω・`)もうわかった Σ(゚д゚;)早
仏の本誓・除障・警覚・平等の意
本誓
仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゆじよう)を救うために立てた根本の誓い
除障
悪い事から身を護る
警覚
悟る( ˙▿˙ )/Σ(゚д゚;)
うーん、ざっくりだから違うな・・これは『除障』の観点から見れば『警鐘を鳴らす』、その『方法を覚える』、『覚醒』して閃く
=免疫力がつく
平等
差別がなくみな一様に等しい
ふむ( ・・ )これらを『加味』すると見えてくる存在がある
不動明王(虚空蔵菩薩)の倶利伽羅剣
倶 連れたつ、ともに、善悪を記録
利 役に立つ、頭の回転がはやい、通りをよくする
伽 退屈をなぐさめる話相手、病人の世話をすること。看病
羅 つらなる。ならべる、うすもの。うすぎぬ、あみ
剣 もろは、断つ
仏の『警覚』って言葉は『計画』でも当てはまる
なぜなら『難が有る』から『有難い』という考え方は、『障害』が『多ければ多い』ほど、それを『乗り越える』ために必要な『知識や閃』、そしてそれを『実行して体験を得られる機会』が多く
『平坦な道を歩く』より、山あり谷ありの『波乱万丈』の方がより『多くの知恵を得て成長する』事になる
その過程で「注意が必要だ!!」と『警鐘を鳴らす事を覚える』という事は、『同じミスをしないための方法』や、万が一してしまった場合の『復旧対策』、もしくは『回避の知恵』を身につける訳です
この知恵は『除障』、悪い事から『身を護る』
それは『転ばぬ先の杖』という『精神免疫力』
その『危険な事』に『警鐘を鳴らす事』を『覚える』
より『多くの危険』に立ち向かい、『迷える者を正しき道へ救う』という根本の本誓の『意志』
これらが『警覚』だとしたら、全ての『因果(仕組み)』を理解し、『自らの因果応報の役割(カルマの回収)』すら終える=『悟る計画』とも言える訳ですね
だんだんわかって来たのは『現実的な事柄』に囚われないで、科学や歴史などの『得体の知れない情報』を鵜呑みにしないで、ただ『遺された言葉のみ』を元に
『存在を哲学』して『精神が達観』していく『感覚』は、いうなれば『ゲームを楽しむ』のではなく、プログラムエラーを『デバッグ』して『修正』していくように『夢に現れる』という事がわかってきた
仏教って瞑想中に寝ると『警策』で叩かれる
座禅の時、眠気を覚まさせるのに肩を打つなどする、平たい板のむち(=策)。《名・ス他》人の自覚などを呼び起こすこと
だから『悟れない』だろうな(笑)((´∀`*))ヶラヶラΣ(゚д゚;)
『形』にこだわる『莫迦のひとつ覚え』は、『座禅を組む』という『見た目の模倣』にこだわっているが…要は『リラックス』出来ればいいだけの話で、その『究極スタイルが涅槃』である
『現実と夢との間』を行き来する『変性意識』が一番いいのに、どうしても『現世に意識を残して悟りたい』と思い込んでる=『執着がある』からダメで『意識』を『向こう』に持っていく=『向こうで体験』しないと『分からない事』がある
それが『衆生』という『生命のあるすべてのもの』、人間をはじめすべての『生物として生きる体験』
ぶっちゃけ『夢』ですよ?
でも『夢という概念』も『言葉』もこの世になかった時、それは一体『何と表現』するのですか?
『幻覚』ですか?『幻』ですか?そうやって目に見えない『共有できない感覚』を『否定』して『打ち消して』きたのが『現実』です
だから『寝てみる夢』を語れない・・語ったら『寝ぼけている』と打ち消され
そんなものは『現実に役に立たない』と思い込まされ、いつしか『人』は『夢を見なくなる』
少年少女が『大人になる』というのは、夢を見なくなる=素直な心を失う=『三昧耶戒から最も遠ざかる』という事=分かった気になる『勘違い』を起こす
『警鐘を鳴らす』のも
『継承を促す』のも
『軽症で済む』のも
みんな『心』が『除障』してくれている
『心』が『危険から身を護ってくれている』のに
その『心』と『向き合わない社会』によって『形成された自我(エゴイズム)』
そいつは『夢』を『忘却』する
夢の中で『この人生で成すべき役割』を『メッセージ』として伝えても、その『体験記憶』を消し去ってぽっかりと『空く間』だけが『目覚め』に残る
そう…『悪魔』だけが((´∀`*))ヶラヶラΣ(゚д゚;)
だがここで『悪魔』という『言葉のイメージ』に囚われると、空く間=空間=空の間=『空という真理』すら忘れてしまう
そういう『観点』から捉えると、そんな『寝ている時』に見る、『今ここ』には無い、(私は、なぜ?、あれは…何だ?!どうして…)(´◉ω◉` )
と『夢を見た事』を忘れないように、もう一度、もう一度と『夢研究』をする『夢哲学』の先に、様々な『表現する言葉』が生み出されて言ったのだろうけど、それらがいつの間にか、『後世』ではひとまとめに『夢』と統合され
それは「現実で描くものである!寝てみる夢はただの妄想!記憶の混濁!!」という傲慢な権威によって『カタチづけ』された事で、精神領域の『警覚』が物質領域の『計画』に取って変わられてしまったのだなぁ〜と((´∀`*))ヶラヶラΣ(゚д゚;)
でもその難が有るおかげでわかるから有難い(。-人-。) 感謝
やっぱり『因果』は『陰陽バランス』
寝ている夢は『役に立たないと遠ざける』=『寝てみる夢』こそ『最も真理に向かう方向』
そこで『遺された言葉』と『シンボル』
『涅槃』というリラックスポーズは、どう見ても『寝半』
石の上にも三年×→意志の上に三念(三昧耶戒)
『我慢』すれば『周りが変わる』んじゃない
自分がなすべき『本誓』を持ち、生きとし行ける『三千世界全ての存在に氣を巡らし』、どこかの誰か、人に限らず困っている者の『障害を取り除く経験と力』という『警覚』を持って、自然な『エネルギーの循環』を護る
『初志貫徹』の『強い不動の意志』と
『全ての虚空』を『空に戻す』菩薩の誓い
ほら見えてきた( ・・ )
意志の上に三念(三昧耶戒)とは 虚空蔵菩薩=不動明王なんだよ
そしてそれは『夢』というあらゆる『衆生の役割を体感できる世界』に繋がる事であり、その方法が現実に置いては『意識』を飛ばす
昔は悠長に『眠ってられない状況だった』と考えれば、『瞑想という姿勢』が必要だったのかもしれないが、今は、『寝る子は育つ』って言葉があるくらい『スタイル』は『時代と共に変化』している
坊や良い子だねんねしな~今も昔も変わりなく~
『素直な心の子供』か
『心に素直な大人』か
結局、昔からいう「子供はいつから大人になる?」という難問
これだって『哲学』なんだよね
現実では
『成人の儀式』を終えたら…
『性痛』が来たら…
『セックス』したら…
「大人になったな!」と『親に認められた』ら…
結局『他人基準』じゃねーか(_・ω・)_バァン… Σ(゚д゚;)
誰かに『認められなければ大人じゃない前提』なら、『色即是空の観点』からすりゃ、その『他者からの認定すら幻』って話
『相手』に取ってそうする事が『都合がいい』のか
『自分』に取って『都合がいいからそれを認める』のか
そういう『造られた大人(定義)』に取って『都合のいい社会ルール』というのは、『素直な子供』や『心が素直な人』にとっては『三毒』でしかない
三毒、三不善根とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡を指し、煩悩を毒に例えたもの
だから無意識に『離れる』
それは『心に素直な証拠』でもある
そういう人は『夢見』が変わる
『波動が高く』なるほど『夢』を見る
『夢の記憶』を空く間に『消されなく』なる
わかりやすい『指標』だよ(๑•̀ㅂ•́)و✧
『眠りから持ち帰った夢の記憶』は恥ずかしいものでは無い。そもそも『共有できない前提』なのだから、エピソードの内容よりも、それで自分の中に『どんな感覚が残ったのか』を伝えればいい
おそらく『悟った釈迦』も、弟子にその『心の興奮を共有したかった』が、弟子も『感覚は共有出来ない』から『言葉をメモ=釈迦の夢日記』の代筆になった
で、釈迦もそのうち、見えないものは伝わらないし『この時代に存在しない事柄』は『表現しようがない』から、『感覚的にシンプルな例えだけ』伝えとこうへと変わっていく
それは『必然な流れ』である
そして『涅槃の寝半』からまた繋がることわざ
果報は寝て待て
幸福の訪れは人間の力ではどうすることもできないから、焦らずに時機を待て
…ん?( ・・ )何かおかしい…
果報って『因果応報』なんですけど?なんで因と応がない上に、いい意味だけになってんの?報いも受けるんですどwwこういう所が『現実のご都合主義』って奴だな(笑)
ま、要は『今沙羅』じたばた焦っても生(静)はない(動)にもならない、なるようになるから
沙羅とは沙羅双樹
仏教では「生命の木」と言われ、若返りや復活を意味する樹
つまり『今更(沙羅)』とは=『今の生命』という事であり、まぁ『今生』でじたばたしても、お前、『前生』で何やったか覚えてるか?
(幸福)を得て果報者になるのかな?
報いを受けて(降伏)するのかな?
全ては陰陽、裏表、バランスやタイミング
『一度不自然』になった流れを『自然に戻す』のは『1回2回の転がり生きる揺り返し』じゃなおりゃーせんよw┐(´д`)┌ヤレヤレ
だから『衆生』に『氣』を回さないと『因果の鎖』が見えないから『回収するべきカルマ』も見つけられない。そんな『今』にいながら『昔』も『この先』も見通す事ができる『三千世界の常世へ繋がる方法』は生きとし生ける『衆生』はみんな持ってる
それが『眠り』という『自然界最強の癒しシステム』
その時、生命は『悟りの中』にいるが、人間だけは『目覚めを妨害』する
『邪魔な悪魔』がぽっかり『夢』を奪って『空く間』の抜け殻にしてしまう
でもこれもまた『有難い気づき』のひとつ
『夢の記憶を奪われる』からこそ、『夢の記憶を護る除障の知恵』を生み出す『警覚=計画』
……(´◉ω◉` )え?終わり?
と、『トランス状態』が解除された『今』の私は、ここから読み返して行くと
確かに『体験が先』にあるから『納得』できる
そして付け加えるならば、なぜ『苦行』のような人が生きていく上で『普通はやらない肉体への試練』を与えるかというのも、『現実での未知の体験は夢見を変える』からだろう
つい数日前もそれを『実感』したばかり
そうやって『自分の未知を見つけた時の感覚』で、夢見が変わる→ 『苦行のバリエーション』を増やす→ 『夢見が変わる効果測定』をしていく
『こういう修行』をすると、『こういう効果を得た』という夢見=『悟りのトライアンドエラー』をしてたんじゃないかと
今はあらゆる他者を介して『疑似体験情報が飛び交う情報社会』だから『刺激的な映像や音(周波数)を見る』だけで『影響』が出る時代
もしこの時代に『釈迦意識』が降りてたら、毎日が『楽しくてしょうがない』だろう(๑•̀ㅂ•́)و✧学びしかない!!Σ(゚д゚;)
そしてそんな意識と『倶に』いれば『地獄』であっても『怖くは無い』だろう
これがホントの『地獄に仏』か(笑)
そして『三念』で思う事は、今は『69の維持と破壊』の都合のいい『循環(SDGS)の流れ』になっているが、宇宙の法則の『369』で言えば、新たな創造の再生の『3』は…
『意志の上に三念(三昧耶戒)』っていう障害を取り除き、悪い物事から護り、警覚で免疫をつけ、不自然を自然に戻す=悟る=差を取る=平等にする事から始まる
阿弥陀でいう『陀』(神も仏もない末法の世で悟った者)の時代
差を取る
3→6=3
6→9=3
9→3=6
…( ・・ )?Σ(゚д゚;)やっといて?!
ま、いずれにせよ『3』ってのは不思議な数字よ
3=ω(オメガ)=終わり
でも『終わり』は新たな『始まり』
積み上げたものぶっ壊して、遮るものは取っ払って創造する
やっぱりこれが『創造の鍵』なんだがね!(๑•̀ㅂ•́)و✧
…なるほど(´・ω・`)受信 Σ(゚д゚;)なんか来た
愛、燦々(33)とこの身に降って
心密かな嬉し涙を流したりして
人生って不思議なものですね
三千世界生きとし生ける全ての存在に『氣が巡る=愛』
33は『散々な事』でもあるし、『燦々』と輝く事でもある
そこには抗う事ができない『諸行無常』の『始まりと終わり=3』が繰り返すが、そのうち少しずつ貯まって安定した『維持の6』に変わる
でもそのうち安定の維持の安定に『意地を張る』ようにもなり、そしたら『都合の悪い所』だけ『壊して維持』する『都合のいい破壊の69のループ』になるけど
それはやっぱり『33とした愛』によって『リセット』がかかる。『33』…これもまた『仏教には重要な数字』だし、物理法則の『一歩外側』
1.2.4.8.16.32.64.128.256…
どうして『32』ではないのか?
(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)また終わらない旅が…『33の謎』がまた深まった
フリーメイソンの『33階級』(天皇)
『33神』、偉人の『33歳死』…
『原子番号33』を見てみると半導体(人間の素材)に含まれているヒ素
ヒ素(ヒそ、砒素、英: arsenic、羅: arsenicum)は、原子番号33の元素。元素記号は As。第15族元素(窒素族元素)の一つ
ヒ素って『ニンニク臭』がするらしい=『悪霊(吸血鬼)はニンニクが嫌い』と関係あり?キリストの墓がある『青森の名産はニンニク』・・吸血鬼の『復活を阻止』?(意味深)
ヒ素は『人体に対して非常に有害』である。特に『化合物は毒性の強い物』が多い。また、単体ヒ素は『かつては無毒もしくは弱毒(旧約)』とされていたが、現在では『かなりの猛毒(新約)』であることが確認されている。
うーん( ・・ )仮に『33歳で謎の死』を遂げている『偉人の死因』が本当は『ヒ素による毒殺』だったみたいな『匂わせ』だろうか(ニンニクだけに・・)、それとも退魔効果という魔除けの封印の意味で蘇りの阻止だろうか・・
それとも『その存在(地球外生命)』が『洗脳した人類に取って有毒(目覚めてしまう)』であるという『悪魔が造る社会』に置いての『位置づけ(レッテル)』だとしたら…
必死に『地球外に関するあらゆる情報を隠す』のもしっくりくるね(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
この『現実世界』において、『それ以外の世界観』に『意識』を持っていく『精神領域へ導く言動は猛毒である』という『認識』、つまりは『69世界』に対して『リセットをかける立場にある者へのマーキング』が『33』としたら
…(´◉ω◉` )???Σ(゚д゚;)
私の意志の上に『三十三念』が渦巻き始めたのであった…(終わらない旅)
・・次は『ニンニク』を追って見るかε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
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