田舎館村の文化保存センターで弥生土器と共に見つけた田澤茂という表現の自由のままに、真理を現した芸術家に出逢う弥勒の旅のお話
表現の自由に真言密教を見た!
前回、田舎館村の文化保存センターにして弥生土器から、東北から様々な世界への文化の繋がり(一致)を感じた話をまとめた
そこから別館にして個展?のようなギャラリーがあったので、せっかくだからと物見遊山で覗いてみると・・
そこは私しかいない独り占めの会場だった
これは・・一体誰の個展なんだ?と思い調べると
田澤茂という方で、己の個性で現代の思想を表現する・・まさに弥勒!
弥勒とはあまねく全てを石に彫ったり、絵に画いたりと自己表現をするという意味
これは・・作品に期待しかない!(((o(*゚▽゚*)o)))とワクワクしながら一つ目の巨大な絵の中心をじっくり見てみる
中心になにやら不動明王のような・・その下に穏やかな印象の尼なのか地蔵なのか・・なにやら仏教を表現しているような・・
次のタイトルは・・鬼門!?Σ(゚Д゚)なんて私にとってタイムリーなテーマ
さてさて、考えさせられる絵である。この人にとって鬼門とは多種多様な様々な『四角=視覚』として捉えているのか
私の中で鬼門=demon→monde=『万有宇宙』と捉えているので、可能性を示ししているのか・・
そして、次の絵もまた同じタイトルである・・
・・なんとなく直感で感じたのは、これは真言密教の『金剛界』と『胎蔵界』を示している?と『似ているようで違う世界』を表現したのかな・・と思った
そして、ここで仏教的なテイストになっていく大きなポイントを見つけた
良寛和尚と乞食の子供から、親無き子供=『戦や世知辛い世の中』という背景を感じつつ・・『夢』というキーワードにも興味が湧いた
良寛和尚は、越後出雲崎の名主の家に生まれ、18歳で出家しました。生涯、寺を構えず、妻子を持たず、物質的には無一物に徹し、清貧の思想を貫きました。豊かな芸術的天分を持ち、温もりのある書や詩歌を多く残しました。また、子どもたちを愛し、同じ目線で遊び、人々に慕われて生きたことで知られています。
良寛和尚は、子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈し、子供達と積極的に遊んだと伝えられています。また、高名な人物からの書の依頼は断る傾向がありましたが、子供達から凧に文字を書いて欲しいと頼まれた時には喜んで書いたとされています
この田澤茂という方の根底には、この『良寛和尚へのシンパシー』を強く感じたインスピレーションが感じられた
しかし、『アットホームで穏やかな絵』はこれだけで・・絵のタッチはどんな心境変化があったのか『ダークな心象風景』へと変わっていく・・
下にあるのは黒い世界に地蔵たち、大きな木のような『祈りを遮り阻む』かのような、『戦乱の渦のような荒々しい赤い筆の走り』がそれを飲み込んでいくような・・赤い頭巾が防災頭巾ならば、『空襲』を意味しているのか・・
『閻魔』と書いてるが、持っている剣は『俱利加羅龍王の剣』である事から『不動明王』を現している。色づけで『書き分けている事』が何か重要に意志を伝えているのだろう。下が魑魅魍魎だとするなら、『棺を開けて墓荒らし』をしているようにも見える
黒で書かれたのは『消されたもの』で、色付きが『迫る現実』、その『狭間で立っているのが不動明王』だとするなら、不動明王は『不退転の意志で全ての衆生を地獄から救う』という表れか・・
この絵は大日如来を示しているのか、足元の色と、魑魅魍魎が荒らしたであろう地面との対比が印象的。脇にいる『守護の者』が、『魑魅魍魎を踏んづけている様』は面白い。これは『大日の教え』に『多神教が混ざってくる』という意図だろうか・・
百鬼夜行寄り・・という表現が気になったら、そのタイトルの作品があった
この絵はとても重要な『時系列の表現』をしている
まず、魑魅魍魎は『地図』のようなものを持って『意図的に侵略』してきている。そして、『棺に入った遺体』を荒らし、最後は『玉手箱のようなもの』を持っていこうとしている
まるで『失われたアークを探して墓荒らし』をしている形象の醜い行いを表現しているとも取れる。その左の背後に『太陽=日の丸』がある事から、魑魅魍魎とは『渡来の侵略者』という構図とも読み取れる
どうして、津軽の太陽は・・周りが闇で寒々しく、熱を感じられず『明るくない』のか。どんな『心象風景』だったのか
赤く染まり『失われた藤山』、赤い何かに覆われた『月』、下には錫杖と地蔵達、鎮魂は亡き者への餞
太陽の街・・という名にふさわしくない『灰色の区画』はまさに現代的な『ビル群』を示しているのか
この絵はまるでピカソのようなタッチで抽象的だが、世界中の人種の大人は皆、『童心=ホーム』に帰りたい、あるいは『皆ルーツは同じ』と表現しているのか。その心象風景が『古き日本昔話のような景色』であるというのが面白い
そんな感じで、絵画を一通り楽しんだ後、個展の一角に『古い書物や当時の生活用品等』が展示されていた
こういうのを見ると、『電気』が無くても『人の力を道具で補う事で作業効率化』してたから、『大量生産』ではなく、『必要な物を必要な分だけ』作って直して・・実はそんなに苦労してなかったんじゃないかなと思った
そんな一角に・・私は・・『これに導かれた』!?Σ(゚Д゚)と思う写真を見つけてしまった
千徳の子孫!?Σ(゚Д゚)あの津軽じょんがら節の76番で語られてた末裔!?
私は『千徳』に興味を持って調べていたから奇妙なシンクロニシティを感じた
まさか・・よくわからないまま文化保管センターの誰もこない別館の奥で、興味を持って調べていた『千徳』に繋がるとは・・とその残された異物の一角を見て回ると
この書物が『二つ並んでいる』のは感慨深い・・と感じた理由は、私は以前、『日蓮』へ興味を持ち、その日蓮の教えを取り入れた教育体系を創り上げた『牧口常三郎』に興味を持って調べた時
牧口常三郎は『尋常小学校を卒業』し、後に『校長となった人物』だったから
牧口常三郎先生は、尋常小学校の校長を約20年間務め、教育改革、仏法に基づく生活革新運動へと展開した人物です。北海道尋常師範学校を卒業後、東京の尋常小学校で教鞭を執り、子どもの幸福を目的とする慈愛の教育に徹しました。1930年には「創価教育学会」を創立し、仏法に基づく教育改革を推進しました.
この牧口常三郎は、後にこの教育改革によって『国家神道一本化を進める帝国の弾圧』により、獄中死する事になる
つまり、牧口常三郎という傑物を生み出した尋常小学校の教育、あるいは、牧口常三郎が校長となり教育改革が既に入った頃の教科書なのかわからないが
その『前後』を示すであろう物的証拠がここに二つ並んでいるという事は『書かれている内容』が違うだろう
尋常小学校卒業の傑物と言えば田中角栄、佐川清、笹川良一
『当時の教育』がいかに『人格形成』に影響を与えたかを実感する
『子供は国家の宝』とする教育と
『お国の為に死ぬのは誉』とする教育と
『国の未来』を分けたであろう『歴史の証拠の痕跡』なのだ
この『千徳の遺物』と共に置かれているという事が意味するのは『思想教育』が関係しているとも取れるし、自己表現で『子供は宝だ』と伝えた生き様の『良寛和尚』を田澤茂がテーマとして描いたという事も繋がりがあるのかもしれない
・・いや~『自己表現=弥勒』とは面白い『意志』を遺していくものだ。それをまた『次の弥勒(私)』がみつけて『自己表現で感じたまま』にここに書いている
北の血がどくどくじょんがら節になる
まさに母から継承されたこの川柳の通りだ(笑)
良寛和尚、子供は宝、真言密教、不動明王と俱利加羅龍王、尋常小学校の教科書、牧口常三郎、千徳の遺物
・・たまたまふらっと立ち寄っただけの田舎館の道の駅の文化保存センターの『誰もこない忘れられた空間』
私にとっては『精神と時の部屋』
まさに旅は時空を超えた意識の『さすらい(流離う)』である
流れ離れて、弥勒は『弥勒=自己表現の生き様の痕跡』に出逢う(一人一)
・・この『旅の記録』を早く書いて自己表現しろ!と云う鬼=『魂』は・・また『たばこ』を進めてきた訳か(たばこは物書き=集中力が増すからw)
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