好奇心

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今自成心友=イマジナリーフレンドの正体

イマジナリーフレンド、空想上の・・架空のと心理学は伝えるが、今自成心友と訳して観ると、気の置けない相手とは心の中に納めて連れて行く魂の一部だと気づくお話

イマジナリーフレンドとは?

イマジナリーフレンド(imaginary friend)は、空想上の友人や遊び相手を指します。子どもが作り出す目に見えない、心の中の友達のような存在です。より具体的には、心の中で会話したり、一緒に遊んだりする、現実には存在しない友人です

『心の中』で・・ここがポイント

私は以前もこのイマジナリーフレンドという概念が何なのかを自問自答した事がある

イマジナリー(imaginary)のアナグラム

あの時は難しく捉え過ぎていたと今日の私が感じた理由を、先人のことわざを借りて簡単に説明しよう

親友を『心友』と置き換える

私の親友の一人は何不自由なく自由に生きている
家族もいて子供もいて楽しく生きている

学生の時は、犬猿の仲のように一方的に毛嫌いされた時期があったが、学校を卒業してから一番仲良くなった存在

私は今も昔も何も変わっていないが、向こうが私という存在を『理解する過程』で変わっていったのだろう

それはおそらく私を『無害=気にしなくなった』のだろう

気にしなくなった・・と言えば『疎遠になった』と受け取ることもできるが、『疑心暗鬼』や『猜疑心』という『裏切りで傷つけられるという警戒』をしなくなった

これを『気の置けない間柄』という

「気の置けない」は、相手に遠慮や気遣いをせずに、心を開いて接することができる状況を表す言葉です。親しい友人や家族など、気軽に話せる相手に抱く感覚として使われます

『気を付ける』『気配りする』とは、言い換えれば『心配』なのだ
自分の『心を分離』して常に気を放ち『トゲや角』が立ち、『傷つく事』を恐れている

『心の中』に入れた時、それが『中から傷を生み出すと裏切り』になる
その『裏切り』を恐れると、相手を『鬼のように見張る』→気を揉んで気が滅入る

気が滅入ると、『元気』がなくなり『疲れてくるので離れよう』とする

しかしそこに『気を配らなくてもいい』=気心知れた『家族や兄弟』のようになると、『心』を開いて招いても『傷つけられる心配がない安心』でいられる

私は学生時代の『一方的な毒舌』でだいぶ『心が傷つけられた』が、その痛みに慣れた事で「こいつはナチュラルに毒説を吐くのだ」と寛容になった(精神的抗体獲得)

そのうち、毒を吐いても(コイツには効かない)と諦めたのか、もはや『浴びせかける毒が尽きた』のか・・いずれにせよ毒を吐かなくなった事で

お互いの空間が『自然に出入り』できるように、また相手の『想いそうな言動や行動パターンを学習』した
その結果、別に『近く』にいなくても、『遠く』に離れていても、『十年以上』会わなくても

『再会した瞬間』に『一瞬』で『心が繋がる感覚』がある

これは『現実の親友』だから『イマジナリーフレンドではない』と『定義』するだろう

しかし、『死別』して『もう二度と逢えないとなった後』はどうか?

私はたぶん『悲しまない』だろう
なぜなら、『心の中にそいつは常にいる』から

何か『問題』に取り組む時、『私以外の行動や言動パターン』として思考がよぎる
「あいつだったらこの状況ではこうするだろう」と瞬時に『思い浮かぶ』から

『心に宿した友』は『魂の一部』になる
『その魂を護り持ち続ける』限り、そいつは『先祖供養』になる

『先の祖を人と共に養う=私と共に』生きていく
『生きてる内』は現実の親友、『死別』すればイマジナリーフレンド

という事は、まだ出逢っていない、架空の・・空想の『誰かと対話する』というのは、既に『潜在』して『深層の意識の中』で『魂として宿っている存在』は、かつての『多くの心友達がそこにいる』という事だと私は思う

ソロモン(一人門)の瞑究 その5 魂はクラン(共同体)

それを強く確信したのが『漢字に当て字』してみた事

今自成心友=イマジナリーフレンドの正体

『今の自分』が『成』る『心の友』

いずれ『現実の私』も『魂の一部』に『体験記憶』を持って帰る
その時、『心に宿した友と再会』する事になる

感覚的量子論11 意識の共存と多重人格と大器晩成

平行世界の自分達大集合の夢

現実の友であっても、ずっと会っていなければ、『存在する』のに『目に見える範囲にはいない』というイマジナリーフレンド

だけど『遠い』という『距離』とか『時間』という『流れ』とか、『心の中に居る』という観点から観れば、それは『物理という概念定義』でしかない

『心の支え』という言葉がある

「心の支え」とは、精神的に困った時に頼りになるもの、つまり心の拠り所を指します。これは、人、物、場所、活動など、様々な形で現れます。例えば、家族、友人、趣味、信仰、目標

『一人では解決できない問題や困難』に出逢った時、何が『心を支える』か?『支える心』とは何か?

それは『心に宿した先人』であり、それは『出逢って心が受け入れた住人』であり、それぞれに『個性』がある『十人十色の住人(共同体)』だからこそ『足りないを支え補う事』ができる

私だけでは『選択できない事』も『心(多くの心友)が後押し』してくれる
それが『恩という恵=恩恵』であり、『和らぐを持って貴し』という精神性

私は『和足し』、『足りない経験を和足す一部』なのだ
その為に『気づき・閃き』がある

それを訳して伝える如く来る=訳詞如来の妙見狸
『妙』な『見方』の『狸囃子』(満腹なったらぽんぽこ独自のリズムを奏でる)

では・・現実の友達の『生き様に』成りたいか?と言えば

(ヾノ・∀・`)ナイナイ Σ(゚Д゚)全否定

イケメンでルックスはいいのに毒を吐き
女子にモテそうなのに陰キャでゲーマー
マルチタスクをゲームに全振り
結婚前は貧乏でデートは車の中
子供は授かるが心臓病持ちのハンデ

それでも、今は子供は成人して両親の個性もばっちり引継ぎ
毒舌は妻に矯正され(妻のほうが友人への毒が強い=毒を以て毒を制す)
息子は友人に母親の苦言の毒を浴びせ因果応報

なんだかんだでゲーマー一家として楽しく家族サービスもしつつ
今はソロキャンの道具集めにハマっているという自由人

金がたんまりある訳でもないが、欲しいと思った物をなぜか必要なタイミングで引き寄せ困らない

波乱万丈だが、性格は何も変わらない昔のまま
変わらない事が穏やかさであり個性であり

『私』だったら・・同じ条件でも『そうはならん』という『違う生き様』

それを私は心に受け入れるのは、そういう人生経験を『傍で見てきた』からこそ、「コイツはコイツのままで魂の一部として存在してほしい」と共に連れて行く

それは私の今の心=『念』であり『宿す』と決めた『業』なのだ
だから生まれ変わっても、違う世界に意識がシフトしても

『念ずれば現れる存在=現一切色心三昧』として、住人十色の『今自成心友=イマジナリーフレンド』となる

独覚法華経 現一切色身三昧と化城喩品

夢(別次元)に出てきてもコイツはコイツのままだから安心する(笑)
どこに行っても『安心する奴』がいると『心は穏やか=和らぐ精神』でいられる

そういう『変わらない心友』がもう一人いる幸せ
それを『出逢えた奇跡』だけでも『この人生の旅は有意義』であったと感じる

と、『辞世の句』なのか、『自制の句』なのか、よくわからないテーマを訳詞させられた

漢字で字にする=『今字成』
『今』を『字』という言葉で『成』した

一字は万事を現す

文字という漢字に氣が巡り・・一字が万字と気づく

あなたには『心』から語れる『友』はいますか?
『心』から『語りかける友』はいますか?

『心に耳』を傾ける事は『恥』ではない、『聞かない事』が恥なのだ
カタカムナで はじ の言霊は、引き合う内なる示し=『呼びかけに応じる』

確かに『空想上の友人や遊び相手』かもしれないけれど、それができるのは『心に友を宿した感覚』がなければわからないかもしれない

『自己表現』という言葉は『弥勒』を指す
自ら己を表に現す=それは『裏』から?

『表の裏』ってなんでしょうね?
『表裏一体』ならば『今が全て』という事になる

言動、精神、行動、それがあなたの『今』

今の心を観ると書いて『観念』

『想い』を『言葉』にして『自己表現』してみては?
・・という自己表現が『促された』のは、前日の弥勒の痕跡の『波動の影響』かな(笑)

導かれし田澤茂と千徳 表現の自由(教育と継承)を現した弥勒

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