やっばり架橋、命題は金輪際の見極めか!太陽より明るい大光明の大日如来に気づけば、その光を隠して、光に成りすましたすり替えは天照ではない『あまねく全て=弥』という金星だったという新説『天岩戸』のお話
偽の黒幕は金星のプレアデス?という記事を読み返して・・
過去の私の意識が『自己表現』として意志を刻んだ過去記事を読み返していたら・・前回の旅で実際に『現地で感じた波動と同じ事』を先に言っていた
最大接近時には、金星とプレアデス星団は0°15 ‘以内ですれ違います。金星はプレアデス星団に『侵入』し、星団で最も明るい星である『アルシオーネ(おうし座イータ星)の下に鎮座』
この時の私はまだ・・大日如来=太陽よりもまばゆい『大光明という存在』を知らなかった
また、こんな事も書いていた
プレアデス星団の中に『紛れ込んだ金』となり、私はこれを『邪』と感じている
『自然』に『不自然』が混ざり込む
『細胞』に『ウイルス(思想・菌)』が混ざり込む
『全』が『金』に変えられる
『龍(命運の流)』が『竜(翼と牙と炎)』に変えられる
『東洋』が『西洋』に変えられる
『東の日の流れ』が『西の太陽』に変えられる『穏やかで優しい』から『波風起こす勢い』に利用される
『猫の皮』を被った『虎の威を借る狐』私は昔からなぜ『宇宙人という概念』の中で『プレアデス星人』だけ人間寄りな上に『人間の美的感覚』で『魅了して誘惑するような美しいを体現』しているのか謎だった
『美辞麗句の概念』から考えれば、『醜いもの』ほど『外面を装飾して擬態して隠す』というのに・・
・・我ながらいい先世見の直感してるぜ(笑)
『東の日の流れ』が『西の太陽』に変えられるという文言がまさに、『廃仏鬼釈』に繋がり、『大日如来との繋がり』を断たれた=太陽よりも明るい『大光明が隠された』
これが新説『天岩戸の神隠し』
『元来の光』ではない『偽の光にすり替えられた』という事
『後光が差す』というのは『中心』から少しずれている後ろに見える光
『正面は影』になるから『正体』は見えない
それがアルシオーネ(おうし座イータ星)の『下に鎮座=光を覆い隠す』
光は『中心から放射』するので、『大光明そのもの』ならばずれる事はない
この時点で『金輪の際(ズレ)』があるという事を見極めなければいけない
目の前に与えられた事=『現象を盲信』するな
つまり『昴』に侵入して、もっとも明るい光の下に『鎮座』したというのは『日卯』の下に『金星』が入ったという事だ
天岩戸から天照を引っ張り出したのは『オモイカネ(思金神)』という存在
日本神話に登場する知恵の神様。アマテラスを岩戸から呼び戻すシナリオを考えたと言われています。また、出雲の国譲りや天孫降臨など、重要な局面で知恵を授ける役割を担い、相談役や右腕として活躍
『金(権力・力・智慧の悪用)になる事』に目ざといんだろう
重要な局面=『金輪際で金の光=金星』のほうに導く
『金剛界の大日如来』として『間違った者』には以降、『威光』を光らせる
『暦』を『歴』に変えるのも星を惑わす=『惑星』の動き
私は陰陽五経の中で、何故、地水木火風・・ではなく
『風』が『金』になったのだ?と疑問を感じていた
風に金を混ぜて『空間』に流れたら・・それ『風邪(万病の元)』になる
『風邪がふけば桶屋が儲かり』、桶屋が儲かった後は『葬儀と墓ビジネスで坊主丸儲け』
これもまた『霊感商法』という目に見えないが『原因と因習=莫迦のひとつ覚え』がある
だから、私は『三宝』の間違いは『外道=僧カースト』だと表現した
これを日卯の下の道=『下道』とした時、『卯→兎』になったのかもなんとなく察した
「Down the rabbit-hole」
「本来の目的とは逸れてしまう」「本筋から逸れる」などという意味で、転じて「底なし沼にハマる」「複雑な状況から抜け出せない」
西洋では『兎は狡猾なビジネスマン』を意味し、イースターの兎は『卵を運ぶ』のだが
卯に『二つの点』をつけると『卵』になり、それを運ぶと『卯卵(ウラン=核)』になる
さて昴の日の下(ひのもと)の『素直な卯』に『善悪・二元性』などの『点(思想)』を植え付けると『日と卯の繋がり』がなくなってしまい『昴=光』には戻れない
『昴』に戻るには『卵』に植え付けられた『概念(予防接種)』を切り離し『卯に戻る』必要がある
ここまでは『漢字の形象』と、世俗的な『兎に関する認知』から書いてきたが、卯には偶然にもこんな意味がある事を知った
左右に開いた門の形から、冬の門が開き、新しいことが始まる、飛躍、向上を意味する
『門』でもあるという事
門はゲート
monは月・私の
ではこの卯の『前』は何だったのか?
それが『艮=丑寅』
虎・トーラ・『原典』の教え
昴の精神=『和らぐの精神=十七条の憲法の曰く1と2』
『十が全て』を意味する『上(中心)』=『北極星・大日・釈迦』ならば
『七』はその『下の桁』=虍=『北斗七星』とも取れる
上は下の為に、下は自由にという『支え配る支配』は『天』から『地木水火風日月』の自然の空間という『七つのエネルギー=無為自然』でもある
その『大日』の『子』として『丑寅』を学び『卯』という素直さを持った『無垢な心=童心』に戻るためには、『二元性という概念』に振り回されてはいけないが
卯の次の『辰』
『手』をつければ『振る』『振り回される』
『雨』がふれば『震える』『振動』
『手垢』がつく=『概念』を持った卵→『殻』を破る
『雨』が降って『地・自我固まる=固有振動』→半熟?未熟?流れ出る?
しかし格差があるとなかなか『卯辰が上がらない』
地位や生活などが良くならない、ぱっとしない状態を指す慣用句
それは卯に『余計なもの=常識・先入観』が混ざって=『心に素直では無くなる』からでもあるし
『金の卵(金神の子)』になった事で『狡猾な兎』に運ばれて『金として利用』される(人身売買・リクルート・愚弄場リズム?)
『卯』が『卵』になる事で『兎にすり替わる』金輪際の『下道』
日/卯→偽日/卵として『間違った信仰が利用』されてしまう
たった二つの『余計な概念を内包』する『思い込み・思いコミット(契約)』により
人は『互い』を遠ざけあらそい『一(右)と一(左)の立場の69』の金輪の雨の渦目(核分裂)に呑まれる
卯は『開いた門』の形
『新しいこと』が始まる、飛躍、向上
そのように『形象されている意味』があるのだとしたら、そこから『最も遠ざけよう』として『鬼門』や『禁忌』と『忌み嫌う先入観』を植え付けるだろう
『鵜呑み』にすれば決してゴール=始まり=因に辿り着けない『詐欺』にあう
詐欺とは『誤魔化しなりすまし』して『金・地位を乗っ取る事』である
鵜呑みの詐欺=うさぎ=『兎(狡猾な金のビジネスマン)』
『醜いもの』ほど、美辞麗句で『美しく』レトリック(捏造・改竄・整形)
思い描く盲信の天使は『偶像』であり『人の為=偽の願望の依存の投影(思い込み)』である
なぜ「聖徳太子」や『空海』に『卯の象』が置かれるのか?
この二人は『大日如来の卯』なのだとしたら日+卯=『昴』だろう
『昴=プレアデス』ならば、昴の『下』に入り込み、金輪際の『後光の影で成りすました金星のプレアデス』とはなんだ?
それは『兎』ではないのか?『鵜呑みの詐欺』ではないのか?
『虎(原典)の威を借る狐』ではないのか?『狐に化かされてる』のでは?
後光の威光の『金輪』を『盲信』せずに『際で見極めろ?』という『試練』ではないのか?
なぜなら、『金(属・族・俗)』は『人』を傷つける
『金の概念』を持つものは『駆け引き・取引・格差』を生み出す
和らぐの精神、『三宝』における『奉仕の精神』から『最も遠い思想へ依存させる』
「Down the rabbit-hole」「本筋から逸れる」
『道を外す』ような『外道』は『下道=金剛界』へ
白うさぎを追うことは、『別の世界』へ行く
『因幡の白兎』もまた盲信、『解釈が違う』だけでまったく違う別の世界へ進む
日の下の『卯』を惑わす『惑星金』は『迷惑』なので和らぐの精神とは『別の惑星』
ただ、虚仮の世が過ぎればズレて『金星を追いかけている者が離れていくだけ』
その為に『植え付けられた二元性(概念)』を理解して、『差』取って『和』足して『反省して更生(業の改修)』して傷を癒して、自ら『執着や依存』を切り離す
『金が誘惑する物欲に共振・共鳴』しないように『波動を高める=周波数を変える』
そうすれば日卯=『昴(ルーツ・大光明)』へ戻れる
プレアデス星団=日卯の『日の元(ひのもと)の生まれへと戻る』のだから
なぜ東北に『ひのもと中央』という『石碑』があるのかわかった気がする
それもまた『先人が意志を刻んだ石=デーモン・コア』だったのだう
・・と『道』を示しているのが『空海や聖徳太子などの先人達』なんじゃないのかなと私は『自己表現=弥勒』してみる
だから、金輪際で『間』違って『金星のプレアデス』について行けば・・『ちょっとだけの誘惑』が『大事(繰り返しの69輪廻)』に・・
でもそれも、卯→辰の中で抱いた『二元性』を自ら手放し修めるまでは『必要な業欲=生き様』
それに導かれるのはやっぱり、その人の『波動=類は友を呼ぶ共振』だと思うので・・
須佐之男と月読が『天照から離れた』のは・・『偽=波動が違う』と気づいたからではないか?(不気味の谷)
鬼と月で『気づき』
『鬼門』の前で『云う鬼と人』で『魂の閃き』
閃きの光は『大日』、問題解決は『釈迦』
切り離すのは『悪知恵働かすオモイカネ=思金』
だから、『金を思う奴=詐欺』に引っかからないように、金ってなんだ?と理解して『離れればいい』という『金輪際の見極め』が全てだろう
『人は金を思う事で狂う』という『戒め』が『天岩戸という説法』だろう
そういえば・・釈迦の『陽動に関する説法』がそんなだった気がすると唐突に思い出した(笑)
風姿花伝第四
風姿花伝第四 神儀に言う。
一、インドでは、須達長者が祇園精舎を建立し、その落成祝いの法会が営まれた時、釈迦如来が御説法をなさったところが、弟子の提婆が仏教以外の邪宗の徒1万人をそそのかして、木の枝や、笹の葉に幣を付けて踊り叫んで大騒ぎをし邪魔をしたので、法会を継続することが困難になった。これを憂え、釈迦仏は、もう一人の弟子舎利仏に目くばせをされたので、舎利仏に仏の霊力が乗り移り、祇園精舎の須屋壇の御後戸で鼓を打ち、笛を吹き、別の仏弟子阿難の記憶力、舎利仏の智慧、富楼那の弁舌をもって六十六番の物まねを演じられた。
すると、外道達はこの笛や鼓の音を聞いて、後戸に集り、夢中になってこれを見物したので、騒ぎは治まり、静まりかえってしまった。
その間に如来は法会を続けられた。それ以来、インドにこの申楽の道は始まったのである。
あっ!やっばり釈迦も邪魔する弟子の事を『外道』って呼んでた(笑)
提婆というのは大乗仏教・中観派の僧
大乗仏教は釈迦の教え(初期仏教)とは違い衆生を「大丈夫、大丈夫、帰依すればみんな極楽行けるよ」となあなあに死生観を『二元論と六道輪廻で誤魔化す教え』
それでいて、『坊主丸儲けの霊感商法葬儀・墓ビジネス』だから、後世で『こんな言葉』が生まれるのだろう
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
相手を憎むあまり、その人に関係のあるものまで憎くなってしまうことのたとえ
仏教が『人を騙して鵜呑みの詐欺を盲信させて霊感商法で食い物』にしたら『お釈迦様のイメージが悪くなる』という迷惑な話
やはり『金』に唆した『西からきた兎(ビジネス)』が紛れ込んでるのだろう
金輪際、金輪際(一人一)『見極めの試練=審美眼・先世見の力を得る』は有難い学びである
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