寝起き閃シリーズ。寝起きにみっともないという言葉が降りてきてたので深堀したらやっぱり体のメカニズムに到達するシンクロニシティなお話
みっともないという言葉の意味
人が見たくないと思うような様子
体裁が悪い。見苦しい。
↑↑↑全部客観的価値観
これに付随する罵倒する類語は沢山あるが、一言でいえば罵詈雑言の嵐
それに対する主観の反省の意味が全くない
あーぁ(´~`;)みっともないな俺…
みたいな自己反省の意味がないという事は…
馬鹿にされたら自分は馬鹿だ
ダサいと言われたらダサい
下劣で汚物でよぐ生きでんなおめェ!
って言われたら、それをただ認める事になる
それはなんかおかしいな?
って訳で、まずはみっともないの言霊のロジックを読み解く
みっともない
実態が自然に集まり統合され漂う核の伝わり
ふむ( ˙꒳˙ )なるほど言われたい放題のまま、みっともないったらありゃしない
尾ひれ羽ヒレの噂が独り歩きして、嘘でも捏造でもデマでもレッテルでもなんでもかんでもくっつけられる状態をされるがままは確かにみっともないの繰り返しや
ゴミ屋敷…本当の姿が見えなくなるほど、歴史も文化も伝統もグローバリズムや嘘や捏造によって破壊された今の日本、あるいはルーツを忘れた日本人の姿みたいやな…
いかんな( ˙꒳˙ )どげんかせんといかん
多分、これも解釈が歪められてるんだと思うんだな〜って訳で私の直感的な寝起き閃はこうなる
三度もない?(仏の顔)
みっとも…なんて変な言葉を昔はあまり発音として使わない、それこそみっともないと考えると
みつどもない→ 三度もない と読み解ける
すると限定された回数が出てきて、その隠された格言への繋がりが生じる
仏の顔も三度まで
どんなに温和な人であっても、無法なことをたびたびされるとしまいには怒ってしまうというたとえ
「温厚な人でも無礼を繰り返せば怒る」
この意味になると、みっともない=罵詈雑言の好き放題レッテルを貼って来る相手に対し、許すのは二度まで、三度目は…ない!!(# ゚Д゚)
という…自己反省というより怒りのリミッター解除の戦闘民族なんよな
…( ˙꒳˙ )なんか違う
直感的には、みっともない!!って善意で言ってくる人は恐く身内であり、客観的に見られる態度を正せ!(自分らも巻き込まれるから)と言う意味と考えると
流石に言う方もいつかは呆れると思う
いいか?忠告は二度までだ
三度目はないぞ?後は勝手にしろ
これだと仏の顔も三度までの意味も通るし、ルールを守らない者は相手にしない排除するという意味に繋がった時に…はぅあΣ(゚д゚;)
これってもしかしてこの意味も当てはまる?!
密度もない(状態)の方便
私は仏教の法華経は体のメカニズムを伝えた方便であると思っているからそう思うのかもしれないけど
密度=細胞
細胞はDNAを忠実にコピーする事で正常なシステム(秩序)を保っている
そんな密度がある細胞とDNAを仏が治める仏国土としよう
するとその仏国土において禁忌を犯す問題が起きるとする
言うなれば、言われた通りDNAをコピーせずに、オリジナルな破天荒なDNAに書き換える異常mRNAによる奇形細胞(初期がん)の発生
これは二度まではアポトーシス(自己消滅)のチャンスが与えられるが、三度目(三代目)となれば、もはや自己修正は不可能なので
ウイルス汚染された細胞としてRNAとタンパク質を切り離して仏国土から追放する
そして追放された細胞は密度がない欠片となり、それは周りの正常な細胞から見れば、みっともないとあらゆるレッテルを張られる事により、どこの細胞(仏国土)も受け入れられなくなる(炎症反応)事で
自然に淘汰、消滅、あるいは体内から出ていく
己の過ちを悔い改めろよ?と仏は三度もチャンスを与えんぞ?と忠告しているが、それでも自己反省に至らなかったとなれば、温厚な仏も他の細胞を守るために心を鬼にして自らの分身の片割れである細胞を切り離す
そして密度もない=タンパク質が分離されただのRNAのみ
多細胞生物の中の単細胞
ここではお前のやりたい事は叶えられないから、生まれ変わってやり直せと言う輪廻の救いにもなる
ここでカタカムナの言霊読みすると
みつどもない
実態が集まり内に統合し漂った核の伝わり
実態が集まり内に統合(DNA正常細胞)
漂った核の伝わり(分離されたRNA)
うん( ˙꒳˙ )しっくり また体の話やった
って事は…自分の体に、変な事をしても2度までなら何とか元に戻せるが…
三度目は…ないぞ?ってなんの話だろうね?
(・∀・)三回目は救いはねーぞ?Σ(゚д゚;)
まとめ:みつど三度と密度
言葉って本当にエネルギーを形にしてるんだなと思った
みっともない!って言う事がみっともないという薄っぺらい価値観の押し付けのロジックになってるという意味では、ネットで匿名で罵詈雑言を書く行為は本当にみっともないをエネルギーで表現したようなもので終わりのない永遠ループで
はっきり言ってバグ回路にされている
しかし、三度もない→みつどもない→みっともないへの派生(すり替え)を考えると
三度もないは仏による忠告
密度もないは因果の状態
そして密度といえば、密後の魂百まで
密後の魂には目的がある(DNA)
目的を間違えて堕落するな(mRNA異常を警告)
こうやって考えると、全てしっくりくる
おそらく だらしない というのも客観的価値感のおしつけだけど、堕落しない → 自堕落しないの言葉の崩しを考えて読み解くと
だらく
反対に分かれた場に引き寄る
じだらく
内なる示しが反対側に分かれた場に引き寄る
単純に欲(外にあるもの)に流されているというのがわかりますが、自堕落は内なる示しがそこを目指しているために、それは意欲(内側)であり、ただその魂の学びの選択が、客観的に見れば悪行であるというだけの話
極端な事を言えば、自堕落してパチンカスになる事やメンヘラになってリストカットするような人生ドラマの体験を求めるのも自らの意欲によるもの
仮に生み出された造語(名づけ・命題)だとしても想いが籠っていればそのエネルギーが導きたい所に連れて行ってくれる
言霊って他人を罵倒するための傷つける言葉のエネルギーじゃなくて、精神的に成長を促すための自分への戒め
言葉(言霊)に気をつけなさい
それは行動(影響)に出るから
今日から他人にみっともないという客観的な価値観の言霊を使わない方がいいです。それは自分がみっともないと言う悪意ある言霊のロジックによって、使えば使うほど貶められる
でも密度も無いぞ?は伝え方としては変な言葉
現代風に言えば
薄っぺれ〜なーおめェ!
自分ってもんがねぇんじゃねぇのが?
どうしてもカミナリたくみさんになるのは、キツい言葉の裏に、現状を変えろよ!って言うどこか叱咤激励の人間味の優しさが感じられるからかもしれない。たぶん良い人なんだよこの人(寝起きの感覚に含まれる)
人として側ばっかり整えても中身すかすかで密度がない
そういう意味でも核となる自分の自由意志がないまま、世間体にあわせてみんな同じでいいんだよ!という同調圧力をかける組織細胞側に対し、自由意志を持った側からすれば、有象無象の個性なき集合、滅びていく環境への執着や依存から離れられないのがみっともないという
立場が変われば物事の見え方は変わる 実におもしろい(´ー`*)
沈みゆく船に乗って沈んでいく経験をしなければ、沈みゆく船から逃れる必要がある事に気づかない。そういう経験を何度もすれば、環境に定着する事よりも、そうならない環境を作りだそうする創造の動きが大事
仏が心を鬼にして自分の仏国土から分身を切り離すというのは、弟子を新たな経験の3次元世界(細胞)に送り出すという事。その弟子が仏も知らない経験を積む事で、仏もまたその弟子の悟りを学んで理解し、新たな境地へとたどり着く
法華経の授記品は、そういう細胞のメカニズムとDNAの新生・成長についてなんだろう
実は授記品についてさらに詳しく理解する実体験が最近あったのでまた今度、詳しくまとめます
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