寝起き閃シリーズ。三子の魂百までという言葉の真意は密後の魂に置き換えると何を伝えたいのか本質が見えるお話
三子の魂百まで続く ということわざ
意味:幼少の頃の性格は大人になっても死ぬまで続くという解釈
ほとんどの書物が3歳までに・・と「三という数字」にイメージが引っ張られているが・・これについて違和感を感じていたのが2020年も終わりの頃。ただし、気になるも違和感の正体がわからずメモ内容は空だった(´ε`;)ウーン…
それが今朝、こんな変な脳波の睡眠状態(3時間)の後に目覚めたら
今なら理解できるだろう?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
と言わんばかりにメッセージの内容が降りてきていたのでまとめよう
違和感の正体 寿命の長さ
このことわざがいつの時代に生まれたものか分からないが、昔の人間の寿命は約50年、長くても60歳と考えられてきた
そこから様々な食べ物や生活様式の変化があって、現在の医療による延命をへてもまともに100歳まで生きられない寿命(2020年7月31日時点:厚生労働省発表 男性約81歳、女性約87歳)の人の方が多い状況で
三子の魂が百歳まで・・は 仮の年齢にしても長い
そうなるとこれは何か解釈が違う気がすると思っていた所に、人間の真理に沿ったしっくりくる答えが降りてきた
真: 密後の魂百まで
三つ子を三歳という年齢ではなく、密後という状況・状態を表す言葉に捉えると、魂という言葉と百という数字の違和感も消える
密とは、密集、ぎゅうぎゅうに寄り集まった状態であり、密後とは、その状況になる前はは少ない状態だったと考えれば、これは細胞を意味する
単細胞から多細胞生物へ
1 2 4 8 16 32 64 128……
細胞の増殖による肉体の形成
その1粒の設計図(DNA)がこの世に送られる事から密は始まる
そして、その密後、肉体という器ができてから魂は宿る
この時、過去世の魂の経験と今世で得る経験の目的を持って産まれてくる
これが密後の魂=肉体形成後の器に宿る命
という表現にしっくりくる訳だが…百までは何を意味するのかがまだ分からない
この格言が世に残された当時は、実は人間の肉体寿命は100歳という設定だったのかもしれない(人類は何度も滅んでいるから)
もしかしたら人間は100年以上生かしておくと、ろくでもない事を考え始めるから100年を限度と決められたのかも?
だって自分の人生体験の中で富や名声等、手放したくない物に執着するから延命という自然の法則に逆らった思想が生まれ、そのために他人の命を触媒とした不老不死の研究(医療や錬金術や儀式等)をやろうとするもんね?(ヒトデナシめ)
もし魂がひとつの器に存在できるタイムリミットだとしたら、そりゃ体を変えようとする発想に行き着くだろう(不老不死考えるような奴は)
人類ロボット化で延命(アバター)
意識だけデータ化で擬似延命(VR)
これが実現すれば、好きな時に好きな体で好きな事をできる という究極に一部のモノにとって都合が良い状態になる訳で、当然そんな傲慢な考えを持つ奴が、その自由に遊べる権利を他に渡す訳がない
だから、自分でよー考えんといかんのよ?
騙されて体や意識を明け渡すような政策やテクノロジーとの融合って奴を
魂側の問題か
器の肉体側の問題か
いずれにせよそういう本質的なルールを伝えたものだとしたら?
三子ではなく、密後(細胞分裂で肉体形成)を伝えていた言葉だとしたら?
魂の故郷、人はどこから生まれてくる等、科学的な遺伝子工学や次元を超えた精神テクノロジーが進んでいた文明時代の教え、あるいは創造主の意思そのものでは無いか?
って考えれば、創世記が人体の自浄作用のメカニズムを説明している知恵だって言うのも納得できるだろう
高い次元からすれば、この世界は意識をゲームの中に下ろしたロールプレイングゲームに過ぎない
そのゲームの普遍的な設定が人として経験をつめる時間を100年を限度(必ずそこまで生きる訳では無い)としたとして、本来はロールプレイングの旅の目的を終えたらエンディングで修了……のはずが、人は密後の肉体があるが故に現世の欲に囚われて堕落する
堕落すれば魂のステージは下がり、元の場所には帰れない
その因果を解消するまで輪廻転生をグールぐる
間に地獄という表現を挟むのは、間違いを冒した魂への戒めであり、再び現世に戻った時に、潜在的に間違いを侵す行いに気づくようにするためだろう
ま、宗教的な表現ではあるけど、間違ってないと思う
親が子を叱り、罰を与えて躾をするように、責任ある者が人材を育成するには戒めも必要
そこで納得行ったのが魂の年齢
魂の年齢が高い人は99%犯罪をおかさないという特徴があるらしい
そして、それを裏付けるように、先人達はこんなことわざまで残している
君子危うきに近寄らず
意味:教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかない
石橋を叩いて渡る
意味:堅固に見える石橋でも、なお、安全を確かめてから渡る。用心の上にも用心深く物事を行うこと
これって過去世において、魂が間違った選択(誘惑に負けた)をそれだけ多くして、その都度 地獄を見てきた 訳だから、あの地獄を味わいたくない プルプル(((;゚д゚;)))・・と簡単には誘惑に負けない耐性と自律ができている事を意味する
わかんないよね?だってこれ現世で身に着けた知識じゃないから頭の中の記憶をたどった所で脳のメモリーにはない、性格・性質・人間性の精神の話だから、同じ環境、同じ年齢、同じ教育を受けていても、そもそも中身の年齢が違うから、物事の受け止め方や感じ方が違う
魂は経験は積むが歳を取らない
仮の器(人生)が変わっていくだけ
人として生きるのはシステムの中で学ぶため
最終形態は人として生まれる事を選ばないかもしれない(それもまた到達した魂の選択)
だから人生の中で何を学び体験するか?というのは、他人から与えられた情報や移り変わる社会の状況に合わせる事ではなく
密後の魂が持つ経験と目的 を思い出すために、潜在意識が出す直感的な判断に従う事
その結果が、他人から見て道楽と呼ばれる事であろうが、偉業と称えられる事であろうが、主観的には満たされた人生を送る事になり、その経験を持って再び違う人生を楽しむのだろう
それは今この瞬間に意識がタイムラインをスライドして始まるかもしれない
主観的なタイムリミットは100年という設定のルールの中で学ぶ体験
なるほど、確かに今ならわかる(´ー`*)ウンウン
2020年の最後の時点では、これから教えるカリキュラムの題名「密後の魂100まで」だけ先に降りてきてて、中身を理解するには、そこから順番に気づきや閃きを受信して、一個ずつ噛み砕いて理解してないとたどり着けなかったかもしれん
そんでそれを伝えてきてるやつもな(笑)
LEAVE A REPLY