好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

法華経の授記段(じゅきだん)が理解できてしまった話

法華経の授記という重要なものについての解釈の動画を見た後、唐突に実体験ですでに納得してた事だと理解したのでまとめてみようと思う

法華経の授記についての解説

最近、YouTubeのおすすめで必要なタイミングで出てくるこちらの方の動画をちょこちょこ見ていて、それをきっかけに法華経の考え方が私が実践体験してきた事(次元の考え方や量子的な解釈等)にだいぶ近い・・と感じていたので、今回も何気なく耳を傾けて聞いてました

そこで動画の中で「ジュキ」がなければだめ10次元で「ジュキ」を受け取って新たな3次元を生みだして、そこに弟子を送り込み、そこでさらに「ジュキ」を受けとらせて・・という内容

正直な所、とても一般的ではなく 何いってんだこの人?(;・∀・) ってなるのが普通だと思うんですが・・

私は逆にこの動画のおかげでわかっちゃったんですよ(;゚Д゚)ワ、ワカルヨララァ (゚д゚)!?タイサ

どうやらこの動画が私にとっての「ジュキ」=授記のひとつだったと確信

何を言ってるかわからないと思うんで、今回私が受け取った授記についてわかりやすく体験も踏まえて方便にしようと思います

結論:授記とは直感による閃きと行動する意欲である

何気なく生きている中に、こ、これは!?(;゚Д゚)という好奇心を引く出来事や閃きがあったとする。それまで知らなかった別の世界が広がっている事に気づき、強く興味を惹く瞬間が訪れる

その瞬間に量子的な2つの次元が生まれる

A:ただの好奇心で終わらせ方向転換しないで継続する世界
B:その好奇心をきっかけに意欲が出て舵を切って知らない世界へ踏み出す

実はBが授記を受け取った新たな次元の世界であり、意識は自然にそちらにシフトしているため、Aの選ばなかった事を後で後悔する世界は消滅する

これに対する実体験はこれ

最初に自分の心がざわついて空への興味が生まれ、そしてその想いを動画として公開した

すると、その動画のコメントに撮影時に飛んでいたスクールの人がコメントしてくれたのをきっかけに、どうしようかな~(;´∀`)と量子的にまだ二つの次元が存在して迷っていた気持ちが吹っ切れ、即座に体験フライトの予約を入れるという行動に繋がる

この時点で私の人生における

A:飛びたいと思っているけど飛ばない人生
B:飛ぼう!空の体験をしよう!を選択した人生

つまりは、飛ばない未体験の人生という次元は確実に消滅した訳で、飛ぶ体験を得た人生を選ぶ!という意欲に突き動かされた私は、その選択した次元でさらなる量子的な扉の鍵となる「授記」を受け取ります

A:360°カメラを持たないままフライトを体験する世界
B:360°カメラを買って臨場感ある体験を映像として記録する世界

当然、ここでBの選択で新たな次元へと踏み出したので、360°カメラ未所有・未体験の次元世界は消滅します

そのまま、今まで使う機会がないので興味がなかった360°アクションカメラに必要性を感じ、活用性や知らなかった知識の勉強へと自然に進む道が繋がります

見る方も撮るほうも面白い!Insta360 ONE 360°アクションカメラの楽しみ方

Vuze XR 見る側から創る側へ 記憶を体験に変える360°DualVRカメラ

割りとガチで360度カメラ選んだ結果GoPro MAX

そしてついに念願の体験の瞬間を迎える訳です

パラグライダー初体験!アクションカメラGoPro max360°撮影レビュー

そして思うのが

①360°カメラを買ってよかった!という後悔しない選択
②実際に飛んでみたらイメージと違ったwという飛ばなければわからない実体験

飛ぶまではわからなかった想像現実の違いの確認ができた事、また飛んだという体験を何度も味わえる記録映像がある事で、もう飛ばなくてもいいかなwとはっきりとその次元のゴールに到達したという達成感

満足して手放した次元=成仏?した感じ

その次元に至るには、上記ふたつの次元で【飛びたい】『360°カメラ』という意欲の源の『授記』を受け取っていなければ到達はなかった

そして、その旅の終わりが近づいた時の帰りのエンジェルナンバーで、次はもっとすごい体験がまってるよ?みたいな新たな授記の欠片のメッセージを受け取る

秋田旅行備忘録 1日で3台の8888ナンバーを見た

エンジェルナンバー8888(まだ空を飛ぶ前)

財政的な心配や苦労は間もなく終わる
努力が報われより良い日が近づいている
成果を楽しむ時はぐずぐずしないで行動に移してください
あなたがうれしいと思う選択をしてください

エンジェルナンバー9999

新たな次元へまもなく到達のお知らせ
頑張ってきた事が間もなく結果として表れる
新たなる旅立ちの時
非常に頭が切れる時期
あなただけに与えられた使命を見つける

あの旅行を終えて帰ってきて、4日間ほど異常な眠気に襲われ、それから復活して体験記録を書いた当時の私には、今こうしてこの記事が新たな「授記」の一つになるという事を知らない

パラグライダーで空を飛びたいという好奇心と意欲という授記から始まった別次元の旅はもうすぐ終わり、新たな旅立ち、新たな次元へ到達、そしてあなただけに与えられた使命を見つける

全部が当てはまる訳ではないと思うが、実際に今の現状ではほぼすべてこの通りになっているな~と自分なりの法華経の授記というものを説明するためにこの時の記事が必要な授記になっているという不思議(笑)

というか、その体験した次元の記憶が存在しなければ、この授記の理解は生まれなかっただろう

と、思えるもう一つの授記の鍵があった

それがカタカムナとの出会い

今多くの真理を読み解くのに、カタカムナの言霊読みを身に着けた事で、物事の本質を別の角度から捉えられるようになった結果、今回の授記(ジュキ)という響きが気になって読み解いて、この記事をさらっと書く気になった

ジュキ
内なる示しが自然に湧き出るエネルギー

じゅきという言葉のロジックである言霊を読み解いた時、それは内から自然に湧き出るエネルギーであり、それはつまり、自分自身の無限のエネルギーである意欲を指すと理解

すでに私は自分の中でそれを別の言葉としてまとめていたのだけど、これが次の次元へ進むための法華経の授記であるという事については知らなかった

「欲」と「意欲」の本質の違いの話

だけど、今回の授記とは何か?という動画を見てこれが『授記』なんだと理解に至った

正直な所、私の法華経なんて門前の小僧習わぬ経を読むみたいなもので、法華経を語るな!って言われるレベルかもしれないが、釈迦の教えの方便というのは、教えをどう解釈しどう飲み込み、それがどう自分の糧になるかだと思っている

私は宗教には属さないが、自然とやってる事が釈迦の行動を踏襲しているような印象をだんだんと偶然ではなく必然なんじゃないか?と思い始める経験が増えている

霊界学園への里帰りのような夢

独自チャクラ理論 無意識に釈迦の呼吸瞑想していた

観念したらお釈迦様と遭遇した夢

全てを鵜のみにする訳じゃなく、自分に必要な部分を取り入れるという意味で、私は方便という考え方が真理を隠して伝える例え話という事を新たな次元を開く「授記」として受け取った結果

自分の世界が大きく飛躍し、知らない世界、興味がなかった歴史に視野が広がり、そして歴史の祖語、隠蔽、捏造、おかしい事に気づく俯瞰の目線を手に入れた事により、意識がシフトする次元が明らかに変わった

A:方便を知らなかった世界の物事の捉え方
B:方便を知った事により見えなかった量子的世界が見える捉え方

これは意識のシフトでありもはや次元上昇ってこれのことか!とすら思う

カタカムナ研究20 19首 意識のシフトの機会

私は今、同時多発的にその直感が導く閃きと好奇心とそれを求めて進みたい意欲が強すぎて、頭の中でどの次元を選択するか?という取捨選択の喜びを感じつつ贅沢な悩みを抱えている(時間がもっとほしいw)

最新の寝起き閃きで言えば、義経と弁慶と法華経と縄文とアイヌとモンゴルの繋がりがある理由を点を線で結びたくてしょうがない(*´Д`) Σ(゚Д゚)

最終的に飽きて途中でやめてしまった、ゴーストオブツシマ(モンゴル繋がり)をまた興味を持ってやるかもしれない(笑)

そして、その点を繋ぐためには、東北に伝わる東日流外三郡誌という古史古伝を読み解く必要があると、また新たな「授記」が手元にある(笑)

昨日は昨日で、ゲームの沙羅曼蛇から平家から琵琶法師そして法華経まで繋がっていったし・・(どっからでも繋がる法華経の謎w)

沙羅曼蛇から繋がる平家物語と琵琶法師と法華経

そうやって授記=閃きと意欲を受け取る事で、新たな未体験世界(次元)が開くと、それまでの自分という世界とは別の世界に意識が向いていく

そこで逆説的に言うならば「現実をみなよ?」と妨害してくる人がいる。そういう人たちは、中の意欲ではなく外の欲=人を気にするに流されているため、授記を見つけられない

どこかの誰かが自分に答えを教えてくれる、伝えてくれると外に探しても存在しないし、それは自分自身の内側にあるもので、自分自身と向き合わなければ見つからないから

人生を楽しんでいる人というのは、自分の中に選択して行動する意欲がある。その意欲に従って道を進んでいる時はまったく迷いはない

客観的に見れば・・という第三者目線の時点で自分ではなく他人を意識している
主観的にやれば、そんな目で自分の事を見ている人がいる事すら気づかないし気にもしない

授記=意欲というものが新たな道という別の3次元の現実へ導く重要な要素であると言える

必要ない情報という人を惑わせる不確定なエネルギーの中、何が必要で何が必要ないかは自分で判断する必要があるけれど、意欲という「授記」があれば直感と閃きに従えば迷う事はないので、必要な時に、必要なものに出会い、必要な授記として、次に進む鍵になる

だから大事なのは、他人を気にせず自分自身と向きあう事

正しさとは万物が流転する諸行無常の世の中に合わせる事ではなく、どんな状況であれ我を想う故に我ありの自我への固執・執着を手放し潜在意識に従う事

ハイヤーセルフは自分自身を助けるために導く自分だと捉える事

ハイヤーセルフ(高次元存在)は自分だと気づく夢

自我が強い時って、潜在意識という存在を忘れている

病める時も健やかなる時も、雨の日も風の日も、血反吐吐いて苦しむ時も、美味い飯食って満腹感味わう時も・・

誰よりも一番近い距離で一緒にいる存在

それなのに、その相棒から伝えられる直感という感覚を信じずに、社会という投影が与える不確定要素の情報である常識や概念というルールに従い、自我は潜在意識の意志に反する行動をとって、そして後悔の念を抱え続ける

本当はその瞬間にその潜在意識の直感に従って、舵を切り違う道に進むための「授記」を受け取れるはずだったにも関わらず、自分の意志ではなく、他人の意見に同調させる事を選択

すると大きな失敗がなくても、潜在意識が望まない結果になるから、これじゃなかったかも・・と間違った選択をしという気持ちを引きずる事になる

だからそうならないために向き合いなよ、自分と

イラストでわかる!潜在意識を変えるたったひとつの正攻法(成功法)

という訳で、法華経(宗派による違い?)のなんたるかとか内容がどうとかは私はまったくわかりませんが、授記と呼ばれる、それを受け取る事で次の世界に進む、あるいは未来で仏になるという事に関する自己解釈は

授記=潜在意識が導く別次元へと進む閃きと意欲のエネルギー

たぶんこれであってると思うし、あってるかどうかを確かめる必要性もなく、それは直感に従って後悔のない選択を繰り返す人にとっては、流れの一部の状態に過ぎない当たり前の事だと思うけど

その直感に素直に従う=社会的常識や概念を無視する

これは簡単な事ではない・・と思うなら、それはまだ自我(エゴ)が強い=潜在意識の自分と向き合ってないって事

それを知っておけば、今、意欲がない=授記が見つかってない場合、その次元から次の次元に向かうために、一度立ち止まって自分自身と向き合う必要がある時って事だろう

最後に、全ての人は仏になる という法華経の考え方についても、カタカムナで読み解けば

ほとけ
引き離して統合から放出

統合とは穏やかな無であり有であり、あらゆるエネルギーがカタチを持たない1つの状態、そこから何か余分な調和を乱す因子を放出して手放す=気にしない

知らぬが仏です(笑)

独自体感論 明鏡止水と霊的な言霊の本質

また、仏とかいて(ぶつ)と読んだ場合も

ぶつ
内なる2次元に凝縮

これ実におもしろいですよw

昔で言えば内なる二次元とは内面世界=思考の映像、頭の中の記憶(臨場感はない)、あるいは「夢」という解釈が当てはまるかも

でも、私からすれば、今の自分という意識がある世界は仮想空間の可能性を感じている訳で、VRの仕組みを考えると、内なる二次元に凝縮とは、VRゴーグルに映る二枚の二眼レンズに投影される映像コンテンツ

それはあくまでも外(現実)から見た解釈だけど、VRの中ではその映像は立体感・臨場感がある体験になる訳です

カタカムナ研究11 12首 目蓋はこの世はVRを現していた

という事はこうなる訳です

仏(ほとけ):未体験という不安定な要素を引き離して放出
仏(ぶつ) :引き離した未体験を2次元に凝縮して投影(物質的に具現化)し体験させる3次元仮想空間(現実)が生まれる

現実とは仮想空間であり、もっと言えば、自分自身が内面の自分と向き合った時に、未体験な要素を投影し、直感や閃き=授記によって魂の経験をする場所に導くって事だろうから、魂の年齢が高い=人に興味がないというのは、おそらく周りに未体験の人生(選択)が少ない=経験済みとも解釈できる

魂の年齢 霊格レベルを調べてみたら・・

そして、おそらく未体験の人生の投影というのは、生まれ変わるという事ではなく、それぞれ量子的に分離した並行次元において、達成し完結した世界の意識や志半ばで終わった世界の意識は経験値としてひとつに合流していく(輪廻転生)

カタカムナ研究17 15首 人生の輪廻転生の理

ちなみに輪廻転生も言霊読みするとおもしろい事がわかる

りんねてんせい
強く離れ充満し強く放射(循環)し引き受けた現象・伝わり

終わりによって肉体から魂が離れカタチのないエネルギーとなって循環して現象として伝わるというのは、目的を達成した経験が合流するパターン(魂の経験値が上がる)もあれば、未達成だからこそ、託すために合流するという様々な輪廻転生パターンがあると思う

カタカムナ研究15 14首 心の融合えぐい副作用

それは時に人間じゃない存在に意識がシフトする事もあるかもしれない

カタカムナ研究9 11首 病巣を攻撃する

だから、そういう他の次元での体験によって新たな「授記」を受け取り目的を達成し、成仏して仏になった魂世界が多いほど、意識は経験を拡大し

心が安定し穏やかでいられる

最後はみんな仏になる(自分と向き合う)とはよくいったもんだ(笑)でも同時にそれが知らぬが仏(分離と統合の繰り返し)でもあるというダブルミーニング

とまぁ、これが私が様々な体験や判断する知識を元に納得した法華経の「授記」という解釈ですが・・

違うよ!という否定する人もいるでしょう。でもそれは『あなたの信じる授記』と違うのであって、間違っているとかはなく、正解は人それぞれって話です

授記が直感が導く閃きであり、行動するための意欲だとしたら、私は今後も道に迷う事はないでしょう( ̄ー ̄)ニヤリ (゚д゚)!ブレナイ

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