自分が自分を助けるのはチート行為?並行次元をまたぐスピリット(魂)+リアル(意識)、高次元存在のハイヤーセルフとは自分だと気づいた夢の話
夢の内容
色んな世界の色んな人間関係の中にいる色んな自分の姿を俯瞰で見ている自分。外から自分を見ていて、やりたい事や考えてる事がわかると、視点が客観から主観に変わって、いつの間にか自分がそのさっきまで見ていた自分になっていた
(よーし、お前がやりたいと思っていたけど躊躇してやれない事をやって見せてやろう)
まるで他人事のように、面白半分でそれを実行しそして実行する以上はミスをしないというか、ミスなどない(現象をねじ曲げる)という絶対的な謎の自信
そして目的を達成した瞬間は主観から離れて(ほら!やれば出来るじゃねーか!お前はお前が思った事を躊躇しないでやってりゃこうなるんだよ!)
と言わんばかりに成功して喜んでいる自分を誇らしげに眺める(´∀`)ウンウン
と自分を見つけて自分に入り、思っているけど行動できない事を一緒に実行するという夢をいくつものパターンで見たので自分なりに分析してみよう
個人的な解釈 集中(ゾーン)に入る状態
なにかに夢中になった時、過集中、ゾーンに入った等、人それぞれの表現がありますが
私の体感でいえば、願いを叶える潜在意識と望みがはっきりした顕在意識が同一化する事で、その瞬間は存在が
スピリット(魂)+リアル(意識)になっている
まさに神(力の実態)の降臨
だからゾーンに入った事は覚えていても、ゾーンの最中に何があったのかは詳しく覚えていない事が多い
これを顕在意識(自分意識)ではなく外側のスピリット(魂)から捉えれば今回の夢の私のように手を貸してやろう(๑•̀ㅂ•́)و✧という感覚なのかもしれない
って思うとやっぱり夢の世界を俯瞰で見ているのは魂であって、その魂が色々外側で見てきた事を自分にインプットしている。必要ならば、必要な次元とのコンタクトも導いてくれてるのかもしれないから
もう1人の前向きでポジティブな次元の自分と出会ったり
今の自分をより強く自信を自覚させるアイデンティティとルーツを見せたり
それを全部やってるのが自分って考えると、ハイヤーセルフ=高次元存在って言うのは、文字通り
自分の魂なんだろう
私の魂・無意識領域には、困っている人を助け、その人が障害や問題を乗り越えるサポートをする事に喜びを感じ、それは同時に私にとっては癒しのエネルギーを産み、疲れも癒される傾向がある
自分自身が多次元に渡って存在した時、そのそれぞれの次元の自分自身が目的を達成するために別の次元の自分が手を貸すのはお節介だろうか?チート行為だろうか?
もし、これが他人への干渉だったら有り難迷惑かもしれない
しかし、自分自身を閃や直感で助け問題を乗り越えさせ、そして
お前は俺だ!( ・ㅂ・)و
なんだ!俺だったのか!Σ(゚д゚;)
ならば問題は無いな(・∀・)人(・∀・)
暇を持て余した神々の遊び(笑)
的になれば結果的に並行次元に分散した自分たちが得た経験が統合していく事は文字通り、魂の絆・繋がりを…
あぁ!!?!(;゚Д゚) Σ(・ω・ノ)ノ!
そう言う事か…カタカムナ6首の独自考察で出てきた「失われた繋がり」でのスピリット(魂)+リアル(意識)という観点は、自分自身、真の自分を取り戻すために、失われた自分自身と繋がりを取り戻すって事か!
しっくり来た( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
まとめ 中(並行次元)と外(魂)は繋がっている
過集中やゾーンに入った無意識の感覚を持ってる人は魂と繋がった瞬間であり、それは魂側からすると、その望みを叶えようって、別の次元の自分が見ている夢の中で、気まぐれに干渉した結果かもしれない
逆に言えば、別の次元の自分がどうしようもなく悪意に満ちていて邪な欲望を抱いていたら?
その願い叶えてやろうか?(・∀・)ニヤニヤ Σ(゚Д゚)
殺人や暴行等、衝動的な犯罪を犯し魂が離れた後、行為の最中の記憶はないため
魔が刺した という定番の心神喪失かもしれない
その「魔」もまた自分自身であり、結果的に望みは叶った訳であり、それは実行したいけどできないという願望に「後押し」という手助けが発生したと言える
善悪や光と闇等の二元性の犯罪や法律の概念は、時と共に巡って移り変わるために重要では無い
平和な世の中で暴力は否定されるが
争いの世の中で暴力は否定されない
何が正しいかを客観的価値から考えるのでは無く、何を求め何をすれば達成感を得られるのか?その究極の主観である
魂が得たい経験は人それぞれ違う
その人にとってどうしても人を殺してみたかったという経験を求めていた。客観的には受け入れられない理由だが、魔が刺したという事は、それを魂が肯定し同調し実行する力を与えた事で現象として実現された結果
つまりその人の本質は
負の感情の連鎖エネルギー(業=カルマ)を生むのが目的だった という事
人の命を奪うという体感 → それに伴う社会的制裁の経験
一時の衝動への後悔と懺悔までの心変わりの経験 → 被害者から憎しみの感情を生ませる行為
その憎しみの感情を背負う経験 → 場合によっては復讐で命を落とす経験
全てはその人の魂が成長するために、あえて受け入れて選んでるエネルギーの選択だが、実は被害者側でも、魂レベルでは、被害に合い、誰かに深く憎しみを抱く人生というエネルギーの経験に同意し共同で学びの役割を持っているのかもしれない(これは現世ではわからない)
人それぞれ、人生それぞれ
結局はどんなエネルギーが流れ込む事を望むか?によって外から影響してくるエネルギーのカタチや役割が変わってくる。それは「今」という瞬間の意志氣の変容によって決まる
これもまたカタカムナの4首 「エネルギー循環構造」で独自考察した部分
私の本質というか、根っこの部分を掘り下げれば、人助けがしたい
だからそれを叶えようと動いてる時は、ある意味願いが叶っている状態であり、エネルギーが溢れてくる。その時の労力は初めての事でも、未知の事でも惜しまない
持っている物を分け与えるのでは無く、無から有を探して生み出す、0を1に変える。だけど人を助けるには色々な方法があり、知識やテクニックも必要だが、何よりも大事なのは、自信
本当に自分は「その瞬間」に助けられるのか?
という躊躇のブレーキを踏みそうになった時、今回の夢の中で自分が行動を手助けしたように…以下早口で(笑)
助けたい!と思っている自分を
助けられる自分が助ける事で
助けられた自分が、自分に助けられた事で
自分は助けられる力を持っている!と
自分自身を信じる自信に目覚める
この連鎖反応(笑)
散らばった自分を拾い集めてひとつに統合していくのが、本当の意味で人助けをするために、まずは自分の力を取り戻せと言わんばかりの夢
でもシンプルなまでに清々しいほど…それなって納得した(笑)
善とか偽善とかそんなものは、なんの関わりもしないで遠くから眺めてる奴が机上の空論で語ってるだけで、それに耳を傾けてる時点で同類
やらない善よりする偽善っていう行為を言葉に変えて発するのもまた、ただの自分のパフォーマンスを正当化して、関わらない人を煽るという性格の悪い言葉であって
本当の意味で人助けを行う人は、善も偽善も考えちゃいないし、後先も考えちゃいない
その瞬間、そこに困っているエネルギーを発してる人がいて、その困っているエネルギーを解消できる、解消して元の状態に戻したい
不調和を調和に戻して軽くしたい
ただそれだけなんよな
っていうライトワーカーの気持ちと魂が選択した役割を再確認した夢でした(笑)
もしかして、コロナ騒動の最中にもう一人の自分が夢に現れて勇気づけてくれたのは「今」という瞬間に心を強く穏やかに保つためなのかもしれない
なんてな(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
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