今にとっては思考よりも行動!思考を手放せば直感が強くなる並行世界メカニズムをについて
思考は「今」を奪う
寝起き閃の直感とは違う、答えを手探りで探す感覚というのは、テーマを決めて自分なりに一歩ずつ足場となる土台を組み立てていくが…スムーズに行かない問題にぶち当たる度にうーん?(;-ω-)ウーンと唸る
集中すればするほど…という自分の今をふと客観視してみた時になんて今を無駄にしてるんだろうと感じた
考え始める前にみた時計は朝の4時くらい
(;-ω-)ウーンと唸ること気づくと6時
え?俺は答えのないタラレバを2時間も?!
と思ったら、その思考は今必要だったんだろうか?と無駄に感じてしまった
そこで思考という言葉を思考してみる
田に心
土に与える…に/で区切り
十は全てであり自由だが、□は災い
枠に囚われた全ての外に心=思
土に与えるだと恩恵を感じるが
その繋がりを断つように区切り=考
つまり、枠に囚われ自由がない状態で土に恵が与えられずに枯れる
なるほど、プランター栽培かな( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)
大地に根付かない植物は腐って枯れる
=これが精神を蝕む「思考」というもの
だけどこれはおそらく、栄枯盛衰の寿命付きの人生において、よる年波に勝てない人類が生きるために知恵を絞るという意味で身につけた生存率を高める技術でもあるが…
経験から来るタラレバのシミュレーションによる分析・予測であり、未経験の事柄に対して絶対という保証のない
自信のない憶測でしかないために大事な所で役に立たない
だから直感=直で感じるのとは明確に違う
考えながら動くは不可能
考えながら動いている…ように見えるのは、できない人からの客観的な見え方であって、主観で見ればできるようになれば、考えて動いてないという事がわかるようになる
例えば、車の運転の初期を思い出せばいい
前が見えないと怖いからハンドルにしがみつくように前のめりだったのが、車幅を理解したら前のめりになる必要がないと気づいて運転姿勢が変わる
これを感覚でやってると勘違いしているが、これは分析と理解から得た、座席を基準とした体の動かし方という物理的な空間認知の経験の蓄積、つまりは繰り返し反復練習のルーティン化したに過ぎない
同様に
走りながら窓を開ける
走りながら画面を操作する
プラスアルファの行動パターンを座標からの距離を記録して実行しているに過ぎないため、自分の慣れた車以外ではそのポテンシャルを発揮する事はできない(空間が違うから)
そこで始めて考える
そして考える時は動けない
もし車の運転中に考え出したら、心ここに在らず
車で事故を起こす人の大半はルーティン化された走行プログラムのプロセスの実行中に、イレギュラーに気を取られて別の思考をしてしまう事が要因
実際、背後から追突された事故の時の状況が、母親が子供とマックのポテトの取り合いしてて前方不注意という運転の思考じゃなくなっているのが原因だった
脇見運転の原因は視覚に囚われる事
視覚も四角も□で一緒
□=災いの元
だから実際は、動いた結果を記憶として経験してルーティンのパターンを形成し、それを実行しているに過ぎない
考えながら動け!!
という人ほど、実は考えている訳ではなく経験値から来る対応できるパターンが多いだけであって、はっきりいえば思考停止して考えていない
それを考えないで実行できている=感覚というのは、ある意味同じ作業を延々と繰り返すだけのロボット。つまり突き詰めれば、正確さ、精密さ、効率化の道を追求したら人はロボットに向かっていく事になる
そしてイレギュラーをエラーや不良品と合理的に判断するという意味では、監視という統制をとるルールは絶対的な力を持つ事になる
曖昧さや不安定さを許さない
そう言う枠=□が決まった中に囚われた十(自由)
それが思考
思考する時点で条件やテーマという枠が決まっているからこそ本当の自由はない
今という瞬間に自由が無くなるなら
今という瞬間に思考は無駄
でもそれはそれで必要ならば…と思考した瞬間に魂は分離する
今という瞬間の全てから、その思考するテーマのみを分離して、エネルギーを切り離すと生まれるのが 並行世界
今というこの次元では考える事を手放した。でも別の次元では考える事を継続している自分がいるそれが並行世界
今の意識をフォーカスしている自分ができない思考や行動を経験している、自分であって自分ではない存在達が沢山いる
だけどお互いにその存在に気づいてない
ここが大事な事
自分という存在はひとつであってひとつではない
主役であって主役ではない
今、自分がテーマを決めて思考を手放して、別の並行世界を生み出したように、今の自分がこなすべき課題もまた、統合から分離されたひとつの思考テーマに過ぎないかもしれない
要は分散して課題に挑戦していると考えればいい
私は以前、もう1人の自分とであった夢についてまとめた
もう1人の自分からアクセスしてきた事で、鏡合わせの2人と思っていたけれど
次元を超えた経験の共有(未経験のはずの事の体験記憶)が寝起き閃で蓄積されてきている結果、なにかの質問や解答に、何故かわかってるからよどみなくスラスラと言葉が出てくる
自分では理解に至っているが説明はできない
なぜなら、今の私はその経験をしていないはずだから
マンデラエフェクトという感覚を感じる人の多くは、外の事象である客観的な記録と自分の中の認知記憶を比べて違和感を感じる人もいるだろう
それは違う
外の世界が変わったのでは無く、別の次元の意識が流れ込んだか、あるいは自分の意識が、別の並行世界に移動したかのどちらかだが…それを見極める意味でも
最初に思考して分離を生み出した世界が正しい統合への道
分岐が分岐を呼んで、何が何だかわからなくなる原因は無駄な情報が多すぎる事。本来、知らなくていい情報が含まれると、核は分裂してしまう
しかし逆にその思考のテーマとなる探していた答えを見つけると分裂した核は融合していく
だから一日一生
今日、今という瞬間に心が揺れ動く事こそが、与えられた分岐した思考で創られたミッション
だから簡単に言えば電気回路みたいなもんで
並列繋ぎ=分岐する並行世界(それぞれ抵抗が違う)
直列繋ぎ=元の出力へと近づく
それぞれが違う回路に分散して通ってるエネルギーが、回路が直列になっていけば力が増幅していく訳で、自分がそういう思考によって、役割を持って切り離されたシミュレーション世界の1人かもしれないと受け止める事(主役であって主役ではない)
その場合、人生の目的を探すなんて壮大なテーマはいらない
一日一生
今、何がしたいの?
これはテレビを見たり、人に聞いたり、ネットで相談しても見つからない
自分の中にしか答えはないが
今の自分の中には答えはない
人それぞれ違う
その目的を思い出し、その目的を達成するまで終わらない
自分と向き合わないと出口は見えて来ない
私の場合は夢でもう1人からの接触があったのは、その次元の私には、目覚めを促すきっかけを与えるというミッションがあった。その結果、私は直感を信じるという感覚を身につける事ができ、あらゆる事に氣を巡らせる重要さに気づき
独自体感を道標に精神修行でチャクラコントロールを身につけ、心を穏やかに保つ事を意識するという目的を達成してからだろうか・・他の次元の経験が夢や眠りを通して大量に入ってくるようになったのは
分離した思考世界の並列回路の収束地点のアンカーとしてエネルギーが集まる中心核になってるのかもしれない
だから、今という瞬間になにもしなくても、色んな善悪の思考や色んな経験を詰んだ分離した魂達が集合してきて、それをわかりやすく夢の中で伝えてくれているのかもしれない
…って考えると色々辻褄があってくる(笑)
白いオーブが大量に見えたというのは並列世界の俺自身のエネルギーの収束なのか?色んな経験を俺に教えるアセンデッドマスターや守護神って俺自身か?
それなら、友人が言っていた、お前のデスクの椅子に白い人型の何かが座っていたというのも、自分が自分に集まってくるのだから当たり前といえば当たり前か(笑)
もし仮に、善の経験をした私の並行世界の意識が、悪の体験をした意識に統合されてしまえば、それはそれは物凄い罪悪感に苛まれると思うし
逆に悪の体験をした後に人に感謝されるような善の経験を積めば、人に感謝されるとは心地よいものだと思うけど・・でもそれも行き過ぎれば、お節介という価値観の押し付けに悩む事になる
これをパズルのピースだとしたらかみ合う事はないだろう
相反する経験や気持ちを持った分離した魂が融合するには、どちらにも理解がある中立が必要になる
という精神の中立バランスが安定している並行世界の意識が主軸のアンカーになるのだとしたら、全ての経験や体験の宿り木となって集まってくると思う
そして、どの次元でも言える事だけど、好奇心旺盛な私は、自分の体験や経験を再現性を持って伝えようとわかりやすく例えを交えて表現する
多分、それが夢でのメッセージなんだろう
その夢での例え話(リアル版)の体験記憶と寝起き閃のように欲しかった答えを届けて行く座学的な文章メッセージ。そうやって考えると、私に届けられる、エンジェルナンバーや目につく数字、出来事
共通することは、穏やかでいる事、たくさんのサポートと恵を受けられる事を暗示している
これは物理的な金銭やイベントって事じゃない
実際には今の物質次元では何もしてないのに、夢の体験や心が踊るエキサイティングな感覚等、並行世界の自分達からもたらされてるんだなと
それを繋ぐ役割なんだな〜と思うのは、好奇心に駆られてワクワクする行動を取って娯楽を楽しんでる中からの学びが、必ず精神集中や人生教訓のような中心からブレないための気づきに繋がるから
ドラムしかり、釣りしかり・・
利己的って、他人という別の存在があって使われると思ってたけど、これは分離した自分に対しても同じこと
利他は分離した自分自身に対しても適応される事であり、厳密にいえば、並行世界で別の経験や体験をしていてもみんな自分
その自分とひとつになって体験や記憶が統合されて行く事に、あれ?こんな経験あったっけ?といちいち違和感で拒絶しなければ、それはより人生に厚みが出て引き出しが増えたという事
さらに突き詰めれば、分離した並行世界の自分を他人と線引きをするのなら、それは今の自分とは違う経験、違う思考を模索するためであると言える
わからないからこそ接する事や触れ合う事が未知の学びを得られる事になる
それによって得る感情、体験はエネルギーとして蓄積もすれば、逆に失ってしまう事もある
それはやってみないと分からない奇跡
有り難い事(滅多にないこと)
一日一生の中の一期一会とは
その日のその瞬間にしかない
一日一日を大切に生きるために
気づきや直感(並行世界と繋がる)は大事
直感とは今、ここにはない知恵
並行世界のどこかの自分が持ってる経験や知識が融合した瞬間
時間軸という創られた概念を気にしないなら、それは過去世の経験と言ってもいいだろう
気づきは直感と一瞬繋がる事
閃は直列で繋がって一体化して増幅する事
あくまでも現象として確認できる
こうやって魂というエネルギーを並行世界に分岐していった最初の自分の大元は
そもそも人という□に囚われていない
枠に囚われない真の自由を持っている
魂が自由意思とはそういう事だと思う
□の枠を作りその中に人を入れると 囚人
これは条件付けされた思考シミュレーション世界
現代風に言ったらVRでもいい
枠=□=視覚とは支配の象徴
目に見えるモノしか信じないというのならその支配の枠は自分で決めてる事になる
人間の見える視野なんて所詮こんなものなのに┐(´∀`)┌ヤレヤレ
だから枠から出る、支配からの卒業が真の自由
思うの枠をとっぱらい、地に根付いた姿
志 こころざし
士 サムライ
心 こころ
武士道の死とは生死の死に非ず
もし、自分が課したハードル、人生という枠に囚われた思考世界の最後の壁があるとしたら
死という概念を越える事
死にたくない、自分達が生き延びるためには、他人を犠牲にしてもいい!!という悪意が世界を恐怖で包み込む理由は、そういう負のエネルギーを集める事で生きようとしている必死の執着を糧にする存在のために、多くの人に痛みや苦しみ、死の恐怖を与え続けなければいけないから
その思考シミュレーション世界に囚われた人達が苦しんでいるけれど、死とは分離した時に生み出したひとつの思考シミュレーションの世界が終わる事
抗えない大きな力(自然災害や怪獣?)で突然終わる事もあるかもしれないけど
その瞬間に分離元に統合される
…っていう夢を見たんだ(´・ω・)つΣ(゚д゚;)
てね
今という瞬間は二度とない!!とかの強迫観念もひとつの□に囚われてる証拠
焦りとは他人から与えられる情報に過ぎない
手離したくないという執着の現れ
視覚に囚われた縁=円=○は現状維持
□の枠がなければコロコロと転がり新しいエネルギーが巡る
こういう気持ちや精神系の話が好きかどうかというのも重要で
誰かに言われて心を穏やかにする方法を探してる人と、なんか不思議なくらい心が穏やかなんだけどなんでだろ?と体感が先で裏付ける理由を探してる人では大きな違いがある
前者は今の自分に必要のない情報を与えられて彷徨わされている(本来やるべき事じゃない)
後者は今の自分に必要な情報として受け止めてこの思考シミュレーションの目的に向かってる
ゴールにたどり着いて、なるほどな〜とひとつ納得の解決に至れば自信がつく
自身=自分と分離していた答え探しをしていた自分が融合して厚みが増す=結果的に無条件で自分を信じる心が強くなる
最初に言った通り、軸となる空間座標を基準に身に着けた事は、経験によってパターン化するために、思考する事なく行動できるようになる
だから閃きという直感で事が成功するとは、別次元での自分の経験パターンを瞬間的にマスターして再現している
あ、こういう事か!(゚∀゚)ピーン(コツを掴む)
コツってなんだろうね?
カタカムナでは、転がり入って集まる という意味
どこから転がり集まってくるんだろうね?(笑)(意味深)
英語ではknow-how ノウハウはカタカムナでは、時間をかけて生れ、引きあって生れるとなる
分離した思考次元で時間をかけて経験から生まれ、それが思考を分離する前の元の次元に引きあう事で閃きや直感として生まれる
そういう意味にもとれるわな(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)ホンマヤ
だから、疑問が多ければ多いほど、同時に展開している並行次元は多く、その代わり気力を割きすぎて元の次元が・・( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)無気力
でも、ある時突然、疑問が解消されて、分けたエネルギーが戻ってくる事によって漲る自身と経験が返ってくる
そして、そのエネルギーをまた明日はまた明日の思考シミュレーションとして分離する
( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)またか
その繰り返し(笑)
瞬間(疑問)は永遠(答えが出るまで)で一瞬(量子テレポート)
でも、そのうち社会に対する疑問がなくなってくる
なぜなら、この学びを得ようとしている人間社会のルールや歴史、あらゆる常識と呼ばれる概念が、そもそもデタラメの嘘の上に成り立っていると感じるようになるから
元が嘘やデタラメに対して、なぜそうなったのか?を思考するだけ無駄┐(´д`)┌ヤレヤレ
そうなると、学びは自分の中に戻ってきた自分たちから体験のレクチャーを受ける必要がある。そうやって自分自身の厚みを増していくのが、魂の経験値なのかもしれない
自分自身が戻って融合できるように心と体のバランスを保って中立である事
周りに流されずに心を穏やかに保つ事
その気持ちになれれば、還ってきた自分だけじゃなく、地球の自然がサポートしてくれてるのもよーくわかるようになって、こんなんが見えてくるようになってくるかもよ (´∀`*)ウフフ Σ(゚Д゚)
まぁ、並行次元があるとか、ないとか、そんな議論は、悪魔の証明を外に向けて行ってる科学というデタラメを元に創られた宗教の専門家たちにおまかせして
自信があるというのは、人生に厚みがある人なんだけど、厚みってなんだ?っていえば、それは実際の体験に限らず、どこからともなく、分離して分かれていた自分自身と融合する事で得る別次元の経験からくる自信(体験記憶)かもしれないって考えると
色んな事に興味を持つ事、興味を持つには、肯定的な好奇心を持ち続ける事。今の瞬間にやりきれない事でも、気になって気になって仕方がない!って事は
すでに気になって(分離)、気になって(分離)のタラレバの思考世界を生み出してシミュレーションしている
そのくらい並行世界や魂の分離と融合って軽く考えていいと思うよ(゚∀゚)魂を削るっていうじゃない?って事は自主的に分ける事だって可能だろう?全ては自身を成長させる学びのためにある
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